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「こんな絵、描いちゃダメだよ」私がボッティチェリと殴り合いたい理由|ルーヴル美術館展・ルネサンス(国立新美術館)

    数あるnoteの中からおいでいただき
    ありがとうございます。

    今回は
    ルーブル/ルネッサンス展の
    《美しきフェロニエール》
    (以下フェロニエール)
    以外の部分、
    特に、
    ボッティチェリの絵
    について書いてみたいと思います。


    レビュー記事というより
    彼の絵に
    ただ向き合った感想
    だけになってしまいます。


    またすでに公開しました
    ルーブル/ルネッサンス展の
    レビュー記事
    (特にフェロニエール)に関しましては
    こちらに書いております。
    よろしければぜひ。お読みください。

    (↑こちらもレビュー記事と
    呼ぶには程遠く。

    「ただ絵の前で起こったこと」
    しか書いておりませんが、
    フェロニエールの凄さは
    お伝えできていると思います。)

    展覧会公式情報はこちら↓

    ルネサンス展の開催は
    2026年12月13日までです。

    今回の展示:
    一番の目的はボッティチェリ


    前述のとおり
    この展覧会については
    すでにダ・ヴィンチの
    《美しきフェロニエール》について
    記事を書いております。
    https://note.com/killamaru/n/nb72644b1b01f

    あちらの絵は、
    もう私の世界(OS?)が
    まるっと変わるような
    大事件(いや、事故?)に
    なってしまったのですが。

    フェロニエールは
    展覧会では
    最後に展示されていまして
    それまでにたくさんの絵が
    展示されています。

    実は展覧会へ行く前
    私が一番楽しみにしていたのは
    ダ・ヴィンチではありませんでした。

    ボッティチェリです。

    ボッティチェリといえば
    《ヴィーナスの誕生》で知られる
    ルネサンス期の天才画家
    サンドロ・ボッティチェリです。

    フェロニエールは
    「数学の証明みたいなもの」と
    仮説を立てていたので
    もしかしたら思ったより普通で
    ガッカリすることもあるのかも?と
    心の中で保険をかけていました。

    でもボッティチェリは
    ドイツ旅行での様々な美術館で
    見るたび気になっていき・・・
    今回会えることを
    とても楽しみにしていたのです。

    殴り合うことを楽しみにしていたのです。

    え、殴り合う?

    そう、ボッティチェリと殴り合うつもり

    実は
    ドイツ旅で
    ボッティチェリと会うたびに
    もやもやし続けました。

    だから決着をつけに行こうと
    思っていたのです。

    私としては
    「どちらかが
    立っていられるまで殴り合おう」
    って思っていたのです。
    拳をもらう気、満々で。

    「今日こそは、決着がつくまで
    存分、殴り合おうぜ!」
    みたいなノリでして。

    こんなノリになるのは
    ボッティチェリだけです。

    ダ・ヴィンチにも
    最初イライラしてしまったのですが

    それは「絵の中が掴めない」
    という明確な理由があり。

    ボッティチェリはちょっと違います。

    こちらにも、
    理由があります。

    私がドイツで出会った作品をたどりながら
    その理由を考えてみたいと思います。

    美しい。でも、迷ってない?

    私がボッティチェリに
    強烈な違和感を持ったのは
    ベルリン絵画館で
    何作品か見たときでした。

    たとえば1478年頃の

    《聖母子と歌う天使たち
    (ラチンスキー・トンド)》

    画像
    Maria mit dem Kind und singenden Engeln, „Raczynski Tondo" um 1478 Sandro Botticelli
    聖母子と歌う天使たち(ラチンスキー・トンド)
    ベルリン絵画館 所蔵

    33歳頃の作品です。
    《ヴィーナスの誕生》を思わせる
    美しいマリア。
    上手です。

    天使たちの書き分けも
    キリストの未来を憂いたと言われる
    マリアの表情も
    とても繊細。

    ですが、私は
    中心にいるマリアを見たとき

    「おいおいおい。
    そんなに迷っちゃってるのを
    描いちゃダメだぜ!!」

    と思ってしまいました。

    表側に描かれている
    マリアの物憂げな表情に
    問題があるのではありません。

    私には

    絵の中に潜む
    物憂げなボッティチェリが
    見え隠れしてしまうのです。

    このことは
    この1枚だと気づきにくいのですが
    この展示室がルネッサンスルームで
    周りのルネサンス期の絵に
    迷いがないから
    際立って、気になるのかもしれません。

