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ユゼフ・ポニャトフスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ
Józef Antoni Poniatowski
生誕 1763年5月7日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリアの旗 オーストリア大公国
ウィーン
死没 1813年10月19日
ザクセン王国の旗 ザクセン王国
ライプツィヒ近郊白エルスター川
最終階級 フランス元帥
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ユゼフ・アントニ・ポニャトフスキ(Józef Antoni Poniatowski, 1763年5月7日 - 1813年10月19日)は、ポーランド・リトアニア共和国の貴族、オーストリア軍の将校、のちナポレオン1世の下で将軍として活躍し元帥となった軍人である。フランス語名はジョゼフ・アントワーヌ・ポニャトウスキ(Joseph Antoine Poniatowski)。

生涯

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ポーランド5月3日憲法公布のシーン。
右端の馬上の人物が若きユゼフ・ポニャトフスキ。
左のほうの黒帽子と赤マントの人物が伯父でポーランド国王のスタニスワフ2世アウグスト。

アンジェイ・ポニャトフスキと妻テレジア・キンスキー(Theresia Kinsky)の息子として、1763年にワルシャワで生まれた[1]。伯父にポーランド・リトアニア共和国の国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキがいる[1]。1788年に墺土戦争が勃発するとオーストリア軍に入り、同年のシャバツ包囲戦(英語版)で重傷を負いながら頭角を現した[1]。

ポーランド軍の改革に伴い伯父スタニスワフ・アウグストに呼び戻され、ポーランド軍の少将、次いで中将となった[1]。1789年、ポーランドがロシア帝国による武力介入の脅威にさらされると、ウクライナの南ブーフ川沿いにあるブラーツラウの1個師団の指揮を委ねられた[1]。1791年にポーランドの5月3日憲法が成立すると、ウクライナにおけるポーランド軍総司令官になり、ドニエストル川とドニエプル川沿岸の守備を任せられた[1]。1792年にポーランド・ロシア戦争が勃発すると、タデウシュ・コシチュシュコとともにロシア軍と戦い、常に撤退を余儀なくされたものの、ジェレンツェの戦い(英語版)など奮戦して勝利することもあった[1]。またドゥビエンカの戦い(英語版)ではロシア軍の戦力がポーランド軍の4倍だったにもかかわらず、ブク川の守備線が5日間も持ちこたえた[1]。やがてポーランド軍がワルシャワに集結して戦闘に備えたところ、国王スタニスワフ・アウグストがタルゴヴィツァ連盟への加入を決め、戦争が終結した報せが届いた[1]。ポニャトフスキを含むポーランド軍の将軍たちは抗議したが、聞き入れられず、その多くが国外へと脱出した[1]。1794年にコシチュシュコの蜂起が勃発すると、ポニャトフスキはコシチュシュコの部下として蜂起に加わったが、結局ポーランド分割による共和国の滅亡を防げなかった[1]。その後、ワルシャワの一市民として10年ほど過ごした[1]。

1806年、ナポレオン・ボナパルトがプロイセンをイエナの戦いで破ると、プロイセン軍はポーランド諸県から撤退した[1]。ポニャトフスキはポーランド軍の再編に着手し、1807年にワルシャワ公国が建国されると陸軍大臣に就任した[1]。1809年のポーランド・オーストリア戦争でフェルディナント・カール・フォン・エスターライヒ=エステ大公率いるオーストリア軍がポーランドに侵攻すると、ポニャトフスキはラーシンの戦いを経て一時ワルシャワから撤退したが、やがてオーストリア軍を公国から追い出したうえ、クラクフの占領に成功した[1]。

ライプツィヒのナポレオンとポニャトフスキ。

1812年ロシア戦役では大陸軍の第5軍(英語版)を指揮したが、戦役は大陸軍の敗北に終わった[1]。これによりポーランド人の多くが敵側になびいたが、ポニャトフスキはナポレオンを裏切らず、自ら13,000人のポーランド軍を組織してナポレオンのもとに馳せ、リュッツェン(英語版)で合流に成功した[1]。以降ボヘミアの山脈やエルベ川左岸の守備にあたった[1]。ライプツィヒの戦いの最中にフランス元帥に叙せられ、その3日後にライプツィヒからのフランス軍の退却を殿軍として支援して奮戦したが、自らは白エルスター川の渡河中に溺死した[1]。

遺体はポーランドに運ばれ、コシチュシュコや17世紀のポーランド王ヤン3世ソビェスキと同様にクラクフのヴァヴェル大聖堂に埋葬された[1]。

大衆文化におけるポニャトフスキ

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池田理代子『天の涯まで ポーランド秘史』で主人公となっている。

出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 Bain, Robert Nisbet (1911). “Poniatowski, Joseph Anthony” . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 61.

関連項目

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外部リンク

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