
リンゴ探偵と消えた手紙|アカリウム深層 | ミステリー小説
眼前に一面の雲海を望む第六黄泉比良坂ペデストリアンデッキ。
その片隅に、忘れられたように佇む公園のベンチ。
リンゴは、そこに腰かけていた。足元には、昨夜の風で落ちた葉っぱが二、三枚。湯飲みの向こうでは、デッキを行き交う人影が小さく揺れている。
天国と地獄の境目に存在する、「彼岸」。
言ってみれば、「死者の世界」なのだが、ここで積んだ“徳”が自分の行き先を決めるからか、住民たちは、意外に勤勉で働き者、そして牧歌的だ。
リンゴは、そんな彼岸の人々の様子を見聞きするのが好きだった。
長年、彼岸で暮らしていて、とうに転生するための徳は積んでいる。しかし、彼岸で暮らす人々の様子を見るのが楽しく、居座っている。
だから、今日もいつもの公園でお茶をすする。
誰か来るかもしれない。来ないならそれでもいい。
朝があり、昼があり、夜がある。月日や暦もある。
どこか、現世と似た理を持つ彼岸で、ゆったり過ごす時間を、リンゴは愛していた。
「リンゴおばあちゃん! おばあちゃーん!」
のんびりとした昼下がりは、騒々しい闖入者によって終わりを告げた。
赤い帽子に赤いマント。帽子の脇から猫の耳がちょこんと覗き、裾から伸びた尻尾が落ち着きなく揺れている。郵便配達員のモモコだ。
「おやまあモモコちゃん。今日はどうしたって言うんだい?」
「アヤさんが、誤配の犯人にされちゃうかもしれないんです!」
アヤはモモコの先輩にあたる配達員の白鳩だ。元来、彼岸の郵便局員になれるのは鳩だけなのだが、モモコは猫でありながら例外的に配達員をやっている。
鳩にとっては天敵にもなり得る猫のモモコに対して、少なからず良くない感情を向ける局員もいるなか、アヤは気さくにモモコと接してきた。
そんな先輩のピンチとあらば、モモコが躍起になるのも当然と言えよう。
「誤配というと、違う家へ手紙を届けたのかい?」
「そうです。でもアヤさんは、間違えてないって言うんです。なのに二回も苦情がきて、すっかり元気がなくなっちゃって」
モモコの尻尾が、ますますせわしなく動く。
リンゴは隣の座面をぽんぽんと叩いた。
「まあ、座ってお話しなさいな。何が起きたのか、順番に教えておくれ」
モモコは帽子を取って腰を下ろした。
「火曜日、ベニさん宛てのお手紙が、お隣のマキさんのお宅に届いたんです。水曜日には逆に、マキさん宛てのお手紙がベニさんのお宅に。どちらも普通郵便です」
「二軒とも、アヤさんの配達区域なんだね?」
「はい」
「苦情を入れたのは誰だい?」
「二人とも、水曜日の夕方に苦情を入れています。アヤさんが配達を終えて、局へ戻ったあとでした」
リンゴは湯飲みを置いた。
「そうかい。誤配があったと言っているのは、今のところマキさんとベニさんの二人なんだね」
「そうですね」
「二人が口裏合わせをしている、という可能性はないかい?」
「えっ?」
「こういうときはね、いくつか仮説を立てるんだよ。アヤさんが誤配をした説と、していない説。もし、アヤさんが誤配をしていたとしたら、話は早い。おそらく『手違い』という話だからね。ごめんなさい、と謝るのが最善策だろうて」
「でも、アヤさんは……」
「そう、『間違えてない』と言っているんだろう? あたしも何回かアヤさんに届けてもらったことがあるけれど、配達地域の住民のことをよく理解して、丁寧な仕事をしていた。そりゃ、彼女も時にはミスをするだろうさ。でも、二日連続で間違えるほど、抜けてるようには見えなかったねえ」
モモコは目を丸くした。
「すごい! リンゴおばあちゃん、探偵みたい!」
「んっふっふ。悪い気はしないねえ」
リンゴは背筋を伸ばした。
「では、ワトソン君」
「ワトソンクン?」
「推理小説では、探偵助手のことをこう呼ぶのさ」
「カッコいい! 私はワトソンクン!」
モモコは立ち上がり、胸の前で両手を握った。どうやら、「ワトソンクン」という単語であると捉えたようだ。まあ、気分が乗っているなら、良しとしよう。
「名探偵リンゴ先生! ワトソンクンは何を調べてくればいいのでしょうか!」
「探偵の基本は聞き込みだよ。マキさんとベニさん、配達したアヤさん。それから、手紙を仕分けた内勤局員にもね。誰が、いつ、どんな行動をしたのか、ちゃんと聞いておいで」
「はい、先生!」
モモコは勢いよく駆けていった。
リンゴは、デッキの向こうへ消えていく赤いマントを見送った。

翌日の午後、モモコは手帳を抱えて戻ってきた。
「リンゴおばあちゃん、聞いてきました!」
「おや、おかえり。誰のお話から聞こうかねえ」
「まず、マキさんです。火曜日にベニさん宛てのお手紙が届いたという方です」
モモコが手帳を開いた。その声を聞いているうちに、リンゴにも、訪ねた家の様子が見えてくるようだった。

「見たのよ。アヤさんが、うちのポストに手紙を入れるの」
あくび混じりに答えながら、マキは玄関先を指さした。
生前、狐だっただけあって、すっと切れ長の目元がどことなく妖艶だ。だが、身支度をしていない部屋着姿のマキは、どちらかと言えば野暮ったさが目立っているように見える。
