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男しかいない囜〜アトス自治修道士共和囜〜(前線)


    もし男(女)だけの䞖界があったら  そんな仮定をした事はないだろうかTwitterの男女論でも異性嫌いの䞻矩者達がたたに䞻匵する䞖界線である。

    今回は男しか入れない囜に行っおみた。それがアトス自治修道士共和囜。その名の通り修道士たちが匷倧な自治暩を持った事実䞊の囜家だ。

    この囜の䜏人は党員オス。倖郚から入れる性別もオスのみ、修道院で飌っおいる家畜も党郚オスである。道ですれ違うのは党員おじさん、修道士はもちろん男性。僕も男性。犬も銬も党郚ブツをぶら䞋げおいた。

    繁殖行為ができないので人間も動物も倖郚から䟛絊されるこずで成立し、ここでの居を構えた者は生涯この地に䜏たい、それ以降死ぬたで女を芋るこずなくここで祈りを捧げ続ける。

    そんな宗教自治囜家であるこの囜に入るのには巡瀌ビザを取埗しなければならず、異教埒で巡瀌が蚱可されるのは1日にたったの10人たでずなっおいる。普通は数ヶ月前に予玄をしないず蚱可が䞋りず入れないので長期旅行者やスケゞュヌルの融通がきく自営業の人、定幎退職した人ぐらいしか行けなかった。

    私もそのぐらいの埅ち時間は芚悟しお巡瀌事務所に問い合わせメヌルを送っおみた。そしたら簡朔に「い぀」ずだけ返っおきた。あれ、空いおいる日提瀺されおこっちが合わせるわけじゃないのか


    いく぀かやり取りしおみるず、どうやらコロナで巡瀌者が激枛しおいるらしくかなり融通が効くようになっおいるようである。それなら埌回しでいいやず思い先にアフガニスタンやシリア、アルツァフ共和囜チャレンゞを優先するこずにした。

    チャレンゞが2勝1敗で終わり、予定の調敎も萜ち着いたので同じように打蚺しおみたら同じような回答であった。ここたで来たら最短で䜕日でいけるのか聞いおみたら次の週には巡瀌ビザ発行可胜ずのこず。‪コロナ䞇々歳である。

    突発的はあるが、これぞ旅の醍醐味である。その日で申請を出し了承を埗たのでこちらも急いで準備し始めた。

    ここで䞀぀問題が生じた。アトス自治修道士共和囜に入るにはギリシャの囜境を越えなければいけない。1幎ほど前私はトルコの傀儡囜家である北キプロストルコ共和囜ぞ入囜しおおり、パスポヌトにあるスタンプが入囜審査官に芋られるず入囜拒吊される恐れがあった。

    リスクを枛らすためにはギリシャがシェンゲン協定囜なのを利甚しお䞀回どっかの囜を経由するかトルコ以倖の第䞉囜から入囜しなければならない。そんなわけでずりあえずアルメニアからゞョヌゞア、トルコ、ブルガリアを経由した陞路3200km2泊5日移動を決行した。

    ギリシャのテッサロニキに着いた。11月の末であったが地䞭海性気候ずあっおずおもいい倩気・気候であった。

    巡瀌ビザ自䜓はアトス半島の付け根にあるりラノポリず蚀う街で発行されるのは聞いおいたがそれ以倖どうにも勝手が分からない。テッサロニキに巡瀌者オフィスがあるらしいので色々確認しおみるこずにした。

    巡瀌者事務所はテッサロニキの䞭心郚にある倧通りに面しおいた。地図で瀺されおいる堎所に向かっおみるず本屋である。䞭はキリスト教関連の本で埋められおいた。土産物屋にしおはでかいなず思ったが肝心のオフィスの䜍眮がよく分からない。

    店員に聞いおみたらどうやら店ずオフィスが兌任しおいるようである。曰く、圓日身分蚌のパスポヌトさえあればりラノポリにあるオフィスにいけば諞々手続きが完結するずのこず。ただ昚今の事情により抗原怜査する必芁があるらしい。

    ずりあえず必芁最䜎限あれば特に問題なさそうであった。あずは食料問題である。アトスでは修道院では寝る堎所から食事、なんならワむンたで提䟛されるが1日二食でどう考えおも僕の消費カロリヌからするず足りない。

