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金々先生造花夢①~「金々先生栄花の夢」ならぬ山東京伝の作品としてここに再登場

     黄表紙きびょうしの始まりといわれる「金々先生きんきんせんせい栄花夢えいがのゆめ」が出版されたのは安永四年1775年、すでに二十年近く昔のこととなる。その作者恋川春町こいかわはるまちこと倉橋くらはし格いたるは、駿河するが小島藩の役人であり、自作の「鸚鵡返おうむがえし文武二道ぶんぶのふたみち」が幕政を批判していると呼び出しがある中で亡なくなっており(自殺ともうわさされる)、その死からも五年近くが過ぎている。
     そんな中で「金々先生きんきんせんせい」の名を使った作品が当時の超一流の人々が集まって一つの作品として発表された。

     黄表紙きびょうし「金々先生きんきんせんせい造花夢ぞうかのゆめ」は、寛政かんせいの改革かいかくで出版規制きせいも厳しい寛政六年1794年、山東京伝さんとうきょうでん作、北尾重政きたおしげまさ画、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろうから刊行された三巻三冊。作家は超一流の京伝。挿絵さしえは、浮世絵師北尾政演きたおまさのぶでもある京伝の浮世絵の師匠ししょうでもある重政。重政は黄表紙に多くの挿絵を描かいている、これまた有名人。「金々先生きんきんせんせい栄花夢えいがのゆめ」は、鱗形屋うろこがたや孫兵衛まごべえの出版だが、その後の黄表紙界を発展させた「べらぼう」の蔦重つたじゅうが本作を出版している。
     こんな一流の人たちで作った、その現代語訳を三回に分けて紹介するが、訳はかなり意訳であり、本文を省略している部分もある。黄表紙の入門書として紹介しているので、ちゃんとした研究をする場合はネット検索すれば、各大学等で保管している作品が出てくる時代となった。
     表紙の絵題箋えだいせんは、サブタイトル「栄花夢えいがのゆめ後日話ごにちばなし」とあり、タイトル「金々先生きんきんせんせい造花夢ぞうかのゆめ」となり、「栄花夢えいがのゆめ後日話ごにちばなし金々先生きんきんせんせい造花夢ぞうかのゆめ」となっているが、ネットで調べると「金々先生きんきんせんせい」が「金銀先生きんぎんせんせい」となって、「金銀先生きんぎんせんせい造花夢ぞうかのゆめ」となっているものもある。本文は「きんきんせんせい」とかな書きだが、当時は濁点を表現していないので、「金銀」(きんぎん)でも「きんきん」と表示していたからだろう。

     


    上巻
    序じょ
    自叙じじょ

     李紳りしんの憫農のうをあわれむの詩しに曰いわく、
    鋤禾のぎをすいて日当午ひごにあたる、汗滴あせはたる禾下かかの土つち、誰知たれかしる盤中ばんちゅうの飧そん、粒粒りゅうりゅう皆みな辛苦しんくせんことを
    と。
     むべなるかな盤中ばんちゅうの飧そんとは、一膳いちぜんの茶漬ちゃづけ飯めしということなり。米こめ一粒いちりゅう布ぬの一寸いっすんというとも、何なんぞ漫みだりに用もちいんや。その恩おん、須弥山しゅみせんよりも高し、況いわんや、衣食器財きざい屋室おくしつ、人間は一生日用にちようの万物ばんぶつを製せいし出すこと、幾万人いくまんにんの辛苦しんくを負おいけんか量はかり尽つくしがたし。
     ここにおいて、偶たまたま李紳りしんのの詩に感動したあまり、三巻の稗史はいし小説を作り、其その大意を書しょして序じょとなす而已のみ。
      寛政六甲寅きのえとら孟陬もうすう(正月)  山東京伝 題

     

     こつこつと苦労や努力を重ねてこそ仕事はできる、という意味の四字熟語、故事成語こじせいごでもある「粒粒辛苦りゅうりゅうしんく」という言葉のもととなった、唐の宰相さいしょうでもあった李紳りしんの詩、農民の苦労をうたった「憫農びんのう」の原本は以下のごとし、
     
    春種一粒粟/秋収万顆子/四海無閑田/農夫猶餓死
    鋤禾日当午/汗滴禾下土/誰知盤中飧/粒粒皆辛苦

     
      憫農のうをあわれむ
    春に種うえる一粒ひとつぶの粟あわ
    秋に収おさめる万顆ばんかの子み
    四海しかい閑田かんでん無なきも
    農夫なお餓死がしす

