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『むンビゞブルフレヌム』The Frame Is Set──フレヌムは死なない

    📢 本線を読む前に
    この物語は、小説『゜シオパスフレヌム』の続線にあたり、ミステリヌ小説「寅子、若き日の䞀篇」シリヌズ〈癜石茝道線〉の完結線です。

    前䜜『゜シオパスフレヌム』の最埌、亡き父・正が残した手蚘を読み終えた真理ず寅子は、倧孊の䞭庭で、ひず぀の決意を亀わしたした。

    怪物・癜石茝道ずいう男の茪郭を、い぀か法廷の堎ぞ匕きずり出すたで、远い続けるこず。

    それから、数か月。

    二人は倧孊生掻を送りながら、癜石ず぀ながる犏祉法人「ひかりの窓」を、倖偎から静かに远い続けおいたす。

    癜石自身は、ほずんど姿を芋せたせん。

    それでも、圌が残した蚀葉や考え方は、人から人ぞ、組織から組織ぞず堎所を倉えながら、少しず぀広がり始めおいたす。

    本䜜からでも物語の流れを远えるように構成しおいたすが、シリヌズ完結線ずいう性栌䞊、前䜜『゜シオパスフレヌム』を先にお読みいただくず、登堎人物たちが抱えおいるものや、物語の奥にある「フレヌム」が、より立䜓的に芋えおくるず思いたす。

    たた、前日譚『゜シオパスフレヌム・れロ』では、癜石茝道ずいう人間が、どのように生たれおいったのかを描いおいたす。

    🔗 前䜜『゜シオパスフレヌム』はこちら

    🔗 前日譚『゜シオパスフレヌム・れロ』はこちら

    🔗 ミステリヌ小説『寅子シリヌズ』たずめはこちら

    そしお――

    癜石茝道をめぐる物語は、本䜜で完結したす。

    『むンビゞブルフレヌムThe Frame Is Set』予告動画はこちらから

    ⚠ お読みいただく前に
    本䜜は完党なフィクションであり、実圚の人物・団䜓・事件等ずは䞀切関係ありたせん。
    䜜䞭には、情報操䜜、ネット䞊の誹謗䞭傷、殺人、ひき逃げ、近しい人物の死などを扱う堎面がありたす。
    読者の方によっおは、心理的な負担を感じる可胜性がありたす。どうかご自身の状態を最優先に、無理のない範囲でお読みください。

    👀『むンビゞブルフレヌム』登堎人物解説

    癜石 茝道しらいし・おるみち
    姿をほずんど芋せない男。
    それでも、圌が残した蚀葉ず考え方は、人から人ぞ、組織から組織ぞず、静かに堎所を倉えながら生き続けおいる。
    誰も呜じおいない。 誰の手も汚れおいない。
    それでも、䜕かが動いおいる。

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    源 寅子みなもず・ずらこ
    祖父・久兵衛の遺志を継ぎ、癜石茝道を远う倧孊生。
    人差し指ず芪指で぀くる、小さな四角。 幌い頃、祖父に教わった「おたじない」。
    芋たいものだけが、真ん䞭にくる。
    今床、その四角の䞭に入るものは䜕なのか。

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    宮歊 真理みやたけ・たり
    亡き父・正が残した手蚘を受け継ぎ、寅子ずずもに癜石を远う。
    父が最埌たで蟿り着けなかった堎所ぞ、自分なら蟿り着けるのか。
    そしお、知るこずず、理解するこずは、本圓に同じなのか。

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    å¹³ ひずしたいら・ひずし
    真理の倧孊の先茩で、攟送局KHJの映像技術者。
    暗闇に䜕も芋えなくおも、そこに情報が残っおいないずは限らない。
    誰も気づかなかった痕跡を、映像の奥から拟い䞊げるのが圌の仕事。
    そしお寅子ずは、なぜか出䌚ったその日から、劙に銬が合わない。

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    䞹波 誠䞀郎たんば・せいいちろう
    教誚垫。
    正が生前、長く取材を続けおいた人物の䞀人。
    正の死埌も宮歊家を気にかけ、今では寅子ず真理にずっおも、調査に぀いお盞談できる数少ない倧人になっおいる。
    穏やかで、誠実で、決しお声を荒らげない男。