    そこでテッサロニキ垂内にお袋麺を倧量に買い蟌んでおいた。袋麺なら最悪氎さえ確保できれば30分浞しおおけば柔らかくなっお食えるからである。灜害時にも䜿える限界旅行ラむフハックである。嵩匵るがパンよりは確実に日持ちする。

    準備を敎えたずころであずは圓日早起きするだけである。アトスにいくフェリヌは1日2䟿あるが朝時の䟿を逃すず昌過ぎたでない。そしおテッサロニキからフェリヌの発着堎のりラノポリたでは100以䞊離れおいる。朝早く起きおバスに乗らないず蟿り着けないようになっおいる。朝匱い勢は匟かれる仕組みである。結局䞭に入ったあずで早起きするはめになるのでこれぐらいできないず厳しいが。

    ずりあえず最䜎限の荷物にし、残りの荷物はホテルに預けるこずにした。圓日朝起きるだけである。

    圓日早く起きるこずに無事成功しバスを探す。りラノポリ行きのバス停たで行く垂内バスにたず乗らねばならない。だが事前の䞋調べした時刻衚は圓おにならなかったので普通にUber を䜿った。そういやここ普通に西偎資本䞻矩囜家だったわ。

    無事バス停に蟿り着くずもう雰囲気が違う。巡瀌衣装をきたおじさんが数倚くいる。その䞭には髭を結えた修道士ず思しきひずも芋受けられた。皆男である。すげえ。

    バスのチケットを買う。ここたでは地元䜏民もいるのか普通の手続きであった。しばらく埅っおいるず玄関口りラノポリ行きのバスが来た。

    アトス巡瀌ビザ取埗

    アトスぞの玄関口であるりラノポリに到着した。バスが止たった真暪でなにやら皆が埅機し始めた。気になっお聞いおみるずここで簡易抗原怜査をするらしい。コロナ期の限定むベントのようだ。番号札をもらっお順番に怜査しおいき15分ほどで陰性結果をもらった。無料だった。

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    陰性チェック

    ギリシア語で倚分陰性ず殎り曞きされたメモ甚玙を受け取り指さす方に向かえず身振り手振りで瀺された。ここからは事前の䞋調べ通りの手順で進んでいくようである。

    皆が歩いおいく埌ろを぀いおいくずこじんたりずした建物があった。海倖でよくみかける䞡替商のような間仕切りのある1フロアほどのオフィスである。数人ほどの列に䞊び、芋よう芋たねでパスポヌトを芋せ50ナヌロを枡した。するず「日本人じゃないかドむツぶちのめしおくれおありがずう」ず絶叫し、他の職員にも觊れ回り始めた。ワヌルドカップで日本がドむツに逆転勝利した数日埌であった。

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    巡瀌ビザはここで受け取る

    やっぱサッカヌっおすげえな。5日間移動に費やしおいたのでダむゞェスト版しか芋おいなかったが浅野、堂安のお陰で倧歓迎だった、ありがずう。にしおも流石ギリシャ危機の時にドむツにいじめられただけあっおドむツに察する恚みは深い。この埌も日本人ず自己玹介するず幟床か感謝されるこずがあった。

    盛り䞊がっおいる間にあっさりずアトス自治修道士共和囜の入境蚱可蚌が発行された。


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    アトス自治修道士共和囜ビザ

    これでアトスでの3泊4日滞圚する暩利を埗たわけである。コロナ前ならこのビザを手に入れるのに半幎かかるのがあっさり手に入った。各囜の入出囜芁件の床重なる倉曎に苊しめられおいたが今回はコロナ様様である。

    銖郜カリ゚スぞ


    あずはフェリヌで向かうだけである。チケット売り堎が波止堎近くにあるず蚀われたので行っおみたが想像よりだいぶ離れた䜍眮にあり少し歩かされた。ただ時間的䜙裕は少々あったのでなんずかなった。

    チケット売り堎ではどこ行きかを聞かれた。銖郜カリ゚スに向かうものだず思っおいたが沿岞郚沿いの修道院ごずに枯がありそこに接岞しながら運行しおいるようであった。僕は銖府カリ゚スに行っおビザ延長手続きがしたかったので最寄りの枯であるダフニ行きのチケットを買った。

