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見徳一炊夢②~芦野屋清太郎の五十年の夢がはじまる江戸の黄表紙

     盧生ろせいの夢のように芦野屋あしのや清太郎せいたろうも、せめて夢の中で栄華えいがをきわめようとする。現実ではなかなか思い通りにならない身分社会の中で、夢を追う江戸の町人を描く江戸マンガ。
     
     黄表紙きびょうし「見徳みるがとく一炊夢いっすいのゆめ」は、朋誠堂ほうせいどう喜三二きさんじ作、北尾きたお重政しげまさ画(?)、天明元年1781年、蔦屋つたや重三郎じゅうざぶろう版。
     三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する二回目。

     


    中巻
    七

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     清太郎せいたろうは、太鼓持たいこもちたちが大勢おおぜい来て、家の会計かいけい担当の人までついて来て、ただ金が使いたいときは使い道を書いてハンコを押すだけで、いくらでも使いほうだい。
     まずは旅の用意をして、心まかせの旅の空、お供とものものは誰も何も言わず、まずは金沢、江の島、鎌倉をゆっくり見物し、それから箱根の七湯、熱海などで遊びほうだいし、そろそろと京都へのぼる。
     
    供の者「鎌倉はただ古いものがあるばかり、景色なら江の島だ」
    供の者「生きたカツオを食べましょう」

     


    八

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     二十一の年より二十五歳までは京都四条に住み、奈良の大和やまとめぐり、中国めぐり、伊勢、高野こうや、吉野など、何度も心にまかせた旅の楽しみ。
     ある年の夏、祇園祭ぎおんまつりの俄にわか狂言きょうげんに参加しようと、祇園ぎおん町の名高い女郎じょろうを百人選び、みなみな頭を剃そって奴やっこ姿とし、黒ビロードの半纏はんてんに銀の紋もん、錦にしきのふんどしにそろえ、百人の奴やっこの踊おどり。さまざまな踊りがある中で、この五十年の一番の花なり。
     
    清太郎「もとのとおりに髪の生えるまでは、おれがずっと買い続けてめんどうをみるぞ」
    太鼓持たいこもち「これは旦那だんな、豪勢ごうせいなもんだ」

     


    九

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     二十六の年から三十歳までは、大坂は道頓堀どうとんぼりに住んで、同じく気ままに贅沢ぜいたくをし、京都はもちろん、四国、中国地方と、近隣きんりんを気の向くままに歩きほうだい。
     ある年、江戸の役者の曽我そが兄弟仇討あだうちの芝居が見たくなり、金にあかして江戸から役者をたくさん呼んできて、有名な桜田さくらだ治助じすけに脚本きゃくほんを書かせ、曽我の芝居を三日間させる。初日は、清太郎せいたろうのみ見物し、残り二日を大坂中の者に見物をゆるし、その後、江戸へ帰したり。これ、この五十年の花なり。

     


    十

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     清太郎せいたろうは、三十一の年、長崎へ行き、丸山遊郭ゆうかくでの遊びもいろいろ贅沢ぜいたくを極きわめ、それから唐人とうじんに会い、書画しょがの稽古けいこをはじめて、金にあかして有名な書画を集めて、大の唐好からずきとなる。
     
    唐人「ぶくききよこおこなかてけだか」
     んっ、これは唐言からことと呼ばれた当時の遊びで、「かきくけこ」の音を言葉の間にはさむもの。「かきくけこ」をとって読む。つまり、「ぶきよおなてだ」=「不器用ぶきような手だ」となる。ところが通訳は、
    通訳「ご器用きような腕前うでまえじゃと、先生がおほめになっております」

     


    十一

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     三十七八の年、阿倍仲麻呂あべのなかまろの遣唐使けんとうしに加わり、清太郎せいたろうは唐土もろこしに渡り、相変あいかわらず金にあかして贅沢ぜいたくをする。唐からの女は日本では珍めずらしいので、おおいに口説くどくが、言葉が通じず、清太郎せいたろうはたまらなくなり、ついには唐からがきらいになり、三年にして日本へ帰る。
     