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    柏朚 悠人かしわぎ・はやず
    「ひかりの未来基金」改め、「ひかりの窓」代衚。
    癜石から受け継いだ蚀葉を掲げながら、犏祉の䞖界から、少しず぀別の堎所ぞず足堎を広げ始めおいる。
    圌は、癜石の埌継者なのか。

    それずも――。

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    神代 由玀子かみしろ・ゆきこ
    珟職郜知事。
    「垂民の声に耳を傟ける政治」を掲げ、高い支持を集めおきた。
    善意ず正しさを信じる、ごく普通の政治家。
    だからこそ、その呚囲では、圌女自身にも芋えない䜕かが、少しず぀動き始めおいる。

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    【📖本線】むンビゞブルフレヌムThe Frame Is Set

    序章 フレヌムの䞭の郜垂


    倧孊の生協食堂で、寅子はスマヌトフォンの画面を芋぀めたたた、味噌汁の怀に手を䌞ばしかけお、止めた。昌時の食堂は、い぀も通り賑やかだった。唐揚げ定食の列が、レゞたで䌞びおいる。寅子は、その喧隒がわりず奜きだった。

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    〈郜知事、孊歎詐称か〉

    芋出しの䞋に、郜知事・神代由玀子の顔写真が倧きく貌られおいた。四幎前の圓遞䌚芋で芋た、あの人奜きのする笑顔のたただった。蚘事によれば、神代が公衚しおいた出身倧孊の卒業名簿に、その名前が存圚しないずいう。地方の私倧の事務局が、問い合わせに察しお「該圓者なし」ず回答した、ずいう䞀文が、蚘事の䞭ほどに淡々ず蚘されおいた。

    寅子はその蚘事を、䞉床読み返した。

    「え、これ、盛倧にやらかしおない」

    思わず声に出た。同じテヌブルの孊生が、ちらりずこちらを芋た。寅子は悪びれもせず、そのたたスマヌトフォンを真理の方に向けた。

    「芋お芋お、これ」

    向かいの垭で、真理がノヌトパ゜コンの画面を芗き蟌んでいた。トレンドワヌドの掚移を远う、無料の分析ツヌルだった。「孊歎詐称」ずいうワヌドの折れ線は、この二時間でほが垂盎に立ち䞊がっおいる。

    「もう、拡散が始たっおる」

    真理はそう蚀っお、スマヌトフォンをテヌブルに眮いた。

    「柏朚が動く、ず思う」

    寅子が聞くず、真理は頷いた。迷いのない頷きだった。

    「動かないわけがない。郜知事の目玉政策は『郜民参加型ガバナンス』。その実行団䜓が、ひかりの窓でしょう。郜知事が倱脚すれば、政策ごず吹き飛ぶ。ひかりの窓の、郜政の䞭での足堎も」

    あの手蚘を読み終えた朝、寅子ず真理は、倧孊の䞭庭で決めたこずがあった。
    癜石茝道ずいう男の茪郭を、法廷の堎に匕きずり出すたで、远い続けるず。それから数か月、二人は柏朚悠人ずいう男を、倧孊の講矩の合間を瞫っお、静かに芋匵り続けおきた。

    「ひかりの未来基金」は、韍厎の倱脚ず死をきっかけに解䜓され、柏朚を代衚ずする新しい犏祉法人ぞず、぀い先ごろ生たれ倉わったばかりだった。
    その名を、「ひかりの窓」ずいった。組織の名前も、看板も倉わっおいたが、掻動拠点にしおいる建物は、韍厎の時代からそのたた匕き継がれおいた。先月、その䞀぀を倖から確認しに行った時、寅子は玄関の庇の䞋に、型の叀い防犯カメラが今も蚭眮されおいるのを芋぀けおいた。
    塗装が色耪せ、レンズの瞁に埃が積もっおいる。看板だけを塗り替えお、䞭身は䜕䞀぀曎新されおいない——そのちぐはぐさが、劙に印象に残っおいた。

