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怒らせたお前と傷つけたあなた

    「俺を怒らせたお前が悪い」と「私を傷つけたあなたが悪い」は同じ。

    こんな簡単なことにやっと気づいた。

    ダンナは、子どもに向かって「怒らせたお前が悪いんだからな」というセリフを言うことがあった。
    私に対しても「俺を怒らせやがって」というようなことも言っていた。

    そんなセリフを聞くと今まで私は、怒っているのはあなたなんだから、あなたが怒らなきゃいいだけじゃんと思っていた。
    怒りの沸点なんて人によって違うものだし。

    逆に、傷つくとか傷つけられたというのもそれは感じた方の勝手というのも頭の片隅ではわかっていた。
    同じことをされてもなんとも思わない人もいれば、傷ついたという人もいる。
    これも人によって受け取り方は様々。

    人は、他人によって傷つけられるということはない、傷つけるのはいつだって自分だということも聞いていた。

    何かされた後、思い返していつまでもムカついたり悲しんでいるのは、自分自身で、その行為そのものが自分で自分を傷つけていることになるらしいのだ。

    …だけど、嫌なことを言われたりショックなことを言われたら、酷いと感じて傷つけられたと思ってしまう。

    そのことをずっと根に持っていたりもしていた。

    つまり私は「傷つけたあなたが悪い」と思っていたんだ。

    傷つけたあなたが私の傷を癒して。
    傷つけたあなたが私の傷を治して。
    そう思っていた。
    傷つけた人が謝ってくれなきゃこの傷は治せない、治らないと思い込んでいた。


    今やっとそれが間違いだったんだってことにようやく頭ではなく、心でわかった気がする。
    スッと腑に落ちた感じ。

    「俺を怒らせたお前が悪い」と「私を傷つけたあなたが悪い」をいうふたりは、所詮同じ波動を持っていたんだってこと。

    だからある意味引き合ってしまうんだ。

    ショックなことを言われて傷つけられたと感じたことに蓋をしろということではない。

    「傷ついたね」「嫌だったね」と、自分で自分を癒してあげればいいんだ。
    寄り添ってあげて、慰めてあげる。
    簡単なようで難しい。
    難しいようで簡単なこと。


    自分で手当することをせずに、あなたがやってよと、クレクレ星人になっていた。
    だから、俺の怒りをわかってくれ、俺を癒してくれというクレクレ星人の声を聞くことになっていたんだと思う。

    同じ波動を持っていたんだってことが、やっと腑に落ちた。


    以前、芙蓉さんのインスタライブを視聴した後に書いた記事


    この記事にチラッと書いてある
    『DV、モラハラをするダンナ様とされる妻は、どちらも被害者意識が高い者同士』ということは、頭ではわかっているつもりでいたけど、どこかで自分ごととして考えられていなかった。
    酷いことを言うやつが悪い。
    傷つけられたんだから、私悪くない。
    それがずっとくっついていたんだと思う。

    やっと今剥がれ落ちてきた気がする。
    完璧に剥がれたのかはまだわからない。
    わからないけど、ずっと根に持っていたことにこだわりがなくなってきた。

    今まで私は、何か言いたい時、伝えたい時、心のどこかでこのこだわりの感情があり、変な波動を乗せていたような気がする。

    だから、怒りをかってしまったり、話が通じなかったのかもとも思える。

    「〇〇をやって欲しいんだけど」というお願いごとも「私はあなたよりもっとやってるんだから、このくらいやってよね」という思いが込められていたり「〇〇に行きたいんだけど」と言うときには「あなたが釣りに行くのに私の許可いらないのに、なんで私は許可が必要なんだよ」と思いながら伝えていたり。

    思いやりを持って言葉を発するというよりも顔色を伺いながら伝えて、それが受け入れてもらえない場合、愛されてないからだと思い、憎しみやムカつきを心の貯金に入れ、いつか仕返ししてやりたいとさえ思っていた。


    今はまだまだだけど、思いやりを持って言葉を発したいと思うようになった。

    その思いやりが相手にとって正しいのかそうじゃないのかはわからないけど、自分で、この言葉を使った方が気持ちいいなと思う方を使おうとしている。

    どんな自分になりたいか…。

    以前の記事に

    私のスモールゴールは
    『相手の波動に引っ張られない自分になる』
    『仕事復帰1日前のダラダラな思い』より抜粋

    と書いた。

    今また新たに
    『思いやりのある私になりたい』
    というスモールゴールが浮かんだ。

    思いやりを持つなんて、私には出来ないと思ってきた。
    所詮私は冷たい人間だから、思いやりだの優しさだの持とうとしたところで、ムリだろうし、偽善になってしまうと思っていた。

    さらに『相手が求めていることは与えたくなくなる性質』を持つ私としては、相手の欲しいものを察して行動に移すなんて、自分の理に反するところだ。

    この『相手が求めていることは与えたくなくなる性質』というのは、私の場合、特に会話の中で相手の求める言葉を発したくないという現象にかられることが多い。

    例えば、
    「この間面白いことがあったんだよね」
    と言った場合、自然とその話をしてくれればいいのに、こちらの
    「え?なになに?教えて」という言葉待ちをされた時。
    たまにこの言葉待ちで変な間が開くことがある。