    たとえばラファエロ。
    迷いがない・・・

    画像
    Maria mit dem Kind, Johannes dem Mary with the Christ Child, Täufer und einem heiligen Knaben John the Baptist and a Child Saint (Madonna Terranuova) 1505
    迷いがない。ただただ、澄み渡る光が降り注ぐような。(写真が暗くてすみません)


    画像
    フィリッポ・リッピ Maria mit dem Kind
    リッピはボッティチェリの師匠なので
    節目がちなマリアの憂鬱さなど
    絵の系統は似ているのですが
    リッピの絵は迷いがありません。

    ボッティチェリの迷いとは


    たとえばラファエロの絵にみるように

    マリアを、神を美しく描くこと。
    美しいこと、救い
    神へのあこがれ、尊さ。

    ルネッサンス期の絵は
    それがまっすぐである絵が
    非常に多いです。

    ボッティチェリの迷いとは

    これだけ美しく描けば
    マリアは救われる?
    キリストは救われる?

    もっと美しく、
    もっと完璧に描けば、
    神に近づける?

    ……本当に?

    そんな疑いが
    絵の中から漏れているように
    私には見えるのです。
    しかもけっこう強烈な疑いです。

    「美しい」から「神」へ
    本当に行けるのだろうか・・・

    当時のフィレンツェ
    とくにメディチ家周辺では
    「新プラトン主義」と呼ばれる思想が
    大きな影響力を持っていたそうです。

    ものすごく簡単に言ってしまえば、

    肉体的な美から
    より高次の美へ。

    そして
    神的なものへ。

    「美」は人間を
    より高いところへ導くことができる。

    そんな考え方のようです。

    この考え方を知ったとき、
    腑に落ちました。

    ああ、だから私は
    ボッティチェリが
    こんなに気になるのかもしれない、

    と思いました。

    私には彼が、

    「美 → 神」

    という矢印を
    疑っているように
    見えるのです。

    美しく描くことはできる。
    いや、ものすごい巧いです。

    でも、
    美しく描けば
    本当にそこへ行けるのか。

    その確信がない。

    少なくとも私は
    彼の絵を見るたびに
    そう感じてしまいます。


    疑いは、髪わちゃわちゃに、現れる。


    同じくベルリン絵画館にある

    《若い女性の横顔》
    1475/80年頃。

    画像
    Sandro Botticelli um / ca. 1445 Florenz - 1510 Florenz Profilbildnis einer jungen Frau 1475/80

    布のリボンや真珠が複雑に編み込まれた髪、精緻に造形された顔立ち、そして鮮明な輪郭線は、肖像画家としてのボッティチェッリの芸術性を示しています。モデルがジュリアーノ・デ・メディチに称賛されたシモネッタ・ヴェスプッチであるかどうかについては議論がありますが、むしろその理想化された美しさは、ボッティチェッリの神話画に描かれる女性像を彷彿とさせます。

    ベルリン絵画館 説明ボードより(翻訳)

    30〜35歳頃のボッティチェリの絵で
    日本の丸紅ギャラリーが所蔵する
    《美しきシモネッタ》も彷彿とさせる
    完成度の高い作品です。

    目を奪われるうつくしさ。

    ですが、気になったのは髪で。

    編んで、巻いて、ねじって、
    真珠をつけて、
    布を通して。

    そんなに髪、
    わちゃわちゃしなくても
    いいのにねー!?

    と思います。

    でも、
    ボッティチェリは
    やっています。

    もっと美しく、精緻に、
    完璧に・・・・・・!!!

    この絵を見ていると
    ボッティチェリは
    「美」を疑っているというより

    美を信じたいのに
    信じ切れない画家

    なのではないか
    と思えてきます。

    美をどうでもいいと
    思っている人なら、
    こんなに執拗に
    美しくしないでしょう

    信じたい、だから描く。
    のですが。

    でも描けば描くほど、
    本当にこれでいいのだろうか、
    が出てきてしまうんです。

    これじゃあ苦しいよ。
    美しいのに、苦しいよ!

    こんな絵は、描いちゃダメだよ、ボッティチェリ!