    団䜓の理念を語るホヌムペヌゞの文章には、正の手蚘で読んだあの文蚀ず、ほずんど同じ響きが残っおいた。

    「ここは、誰も吊定されない堎所です」

    柏朚は、癜石から受け継いだ蚀葉づかいを、そのたた看板ずしお掲げおいた。
    代衚の欄には、堂々ず柏朚悠人の名前があった。もう隠す必芁すらない、ずいうように。癜石茝道の名前だけは、どこにも出おこなかった。出おこないこずこそが、答えだった。

    「郜民参加型ガバナンス」ずいう蚀葉が、郜の広報資料に初めお登堎したのは、ひかりの窓が発足しおたもなくのこずだった。垂民の声を政策に反映させる新しい仕組み、ずいう觊れ蟌みで、窓口ずしお名前が挙がっおいたのが、ひかりの窓だった。その資料を芋぀けた倜、寅子は正の手蚘のある䞀節を思い出しおいた。

    〈誰も呜什しない。誰も匷制しない。ただ、空気が倉わる。それだけで、人間は動く〉

    あの蚀葉が、個人ではなく、郜垂そのものに向けお䜿われおいる。そう感じた瞬間の寒気を、寅子は今でも芚えおいる。

    真理は、この数か月の監芖の䞭で、ほずんど寅子の前でだけは、感情を芋せた。最初の頃は、柏朚の欺瞞を芋぀けるたびに、静かに怒りを芋せた。唇を結び、テヌブルの䞋で拳を握る。その拳を、寅子は䜕床も芋おきた。だが最近は、その怒りの色が薄くなっおいる気がした。代わりに、真理の䞭には、劙に凪いだ静けさがあった。氎面は動かない。けれど、その䞋で䜕が流れおいるのか、寅子には分からなかった。

    「行こうか」

    真理の声で、寅子は我に返った。次の講矩の時間だった。

    食堂を出るず、キャンパスの䞭庭には、い぀もず倉わらない昌䞋がりの喧隒があった。孊生たちが芝生に座り、笑い合っおいた。誰も、今朝のニュヌスのこずなど気にしおいないように芋えた。この孊生たちのうちの䜕人が、今日䞀日のうちに、ひかりの窓が発信するどれかの蚀葉に觊れるのだろう。觊れたこずにすら気づかないたた。

    この数か月、寅子ず真理は、柏朚を盎接告発する材料を、ただ䜕䞀぀握れおいなかった。代わりにやっおきたのは、地道な情報の受け枡しだった。知り合いの蚘者に、匿名で資料を枡す。郜議䌚関係者に、それずなく疑問を吹き蟌む。誰も名乗らず、誰も呜什せず、ただ小さな違和感を、然るべき堎所に眮いおいく。それだけで、いずれ倧きな流れになる——そう信じお、二人はここたでやっおきた。

    先週も、真理は、真理のゞャヌナリズム研究䌚の先茩が玹介しおくれた、経枈誌の蚘者ず、駅前の喫茶店で䌚っおいた。資料は、印刷したものを、封筒に入れお枡した。デヌタで送れば、送信元が蟿られる可胜性がある。真理は、そこたで慎重だった。

    「これ、どこから」

    蚘者が聞くず、真理は、い぀もの決たり文句を返した。

    「蚀えたせん。でも、内容は、確かめおもらえれば分かるはずです」

    蚘者は、それ以䞊、深く远及しなかった。匿名の情報提䟛者を、無理に特定しないのが、この業界の暗黙のルヌルだった。その暗黙のルヌルを、寅子ず真理は、最倧限に利甚しおいた。

    その手口が、正の手蚘に曞かれおいた癜石のやり方ず、驚くほど近いこずに、寅子は最近になっお気づいおいた。

    寅子は、人差し指ず芪指で、小さな四角を぀くった。指先が、い぀もより冷たかった。空調のせいか、それずも別の理由か。幌い頃、祖父の久兵衛に教わったおたじないだった。芋たいものだけが、真ん䞭にくる。
    あの日も、寅子はこうしお指で枠を䜜り、遠くにいる祖父を芗いおいた。匏兞の䌚堎だった。四角の䞭に玍めた祖父のもずに、䞀人の女性が駆け寄るのが芋えた。䜕が起きたのか、その時の寅子には分からなかった。悲鳎。人々のざわめき。誰かに抱き䞊げられ、芖界から匷匕に匕き離された感芚。八幎経った今も、このポヌズを䜜るたびに、寅子の䞭でその蚘憶がわずかに疌く。だが、その疌きは、もう痛みずいうより、確かめるための儀匏に近かった。

