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復讐後祭祀②~山東京伝が描くとんでも敵討ちの黄表紙

     見事みごとに敵討かたきうちを果はたしたものの、物語に描えがかれるような苦労をしたいと、たわけた行動をする要太郎ようたろうを描えがく黄表紙きびょうし。
     
     「復讐かたきうち後祭祀あとのまつり」は、山東さんとう京伝きょうでん作画で、天明てんめい八年1788年に出版。版元はんもとは不明。
     三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する二回目。
    さあ、どうなることやら。

     


    中巻
    七

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     かくて要太郎ようたろうは、しっかりした一家いっか親族しんぞく、仲間も多くあれども、敵討かたきうちといえば、まずは乳母うばのところなんぞで忍しのんでいるもの、ことにそれが貧乏びんぼうな家ならばなおよしと思い、乳母うばのところをたずね、かくかくしかじかと語りければ、
    乳母「それはごもっともなことでござります。親御おやご様さまへの孝行こうこうは、ずいぶん苦労して実行なすったがいいさ」
    と、乳母うばも役者である。
    乳母「このように見苦しくはしておりますが、心置こころおきなくいつまでもいてくださって、ご本望ほんもうをおたっしください」
    要太郎「それはうれしい。よきにたのむ」

     


    八

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     要太郎ようたろうは、よくよく艱難かんなん苦労くろうする工夫くふうを考えていたが、乳母うばの娘のお山やまが、美しく生まれ、今年十五歳になるのを見て、まずこの娘とおれが色事いろごとをしなくっちゃ敵討かたきうちめいてこないと、あるとき、無理むりにくどけば、娘は生娘きむすめなので逃げてしまい、男女の関係はからっきしできぬなり。
     
    要太郎「これこれ、野暮やぼな子だなあ。おまえに色っぽい浄瑠璃じょうるりを聞かせてえなあ」
    お山「そのように毎日、わたしにちょっかいをかけなさると、言いつけますよ」
     
    乳母「ここでわたしがのぞいている場面は、なにやら敵討かたきうちの草双紙くさぞうしみたいだろう」

     


    九

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     要太郎ようたろうは、門口かどぐちにて霊場れいじょう巡めぐりをしている六部ろくぶを見かけ、「本当の敵討かたきうちなら、手掛てがかりになりそうな修行者しゅぎょうじゃだ。『親の仇かたきと名のれ』と言いたいところだ」と、まだ昼なのに、
    「修行者しゅぎょうじゃお宿やどもうそう。泊とまっていきなされ」
    と言えば、六部は、
    「それはありがたいが、今から泊まってはなかなか次へ行けませぬ」
    要太郎「はて、そう言わずに泊まらっしゃい。泊まり銭せんは、こっちから出そう。そのツエの中には、おおかた槍やりでも仕込しこんであるだろう。これこれ、背中の上は、尼子あまこ十勇士のひとり井筒いづつ女之助おんなのすけの頭のようだ」
    六部「こんなに宿を貸したがる人は見たこともねえ。うすきみわるい」

     


    十

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     要太郎ようたろうは、毎日何もせず、すえ膳ぜんで飯めしを食い、朝寝あさねはしたいほどして、自分の家にいるより楽なので、こんなことではなかなか孝行こうこうにはならないので、なんとか苦労する方法もありそうなものと、「旅は憂ういもの」とことわざにもいうので、旅に出てみようと、一人さみしく江の島えのしま、鎌倉かまくらをめざし、費用もあまり持たず、馬にも乗らず、あるときは野宿のじゅくもして、少しはつらい目をしてみる。
     そのころ、街道かいどうに徘徊はいかいするゴマのハエの張本人ちょうほんにん、いがみの権ごんという悪者、昼時ひるどきの茶屋ちゃやで要太郎ようたろうと出会い、要太郎ようたろうがのろそうなところにつけこみ、サイフをわざと取りかえて、
    「盗人ぬすびとなり」と叫さけんで、さんざん打ちのめす。
     要太郎ようたろうは、こいつはユスリにちがいないと思えども、いやいや、この無念むねんをこらえるのが、すなわち孝行こうこうなりと、歯をくいしばって、じっとこらえて、金十両をさし出して、わびを入れる。
     
    悪者「大盗人おおぬすびとめ、こうだぞこうだぞ」
    要太郎「こうして、じっと無念むねんをこらえるところは、なんと孝行こうこうであろうが」
     
    右の男「あの侍さむらいは、若いが、こらえ性しょうのよい人だ」

     