マキの視線の先には、赤く塗られた、丸屋根の郵便受けがある。狐の尻尾みたいな飾りまでついていて、それを引っ張るとポストが開く仕組みだ。
「かわいらしいポストですね」
「ありがと」
マキは、モモコに視線を戻す。
「アヤさんを見たのは、何時ごろですか?」
「お昼前だったかな。十時過ぎくらい。月曜日の夜が夜勤でさ、火曜日の朝はだいぶお寝坊しちゃって」
お寝坊。
モモコは、つい口元を緩めた。ぶつくさと話すマキが、「寝坊」にだけ「お」をつけたのがおかしかったのだ。
「なに、笑ってんのよ」
「ごめんなさい。お寝坊って、なんだか可愛くて」
「ああ、癖なんだよね。接客業だからかな」
「お客様とか、おしぼりとか?」
「おしぼりは、最初からおしぼりだけど」
マキも少し笑った。
モモコは手帳に目を落とす。
「話を戻しますね。火曜日の十時過ぎ、アヤさんがこのポストに手紙を入れたんですね?」
「うん」
「そのとき、外にいたんですか?」
「チヨが来てたのよ。玄関先で話してたタイミングで、アヤさんが配達に来てね。あたしたちに気を遣ったのか、ポストにハガキを入れたら会釈して、さっさと行っちゃった」
「チヨさんって、来月お店を開く?」
「そう。料理のうまいタヌキ。身体はでっかいけど、気は優しいんだよ」
「楽しみですね、お店」
「……そうだねえ」
マキは、含みのある言い方をしながら、ポストを見た。モモコはその姿を見て、思い出したかように話を戻す。
「そうだ、ポスト。マキさんは、アヤさんがポストに入れた封筒を、いつ取り込んだんですか?」
モモコがそう聞くと、マキは一瞬目を逸らし、何かを考えているような表情を見せた。しかし、すぐに視線を戻し、「チヨが帰って、すぐ」と、答えた。
「チヨさんがお帰りになったのは、何時ですか……」
モモコが尋ねようとした、そのときだった。
「マキ! ちょっといーい?」
門の向こうから、柔らかい声がした。
「ベニ! どうしたの」
やって来たのは、首に小さなスカーフを巻いた女性だった。

「おやまあ、そこでベニさんも来たってのかい」
ずいぶんとタイミングの良いこと。リンゴは、眼鏡をくいっと上げた。
「モモコちゃん、ベニさんも『自宅まで配達に来たアヤさんを見た』って言ったんじゃないのかい?」
「えっ?」
モモコは目を丸くして、リンゴを見た。
「言ってました! 水曜日の午前十一時十五分に、リビングの窓から玄関を見たら、配達に来たアヤさんを見たって!」
「やっぱりねえ」
リンゴはくすくす笑った。
「やっぱりって、どういうことですか?」
「いやいや、二人とも配達を見たという話になるのかと思ってね。ほら、続きを聞かせておくれ」
「はい!」
モモコは、手帳を一枚めくった。

「十一時十五分よ。ちゃんと覚えているわ」
ベニはスカーフの端を整えた。額の両端から小さな突起が生えている、鬼族の女性だ。部屋着のマキと対称的に、小ぎれいな恰好をしている。
「お昼の支度を始める前だったの。窓から赤い帽子が見えて、アヤさんが郵便受けに手紙を入れたのよ」
「その手紙は、すぐ取り込んだんですか?」
「ええ。宛名を見て、すぐマキんちに届けに行ったわ。そこで、マキの家に私の封筒が行ったと知って、びっくりしたものよ」
「それはびっくりですよね……あれ?」
モモコの尻尾がピンと立った。
「マキさんちにベニさん宛の封筒が届いたのは、火曜日ですよね? マキさんは、その日のうちにベニさんに連絡しなかったんですか?」
「え……ええ、そうだったわね。ちょっと二日酔いでさ。私も手紙の宛名をよく確認してなくてさ。ベニが来た時に気づいたの」
「街の方々からよく聞くんですけど、フツカヨイって恐ろしいんですね……」
モモコがぶるっと身震いする様子を、マキは訝しげに見つめた。

「なるほど? マキさんは、手紙を火曜日に取り込んだけど、水曜日にベニさんが来るまで宛名を確認しなかった。つまり、誤配に気づかなかったということだね?」
「はい! そう言っていました」
リンゴは、眼鏡の縁をとんとんと叩いた。筋が通らない話でもない。しかし、モモコの報告を聞くと、マキの家のポストは玄関から数歩歩いた場所にあり、わざわざ背面から開くタイプだ。
つまり、「郵便物を取り込もう」という意思がなければ、その動作を起こしにくい。
聞くところによると、マキは夜勤明けに加えて二日酔いだったという。そんなコンディションで、わざわざポストを開け、手紙を取りに行き、宛名の確認もしないなんてことはあるだろうか。
どことなく、違和感がある。モモコが訪れたタイミングで、ベニが現れたことも作為的に見えてくる。考えすぎだろうか。
「マキさんと、ベニさんは、ほかに何か言っていたかい?」
「あ、ベニさんが」

「モモコちゃん、私たちを疑ってるの?」
「いえいえ、めっそうもない。私は郵便局員として上司から指示を受けたんです。次に同じことが起きないように、誤配の原因はどこだったのか、調べるように」
モモコは大げさにかぶりを振りながら、言った。
嘘である。
マキやベニに「自分たちを疑っているのか」と尋ねられたときに、そう答えるよう、あらかじめリンゴから仕込まれていた言葉だ。
