
かわいい猿の絵に、世界のすべてが描かれていた。南宋の天才・牧谿を語りたい -大徳寺展(東京国立博物館)-
ようこそ、
絵の声をきくアート鑑賞へ。
数あるnoteの中から
おいでいただきありがとうございます。
前回の「水滸伝展」では
北宋から南宋初期にかけての
中国絵画の素晴らしさを
ちょっと熱く、うざめに
語らせていただきました。
https://note.com/killamaru/n/nd39c6aac2170
引き続き
今回は
東京国立博物館で開催中の
「大徳寺展」へ。
(12月6日まで開催中)
お目当ては水滸伝展に引き続き
中国・南宋時代の
天才画僧、牧谿(もっけい)の
国宝《観音猿鶴図》です。
今回もまた
南宋画のとんでもない凄さを
再発見してしまいましたので、
熱く語らせていただこうと思います。
かわいい猿の絵。
でも、それだけじゃ勿体ない!
牧谿の《観音猿鶴図》は
観音、猿、鶴を描いた
三幅対の水墨画です。
(左から、鶴・観音・猿です)
なかでも《猿図》は
ふわふわした親子猿の姿が
なんとも愛らしい作品。

でもそれだけで終わらせるには勿体なさすぎな、
とてつもない絵なのです!!!
展覧会でも
猿をモチーフにしたグッズが
たくさん用意されていて
人気の作品です。
もちろん、かわいい。
でも、ちょっと待ってください!
この絵
かわいいだけで終わらせるには
あまりにも勿体ない!
私にはこの絵の中に
とんでもなく大きな世界が見えるのです。
《猿図》を事前にウェブで確認した時
南宋ならではの凄さを体感しました。
描かれているのは
木の枝と、そこにいる猿たちです。
そのまわりはぼかされた余白。
画面の大部分を占める余白。
普通なら、何も描かれていない場所です。
ところが牧谿の絵では
そこにも確かに世界が存在している!
その向こうには、山があり、森があり、
猿たちの生きる世界が広がっているのです。
でたでた!
南宋特有の
「一部を描いて、
実は世界全部描いちゃってる」やつ!
(詳しくは前回の記事へ
https://note.com/killamaru/n/nd39c6aac2170)
これはウェブから見ても
感じ取れる世界でしたが
実物を見ても
もちろん
その印象は変わりませんでした。
むしろ、
あの限られた画面の中に
これほど大きな世界が
収まっていることに
改めて驚かされました。
牧谿は
いったい何を描いているのか。
残りの2幅で、
さらに迫っていきたいと思います。
鶴の絵で
神様になって世界旅行できる!
そして、
実物を見てさらに驚いたのが左の《鶴図》でした。

こちらはウェブの画像では
わからなかったことが、
たくさんありました。
目の前に立ってはじめて
強く、感じたのです!
特に印象的だったのが
鶴の周囲に描かれた竹の葉です。
葉の輪郭がぼやけて
淡い墨のグラデーションの中に
溶けていく
その様子を見ていると
描かれている竹は
ほんのわずかなのですが
竹林がずっと向こうまで
続いていることがわかるのです。
ああ、この先も
こんなふうに竹林があるんだね・・・
この先も広い竹林。
やはり広大な世界を
感じるのです。
そしてこの絵はもっとすごいのです。
それすら超えていく。
マクロとミクロを併せ持つ絵
こんな絵が存在するのでしょうか・・・
広大な世界の中に
一羽の鶴がたたずんでいる。
絵の中心に
大きく描かれている鶴ですが
ひろい世界全体から見れば
ほんの片隅にいる一羽の鶴。
一つの生命。
まるで地球儀を上から眺めて
広大な大地の中に
ぽつんと佇む一羽の鶴を
望遠鏡で覗き込んで
見つけたような感覚です。
不思議なことに
余白にも確かに存在する
その世界の大きさを認識するほど
その一羽の鶴の存在が
かえってくっきりと際立ってくるのです。
世界の広大さを感じることで
かえって一つの生命の存在が際立つ。
これはつまり
マクロな視点とミクロな視点が
同時に生まれている
ということでしょうか。
なんだか
神様になって
世界旅行をしているような気分でした。
(中国だと・・・仙人さま?)
世界全体を眺めながら
その中に生きる
たった一つの生命を見つめる。
南宋の山水画を見ていると
私はよく「生かされている」
という感覚を覚えます。
大きな山も、木々も、
そこに暮らす文人も、動物も。
生命・存在すべてが
一つの世界の中に存在している。
この鶴も
そんな世界の中で
生かされているように感じられました。
一つの生命を見るということは
その生命を生かしている
世界全体を見ることでもある。
そして、世界全体を見ることは
その中に生きる一羽の鶴を見ることでもある。
部分から全体へ、
全体から部分へ。
その視点が
何の矛盾もなく行き来する。
そんな途方もない感覚を
たった一羽の鶴の絵から
受け取ってしまったのです。
観音図で気づいた
牧谿のとんでもない天才性
まだまだ続く牧谿トーク。
やっとメインディッシュ、
中央の《観音図》です。