    四角の䞭に、今、郜知事の顔が入っおいた。その背埌に、柏朚の——そしお、ただ姿の芋えない癜石の気配が、透けお芋える気がした。

    寅子は手を䞋ろした。

    「真理ちゃん」

    「うん」

    「私たちがやろうずしおいるこず、あの人たちず同じにならない」

    真理は、䞀瞬だけ動きを止めた。その䞀瞬が、寅子には少し長く感じられた。䞭庭を枡る颚が、真理の前髪を軜く揺らした。真理はそれを払いもせず、芖線を遠くの芝生に向けたたた、それから、い぀もの静かな笑みを浮かべた。

    「ならないよ」

    「なんで、そう蚀い切れるの」

    「ただ、䜕もやっおないから」

    その答えに、寅子は少しだけ安堵した。だが、答えを口にした埌の真理の暪顔――笑みの圢を保ったたた、目だけがどこか別の堎所を芋おいるような、その埮劙な静止に、寅子は蚀葉にならない違和感を芚えた。ただ、ずいう蚀葉が、たるで䜕かの予告のように、寅子の耳の奥に残った。

    もう䞀぀、寅子の頭の隅に、時々ふっず顔を出すものがあった。

    䞹波誠䞀郎ずいう名前だった。

    正の手蚘を読み終えた朝、寅子はある考えを、䞀床だけ、はっきりず蚀葉にしたこずがあった。䞹波が毎回、正の取材に応じ続けた理由は、信頌ではなく、芳察だったのではないか、ず。

    蚌拠は、䜕もなかった。それに、ず寅子は思う。疑っおばかりいたら、きっず身が持たない。
    䞹波さんは、真理にずっお、数少ない頌れる倧人だ。考えすぎ、考えすぎ。寅子は胞の内でそう呟くず、ぶるぶるず銖を振っお、その圱を远い払った。

    深く考え蟌むのは、寅子の柄ではなかった。

    講矩棟ぞず続く道の途䞭、ゞャヌナリズム研究䌚の掲瀺板の前で、二人は足を止めた。
    新歓シヌズンの名残で、ただ掻動報告のポスタヌが貌られたたたになっおいた。

    「今幎、OBの人が講挔に来るっお」

    真理が、ポスタヌの隅を指さした。指先が、䞀瞬だけ止たった。

    「KHJに就職した人らしい。映像線集の話をしおくれるっお」

    真理の声は、い぀もず倉わらない調子を装っおいた。だが、寅子はその䞀瞬の間の意味に気づかないたた、話を聞き流しおいた。

    平ひずし、ずいう、少し倉わった名前だった。

    第䞀章 庭の埌継者


    講挔䌚は、講矩棟の地䞋にある芖聎芚宀で行われた。窓のない郚屋特有の、換気の悪い空気が、開挔前からすでに挂っおいた。
    集たった孊生は二十人ほど。真理は前から二列目に座り、開挔前からノヌトを開いおいた。寅子はその隣に、あたり乗り気ではない顔で腰を䞋ろした。映像線集の話に、それほど興味があるわけではなかった。真理に付き合っただけだった。

    登壇者が珟れた瞬間、真理の手からペンが滑り萜ちかけた。慌おお拟い盎し、䜕事もなかったような顔を぀くる。

    䞉幎ぶりだった。

    真理が入孊したばかりの春、ゞャヌナリズム研究䌚の総䌚で、䞀぀の隒動があった。同期の䞀人が、他サヌクルずの些现なトラブルをきっかけに、加工されたスクリヌンショットずずもに「盗撮をしおいた」ずSNSで名指しされ、拡散されたのだ。郚内のグルヌプチャットは、あっずいう間に、うちのサヌクルずは無関係だずいう声明を早く出すべきだ、疑わしい以䞊は本人に蟞めおもらうしかない、ずいう空気に染たっおいった。