もちろん、一本木で馬鹿正直なモモコのことである。目が泳いでいたし、声も震えていた。敬愛する先輩のためとはいえ、嘘をつくのは心苦しい。
「なるほどね。でも、私たちから言えることは変わらないわよ」
ベニは眉をひそめながら、言葉をつづけた。
「私たちの言い分は、誤配があった。それ以上でも、それ以下でもない。でも現状、私とマキは手渡しで手紙を届けあった。つまり、手紙は正しい持ち主のところにある。誤配があったという証拠はない。だけど、それはアヤさんにも言えることで、彼女が誤配をしなかった証拠もない。意味わかる?」
「めちゃくちゃわかりやすいです」
モモコの素直な反応に、ベニはふっと表情を緩めた。
「だとしたら、私たちとアヤさんが主張をし合っても、原因は解明できないわよね」
「おっしゃるとおりです」
「そこで、ひとつ別の可能性を思いついたんだけど」
「え、なんですか?」
「郵便の仕分けの段階で、間違いがあったんじゃないの? そっちは、記録が残ってるんじゃない?」
「あ、それは」
モモコは、少し食い気味に答えた。
「もう、お二人から苦情があった時点で、真っ先に仕分け場の記録を調べたんです。ミスはなかったと報告されています」
「そう……じゃあ、振りだしね。私たちとアヤさん、どっちが嘘をついているか」
ベニはまた眉をひそめてうつむいた。マキも、口をつぐんでいる。

「なるほどねえ」
リンゴは、モモコが報告している間に淹れたお茶を湯呑に注いだ。「モモコちゃんもいるかい?」と尋ねると、「私、猫舌なんで。猫だけに」と、返され、一人分を注ぐ。
「結局、それ以上何も聞けなくて……ワトソンクン失格ですね」
「そんなことないよ。モモコちゃんはよく頑張った」
モモコの尻尾がしゅんとうなだれている。
わかりやすいな。この子は。
それにしても、おおよその事件のあらましはわかった。一度、出来事を整理しておこうか。
火曜日。マキの家にアヤが配達。マキは訪問していたチヨと玄関先で話していたため、たまたま配達の瞬間を目撃。チヨの帰宅後、すぐに郵便物を取り込んだという。
水曜日。ベニの家にアヤが配達。ベニはリビングから配達の瞬間を目撃。郵便物を取り込み確認すると、マキ宛だった。すぐさまマキ宅へ届けに行くと、マキもベニ宛の郵便物が届いていたことが発覚。
同日夕方、二人から郵便局に苦情が入る。局側は仕分け場の記録を調べるが、仕分けにミスはなし。アヤの誤配が疑われる。
しかし、アヤは誤配を否定。
こんなところか。
仮に仕分けにミスがないとしても、マキとベニの証言だけでアヤの誤配を断定することはできない。逆に、アヤの言い分だけで二人の苦情が虚偽だと断定することもできない。
少なくとも、現状では平行線だ。
「モモコちゃん、マキさんは夜勤をしていたと言っていたね。彼女の職業を知っているかい?」
「えーと、なんかお菓子の名前みたいな仕事です」
「なんだい? ケーキとか、クッキーとか?」
「あ、そうじゃなくて。ポテチみたいなサクサクしたお菓子」
「ああ」
リンゴはため息をついた。
「スナックか」

「あらら、あんたモモコちゃんね! 彼岸でも異例の猫の郵便配達員!」
キュウビと名乗る狐は、カウンターの奥でケラケラ笑った。
「スナックまゆつば」。
彼岸の三番街に存在する、人気のスナックで、マキの職場だ。
「私、スナックって初めて来たんですけど、ギラギラで目がくらみそうです」
「ふふふ、仕込み時間でその様子じゃ、営業時間になったらひっくりかえるわよ」
キュウビはグラスを磨きながら、モモコの頭から尻尾まで眺めた。
「それで、お仕事の話? それとも、人生相談?」
「お仕事の話です! マキさんのことを少し教えていただきたくて」
「あの子が何かやらかした?」
「やらかしたと決まったわけではありません!」
モモコは慌てて手を振った。
「火曜日の朝、お寝坊したそうなので。月曜日は何時ごろまでお仕事だったのかな、と」
「お寝坊って、なんか可愛い言い方ね」
「ですよね? 私もそう思います」
モモコとキュウビの笑い声が重なった。
「月曜は遅かったわよ。閉店してからも、お客さんと話し込んでたもの」
「お客さん?」
「郵便局のハルさん。仕分けの主任さんよ。昔からの知り合いでね、たまに顔を出すの」
モモコは耳をぴんと立てた。
「郵便局の、仕分け主任?」
「白鳩で、紫の帽子をかぶってる方。見たことない?」
「あります! でも、マキさんとお知り合いなんですか?」
「この店ができるずっと前からだそうよ。月曜は珍しく、ベニちゃんまで顔を出して」
「ベニさんも?」
「ええ。三人で奥の席。仲良く何か紙を見ていたわねえ」
「紙ですか?」
「よく見なかったわよ。お客さんのお話を盗み聞きするほど、暇じゃないんだから」
キュウビは磨いたグラスを明かりにかざした。
「でもね、帰りがけにハルさんが言ってたのは覚えてる。『そこまでして、あの子に渡したいのか』って」
「……あの子?」
「さあ、誰のことかしら。マキちゃんは『どうしても喜ばせたいの』って。私が聞いたのはそれだけ」
モモコは手帳に書き留めた。
「マキさん、ハル主任、ベニさん。月曜日の夜……」
「ところでモモコちゃん。あんた、お酒は飲むの?」