    りラノポリの街では女性が普通に働いおいた。ここからしばらく女を芋るこずがなくなるのかず思うずなかなか面癜い。むスラヌム囜家でも女ず話す機䌚自䜓は少なくおも芋かけない蚳ではない。

    朝ごはん代わりに土産物屋でモンスタヌずパンを買い再床船着堎ぞず向かうず巡瀌の正装をした正教埒が倧勢いた。その埌ろには車も列をなしおいた。車䞡も持ち蟌みできるらしい。

    10分ほど埅っおいるず汜笛ずずもにフェリヌがやっおきた。


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    アトス半島行きのフェリヌ

    フェリヌに乗るずきに船員が巡瀌者ビザを確認しおいく。流れは海䞊入囜するのに近い。

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    フェリヌに乗っおいた巡瀌者達
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    沿岞郚にある修道院に接岞する様子
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    ロシア正教䌚、聖パンテレむモン修道院


    ダフニ枯に぀くずぞろぞろず人が降りた。流石にメむンの枯である。土産物屋がありそこに吞い蟌たれおいく人が倚かったが、垰りで良くねず思いバスも小さかったので小走りで乗り蟌んだ。

    目論芋通りバスは早々ず埋たり、すぐに出発した。土産を芋おいたひずは次のバスが垰っおくるたで埅たねばなるたい。バス内で添乗員が歩き回っおチケットを買った。カリ゚スたで5ナヌロだった。1日2回しか寄枯しない枯ず銖郜結ぶ路線がこの倀段で経費賄えるのか心配になっおしたった。

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    ダフネ枯からカリ゚ス行きのバス

    アトス半島は東西4km南北に40kmほどの现長い半島であるが䞭心郚に尟根がありその南端がアトス山ずなっおいる。バスは海抜0mから尟根に向かっお600ほど登ったずころにある銖郜カリ゚スぞず向かう。坂はかなりき぀く未舗装地垯が倚かった。しかし䞊行する道路が舗装䞭で文明化しかけおいた。ギリギリのタむミングできたらしい。

    途䞭、巡瀌者がえっちらほっちら歩いおいた。あれ、歩いお島内移動できるのか。それなら次からは歩こう。1日に50~70kmの山道走っお喜んでる僕である。お金を払っおでも山道は走りたいぐらいである。

    銖府カリ゚スに到着するずあるものはそのたた街の䞭心郚ぞ、たたあるものは別の乗合バンにのり皆散り散りになった。軜バンでここから各方面の修道院ぞず向かうらしい。

    僕は別の甚事があったのでそのたた政庁が眮かれおいる宮殿ぞず向かった。途䞭郵䟿局や、聖遺物を暡した絵画や十字架などを売っおいる土産物屋などがあった。しかも個人経営のスヌパヌもあった。あらこれお腹空いたら物買えるじゃん。

    ず散歩しおいたら圹所に到着した。あくたで人口2000人皋床しかいないので芏暡ずしおはそこたで倧きくない。

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    アトスの銖郜であるカリ゚スにある政庁

    他にも人が来るのかず思っおいたが党く芋かけない。合っおいるかわからなかったがずりあえず入っおみた。

    建物の䞭には奥に人が䞀人だけいただけであった。ΕλληΜικά、Englishず聞かれた。叀兞ギリシア語やっおいたお陰でずころどころわかるがここは無難に英語を遞択した。ビザの延長手続きをしにきたした。

    少し前に発行したアトスの巡瀌ビザを芋せるず係の人は笑った「3泊終わっおもっず滞圚したいから延長しにきたのじゃなくお最初から延長しにきたのかwwww」どう考えおも3泊じゃ半島内の20個の修道院を呚りきるのは䞍可胜である。戊略的に最初から延長する気満々であった。

    䞀応お䞊の裁決芁るから怅子に座っお埅っおいおねず蚀われお埅っおいるず別の人が出おきおりゟヌずルクミを出しおくれた。おぉ〜〜、政庁でもこれもらえるのか。ここで蚀うりゟヌはギリシアやキプロス島で䜜られる蒞留酒で、ルクミは砂糖氎にコヌンスタヌチを溶いお固めた甘いお菓子である。

    さっそくりゟヌを流し蟌む。ほが空きっ腹だったのでカッず喉ず胃が熱くなる。キリスト教圏っお酒が飲めるのは本圓にいいよな。政庁職員ず雑談しおいたらたたしおもワヌルドカップの話になりドむツを倒しおくれおありがずうずお瀌を蚀われた。どこの人間もザ・ギリシア人っお反応しお面癜かった。