    十一

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     要太郎ようたろうは旅に出て、つらい目にあい帰りしが、また、なぐさみにもなったので、こんなことではなかなか孝行こうこうにはならず、もうちょっとあわれにならねばと、毒どくを食ってわずらいたいものと、まずウナギに梅酢うめず、コイにコショウ、フナにカンゾウ、フグに煤すすなど、食い合わせのものをこしらえ、したたかに食べる。
     

     食い合わせは、ウナギに梅干うめぼし、テンプラにスイカ、ソバにタニシなどが知られている。脂あぶらっぽいウナギと酸すっぱい梅干しは消化に悪く(実際は食欲増進になるが……)、油のテンプラと水気みずけのスイカも消化に悪い。ソバは噛かまずに食べ、タニシはかたく、これまた消化に悪い。それ以外にも、科学的な根拠こんきょのないものも含ふくめ、ウソかマコトか、本や物語でもいろいろな食い合わせがいわれている。

     


    十二

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     要太郎ようたろうは毒どくを食い、もうあたるかあたるかと、二三日たてども、いけしゃあしゃあ、なんともなく、せめてやせおとろえて、病気らしくしようと、毎日毎日酢すを飲んで、髪も結ゆわずに風呂ふろにも入らず、なにやら毒どくになりそうな薬ばかりを飲む。
     
    要太郎「だいぶやせて見えるわ。これならだれが見ても病人だ。これで月代さかやきの髪の毛が伸びるとなかなかだ」
    娘お山「さあ、毒な薬を飲まっしゃりませ」

     


    十三

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     要太郎ようたろうは、病気になろうと努力したためか、風邪かぜでもひいたらしく、ちと頭痛ずつうがして熱も出れば、「こいつはうまくいった」と、食いたい飯も絶食ぜっしょくして寝ていれば、だんだんやせて、どうやら本当の病気になりそうなので、乳母うばは、ここで薬となる高価な朝鮮人参ちょうせんにんじんの代金を払はらうために娘を売らなければ、要太郎ようたろう様の心にかなうまいと、女衒ぜげんをたのみ、娘を五十両で売れば、要太郎ようたろうが持っている金と合わせ、金ばかりたくさんできる。
     
     要太郎ようたろうは、苦しくもないけれども、苦しげな様子をして、
    「ふびんじゃ。まことにあわれだ。う~ん、どうもいえん。これでだいぶ敵討かたきうちらしくなってきた」
    要太郎「これ乳母うばや、もうちょっと悲しそうに泣いておくれ」
    乳母「悲しゅうござります。これもみなご主人のための忠義ちゅうぎじゃ。もう泣くまい泣くまい。」
     
    左の女衒の男「これさ、そう泣くな。これも商売なのでしかたない」
     
     人のゆくすえ、水の流れと身のゆくえ。禿かむろとなって廓くるわに住めば、ただ日々はすぎ明け暮れて、そのうちりっぱな花魁おいらんとなれば、どんなお菓子も料理だって、まんと食える身となるさ。

     


    十四

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     要太郎ようたろうは、病気になったため娘を売らせたので、よほどあわれになれども、とかく金がたくさんあっては、本当の苦労ではないので、金をなくし、ゆくゆくは非人ひにんとなっての敵討かたきうちとでもなれば、さぞ孝行こうこうとなるだろうと、しきりに金をなくしたくなり、よく敵討かたきうちのある吉原で、この金をなくそうと思い、さらに敵討かたきうちなら剣術けんじゅつを習うところを、「けんじゅつ」の「じゅつ」を流して「けん」を習う。「じゅつ」がないとは、このことか。
     

     「けん」は、じゃんけんの「拳けん」。拳けんは、最初は二人で、指で数字を出し、それを当てるゲームだったが、グーチョキパー(石、ハサミ、紙)の、石はハサミで切れず勝ち、ハサミは紙を切って勝ち、紙は石を包んでしまって勝つという三すくみのゲームとなる。当時は、虫拳むしけんとか蛇拳じゃけんというものが流行はやっていた。親指でカエル、人差し指でヘビ、小指でナメクジをつくる。カエルはナメクジに勝ち、ナメクジはヘビに勝ち、ヘビはカエルに勝つ。これを習う塾じゅくまであった。

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     娘の身売みうりまでさせて次回につづく、

     


     当時の歌舞伎かぶきなどの芝居しばいや物語では敵討かたきうち物が流行はやっていた。敵討ちの代表といえば忠臣蔵ちゅうしんぐらで、黄表紙にもそれらを題材にしたものが多く作られた。

     
     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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