    その空気の䞭で、圓時四幎生だったひずしだけが、声を荒げるこずなく、こう蚀った。

    「蚌拠がないなら、私たちは䜕も蚀うべきじゃない。声明を出すのは、事実を確認しおからでいい」

    その䞀蚀で、䌚堎党䜓の枩床が、少しだけ䞋がった。数日埌、問題のスクリヌンショットは加工されたものだず刀明した。もしあの時、ひずしが抌しずどめおいなければ、郚ずしお無実の同期を切り捚おる声明が、確実に出おいた。真理は、末垭で新入生ずしおその堎に居合わせおいただけだった。発蚀する立堎にはなかった。ただ、呚りの空気に流されず、感情ではなく事実だけを拠り所に蚀葉を遞んだひずしの姿は、真理の䞭に匷く残った。父が繰り返し蚀っおいた「誰かが曞かなければ、なかったこずになる」ずいう蚀葉ず、地続きの態床に芋えた。

    それから真理は、䞀床も盎接蚀葉を亀わすこずのないたた、ひずしを䞀幎近く、遠くから芋続けた。声をかける勇気はなかった。ひずしはその幎床末に卒業し、真理の存圚を知る機䌚は、䞀床もなかった。䞉幎経っお、目の前に立っおいる男は、蚘憶にあるより少し痩せお、髪型も倉わっおいた。だが、話し始める前の、あの静かな䜇たいだけは、倉わっおいなかった。

    「今日は、攟送業界の珟堎で、実際にどういう技術が䜿われおいるか、ずいう話をしたす」

    登壇した男は、背が高く、痩せおいた。県鏡の奥の目は、終始䞀点を芋おいるような、萜ち着いた光を宿しおいた。話し方に無駄がなかった。孊生受けを狙うような軜さも、業界人ぶった気取りもない。ただ、淡々ず、事実だけを積み䞊げるように話す人間だった。その話し方に、寅子はどこかで芚えがある気がした。

    ――正さんの手蚘の文䜓に、䌌おいる。

    そう思った瞬間、寅子は自分でも意倖なほど、この男に興味を持ち始めおいた。

    ひずしの話は、映像線集の基瀎から始たり、次第に、圌自身が携わった仕事の具䜓䟋に移っおいった。

    「去幎、深海の掞窟を撮圱するドキュメンタリヌの線集を手䌝いたした。光がたったく届かない堎所です。照明を焚けば生物が驚いお逃げおしたうので、ほずんど無灯に近い状態で撮るしかない。圓然、映像はただの黒い画面にしか芋えたせん」

    圌は、スクリヌンに真っ暗な静止画を映し出した。

    「ですが、シャドり郚を段階的に持ち䞊げお、ノむズを陀去する凊理を重ねおいくず――」

    画面が切り替わった。真っ暗だったはずの画面の奥に、癜い、现長い生物の茪郭が、がんやりず浮かび䞊がっおいた。䌚堎から、小さなどよめきが起きた。

    「肉県では䜕もないように芋える堎所にも、情報は残っおいたす。人間の目が『暗い』ず刀断するのず、カメラのセンサヌが『デヌタがない』ず刀断するのは、必ずしも同じではない。そこに、この仕事の面癜さがありたす」

    寅子は、い぀のたにか前のめりになっおいた。画面に映った、掞窟の奥からゆっくりず浮かび䞊がっおくる癜い茪郭を、身じろぎもせず芋぀めおいた。

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    䜕もない暗闇から、確かに存圚するものの圢が匕き出されおくる。その過皋に、寅子は匷く匕き぀けられおいた。誰も気づかない堎所に、誰かが確かに残した痕跡を芋぀け出す䜜業――それは、寅子がこの数か月やっおきたこずず、どこかで重なるものだった。隣で真理は、寅子ほど画面には集䞭しおいなかった。真理の芖線は、スクリヌンよりも、それを説明するひずしの暪顔に向いおいた。

    質疑応答の時間になり、寅子が手を挙げた。自分でも、少し驚いおいた。

    「今のお話ですが、その技術は、䜕幎も前に撮られた、画質の粗いデヌタにも䜿えるものなんですか。圧瞮率が高くお、ほずんど朰れお芋えるような叀い映像でも」

    真理が、隣で小さく寅子の方を芋た。

    ひずしは、少し間を眮いおから答えた。

    「叀い映像だず、圧瞮の癖によっお難しさが倉わりたす。デヌタそのものが粗ければ、埩元にも限界がある。ただ、保存状態さえよければ、䜕幎前のものでも、ある皋床たでは戻せたす。防犯カメラのような機材だず、逆に条件が悪いこずも倚いですが」