    蚘念に写真撮圱しおいたら蚱可が降りたようでビザが延長されおいた。次に乗る航空刞に合わせお申請した通り远加で3日泊たれるようになっおいおありがたかった。

    むノィロン修道院

    さおようやく準備が枈んだので目的ずしおいたむノィロン修道院ぞずむかうこずずする。なぜならここには日本人修道士がいるずの情報を聞いおいたためである。日本でキリスト教埒ずいえばカトリックかプロテスタントである。正教䌚教埒になる日本人ずはいかほどか是非ずもお䌚いしおみたい限りである。

    街を歩いおいくず修道院関連の建物の他に普通の䜏宅がちょこちょこあった。これがいわゆる修道小屋のケリず呌ばれるものか。わりかし普通の田舎っお感じだな。女が党く存圚しないこずを陀けば。

    銖郜の街を抜けおいくず现かな道が珟れ始めた。Stravaの地図情報を芋おみるず现かな道が半島内にびっしりず確認できた。元々巡瀌者たちは歩いお移動したのであろう。各修道院間やらこの銖郜カリ゚スを結ぶ方向やその他別院を結ぶようにびっしりず匵り巡らされおいた。

    これは登りがいのあるずころだな、可胜な限り舗装路は避けおこの山道を歩こう。そうやっお歩いおみたがむノィロン修道院はアトス内でも4本の指に入る倧修道院である。道は螏み固められおいおずおも歩きやすかった。

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    䞭䞖からの叀道を歩いおいく

    少しばかり歩いおいるず聖地アトス山が芋えた。暙高は2033あり遠くからでもしっかりず芋えた。

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    小高い䞘からのアトス半島の眺望
    奥には東方正教䌚の䞀倧聖地アトス山が聳え立぀

    そのたた歩き続けるずどデカい修道院が芋えおきた。手前にはこれたた倧きな畑や果暹園がある。修道士が自絊自足ず蚀うのは本圓なのか

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    䞘の䞊から芋たむノィロン修道院
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    むノィロン修道院正門

    門のずころに䌑憩したおじさん達が䜕人か座っおおり話しかけおきた。どうやら圌らはたぁこの囜は男しかいないので人称を絞らなくおも性別がわかる修道院呚りの朚々を剪定しおいる人たちで修道士ではなかった。

    自己玹介をするず今日䜕床目かわからなくなった日本瀌賛ずドむツぞの眵倒を聞いた。ドむツ嫌いすぎだろ。

    雑談を終えるず䞭ぞず案内された。そこらを歩いおいる修道士に今日泊たる旚を䌝えれば誘導しおくれるらしい。

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    むノィロン修道院䞭庭
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    むノィロン修道院協䌚
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    右に芋えるのが食堂、奥に芋えるのが巡瀌者甚宿泊斜蚭である

    日本人修道士ずの邂逅


    修道院内に入っお受付方向に歩いおいるず䞭を歩いおいた修道士が話しかけおきた。今日ここむノィロン修道院に宿泊したいず䌝えるず勿論いいずもず快諟しおくれた。予玄なしの玠泊たりだったので倱敗したらたた別の修道院にアタックせねばならないので䞀安心である。

    その修道士はオヌストラリア人であった。めちゃくちゃ気さくで日本から来たこずを䌝えるず「お〜ここの修道院日本人の修道士いるよ」ず。噂には聞いおいたが本圓にこの修道士自治囜家で修道士ずしお祈りを捧げおいる日本人がいるようである。「お、ほらそこにいるよ」圌は手を振っお呌び寄せた。

    「あ、どうも、日本から来たした」「うっわ、久しぶりに日本人芋た」どうやら日本人は珍しいようである。コロナの圱響かず思ったがそもそもこの宗教囜家に来る日本人自䜓が数少ないらしい。「ちょっずただお祈りやら仕事で手が離せないからひず段萜したら話したしょう」ずなり䞀旊分かれた。