「飲みません」
「そうでしょうねえ。じゃあ、お通しだけ食べてく?」
「オトオシ?」
「最初に出る、小さなお料理のこと」
モモコの尻尾が、ふわりと揺れた。

「それで、ちゃっかりお料理をご馳走になったのかい」
リンゴは眼鏡の奥で笑った。
「すごくおいしかったです。私、これから好物を聞かれたら『オトオシ』って答えます」
モモコは真面目な顔で手帳を開いた。
「でも、それよりも大切なことがありました。仕分け主任のハルさんと、マキさん、ベニさんが月曜日の夜に会ってたんです」
「ふうん。昔からの知り合いなんだねえ」
「しかも、三人で何か紙を見ていたそうです。これって、怪しくないですか?」
「怪しいねえ。お手柄だよ。ワトソン君」
リンゴは、クッキーの皿をモモコの方へ寄せた。
「なんとなく、何を話していたかは想像ができるねえ」
「さすが名探偵……私には想像もつきません」
「たぶんね、チヨさんのことだ」
「チヨさん? 来月食堂を開く? なんでここでチヨさんが出てくるんですか?」
「火曜日の朝、マキさんを訪ねていることが引っかかってさ。たぶんね、マキさんとベニさん、ハルさんの密談と関係あるはずだよ」
「わ……私には想像がつかない……」
リンゴはくすっと微笑むと、手帳にさらさらとモモコへの指示を書き、手渡した。
「ここまで大活躍の君ならできるよ、ワトソン君」
「ワトソンクン、がんばります」
リンゴは小さく笑った。
「今度は、ごはんにつられて寄り道しないようにねえ」

食堂は、まだ店の形をしていなかった。
店先には木箱が積まれ、開け放たれた扉の奥で、誰かが椅子を組み立てている。壁には、看板を取りつけるための金具だけが突き出ていた。
「こんにちはー! チヨさん、いらっしゃいますか?」
「はあい。少し待っておくれ」
奥から、大きなタヌキが姿を現した。チヨはエプロンの裾で手を拭きながら、モモコを迎え入れる。
「郵便屋さんだね。何か届いたのかい?」
「いえ、今日は聞き込みです!」
「おや、そうかい」
チヨは肩を落としたが、すぐに笑顔を作った。
「まあ、そこへお座り。椅子の脚、ぐらぐらしない方を選んでね」
モモコはそっと腰を下ろした。
「来月オープンなんですよね。準備は順調ですか?」
「どうにかね。お鍋も食器も揃ったんだけど、一つだけ決まらないものがあって」
モモコは、店の入口を振り返った。
「看板ですか?」
「あら、するどいね」
「ワトソンクンですから」
モモコは胸を張ったが、チヨは何を言われているのかわからず、キョトンとした。しかし、すぐに懐っこい表情に戻り、「名前がね、まだないんだよ」とつぶやいた。
「生前、私に料理を教えてくれた師匠がいてね。『またね亭』っていう、小さな食堂をやっていたんだ」
「またね亭。かわいい」
「いい名前だろう? お腹いっぱいになって帰る人に、『またね』って言える店だった」
チヨは、少しだけ声を落とした。
「けどね、師匠はもう、転生しちまった。私も同じ名前で店を開きたいんだけど、勝手に使っていいものか、ずっと迷っていてね。徳を使って、聞いてみようかと考えたのさ」
「ああ」と、モモコはうなずいた。転生して彼岸から去った人の思いを聞くには、それまで貯めていた徳を使うことになる。モモコはまだ担当したことがないが、手紙となって届くらしい。
「だけどね、マキとベニに相談したらさ、怒られちゃって」
「お二人は、何て?」
「『そんなことで徳を使っちゃ駄目だ』って。二人揃って大反対。『開店したら何があるかわからないんだから、徳は取っておきな』ってね」
「優しいですね」
「そうだねえ」
モモコは手帳を開いた。
「そういえば、火曜日はマキさんのおうちへ行ったんですよね?」
「ああ。あの日は店に来る職人さんが急に遅れることになって、時間が空いたんだ。マキが夜勤で疲れてるだろうと思って、差し入れを持っていったのさ」
「前から約束してたんですか?」
「ううん。思いつき。十時ちょっと前に行って、十一時ごろまでいたかな」
「その間に、アヤさんが配達に来た?」
「来たよ。私とマキが話してたら、会釈して郵便受けにハガキを入れていった。礼儀正しい子だねえ」
「そのハガキ、見ましたか?」
「ちょっとだけね」
モモコは鉛筆を止めた。
「ちょっとだけ?」
「アヤさんが行ったあと、マキがポストを開けたんだよ。あの狐の尻尾の飾りを引っ張ってね。変わったポストだと思って見ていたら、封筒がちらっと見えたのさ」
「どんな封筒ですか?」
「それがね、見覚えのある印が押してあったんだ」
「印?」
「徳を使って、転生した人から言葉を受け取るときの印だよ。封筒に赤い印がつくんだ。私も昔、一度だけ見たことがあってね」
モモコは目を見開いた。
徳を使って届く手紙。
まさか。
「その手紙、誰宛てだったんですか?」
「そこまでは見なかったよ。マキがすぐしまっちまったから」
「何か言っていました?」
「宛名が違うみたいだって。郵便屋さんが間違えて届けたんだろうってさ」
チヨは、困ったように笑った。
「それなら郵便局に返してやりなよ、って言ったんだ。マキは、自分で連絡するから大丈夫って言ってたけどね」