ちょっと苦手かな、と思っていたのですが・・・
いい意味で期待を裏切る絵。
南宋の絵は、周りから見るのが
癖になってしまっています。
それは、
学術的に「こう見なさい」ではなく
ただ単に、すごく、面白いから!です。
今回も
周囲の描写に
夢中になってしまいました。
特に
画面右上部にある
苔のような部分。
小さな葉の形が
繰り返されているようで
テクスチャをスタンプで
つくっているように見えるのです。
描かれているのは、ほんの一部分。
でも、それを見るだけで
このスタンプが限りなく続きますよ
というような
同じような質感を持つ世界が
この先も続いていることがわかるのです。
左側に描かれた葉もそうでした。
ほんの少し描かれているだけなのに
その向こうにある世界まで
自然に感じ取れる。
まるで牧谿が、
「ここだけ一部描いておきます。
でも、この先も同じ世界があることは
わかりますよね?」
と語りかけてくるよう。
ほんのわずかな描写でも
そこには大きな世界がある。
そして、その世界の中心に
観音様がいる。
鶴の絵と同じです。
世界が大きければ大きいほど
そこに存在するものが際立ってくる
ここまで見て
私はようやく気づきました。
牧谿は
世界の一部分を
切り取って描いているのではない
世界そのものを
あの絵の中に描いている
地球儀をまるっと閉じ込めたような絵
牧谿の絵は、不思議です。
描いているのは
猿だったり
鶴だったり。
でも私には
世界をまるっと、
地球儀をまるっと、
閉じ込めたような絵に
見えるのです。
そこには
世界がある。
牧谿は
世界のすべてを
あの絵の中に描いている。
私には
そう感じられました。
そしてその視点は
宇宙から地球を見た視点と
地球の中に生きる一つの生命に
クローズアップした視点
自由自在なのです。
これがどれほどすごいことなのか。
牧谿は世界のすべてを
見たわけではないでしょう。
そして
現代の私たちのように
地球の全貌を知っていたわけでも
ないでしょう。
それなのに、牧谿は
まるで地球儀をまるごと描くように
一枚の絵の中に世界を成立させてしまう。
牧谿という画家は
いったい何者なんだろう。
牧谿の絵が
これまで日本で大切にされてきた理由が
少しわかった気がします
いやはや、
本当に、とんでもない天才です。
まとめ:
かわいい猿から、私たちの世界へ
猿を見て「かわいい!」と思うのも
もちろん、素敵な鑑賞です。
ですが、北宋・南宋の中国画大好きから
熱く、うざめに推させてください!!!
もし機会がありましたら
猿の周りの
何も描かれていないように見える場所も
じっくり眺めてみてください、ぜひ。
鶴の周りの竹の葉も。
観音様を取り巻く、苔や草木も。
そこから
どんな世界が見えてくるでしょうか。
私には、
あの三幅の中に、
世界のすべてがありました。
かわいい猿を見に行ったはずが
気がつけば、
世界そのものに出会ってしまった。
そんな、大徳寺展での牧谿との出会いでした。
大徳寺展
東京国立博物館
※国宝《観音猿鶴図》の展示は
11月8日(日)まで。
展覧会全体は12月6日(日)
までです。
質問、聞きたいこと、ご感想等、
お気軽にコメントを書いていただけるとうれしいです。
関連記事リンクをまとめてみました。
ご興味のある記事がありましたらぜひお読みください!
○北宋・南宋・中国画
水滸伝展を通して北宋画・南宋画の魅力を全力で語りたい- 東京ステーションギャラリー -
○南宋画の描かない「宇宙」に一番近い絵、かもしれません
○東京国立博物館 開催展
○日本画
はじめに01 -絵の声を聴く、アート鑑賞について- 好きな画家さん一覧
https://note.com/killamaru/n/n0cb504116a87
書き始めた経緯やこのNoteの説明など
はじめに02 -アートの声を聴く鑑賞について-
https://note.com/killamaru/n/n3b42879699f8
「はじめに」の続きですが、私のNoteの中では、♡率が高くて、ありがたいです。
はじめに03 -審美眼は何年で身につくもの?
https://note.com/killamaru/n/ne9792bc439fe
美術鑑賞の余談と後日談
https://note.com/killamaru/n/nd40d5d0af577