    こんな絵、描いちゃダメだよ


    こんな絵、描いちゃダメだよ!の
    最高峰はこの絵。
    1474年の
    《聖セバスティアヌス》

    画像
    Sandro Botticelli 1445 Florenz - 1510 Florenz Der Heilige Sebastian 1474
    30代手前くらいの絵

    セバスティアヌスはキリスト教に改宗したローマの将校であり、その後、ディオクレティアヌス帝の軍勢によって矢を射られる責め苦を受けました。この聖人は、自らの苦しみに思いを馳せるよう促すかのように、見る者に視線を向けています。キリスト教的な主題を超えて、本作はルネサンス美術の主要な関心事の一つである、理想的な美しさを備えた裸体の表現に焦点を当てています。

    ベルリン絵画館 説明ボードより(翻訳)

    この絵については
    今でも自分の中で
    うまく説明できません。

    目の前に立つと
    大きな絵で、
    とっても、美しいです。
    これを描いたのは
    30代手前だったといわれ
    ボッティチェリの天才さがわかる1枚です。

    でも私は、
    この絵を見るとどうしても

    「こんな絵、描いちゃダメだよ」

    と思ってしまうのです。

    ほかの画家が描いた
    《聖セバスティアヌス》も
    いくつか見てみました。

    ボッティチェリの
    聖セバスティアヌスだけが、違う。

    うまく言えないのですが
    顔つき、 筋肉の描かれ方。
    どこか不安定に見える立ち姿。

    そもそも
    聖セバスティアヌスは
    苦しんでいる絵なので
    不穏な絵であることは当然なのですが
    ボッティチェリは
    他の画家の聖セバスティアヌスとは違う。

    何がどう、とは 説明できないのですが
    そのすべてが私には
    どうしても
    安らかに見えないのです。

    「ものすごく騙している」

    ないしは
    嘘をついている、隠している。

    そう感じていました。


    こんなに美しく描いて、
    いったい何を
    隠しているんだろう。


    でも改めて考えると
    私はボッティチェリに
    怒っているわけでも
    責めたいわけでもなく

    むしろ

    おい、ボッティチェリ!
    そんなに苦しむなよ。
    そして、それを
    かたくなに隠すなよ。
    私が受け止めるから!

    ほら、
    全部吐き出してこいよ。
    殴り合おうぜ。
    わかり合うまで。

    お前の拳は
    全部受け止めるぜ!

    ……そんな気持ちなのです。

    もちろん、
    ボッティチェリ本人が
    本当に何に苦しんでいたのか
    私にはわかりません。

    でも、私には
    この美しい絵が
    何かを必死に
    押し殺しているように
    見えてしまいます。
    苦しんでいるのは
    矢に射たれた
    聖セバスティアヌスではなく。
    ボッティチェリが見えるのです

    日本で、殴り合おう!

    そんなほっとけないボッティチェリ。

    その後のボッティチェリの絵では
    この「疑い」の見え方も
    少しずつ変わっていくのですが、

    今回のルネサンス展に来る絵は
    初期の絵ということで
    ボッティチェリとの対面を
    楽しみにしていました。


    ドイツでの鑑賞では
    なんであんな絵描くんだよ〜と、
    だいぶもやもやして帰ってきてしまったので


    今度こそ
    分かり合えるまで殴り合おうぜ!
    お前のモヤモヤ、
    吐き出してしまいなよ!
    みたいな気持ちで。

    ところが、ところが。

    殴れませんでした。


    腹くくってないじゃん!


    今回展示されているのは
    《5人の天使に囲まれる聖母子》。
    1470年頃の作品です。

    画像
    5人の天使に囲まれる聖母子 サンドロ・ボッティチェリ

    ボッティチェリは1445年頃の生まれなので、
    25歳くらいの作品ということになります。

    今回のボッティチェリ、
    若すぎたのです。

    実際に絵の前に立ってわかりました

    ああ、違う、
    私が殴り合いたい
    ボッティチェリじゃない。

    もちろん上手です。

    25歳でこの絵のクオリティ。
    やはり天才です。

    すでに後のボッティチェリへ
    つながっていきそうなものも見えます。

    でも、

    まだ腹をくくっていないっ!!

    私はボッティチェリと
    ガチンコで殴り合う気満々で
    行ったのですが

    こんなにひよっている若者を
    殴るわけにはいきません(笑)。

    残念。

    まあ、若かったので
    仕方ありません。

    とはいえ
    聖セバスティアヌスを描いた年と近いですし
    「疑い」の原石くらいは隠し持っているのかも?

    みなさまも鑑賞されることがありましたら
    軽くジャブ打ってみてください。

    (すべて絵の奥の話をしていますので
    本当に絵を殴らないように笑)



    質問、聞きたいこと、ご感想等、
    お気軽にコメントを書いていただけるとうれしいです。




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    絵の声を聴いたり、描かれていない世界を感じたり。ちょっと不思議な美術鑑賞を綴っています。 絵の見え方は人それぞれ。あなたにも、あなただけの鑑賞能力があるはず。 いつかこの楽しさを一冊の本にして、もっと多くの人に届けたい。 記事は随時推敲中。すべて自分の言葉で書いています。

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