「そうだったんですか……」
「でも、ちょっと気になってね。あんな印のある手紙、そうそう届くものじゃないだろう? 間違えた配達員さんも、叱られたりしなきゃいいけど」
モモコの耳が、ぴんと立った。
「チヨさん、そのお話、ほかの誰かにしました?」
「マキには、あとで郵便局に確かめてもいいかいって聞いたよ。そしたら、私たちが連絡するから大丈夫だって」
「私たち?」
「マキとベニさ。ご近所同士、仲がいいからねえ」
チヨは首を傾げた。
「それが何か?」
「いえ……気になって」
チヨが首を傾げると、モモコは慌てて話題を変えた。
「お店が開いたら、私も食べに来ていいですか?」
「もちろん。たくさん食べておくれ」
「私、オトオシが食べたいです」
「なに言ってんのさ。うちはお通しなしの、定食屋だよ。ごはんとおかずとお味噌汁を、がっつり食べなさいな」

「『またね亭』かい。いい名前だねえ」
リンゴは湯飲みに口をつけた。
「何か、わかりましたか?」
「少しね。モモコちゃん、徳を使って転生した人からメッセージを受け取るとき、それも手紙で届くって知ってるね?」
「はい。徳を使った本人宛てに、普通郵便の封書で届きます。封筒には、特別な印がつくそうです」
「そう。その印があれば、徳を使って届いた手紙だとわかる。でも、誰が誰に何を聞いたかまでは、封筒の外からはわからない」
モモコはうなずいた。
「それで、チヨさんは印を見たんですね」
「うん。ところがマキさんは、その手紙が誤配されたものだと言った」
「そうなんです」
「でも、モモコちゃん。マキさんはお前さんに、いつ手紙を取り込んだと言っていたかな?」
モモコは手帳をめくった。
「チヨさんが帰って、すぐ……あっ!」
尻尾が勢いよく跳ね上がる。
「チヨさんは、マキさんがポストを開けたところを見ているんです!」
「そういうことだねえ」
「じゃあ、マキさんは嘘をついてたんですか?」
「少なくとも、二人の話は食い違っている。しかも、マキさんが隠したがったのは、手紙を取り込んだ時刻だけじゃなさそうだ」
「徳の手紙……」
「そう。チヨさんは徳を使いたかった。でもマキさんとベニさんに止められた。そこで、ちょっと考えてみよう」
リンゴは眼鏡を持ち上げた。
「友達思いの二人のことだ。チヨさんを止めたものの、彼女の願いを叶えてやりたいと思ったんじゃないかね?」
「お師匠様に、『またね亭』を使っていいか聞きたいってことですか」
「だいぶ勘がよくなったじゃないか、ワトソン君」
「えへへ」
「もし二人がチヨさんの代わりに徳を使っていたなら、なぜそのことを隠す必要があったんだろうねえ」
モモコは少し考えた。
「チヨさん、きっと気にしちゃうからですか?」
「そうかもしれない。では、どうやってチヨさんに手紙を渡そうとしたのか。そこが気になるねえ」
「ハル主任……」
「うん。月曜日の夜、マキさんとベニさんはハルさんに会っていた」
リンゴはまた、手帳に指示を書く。
「郵便局でもう少し調べておいで。それと、アヤさん本人にもね。火曜日に届けた封筒が、誰宛てだったのか」
「はい!」
「それから、もうひとつ。水曜日の午前中、マキさんとベニさんが何をしていたのかも、できれば確かめておくれ」
「わかりました!」
モモコは勢いよく立ち上がった。
「ワトソンクン、行ってまいります!」

次に公園へ戻ったモモコは、いつになく神妙な顔をしていた。
「リンゴおばあちゃん。おかしなこと、わかりました」
「おや。聞かせとくれ」
モモコはこくりとうなずき、手帳を開いた。
「まず、アヤさんの話です」
「うん」
「火曜日、マキさんのお宅に届けたのは、マキさん宛ての封書だったそうです。しかも、封筒に徳の印があったことも覚えていました」
「ほう」
「印が珍しいから、宛名をもう一度確認してからポストに入れたって」
リンゴは静かにうなずいた。
「つまり、アヤさんの記憶が正しければ、マキさんが『宛名違いの手紙が届いた』とチヨさんに説明したのは嘘になるねえ」
「はい。それから、ハル主任のことも調べてみました」
「何かわかったかい?」
「仕分け場の記録では、火曜日のマキさん宛ての郵便に、仕分けの間違いは見つかっていません。ハル主任も、そのように報告しています」
「なるほど」
「それと、もう一つ」
モモコは鞄から一枚の写真を取り出した。
「別の内勤局員さんが、水曜日の午前十一時十五分に仕分け場を撮った写真を見せてくれたんです。配置を記録するためのもので、窓口の方も写っていたんですが……」
写真をリンゴに向け、モモコは指を差す。
「マキさんと、ベニさん、ハル主任が写ってるんです」
リンゴがのぞき込むと、仕分け場を映した写真に、二人の姿があった。
ハルは入口の近くで、廊下を見張っているように見える。
「モモコちゃん、この写真は水曜日の午前十一時十五分に撮られたって言ったね」
「はい」
「ベニさんが、リビングでアヤさんを目撃したと主張した時間だ」
「そうなんです!」
モモコは身を乗り出した。
「ベニさんは郵便局にいたのに、どうして家でアヤさんを見たって言ったんでしょう?」
リンゴは眼鏡の縁をとんとんと叩いた。