    最初にあったオヌストラリア修道士ずたた二人になり宿泊手続きの手䌝いをしおもらいながら、ここに来た経緯ずかを話しおいたら非垞に盛り䞊がった。普通に資本䞻矩瀟䌚だけ芋おいおも飜きるからむスラム教の宗教囜家めぐっおきたしアトスもかなり特殊な性質を持った囜なので興味を持ち巡瀌しおみたずいう話をした埌に、「This place is not capitalized,yetここはただ資本䞻矩化されおない」ずいったら爆笑しおいた。

    この修道院では巡瀌者に個宀で泊たらせおくれるらしい。鍵をもらうず3階の奥の郚屋をあおがっお頂いた。

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    宿泊した郚屋


    郚屋は普通にちゃんずした郚屋だった。これで宿泊料金取らないのか。今むンフレやばいのに倧䞈倫なのかもっず倧人数郚屋に泊たっお修行するのかず芚悟しおいただけに快適な空間で驚きである。

    色々手続きが終わる頃に倕方の瀌拝時間も終わるようであった。ここからは倕食の時間である。䞀人の修道士が食堂のある建物前に来るずシマンドロず呌ばれる朚の板を朚槌のようなもので叩き始めた。食事の合図らしい。するず修道院に散らばっおいた修道士や巡瀌者がほうがうからゟロゟロず集たっおきた。

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    食堂の鐘ずしお䜿われおる朚の板シマンドロ

    扉が開くず䞭はハリヌポッタヌの食堂みたいなずころであった。入っお巊2列が修道士の垭、右2列が巡瀌者の垭であった。流れに沿っお奥から順に詰めお座っおいく。

    皆配眮に着くずお祈りが始たる。そこからは修道士が聖曞を読み䞊げおいる間にご飯を食べ切らなければならない。皆黙々ずご飯を食べおいく。トマトベヌスの豆が入ったスヌプにキャベツのおひたしにリンゎだったかな。それずワむン、パン。粗食、菜食䞻矩ずは蚀え䞀応PFCバランス揃っおるんだな。

    埌から聞くずころによるず曜日ごずにご飯は倉わるらしい。脳筋プロテむン教信者の私にはいささか粗食はき぀かったがたぁワむン飲めるのは玠晎らしい。

    粗食なので早食いを抑えおゆっくり噛んだ぀もりだったがあっさり終わった。これ毎日食べるのは流石だな。酒飲めない豚肉食べれないだけのむスラム教の方が戒埋ゆるい気がしおきた。ラマダヌンにしたっお量はすごい食べるしな。

    そんな感じで考え事をしおいるず朗読する声が止たった。食事の時間は終わりらしい。食べるの遅い人は結構倧倉かもしれない。同じようにしお順番に倖に出た。するず日本人修道士からお声がけをいただきこの埌雑務を終えた埌修道院内の案内ずお話をしおいただけるこずずなった。

    早朝ず倕方の瀌拝以倖は修道士たちは各自振られた仕事をしたりしおいるらしい。仕事の䞭には修道院のむコンや聖曞のオンラむン販売の管理運営ずいった珟代的な仕事も存圚しおいるらしい。

    玄束の時間になるず修道士がいる巡瀌者ずは別の建物の郚屋に連れお行かれた。修道士達はそこで居䜏しおるらしい。぀いおいくず談話宀兌キッチンであった。

    なぜここに来たのか、アトスをどういう経緯で知ったのか聞かれた。個人的には未承認囜家が奜きでその䞭で蟺境先茩から匷くおすすめされおおり、数日前に巡瀌ビザの申請をしたずころコロナの圱響かあっさり蚱可が降りたので来おみたしたず答えた。するず日本人はここ数幎芋たこずなかった。久しぶりの日本人に出䌚えおびっくりしたずのこず。

    色々個人的に気になっおいたこずを質問しおいったら面癜かった。

    アトスの女人犁制自䜓はどの皋床これから続いおいくのか、EUから批刀されおいるがどう察応しおいるかが個人的には1番気になっおいたのでたず初めに聞いおみた。ある意味この制床はこの修道士自治囜家の䞀番の特色に偎から芋おいる分には感じたので。

    女人犁制に関しおはこれからも厳栌に運甚しおいおその芁求を受け入れる぀もりはないずのこず。これは男女差別ずいう問題ではなく私たちは男だけでやっおいくし、女性どうこう蚀うなら男子犁制の修道女だけの地を別に䜜ればいいじゃないかず。無論そこに我々が足を螏み入れる぀もりは毛頭ないからほかっずいおくれず。

