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盧生夢魂其前日③~金々先生のモデルとなった盧生が夢はこうして作られたとの江戸のマンガ絵本

     「金々きんきん先生」のモデルとなった盧生ろせいの夢を歌舞伎かぶきで表現しようという夢の世界の住人たち。はたしてうまくいくのだろうか。
     黄表紙きびょうし「盧生夢魂ろせいがゆめ其前日そのぜんじつ」は、山東京伝さんとうきょうでん作、北尾重政きたおしげまさ画で寛政三年1791年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろうから出版された。
     三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する三回目、最終回。

     


    下巻
    十四

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     そもそも盧生ろせいの夢の狂言の筋すじといえば、邯鄲かんたんの話にあるとおり、楚その国から使いが来て、帝みかどの位くらいを盧生ろせいにゆずり、庭には金銀のいさご(砂)を並べ、東には白銀しろがねの山を築きずき、黄金こがねの日輪にちりんを作り、西には黄金こがねの山をつくり白銀しろがねの月輪がつりんを出し、天の美酒をかんざしの盃さかずきで飲ませ、女官じょかんがかしずき、四季の景色を一時に見せる。けれど、今どきの盧生ろせいは、そんな野暮やぼなことでは栄耀えようとも栄華えいがとも思わないだろうと、夢魂道人むこんどうじんがこれを新たな狂言に書きかえ、楚国そこくの使いを、北国ほっこくつまり吉原の使いにして、吉原の栄華えいがを見せる計画なり。
     
    夢「このカツラはよくできた」
    夢「小道具のほうは、あらかたそろいました」
    夢「わたしには、まだセリフをまとめたものがとどきませぬ」

     


    十五

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     ほどなく道具立だてや衣装いしょうもでき、稽古けいこも終わりければ、まず夢芝居のまとめをする。
     夢魂道人むこんどうじん、台本を見ながら忘れたセリフをつけてやる。
    道人「みんな、とちらぬようにやれよ」
    夢「みんな、なかなか器用きようでござります」
     
     夢の舞台の正面の黒幕に、松の木があり、不気味ぶきみなBGMとともに幕が開くと、夢の若い衆しゅうが駕籠かごをかついで出て来て、いろいろセリフを述のべた後、盧生ろせいは納得なっとくして駕籠かごに乗る。
     行列は三重になり、いずくともなく消え失せると、後ろの黒幕がばったりと落ち、夢の舞台は廓くるわの場面にかわる。
     
    夢「相撲すもうの行司ぎょうじと盧生ろせいの芝居は、うちわを持っているのがお決まりだ」
     
     夢の中の実力者が盧生ろせいの役をつとめる。
     盧生ろせいが胆きもをつぶす場面は、いろいろ仕掛しかけがある。
     
    夢「わたくしは、楚国そこくの使いではなく北国ほっこくの使いで、ここまでまいりました。あなたは色男の人相にていらっしゃるので、通子屋つうしやの稲鶴いなづるともうす花魁おいらんが、あなたのうわさを聞いてあこがれたまうにより、お迎えにまいりました。早く早く駕籠かごにお乗りくだされ」

     


    十六

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     舞台が変われば、げにも妙たえなる夢の廓くるわ、金銀の砂子すなごをまいた障子しょうじを開き、有名な女郎たちが出てきて、盧生ろせいにしなだれかかると、後ろでは荻江流おぎえりゅうの歌が流れる。盧生ろせいは一文いちもんも使わずに、かかる楽しみができ、日ひごろの望みの百倍もの楽しみとなる。
     
     この場面は、東に三十余丈よじょうの山に黄金こがねの日輪にちりん、西には三十余丈よじょうの山に白銀しろがねの月輪がつりんの場面なれど、ぐっとしゃれて、東のかたより、三十四五歳の、黄金こがねをほしがる幇間たいこもちを出し、また、西のかたよりは、三十四五両で売られた禿かぶろが、白銀しろがねの七輪しちりんで煮にた煮花にばなを出す。また、天の美酒をかんざしの盃さかずきで飲ませるのもおもしろくないと、鯛たいの味噌吸みそずを花魁おいらんのかんざしを箸はしにして食わせる。
     
    禿かむろ「盧生ろせいさん、ようおいでなんした」
    幇間「もし、旦那だんな、どうでごぜえす」
    左上の夢「なんとうまかろう。おれも食いたい。たんとめしあがれ」
     