脳内で点と点をたぐりよせ、一本の線にしていく作業だ。
火曜日、チヨは徳の手紙を見た。
マキは、誤配だと説明した。
水曜日、マキとベニはハルに会っていた。
そして、その日の夕方、二人は揃ってアヤの誤配を訴えた。
これまでの話が正しいとすれば、単なる二件の誤配ではなさそうだ。
「モモコちゃん。あと一つ、聞いておきたいことがあるよ」
「なんでしょう?」
「チヨさんは、あの徳の手紙が誰からのものか、知っているのかい?」
「いいえ。印を見ただけで、宛名も差出人も知らないそうです」
「そうかい」
リンゴは、ゆっくりとうなずいた。
「では、皆さんに来てもらおうかね」
「皆さん?」
「マキさん、ベニさん、ハル主任、アヤさん。それからチヨさんも。この公園へ呼んでもらえるかい?」
「全員ですか!」
「解決編ってやつだよ。ワトソン君」
モモコは立ち上がった。
「わかりました。ワトソンクン、全員にお声がけしてきます!」

翌日の午後、公園には、いつもより多くの椅子が並んでいた。
チヨが大きな身体を折り畳み椅子に収め、マキとベニがその両脇に座っている。白鳩のアヤは、赤い配達帽を膝に置いていた。
少し離れたところに、紫の帽子の白鳩が立っている。仕分け主任のハルだった。
リンゴは、いつものベンチに腰掛けたまま、一同を見渡した。
「お集まりいただいて、ありがとうねえ。来てもらったのはほかでもない、アヤさんの誤配疑惑の話だね」
マキは腕を組んだ。ベニは頬に手を当てて立っている。
「まず、火曜日にはマキさんの家、水曜日にはベニさんの家に、違う宛名の手紙が届いた。そういう苦情だったね」
「そうよ」
ベニが静かに答えた。
「じゃあ、順番に確かめていこうか。火曜日、マキさんは玄関先でチヨさんと話していた。その時に、アヤさんが配達に来た。これは、間違いないね」
マキとチヨは首を縦に振る。少し遅れて、アヤもこくりと小さくうなずいた。
「マキさん。その手紙をポストから取り出したのは、いつだったかね?」
「……チヨが帰ったあとよ」
「そう言っていたねえ」
リンゴはチヨを見た。
「チヨさんは、どうだったかね?」
「あたしは、マキがポストを開けたところを見たよ」
「……えっ」
マキの声が上ずった。
「狐の尻尾を引っ張ってね。かわいいポストだから、覚えてるさ」
チヨは少し困ったように笑った。
「それに、あの赤い印が気になってねえ」
リンゴはマキへ視線を戻した。
「チヨさんが帰ってから取り込んだというのは、どういうことなんだい?」
「……勘違いしたのよ。火曜日は寝不足だったし」
「そうかい。勘違いだったのかもしれないねえ」
リンゴは、すぐには追及しなかった。
「じゃあ、もう一つ。チヨさんは、マキさんに『宛名が違う手紙が届いた』と聞いたそうだね」
「……そうよ」
「アヤさん。あの日、どんな手紙を届けたか覚えているかい?」
アヤは帽子を握り直した。
「はい。徳の印がある、マキさん宛ての封書でした」
「宛名は確認したかい?」
「ええ。珍しい印のある封書だったので、いつもより注意して確認しました。マキさん宛てで間違いありません」
「でも、マキさんは宛名が違うと言っている」
リンゴは一同を見渡した。
「どちらかの記憶が違っているのか。それとも、どちらかが嘘をついているのか」
マキは口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。
「それと、もう一つ」
リンゴはモモコに視線を移した。
「ワトソン君、写真を」
「はい、先生!」
モモコが写真を掲げた。
「これは水曜日の十一時十五分、郵便局の仕分け場で撮られたものです」
ベニの顔色が変わった。
リンゴは、その表情を見逃さなかった。
「ベニさん。お前さんはこの時間、家の窓からアヤさんの配達を見ていたと言ったね」
「……ええ」
「でも、写真の奥に写っているのは、あんただ。マキさんも、ハルさんもいる。受付の記録でも、お前さんたちは水曜日の午前中にハルさんを訪ねていたそうじゃないか」
ベニは、唇を噛んでリンゴを見つめる。
「……時間を、間違えたのかもしれないわ」
「そういうこともあるだろうねえ。でも、これだけは教えておくれ」
リンゴは、少しだけ身を乗り出した。
「火曜日の手紙も、水曜日の手紙も、お前さんたちは配達の瞬間を見たと言っている。でも、なぜか二人とも、肝心の宛名を確認した話になると曖昧になる。おまけに、二人が郵便局で会っていたのは、苦情を申し立てる前のことだ」
ハルは俯いたまま、じっとしている。
「ハルさん。水曜日、お前さんは二人と何をしていたんだい?」
「……」
「月曜日の夜にも、スナックまゆつばで二人に会っていたそうじゃないか。何か紙を見ながら、『そこまでして、あの子に渡したいのか』と話していたそうだね」
ハルの白い羽が、かすかに揺れた。
「その『あの子』というのは、チヨさんのことじゃないのかい?」
チヨが顔を上げた。
「……私?」
リンゴは、ゆっくりとうなずいた。
「チヨさん。あんたは、自分の店の名前を『またね亭』にしようかどうか、迷っているね?」
「ええ。師匠のやっていた店だから、勝手につけていいものか……」