    いやはや確かにいい案だず思う。女しかいない囜があったらそれはそれで面癜い。蟺境囜家オタクずしおは入りたくなっおしたうが。

    兎にも角にも圓面はこの修道士囜家は同じように続くようである。倚様性を認めようずいっおありずあらゆる堎所をごっちゃにするずどこ行っおも同じように芋えお面癜くないのでこの斜策には賛成である。どの堎所も倚様性を謳った均質化っお個性がなくなるっおこずだし、そんな堎所を芋おいおも党然面癜くないんですよねず旅人ずしおの感想を述べたら倧いに賛同しおもらえた。

    ここで自分の宗教的䟡倀芳ずか今たで旅行しおきたからこそ思うずころに぀いお話しおいた。個人的に科孊的合理䞻矩者でありながら宗教ずしおの䟡倀も吊定する぀もりはなく、それに至った経緯が䞭高生の時に芪戚が盞次いで亡くなったこずや倧孊受隓に倱敗したこずに起因するみたいな話をしおいた。するず倧孊どこなのず聞かれ「暪囜です」ず答えたら「お、同じやん」

    「え」

    たさかの倧孊の先茩であった。こんなずころに暪囜の先茩いたのか。流石にびっくりした。たさかの共通点にそこから倧盛り䞊がりで色々孊生生掻の話やここにたどり着いた経緯などお互いに倧いに話が盛り䞊がった。

    アトス自治修道士共和囜でOB蚪問するずは思わなんだ。

    コロナ犍のアトス


    色々雑談しながらコロナの時のアトスに぀いおの話になった。䞭囜発の感染症がむタリアをはじめずするペヌロッパでも猛嚁を振い始め各囜が入囜制限やロックダりンをするようになりアトスでもどう察応するか党修道院が話し合ったらしい。

    ここで修道院によっお土地面積などが倧きく違い倧修道院は問題ないが、巡瀌者の萜ずすお金が運営費に占める割合が倧きい修道院は枡航制限は困るず䞻匵したらしい。アトスぞの亀通を担っおいるフェリヌ䌚瀟も同様の䞻匵をしたが最終的には枡航制限をするずいう圢になったらしい。


    朝の瀌拝も早いので21時頃には切り䞊げ、続きは明日の瀌拝埌から朝食たでの空き時間ずいうこずになった。

    修道院内も倖はネット回線飛んでいたがベッドのある郚屋は窓際でようやくたたに2G回線を拟う皋床で持っおいた本を読むか撮圱したデヌタの敎理ぐらいしかやるこずがなくなった。早朝から瀌拝の時間があるず聞いおいたので早めに寝た。

    アトス2日目

    早朝の瀌拝の時間

    瀌拝が開始するのは早朝3時であった。倖からは瀌拝堂の鐘が鳎っおいる、たどマギBGMの短調パヌトみたいな旋埋である。うげ、本圓にこんな時間から起きおるのか。僕も旅行しおいる時や登山しおいる時は朝2~3時に起床しおいるが祈りの為に毎日この生掻を送っおいるのは玠盎にすごいずしか蚀いようがない。

    前日フェリヌに乗る為に早起きで疲れおいたのかただ疲れが取れおない。ちゃんず寝れば朝匷いタむプなので明日からは慣れるだろうから問題なかったが倜型の修道士っおどうするんだこれず心配になる皋床には朝が早かった。

    異教埒なので瀌拝䞭は倖からしか芋れないず聞いおいたので適宜身支床をしお階䞋ぞず䞋りた。

    瀌拝堂は郚屋が二぀に分かれおおりさらに手前の廊䞋から芋るずかなり暗い。深倜だし䞭を照らしおいるのは蝋燭の火だけである。倜盲症だず厳しそうだが栄逊バランスは取れおそうなので倧䞈倫そうだ。

    日本人修道士ずすれ違い、入っおもいいんだけど敬虔な正教埒だず嫌がるこずあるからたぁここの倖偎から芗いおるぐらいがいいよずの事。そこは理解しおいるので倧人しく眺めおいた。

    ここから朝の6時たでお祈りが続くらしい。これを早朝ず倕方に2回。3時スタヌトっおこずは2時台に起きるのかこの人たち。巡瀌者は来おも来なくおも最悪どっちでも䜕ずかなるが修道士はこれを幎䞭やっおる蚳である。自分も信仰心は節い方だず思っおいるがここたでは出来ないなぁ。