    唐の女「いきききなかおことこここだかねけ」
     前場面の解説のとおり「かきくけこ」をぬくと(くりかえしの言葉は読んで)、「いきなおとこだね」となるが、
    清太郎「なんのことか、ちっともわからねえ」

     


    十二

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     清太郎せいたろうは、江戸で育ったけれども、きゅうくつな育ちだったので、江戸は不自由な場所だと思っており、五畿内きない(山城、大和、河内、和泉、摂津)、四国、中国地方、西国さいこく(九州)あたりをめぐり、四十歳になって、二十年ぶりに江戸へ帰るが、日本一の自由自在じゆうじざいなれど、江戸ではじめて驚おどろくものがあるのはおかしな話だ。
     この四五年は、吉原、品川、深川、新宿四か所でなじみとなり、金を使うことおびただしく、芸者と名がつけば、男女の区別なく呼び、みなみなに「金々先生」とはやされる。
     
    清太郎「おれも、女郎じょろう買いにはあきてきた。東西南北の遊里ゆうりから評判の美人を請うけ出して、当分、女郎買いから遠ざかるつもりだ」
    芸者「すぐにでも身請みうけのご相談をなすったらようござりましょう」

     


    十三

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     吉原から請うけ出したのは、およし、品川から請うけ出したのは、おしな、四谷よつやから請うけ出したのは、おしん、深川は、おなか、四人も妾めかけがいるので、遊郭ゆうかくへの足は遠のき、このごろは俳諧はいかい(俳句)をはじめて、芦野屋あしのや清太郎せいたろうの二字を使って、俳名はいみょうを芦清ろせいと名のり、俳句に打ち込む。
     万句合まんくあわせの開催かいさい、講評こうひょうの冊子の編集、名前の披露ひろう会、年賀ねんがの会、追善ついぜんの会など、あまさずもらさずすべておこなう。
     
    清太郎「京の地名を入れているのはいいが、ちょっとあまい句だな。人間の表現はまあいいか」
    先生「何もかもよい。うまくできておりますぞ」

     


    十四

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     芦清ろせいは、中村富十郎とみじゅうろう慶子けいしの娘むすめ道成寺どうじょうじを見て、
    「われは五十過ぎで、年とった慶子けいしよりははるか年下なり。あのくらいな踊おどりができぬということはあるまい」
    と、それから素人しろうと芝居しばいに夢中となり、別邸べっていに芝居の踊り舞台ぶたいをこしらえ、しきりに歌舞伎かぶきを催もよおして楽しむ。
     
    清太郎「♪花のほかには松ばかり、暮くれそめて鐘かねや響ひびくらん」

     


    十五

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     芦清ろせいも、六十歳に近くなれば、素人しろうと芝居しばいも、あまりにたわけたことと気づいて、それより能のうの合間あいまに舞まう乱舞らんぶに興味きょうみを持ち、またまた舞台ぶたいをこしらえて、たびたび能をおこなう。これまた、金にあかして能の伝授でんじゅなどもすまし、能の衣装いしょう、何不足なくこしらえる。
     
     清太郎せいたろうは、邯鄲かんたんの能をおこなう。
    「盧生ろせいは夢さめて♪」

     


    十六

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     清太郎せいたろうは、七十に近くなり、乱舞らんぶも体力がなくなり、そろそろやめて、このごろは茶の湯ゆにかかりっきり。それより高価な茶器ちゃきを集めること、限りなし。わずか一年のうちに買い集めた茶の湯の道具の置き場所に困り、蔵くらを二つ建ててつめこむ。
     
    道具屋「それは千利休せんのりきゅうが使っていた茶道具でござります」
    清太郎「そんな説明の商売は、もう古い古い」

     


     清太郎せいたろうも七十歳近くなり、最終回につづく、

     


    前回紹介した黄表紙作品の中にもあるが、夢をあつかった作品にはこんなものがある。

     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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