    圌は、そこで䞀床、芖聎芚宀の埌方に芖線を向けた。寅子の顔を確かめるように。寅子は、こくりず頷いただけだった。隣で、真理がノヌトに芖線を萜ずすのが、寅子の目の端に映った。特に䜕かを曞き蟌んでいるふうでもなかった。

    講挔が終わり、孊生たちが垰り支床を始める䞭、真理は真っ先にひずしに歩み寄っおいった。寅子は少し遅れお、その埌を぀いおいった。

    「宮歊真理ずいいたす。ゞャヌナリズム研究䌚にいたす」

    真理が、努めお明るい声で蚀った。声の裏に、䞉幎分の緊匵が薄く滲んでいた。

    「平です。平ひずし」

    その名乗り方に、迷いも、含みも䜕もなかった。真理ずいう名前にも、真理ずいう顔にも、心圓たりがたるでない人間の顔だった。少し寂しかった。けれど、それ以䞊に、圓然だず思った。あの総䌚の日、自分がどこに座っおいたかさえ、この人は芚えおいない。

    「少幎探偵ヒトシ、みたいな名前ですね」

    真理が、ぜ぀りず蚀った。䞉幎間、䞀床も口にする機䌚のなかった軜口だった。

    平ひずしは、少し呆れたように笑った。

    「あヌ、あの探偵アニメの よく蚀われたす。子䟛の頃から」

    その笑い方に、悪気のない玠盎さがあった。真理の頬が、わずかに緩んだ。

    ひずしは、そこで寅子の方に芖線を移した。

    「先ほどの質問、ありがずうございたした。孊生の方から、あそこたで突っ蟌んだ質問をもらうのは珍しいので」

    寅子が答えるより先に、真理が口を挟んだ。

    「この子、寅子っおいうんです。私の友達で」

    その玹介の仕方に、どこか急いた響きがあった。寅子はそれに気づいたが、あえお䜕も蚀わなかった。

    「あの」ず、寅子は口を挟んだ。「さっきの説明、ちょっず簡単すぎたせんでしたか」

    ひずしが、初めお寅子の方を芋た。

    「簡単、ずいうず」

    「暗所からの映像埩元っお、そんな単玔な話じゃないですよね。ノむズを陀去すれば䜕でも芋えるみたいな蚀い方、誀解を招くず思いたす」

    蚀った埌で、寅子は少し自分でも驚いた。特に反論する぀もりで発した蚀葉ではなかった。この男の萜ち着いた話し方には、蚀葉の向こうに薄い壁を䞀枚眮いおいるようなずころがあった。それが、劙に匕っかかった。

    ひずしは、県鏡の䜍眮を盎しながら、寅子を芋返した。

    「誀解を招くのは承知の䞊です。孊生盞手の䞉十分の講挔で、圧瞮比ずビットレヌトの話たでしおも、誰も芚えおいたせん。䌝えるべき芁点だけを残す。それは簡略化であっお、誀りではありたせん」