「そして、転生した師匠に聞いてみようと思った。でも、徳を使うことをマキさんとベニさんに止められた」
「そうよ」
「その二人が、月曜日の夜、郵便局の主任と会っていた。火曜日には、徳の印がついた手紙がマキさんの家に届いた」
リンゴは、そこで一度言葉を切った。
「ここからは、あたしの推測だよ」
マキが、はっと顔を上げる。
「二人は、チヨさんの代わりに徳を使ったんじゃないのかい?」
「……!」
チヨが息をのんだ。
「そして、恩師の返事を受け取った。でも、チヨさんにそのまま渡したら、二人が徳を使ったことを知られてしまう」
リンゴはハルを見た。
「そこで郵便局の主任に相談した。手紙を、昔の保管郵便に見せかけて届けることはできないか、とね」
「……そのとおりです」
ハルが小さく答えた。
公園が、しんと静まり返った。
「私が、引き受けました」
ハルは帽子を脱いだ。
「二人は、すでに自分たちの徳を使っていました。チヨさんが心配で、どうしても答えを聞かせたかったそうです。でも、チヨさんには徳を使ったことを知られたくないと」
「それで、どうしたんだい?」
「徳を使って届いた返事を、昔の保管郵便に見せかけることにしました。私は郵便局で、古い封筒や保管郵便の書式を扱えますから」
ハルの声が震える。
「手紙自体は本物です。お師匠様からの返事に間違いありません。ただ、その届き方を偽ろうとしたんです」
「なるほどねえ」
リンゴは静かにうなずいた。
「火曜日に手紙が届いたら、マキさんがお前さんのところへ持ってくる。そこで封筒を入れ替えて、昔の手紙としてチヨさんへ届ける。そういう計画だったんだね?」
「はい」
「でも、予定が狂った」
リンゴは、マキを見た。
「チヨさんが、突然訪ねてきたから」
マキの肩が、びくりと動いた。
「……そうよ」
ようやく、マキが口を開いた。
「チヨが来るなんて、思ってなかった。アヤさんが配達に来たとき、私は何も考えずにポストを開けちゃったの」
マキは膝の上で手を握った。
「チヨが、徳の印に気づいた。それで、とっさに『宛名が違うみたい』って」
「その場をごまかそうとしたんだね」
「……うん」
「けれど、チヨさんは郵便局に確かめようとした」
「そうなの。アヤさんが叱られたりしたら気の毒だって。でも、確かめられたら、アヤさんが届けたのは私宛ての手紙だったってわかっちゃう」
マキの声が細くなった。
「だから、私たちから郵便局に連絡しておくって答えたの」
リンゴは静かに聞いている。
「そこから、話が大きくなっちゃった」
ベニが、顔を上げた。
「私が言ったの。どうせなら、本当に誤配があったことにしてしまおうって」
「ベニ……」
チヨは、呆然と二人を見つめた。
ベニは唇を噛んだ。
「火曜日の手紙は、本当はマキ宛てだった。でも、私宛ての手紙がマキの家に届いたことにしようと考えたの」
「そして、水曜日にも?」
「……ええ」
ベニはうつむいた。
「一件だけだと、アヤさんが『そんなことはなかった』と言えば、それで終わってしまうかもしれない。だから、もう一件。今度はマキ宛ての普通の手紙を私の家に持ってきて、逆方向にも誤配があったことにしようと」
「それで二人揃って、郵便局に苦情を入れたんだね」
「はい……」
「でも、そもそもアヤさんは間違えていなかった」
リンゴの声が、少し厳しくなった。
「水曜日の十一時十五分、ベニさんはハルさんに会っていた。アヤさんの配達を、家の窓から見られるはずがない」
ベニの目から、涙がこぼれた。
「……いつもアヤさんが来るくらいの時間だったから、そう言えば自然だと思ったの。私たちが郵便局にいた時間と重なっているなんて、考えてなかった」
「では、二件目は完全な作り話だったんだね」
「……はい」
マキも、俯いたまま言った。
「火曜日の手紙は、いったんベニに渡したことにした。水曜日の手紙は、私に届いた普通郵便をベニに預けた。それで、お互いに手紙を届け合ったことにしたの」
「実際には、アヤさんはどちらの郵便も、正しい宛先に届けていた」
「……そうです」
ハルが、小さく答えた。
「私も、二人を止めませんでした。仕分けの記録に間違いはありませんでしたから、アヤさんへの疑いが強くなることはわかっていたのに」
リンゴは三人を順番に見た。
「自分たちが徳を使うのは、お前さんたちの自由だよ。でもね」
ゆっくりと、言葉を続ける。
「アヤさんの信用は、お前さんたちのものじゃない。」
マキとベニは、揃って頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
アヤはすぐには答えなかった。
しばらくして、帽子のつばをそっと撫でた。
「……私は、何度も間違えてないって言いました。それなのに、だんだん自分を信じられなくなって」
「ごめんなさい……」
マキは、うつむいたままアヤに謝罪の言葉を繰り返す。美しい銀色の髪が、ふわりと揺れた。
ハルも頭を下げた。
「アヤさん、本当に申し訳ありません。私は郵便局員として、やってはいけないことをしました」
アヤの白い翼が、ふるふると震えている。
やがて、ぐっと顔を上げて三人の顔を見渡し、言葉を紡いだ。