    禾かを鋤すいて日午ひごに当あたる
    汗は滴したたる禾下かかの土ど
    誰たれは知らん盤中ばんちゅうの飧そん
    粒粒りゅうりゅう皆みな辛苦しんくなるを

     
    春にまく一粒の粟あわは、秋には何万粒つぶにもなる。国中遊ぶ田はないけれども農民は餓死がしすることもある。
    田んぼに鋤すきを入れると、昼には日が照り、汗は田にしたたり落ちる。誰が知っているだろうか、食器の中のご飯の一粒ひとつぶ一粒が、みな農民の辛苦しんくの結果であることを。

     


    一

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     昔々、赤本あかほん元年、カチカチ山の兎うさぎ年のころ、金々先生きんきんせんせいというものあり。その身、貧まずしくして、金持ちをうらやましく思い、明あけ暮くれ、このことを悔くやんで過ごしていたが、盧生ろせいの夢のような栄華えいがの夢を「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」で見てから、浮世は夢のごとしと悟さとり、それも夢、これも夢、寝ては夢、起きても夢、明けては夢、暮れては夢、ぼたもちを見ちゃあ夢じゃなあ、ナスの漬け物を見ちゃあ夢じゃなあと、なにもかも夢にしてしまい、あまりにものごとを悟りすぎて、これという商売も仕事もせず、浮世うきよをウナギの入った入れ物のように思い、毎日ぬらりくらり暮らしけるが、あるとき、茶漬ちゃづけを一膳いちぜん用意しようと、自分でおかゆより少しかたい煮花にばなを作ろうと、その茶ができるまで、とろとろとまたまた夢をやらかしける。
     
     伝え聞くが、近松ちかまつ門左衛門もんざえもんは浄瑠璃じょうるり作者の名人なれども、寝言ねごとのセリフには困ったそうだ。われら黄表紙作家も寝言のセリフには大困り、ただイビキの音を、コウコウコウ、口なめずりを、ムニャムニャムニャ。このほかに、もし寝言の言葉を考えられたらお知らせください。さっそく使わせていただきます。
     
     「小人しょうじん閑居かんきょして不善ふぜんをなす」とは、こものは暇ひまをもてあますとろくなことをしない、というが、「貧人ひんじん閑居かんきょして手銭てせんをなす」とは、まさにこのことなり。
     金々先生の夢は、アメ細工ざいくのウグイスのシッポのごとし。
    ここまでおいで、甘酒あまざけしんじょ
     
    左上の金々先生「おまえの姿は唐人形の胴体に、お寺の供養くよう人形の首をつけたようだ」
    子ども「おぬしの鼻は、粟あわおこしのできそこないときている」

     


    二

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     金々先生きんきんせんせい、夢の中で、一人の童子どうじに誘さそわれ、どこともわからぬ山奥へ来たと思えば、四季の草花が一度に咲き乱れ、なんともいえぬ香りがただよえば、うむうむ、またまた「栄花夢えいがのゆめ」の二番煎せんじではないか、ちと、うっとおしいぞ、と思うところへ一人の仙人せんにんあらわれ、金々先生に示しめして曰いわく、
    「なんじは、以前、栄華えいがの夢を見て以来、浮世うきよのことはみな夢なりと悟さとり、これといった仕事もせず、これは大の意気いきがすぎて、悟りをひらく前より劣おとるなり。なんぼ悟っても、飯めしを食わねば生きておられず、古い言葉に『恒つねの産さんなきは恒つねの心なし(安定した生活がないと安定した道徳心も保てない―孟子もうし)』と言えり。吉田兼好けんこうも、自分でむしろを織おって世渡よわたりとしていた。まずは、しばらく、この山に逗留とうりゅうすべし」
    と、長々と仙人がしゃべっているうち、金々先生は、腹が減へって減ってどうしようもなく、
    「どうぞ、お茶漬けをさらさらとやってから、お話を聞きたくぞんじます」
    とぞもうしける。
     
    金々「さては、あなたは仙人様でござりますか。わたくしは、また、薬屋においてある中国の唐とう人形かと思いました。これは、たしかに夢の中でございましょう。それはなぜかとたずねたら、あなたのお顔がぼたもちのようだからさ。アハハハハ、ハハハ。気にしないでください」
    仙人「なんじ、飢うえているとのこと、なんぞ食物しょくもつをあたえたきところなるが、仙人というのは、玉のくずを食べ、霞かすみや霧きりを飲んで、これを食物とするので、人間に食わするものはない。しばらく待て。おっつけ、茶漬けをふるまってやろう」
    と、さてさて仙人は気の長いものなり。金々先生の腹のすきぐあいが思いやられて、あわれなり。
     
    金々「玉やけむりを飲むとおっしゃれば、まるで手品師てじなしのようだ」

     