    「でも、興味を持った人が、埌で『そんなに簡単じゃなかった』っおがっかりするかもしれたせん」

    「がっかりするくらいなら、興味を持たない方がいい人です」

    その蚀い方に、寅子はかちんずきた。

    「それ、ずいぶん䞊から目線じゃないですか」

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    「事実を蚀っおいるだけです」

    真理が、二人の間で、はらはらした様子で芖線を埀埩させおいた。

    「あの、二人ずも――」

    「あなたのその話し方、いちいち断定的すぎたせん」ず、寅子は続けた。

    「あなたのその疑い方、いちいち感情的すぎたせん」ず、ひずしも匕かなかった。

    芖聎芚宀に残っおいた数人の孊生が、ちらちらずこちらを芋おいた。真理は、額に手を圓おお、小さくため息を぀いた。

    「二人ずも、初察面ですよね  」

    寅子ずひずしは、同時に真理の方を芋お、それから、ば぀が悪そうに芖線を逞らした。

    「すみたせん、぀い」ず、ひずしが、珍しく先に折れた。「初察面の盞手ずここたで議論したのは、久しぶりです」

    「私もです」ず、寅子も肩をすくめた。「でも、負けは認めおたせんから」

    「認めなくお結構です。事実は倉わりたせんので」

    「はいはい、そうですか」

    その蚀い草に、寅子はたすたすむっずしたが、なぜかもう䞀床、この男ず話したいず思っおいる自分もいた。腹立たしいのに、䞍思議な感芚だった。

    真理だけが、その二人のやりずりを芋ながら、口元にかすかな笑みを浮かべおいた。

    「先茩、今床、もう少しゆっくり話を聞かせおもらえたせんか」ず、真理が蚀った。「研究䌚の掻動で、映像の扱い方に぀いお、詳しい人の意芋が欲しくお」

    「いいですよ」ず、ひずしは頷いた。「連絡先を亀換したしょう」

    真理は、い぀もより少し急いだ手぀きでスマヌトフォンを取り出した。それに気づいたのは、この堎で寅子だけだった。

    連絡先を亀換し終えるず、ひずしは軜く䌚釈をしお、芖聎芚宀を出おいった。足音が廊䞋の向こうに消えるたで、真理はその埌ろ姿を芋送っおいた。

    「  䜕組んでるの、あんな面倒くさい人ず」

    寅子が蚀うず、真理は我に返ったように、慌おお芖線を戻した。

    「面倒くさくないよ。ちゃんず筋の通ったこず蚀っおた」

    「筋が通っおるのず、感じが悪いのは別問題でしょ」

    「寅子の方こそ、初察面でよく突っかかったね」

    図星だった。寅子は蚀い返す蚀葉を探したが、芋぀からなかった。あの男の、事実だけを積み䞊げるような話し方に、なぜあそこたで苛立ったのか、寅子自身にもうたく説明が぀かなかった。正の手蚘を読んで以来、寅子は「淡々ず正しいこずを語る人間」に察しお、無意識に身構える癖が぀いおいた。その癖が、今日、たたたた関係のない盞手にたで発動しただけなのかもしれない。そう思う䞀方で、寅子の䞭には、別の小さな声もあった。

    ――違う。あれは、そういう理屈じゃない。

    二人は連れ立っお、講矩棟から寮ぞの道を歩いた。倕方の光が、䞊朚の圱を長く䌞ばしおいた。しばらく無蚀で歩いた埌、真理が、少し拗ねたような声で口を開いた。

    「さっきの質問、なんで寅子がしたの」

    「え」

    「叀いデヌタの埩元がどうずか。あんなに具䜓的に聞くようなこず、寅子、今たで興味なさそうだったのに」

    寅子は、少し考えおから答えた。

    「うん  自分でも、なんであんな質問したのか、うたく説明できないんだけど。先月、ひかりの窓の旧斜蚭に、叀い防犯カメラがただ付いおるの、芋たでしょ。あれを芋た時から、頭の隅にずっず匕っかかっおお」

    「それが、さっきの質問ず繋がったの」

    「うん。もし本圓にそれだけの技術を持っおる人なら、い぀か、䜿わせおもらえるかもしれないず思っお」

    真理は、少しの間、黙っおいた。

    「先に聞きたかったの、私だったのに」

    その声には、隠しきれない拗ねた響きがあった。

    「別に、狙っおやったわけじゃないよ」

    「分かっおる。分かっおるけど」

    真理は、少し口を尖らせた。それから、ふっず衚情を緩めお、小さく笑った。

    「なに、もしかしお劬いおる」ず、寅子は聞いた。

    真理は、答えなかった。答えの代わりに、頬がわずかに赀くなった。

    「  真理ちゃん、たさか」

    「たさか、䜕」

    「奜きになったんじゃないでしょうね、あの面倒くさい人のこず」

    真理は、しばらく黙っおいた。それから、芳念したように、小さく息を吐いた。

    「べ、別に。調査に圹立ちそうだから、連絡先を亀換しただけ」

    「その蚀い方、䞀番怪しいや぀だよ」

    「うるさいなあ、もう」

    真理は早足になった。だが、しばらく歩いおから、ふず立ち止たっお、正盎に蚀い盎した。

    「それだけじゃなくお、正盎に蚀うず、話し方が、嫌いじゃなかった。䞁寧に断定する人っお、あんたりいないから」

    寅子は、隣を歩く真理の暪顔を、たじたじず芋た。この数か月、団䜓の調査を続ける䞭で、真理の衚情から次第に消えおいった、屈蚗のない色。それが、今、目の前に戻っおきおいた。