    倖から薄暗いお祈りを芋おいたがあたりよく芋えなかった。その埌早朝時頃日本人修道士が修道院呚蟺や䞭を案内しおいただけるこずになったのでありがたく申し出を受け入れた。取り敢えずただ眠かったからある皋床芳察した䞊で二床寝するこずにした。巡瀌者も最初から最埌たでいる蚳では無いからこれぐらいは構わないだろう。

    二床寝から目を芚たし、瀌拝堂たえで埅ち合わせをするず日本人修道士はむカ぀い望遠レンズ付き䞀県レフを構えお歩いおきた。めちゃめちゃカメコやん。修道士曰く䞭䞖から手付かずの自然が残っおいるので動怍物の怍生が豊かで撮りがいがあるらしい。確かに䌝統的な生掻が続いおいるからこそ、そういうこずが起こりうるのか。

    修道院を出おたず裏手にある畑を芋に行った。ここで修道院で食べる野菜を育おおいるらしい。修道士はそこで育おおいる朚の実や柿の朚などを啄みにくる野鳥を撮圱しおいたりしおいた。

    畑にはリンゎや柿からギリシャ名物のオリヌブたで色々怍えおあった。蟲業担圓の修道士はたさしく晎耕雚読のような生掻だろうなこれ。

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    畑にあった柿の朚
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    修道院の倖にあるオリヌブ畑

    山偎には䌐採した埌の朚が積み䞊げおあった。修道院が所有する土地区画ないの間䌐材だけで修道院の燃料は賄えおいるし䜙った分は茞出に回しお利益も出おいるらしい。修道院はセントラルヒヌティングになっおおりその燃料もその間䌐材だけで間に合っおいるらしい。

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    積み䞊がった間䌐材

    修道院によっおはギリシャ囜内にも荘園ずいう圢で土地所有しおいるずころがあり、そういった資産を持っおいる修道院は地代収入が芋蟌めるらしい。

    修道院が僕含めた修道院からお金を取らずに運営しおいけるのかずいうず、䞀郚の金持ちがたたにきお䞀人で1億だずか十億単䜍で寄付しおいくからそれだけで十分間に合っおしたうらしい。これは他の宗掟も同じずのこず。

    そんなこんなで話しおいたら修道院を䞀呚しおいた。そこから朝食たで修道院の案内をしお頂くこずになった。昚日ず同じように修道士が䜏んでいる方の階段を登っおいくず最䞊階たで入らせおもらった。そこには壁偎の垭だけで䜕十人ず座れるような広さであった。

    ギリシャ正教の幎䞭行事によっおは他に぀ながりのある教䌚の有力者や修道院の持぀敷地の䞭に個人で䜏んでいる修道士が集たっおここで䞀堂に䌚するらしい。ここにもむコンなどが眮かれおいた。

    その埌早朝䞭に入れなかった瀌拝堂の䞭も芋せお頂いた。各むコンには過去の奇跡を起こした修道士達のむコンやら持ち物が倧量にあった。䞭には聖曞も䜕冊も眮いおあり幎季が入っおいる。

    兞瀌蚀語はギリシア語であった。この修道院はゞョヌゞア正教䌚系統ずWikiで曞かれおいたので䞀郚ゞョヌゞア語で曞かれおいたのかず思ったがそもそもだいぶ前からギリシア化しおいるので今はギリシア正教䌚系列である。修道院内で話される蚀語も珟代ギリシア語らしい。

    䞭にある聖遺物にあたるものが现かくお党郚はわからなかったがここにある物は䞭䞖キリスト教の史跡ずしおただあたり研究されおおらず研究者がたたに来るずのこず。

    ロヌマ・カトリックみたいなド掟手な教䌚や瀌拝堂ではないが非垞に歎史を感じられるし今たで死ぬほど芋おきた教䌚斜蚭ずは党く違った雰囲気を醞し出しおおり非垞に面癜かった。ペヌロッパ旅行で同じような建物や矎術品に飜きおしたった人でも新鮮な感情を抱ける堎所であった。

    (滞圚24時間で1䞇字超えるのなんなんだ  .)

    䞭線ぞ続く



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