    三

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     かくして、かの仙人のお頭かしらは、多くの木この葉仙人にもうしつけ、金々先生に食わす茶漬けのしたくをする。「泥棒どろぼうを見つけて縄なわをなう」よりも、ちとじれってえよ、と、もうすしだいなり。
     
     木こりの杣そまの仙人、山へ入り、茶漬けの膳ぜんにする木を切り出す。
     仙人のお頭かしら、金々先生をともない、このようすを見せる。
     
    左上「おいらの商売は、野郎やろうがキツツキになったようだ」
    左中「まだ、飯めしと茶をつくる水をくむ井戸のまわりに必要な木と、釣瓶つるべと手桶ておけになる木と、漬つけ物ものを切るまな板、釜かまの蓋ふたになる木、包丁ほうちょうの柄えになる木まで切らねばならぬ」
     
     木材を大のこで切る木挽こびきの仙人は、杣そまの仙人が切り出した大木を割って板にし、膳ぜんをこしらえ、仙人に渡す。
     炭焼きの仙人、煮花にばなを煮にる炭すみをこしらえようと、木の枝を集める。
     森の木を切る木こりの仙人、飯めしをたく薪たきぎを集める。
     
    金々「腹が減ってひだるいのも、通り抜けると、どうもこらえられるようになりました」

     


    四

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     お椀わんやお盆ぼんを作る木地屋きじやの仙人、茶漬ちゃづけの膳ぜんの下地したじをこしらえて、ウルシを塗ぬる塗師ぬしのぬし屋の仙人に渡す。ぬし屋の仙人は、漆うるし屋の仙人からウルシを買い、この膳を春慶塗しゅんけいぬりに塗る。このとき、塗るときの下地の着色に使うクチナシを、山から取ってくる仙人もあり、ぬし屋の仙人が使うハケをこしらえる仙人もあり、それらをくわしくさがせば、幾いく万人の辛苦しんくか、つくしがたし。
     うるし屋の仙人は、茶漬けの膳に塗るウルシをこしらえる。これも山のウルシの木から、ウルシを取ってきて、うるし屋の仙人の手へ渡るまでには、多くの仙人の手にかかることなり。その辛苦しんく、述のべつくしがたし。
     
    うるし屋「おっと、盲目仙人のツエで、今日は五度ほど尻しりをつつかれた」
     うるし屋は、背中に目がある、中国の幻獣げんじゅう白沢はくたくやヒラメをうらやましがる。
     
     箸はし屋の仙人、茶漬けを食う箸はしをこしらえる。
     
     道をゆくのは女仙人。これは不要の仙人にはあらず。かようなとてつもなく美しき仙人は、職人の目をよろこばせるためのものなり。
     
     牛の頭を持った白沢はくたくは、聖獣せいじゅうとして、その絵は魔よけに使われた。胴体にも複数の目を持つとされた。

     


    五

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     陶器師やきものしの仙人、茶漬けの茶碗ちゃわんと漬つけ物ものの鉢はちと、塩を盛る皿、茶を煮にる土瓶どびんをこしらえる。これも、土ごしらえから薬の下地、ビードロを粉こなにして薬をかける、その辛苦しんくを述のべるに言葉なし。
     
     金々先生、小さい子が焼き芋いもが焼けるのを待って、「早く早く」とせがむようにせがむ。
     
    金々「はて、こうひもじくては、茶碗もヘチマもいるものか。早く頼たのむ頼む。腹の皮がへこへこするわいな」
    仙人「さてさて、人間というものは気の短いものだ。もう二三百年たったら、茶漬けも食えるようになろう。もちっとこらえなせえ」
     丁稚でっちの仙人、お茶をくむ。
    「お茶をあがれ。茶腹ちゃばらでしのげますよ」

     


     当時の職人の仕事のあれこれを思わせる仙人の動きを示しながら次回につづく、

     


     どんな話かと思えば、洒脱しゃだつな金々先生きんきんせんせいとは大違いで、ご飯ができるまでを細こまかくこまかく描えがいている。京伝は、考証こうしょう物という、ものの由来ゆらいなどを述のべた作品がある。江戸の貴重な資料となる「骨董集こっとうしゅう」(1813年刊)などが京伝作品としてあり、そこへつながるような黄表紙であろう。

     


    黄表紙の始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775年)の現代語訳は、こちら、

    黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」(1785年)の現代語訳は、こちら、

    これらの中に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
     
    上記のリンク先でも紹介しているが、春町の死の原因ともいわれる「鸚鵡返おうむがえし文武二道ぶんぶのふたみち」はこちら、

     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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