    そんな間を感じた時
    「絶対『え?なになに?』とは言わない‼️」と思ってしまう意地悪な私がいるのだ。

    そんな私が思いやりを持つですと⁉️と、自分でもびっくりしている。

    『え?なになに?』と聞くことが思いやりなのか?と聞かれたらわからないけど、私としては、これが思いやりに値する。


    相手に憎しみや嫌味を込めた言葉を吐かないというのも『思いやり』と考えた場合、この『思いやりのある私になる計画』というのもアリかもしれないと思うようになってきた。


    ついこの間いい案件が出てきたので、今までの私の思考を書いてみようと思う。

    ダンナが4月に試験があると言ってきた。

    私の骨折により、家事があり、休日は息子の送迎、2週間に1回は私の病院の送迎があり、疲れもあり、日々勉強する時間がなかったと。

    「俺、勉強しなきゃねぇんだよ」
    「しかも資料も作らなきゃないし…」
    「ずっと出来なかった」と言いながら漫画本を読み、そのまま眠りについていた。

    今までの私。
    「は?今、漫画本読まないで勉強するなり、資料作るなりしろよ」
    「てか、昨日も一昨日も少しは時間あったよ。けど、寝てたよね?何でもかんでも私のせいにしないでくれる?」
    と、心の中で毒づいていた。

    さらに、旦那の受ける試験とは違うけど、私も試験を受けることはあった。
    だから、
    「は?私はやってたよ。家事も勉強も」と思っていたし、
    資料を作らなきゃない時も仕事中出来なくて、家に持ち帰ってきて、やった時もあった。
    「私は家事を終わらせてから夜遅くまで資料作っていたからね。あなたそれ知ってるよね?」
    「てか、てか、そこまでして作った資料、社内で選ばれて、海外に行くってなった時
    『なんでお前が行かなきゃないんだ』って、反対したよね?」っていう色んな感情が湧いてきていた。

    そもそも私のせいで勉強できなかったって、言い訳で、何もないとしても勉強しないよね?と思っていた。

    だから、それを証明したくなっていたと思う。
    勉強する環境を整えてあげた上で、勉強なんかしないダンナを見て「ほら。勉強出来る環境でもやらないじゃん。私の骨折関係ないじゃん」というのを見たくなる。

    お前は言ってることとやってることが合ってないからなというのを知らしめたい気持ちになるのだ。

    かといってそれを見たところで「勉強しないのは、私のせいじゃないじゃん」とは言わない。
    言えない。

    ぎゃふんと言わせたいけど、トドメは刺さない私。
    で、モヤモヤを引きずる。

    で、次に発する言葉にこの時の嫌な気持ちを乗せて話をしてしまう。

    悪循環。

    これが今までのパターンだった。


    こういうダンナのようなタイプの人は、自分の行ないに気づけないのか、反省しない。
    「あ、俺言い訳してただけだな」なんて気づきもしない。
    それどころか、私がぎゃふんと言わせたいというところに目をつけて、ますますこちらに攻撃してくる。

    これは、性格が悪いとかそういうことを言いたいのではなく、性質として。
    DVをしたダンナさんが、自分が殴っておきながら「お前が殴らせたから、俺の手が痛い」というのと似ているのかもしれない。

    こういう人にいくら暴力はいけないことよとか殴ったのはあなたよと言っても話は通じない。

    ちょっと例が極端すぎるかもしれないけど、このDVするダンナさんの性質の話を聞いて、ここに当てはめて、自分がやれることを考えた時に、このパターンを変えようと、スッと思えた。

    頭で云々考えるより
    「あ、そうだ、やってみよう」と思えたんだから、やってみようと思った。


    今日は、久々に息子の部活の送迎を私がした。

    用事もあったので。
    ということは、ダンナは午前中1人なわけだから、その時間勉強や資料作りが出来る。

    けど、私たちが出かける時にはまだビデオを観ていて、このあとうたた寝するな…という体勢だった。

    「勉強する気ないよね…」
    …今までの私がうずく…😅

    まぁ、それも含めて
    『ほっとけほっとけ』案件だ。

    相手がどうするかより、私がどうしたいか。
    しかもそれは、恐れからではなく、愛から発したもので行いたい。

    愛=思いやり。

    まだまだ慣れず、やっちまったってこともあるけど、意識していきたいなと。

    プラス、相手が求めているのも大事だけど、
    自分が気持ちよくいるための言葉を選ぶ。
    ☝️ここが大事。

    忘れがちな私のためにnoteに書いてみた。

    思いやり持てるかな?
    頑張りたいと思います🥰

    最後までお読みいただきありがとうございます😊

    しあわせをありがとう💖
    うちなる平和を💕
    シュカポン🐼

     
     
    日常生活、テレビドラマ、映画、本、ニュース、日々の生活の中で自分が感じたことを書いています。 楽しいこと、くだらないこと、嫌なこと、全部まるごと受け止め愛を出せる自分になりたい。 キンプリにハマっているアラフィフ。 高橋海人くんに沼ってます。

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