     盧生ろせいが、現うつつを千八百本ほどぬかすところ、大おおでき大でき。(「現うつつをぬかす」は、現実が見えなくなるほど夢中になること)
     夢魂道人むこんどうじん、思わずほめる。
    「イヨッ、やんややんや、早くこの夢を見せたい。本当の盧生ろせいが見たら、さぞうれしがるだろう」

     


    十七

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     その次の舞台ぶたいは、中なかの町ちょう八月の景色、夜かと思えば夜店よみせの明あかりで、この町ばかりは昼のごとく、禿かむろがさした桜のかんざしを見て、春かと思えば、幇間たいこもちは夏の着物を着て、菊が植えてあるので秋かと思えば、白無垢しろむく姿は雪の降りたるがごとく、四季おりおりを目の前にして、夜昼となき楽しみの、栄耀栄華えいようえいがも、げに、これ以上のことがあるだろうか。
    盧生役の夢「おれが姿は、助六すけろくが紛失ふんしつした刀を持っている意休いきゅうというところだ。甲斐かいの武田たけだ信玄しんげんの気きどりでもあろうか。人から言われる前に言っておこう。
     さらば、二通ふたとおりにほめてやりましょう。江戸風の芝居に上方風の芝居に、えらいもんじゃ。やっちゃやっちゃ、なんと器用に演じることか」
    道人「これほどにみんなが骨をおっているが、かんじんの盧生ろせいが寝返ねがえりをして、この夢を忘れねばよいが」

     


    十八

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     盧生ろせいは、思わず吉原に居続いつづけして、ついに五十年目の大みそかとなり、猫ねこが棚たなからすり鉢ばちを落とした音におどろき起き上がり、そばにある鏡かがみを取って見れば、白髪はくはつ姿となる。この場面は、浦島太郎の三倍増ましにしたような狂言なり。
     これはどうだと、胆きもが宙返ちゅうがえりをして、今まで寝ていた通子屋つうしやの稲鶴いなづるを起こして聞けば、こはいかに、苦界くがい十年を五回もかわって、五代目の稲鶴いなづるなりと聞き、
    盧生「さては、五十年の夢にちがいない」
     またまた胆きもがでんぐり返るところへ、禿かぶろおおぜい立ち出いでて、
    「なんと、盧生ろせいさん、まよいの夢が今さめんしたかえ」
    と言うをきっかけに、親方おやかたの夢魂道人むこんどうじん、立ち出いでて、
    「まず、この夢は、これぎり」

    ドンドンドンドン

    と打ち出し、さてリハーサルもばっちりうまくいったので、夢たちは、みなみな手打てうちしてよろこび、いよいよ明日の晩ばんが本番だと、明日の夜を待ちいたりける。
    道人「なんでも明日の晩は、粟飯あわめしの煮にえる音をきっかけにスタートするんだぞ」

     

    苦界十年をテーマとした黄表紙はこちら、

     


    十九

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    上部の夢「これより盧生ろせいが夢の、はじまりはじまり」

    チョンチョンチョンチョン、ヒュードロンドロンドロンドロン、ヒュードロン

     ほどなく明日の晩となれば、夢たちは早く狂言をしたがって、本物の盧生ろせいが、まだろくろく寝てもいないのに、幕まくを開あける。

    めでたしめでたしめでたしめでたし

     


     夢分析を始めたのはフロイトだが、当時のヨーロッパの上流階級で頻発ひんぱつしたヒステリー症状は性的抑圧よくあつに原因があるとし、それが夢に現れるとフロイトは考えた。
     鎌倉時代の日本では、生きることすべてが抑圧され、人々は現世ではなく来生へ夢を託たくし、浄土じょうどへ行くことを夢見、新仏教が盛んになった。
     江戸時代になると、身分社会で抑圧されているものの、鎌倉仏教とは違い、現世利益を求めていた。夢も、本作品のように、現実の楽しみのお芝居と同じものと考えたのだろう。
     時代とともに夢は違うが、それでも人々は夢を見てきた。
     現代の夢はどんなものだろう。

     現代の日本は、アメリカや中国のように、次第に二極化している。一億総中流なんて昔のこととなった。貧富の差が大きくなったが、富んでいる人も、さらに上があり現状に満足できない。
     はたして現代人は、どんな夢を見ているのだろうか。

     

    「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775年)の後日談ごじつだんとして京伝が描えがいた作品はこちら、

     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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