「あなたたちのやったことは、許せないかもしれない。でも、誰かに何かを届けたいと思う気持ちを、悪いことだとは思えない」
アヤはひと息ついて、言葉を続けた。
「でも、飲み込みます。私を信じて、走り回ってくれたモモコちゃんと、解決してくれたリンゴおばあちゃんに免じて」
モモコも俯いていた。三人に対して、怒りを爆発させないよう、必死に拳を握っている。
アヤは帽子をかぶって羽を広げ、モモコの肩に飛び乗った。
「ほら、どうどう。モモコちゃんが私より怒ってるから、毒気が抜けちゃったじゃない。はい、深呼吸して。すー、はー」
「すー、はー」
アヤの声に従い、モモコは深呼吸をした。落ち着きを取り戻してきたのか、肩の震えが徐々に止まってきている。
アヤは、ふっとため息をついて、リンゴを見た。
「リンゴおばあちゃん、ありがとう。あとは任せてもいいかな。配達に戻らなきゃ」
「ふふふ、お任せよ」
リンゴが微笑むと、クルッポー、とひと言鳴き、アヤはパタパタと飛んでいった。
「さてさて」
リンゴは、チヨへ顔を向けた。
「チヨさん。まだ聞きたいことがあるだろうねえ」
チヨは、二人を見た。
「あんたたち、徳を使っちゃったのかい……」
マキは、目元に涙を浮かべながら、顔を上げた。
「あんた、ずっと気にしてたじゃない。あの人が『またね亭』を継ぐのを喜ぶかどうか」
「……ばか」
チヨは大きな手で顔を覆った。
「アヤさんを傷つけてまで、私が知りたいと思ったのかい。あんたたちの徳を使ってまで、私が知りたいと思ったのかい」
しばらく誰も口を開かなかった。
「マキさん、ベニさん。渡したかった手紙は、チヨさんに渡したのかい」
リンゴが尋ねると、マキとベニは顔を見合わせた。
ハルが、小さくうなずく。
「封筒だけは、予定どおり作り替えました。昔の保管郵便に見せかけたものです」
ベニは、鞄から一通の封筒を取り出した。
「でも……結局、渡せなかった」
リンゴは、チヨを見た。
「チヨさん、どうするね。受け取るも、受け取らないも、あんたの自由だよ」
チヨは涙を拭うと、二人の目を交互に見た。そして、封筒に手を伸ばした。
「受け取るよ。でもね、店の名前は、自分で決める」
そう言うと、チヨはマキとベニを抱き寄せた。
「アヤさんを傷つけたのも、あんたたちの徳を使わせたのも、あたしが優柔不断だったからだ」
チヨは、体を震わせている。
大柄なチヨにくるまれ、姿は見えないが、マキとベニの泣き声がはっきりと聞こえる。
リンゴとモモコは、静かにその姿を見守るのだった。

日が傾くころには、公園はいつもの静けさを取り戻していた。
モモコはリンゴの隣で、冷めたお茶を見つめている。
「リンゴおばあちゃん。私、ちょっと不思議でした」
「何がだい?」
「マキさんもベニさんも、チヨさんが大好きなんですよね。ハル主任も。それなのに、アヤさんにひどいことをしちゃうなんて」
「そうだねえ」
リンゴは頷いた。
「誰かを喜ばせたい気持ちと、ほかの誰かを傷つけてはいけないことは、別の話だね」
「……はい」
「それに、心配だからって、相手の代わりに何もかも決めていいわけじゃない」
モモコは、少しだけ考えた。
「そういえばチヨさん。お店の名前は『またね亭』にするって言ってました」
「んっふっふ。そうだろうねえ」
「あれ? 知ってました?」
「ううん、知らないよ。でも、そうすると思っていた。実はあたしは先代のまたね亭と茶飲み友達でね。チヨさんの話をよく聞いていた。ヤツは言葉足らずでねえ。好きなようにやれって言えばいいのに、チヨさんにはなかなか素直に言えなかったみたいでさ」
「え?」
「でも、きっとチヨさんは最終的には自分で決める。そう信じてた。だからあたしは、チヨさんが『またね亭』にしたい、と思っているなら、最終的にはそうするんだろうな、と思っていたんだよ」
「最後まで、名探偵……」
「んっふっふー、リンゴばあちゃんも、捨てたもんじゃないだろう?」
「一緒に行きましょうね! チヨさん、看板ができたら教えてくれるって」
「もちろんさ」
「ワトソンクンが、ご案内します!」
リンゴは笑った。
「ただし、最初のひと口はお前さんにお願いしようかね」
「えっ、どうしてですか?」
「お師匠さんの味まで、ちゃんと受け継げているか、確かめてもらいたいからねえ」
「そんな大役、私でいいんですか?」
「お前さんなら、遠慮せずに『おいしい』って言えるだろう?」
モモコは胸を張った。
「任せてください!」
第六黄泉比良坂ペデストリアンデッキの向こうで、雲海が淡く光っていた。
今度は、誰がやって来るだろう。
リンゴは湯飲みに新しいお茶を注いだ。
あとがき
久々の長編を書きました。
この物語は、赤髪のあかりちゃんが主催しているこちらの企画への参加小説です。
今回は、最近僕自身が作っている小説およびゲームのスピンオフとして作りました。
もし、ほかの作品も気になったら、ぜひ読んでくれたらうれしいです。
ゲームの話
創作小説
あわてんぼうな郵便配達員
ぶっきらぼうなサンタクロース
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