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シャディ・ベク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シャディ・ベク
ジョチ・ウルスのハン
在位 1399年 - 1407年

死去 1407年
家名 トカ・テムル家
王朝 ボルジギン氏(ジョチ家)
父親 クトル・ベク
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シャディ・ベク(ペルシア語: شادی بيک、shādī bīk、? - 1407年)は、バトゥ家断絶後のジョチ・ウルスのハン。トカ・テムル系ノムカン王家の出で、先代ハンのテムル・クトルクの従兄弟にあたる。

マングト部のエディゲによって推戴された傀儡ハンの一人であるが、エディゲを排斥しようとして失敗したことでハンの地位を失った。

生涯

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シャディ・ベクはジョチの十三男トカ・テムルの末裔で、トカ・テムルの孫ノムカンを始祖とする「ノムカン家」の出身であった[1]。ノムカン家のテムル・ベクはオロス・ハンの没後にオルダ・ウルスでハンに即位しており、テムル・ベクの弟クトル・ベクの息子がシャディ・ベクとなる[2]。

テムル・ベクはトクタミシュ・ハンに敗れて亡くなり、トクタミシュはジョチ・ウルスの再統一を達成するも、南方のティムールと対立して没落した[3]。トクタミシュの没落後に台頭してきたのがマングト部のエディゲで、エディゲはテムル・ベクと自身の妹の息子であるテムル・クトルクを擁立し、バトゥ・ウルスの大部分を支配した[4]。一方、トクタミシュとその息子達は西方のリトアニア大公国に亡命して再起を図っており、テムル・クトルクはトクタミシュの息子達との戦いの中で亡くなった。

テムル・クトルクの死後にエディゲが擁立したのがシャディ・ベクであったが[5]、シャディ・ベクはエディゲに実権を奪われていることを不満に思い、エディゲを排斥しようと企んだ[2]。しかし、これを察知したエディゲはテムル・クトルクの子ボラトを新たに擁立し、サライから逐われたシャディ・ベクはカフカース方面で亡くなったと伝えられている。

トカ・テムル系ノムカン王家

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系図

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ジョチから大オルダまでの系図

ジョチから大オルダまでの系図。
ジョチから大オルダまでの系図

脚注

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注釈

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出典

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  1. ↑ 赤坂 2005, pp. 87–90.
  2. 1 2 赤坂 2005, p. 300.
  3. ↑ 川口 2002, pp. 84–85.
  4. ↑ 坂井 2007, pp. 42–44.
  5. ↑ 坂井 2007, pp. 41–42.

参考文献

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書籍

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  • 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』風間書房、2005年2月28日。ISBN 978-4759914979。 
  • 小澤 実 (著, 編集), 長縄 宣博 (著, 編集)『北西ユーラシアの歴史空間』北海道大学出版会〈スラブ・ユーラシア叢書12〉、2016年4月20日。ISBN 978-4832968219。 
  • 樺山紘一、川北稔、岸本美緒、 斎藤修、杉山正明、鶴間和幸、福井憲彦、古田元夫、本村凌二、山内昌之『中央ユーラシアの統合』岩波書店〈岩波講座世界歴史11〉、1997年11月10日。ISBN 9784000108317。 

論文

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  • 川口琢司「ジョチ・ウルスにおけるコンクラト部族」『ポストモンゴル期におけるアジア諸帝国に関する総合的研究』2002年。 
  • 坂井弘紀「ノガイ・オルダの創始者エディゲの生涯」『表現学部紀要』第8号、和光大学表現学部、2007年、31-49頁、ISSN 1346-3470、NAID 40015988344。 
先代
テムル・クトルク
ジョチ・ウルスのハン
1399年 - 1407年
次代
ボラト・ハン