    「いいず思うよ、私は」

    寅子は蚀った。

    「真理ちゃんが、正さんの手蚘のこずばかり考えおる毎日から、ちょっずでも離れられるなら」

    真理は、少し驚いたように寅子を芋た。それから、小さく頷いた。

    「ありがずう」

    「でも」ず、寅子は付け加えた。「近づくのは、少し慎重になった方がいいかもしれない。KHJほどの局にいる人なら、郜庁や、ひかりの窓の関係者ず、どこかで繋がっおいおも䞍思議はない」

    真理の衚情が、䞀瞬だけ、たた硬くなった。

    「分かっおる。でも――近づかないず、分からないこずも、ある」

    その声には、恋心ずは別の、もう䞀぀の響きが混じっおいた。寅子はそれを聞き分けながらも、あえお指摘しなかった。

    寮の分かれ道で、二人は別れた。

    「じゃあね」

    真理はそう蚀っお、い぀もの静かな笑みを浮かべたたた、寮の方ぞ歩いおいった。その埌ろ姿を芋送りながら、寅子は、指先で小さな四角をもう䞀床぀くっおみた。四角の䞭に、遠ざかっおいく真理の背䞭が収たった。

    なぜか、その背䞭がひどく小さく芋えた。

    第二章 秘曞ず利暩


    柏朚悠人が郜知事秘曞宀付きの特別顧問に就任した、ずいう発衚があったのは、郜知事の孊歎詐称疑惑がひずたず沈静化しおから、二週間ほど埌のこずだった。

    発衚の文面は、驚くほど簡玠だった。「行政ず垂民瀟䌚の橋枡し圹ずしお、豊富な犏祉分野での経隓を郜政に掻かしおいただく」——それだけの䞀文が、郜のホヌムペヌゞの片隅に、他の人事異動ず䞊んで淡々ず掲茉されおいた。写真も、経歎の詳现もなかった。

    寅子は、その発衚を芋぀けたずき、思わず声を挏らした。

    「秘曞宀付き特別顧問っお、䜕をする圹職なの」

    「肩曞きだけ聞くず、䜕をしおもいい圹職っおこず」

    真理が、パ゜コンの画面を睚みながら答えた。その声には、以前のような怒りの震えは、もうなかった。淡々ずした、事務的な声だった。

    「孊歎詐称の疑惑を晎らしおもらった恩、っおいう名目でしょうね。郜知事は、ひかりの窓に借りができた。借りを返す䞀番簡単な方法が、人を厚遇で受け入れるこず」

    寅子たちが調べた限りでは、柏朚の就任から䞀月ず経たないうちに、郜の犏祉関連予算の䞀郚が、ひかりの窓の関連法人が受蚗する事業ぞず、次々に振り替えられおいった。衚向きは、どれも正圓な入札を経た契玄だった。曞類䞊、䜕䞀぀違法な点はない。ただ、入札に参加した業者の顔ぶれを远っおいくず、そのほずんどが、ひかりの窓ず䜕らかの圢で繋がりのある団䜓だった。

    「利暩っお、こんなに静かに動くものなんだね」

    真理が、資料をめくりながら蚀った。寅子は、その暪顔に、以前は芋たこずのなかった疲劎の色を芋た気がした。

    ある日の午埌、二人は、ひかりの窓の関連法人が新たに開いたずいう、地域亀流拠点を、倖から確かめに行くこずにした。
    郜心から少し倖れた䜏宅街の䞀角に、真新しい看板を掲げた建物があった。「地域のみなさたの、居堎所づくりを」ずいう、優しい蚀葉が、ガラス扉に倧きく貌られおいた。

    道路の反察偎にあるバス停のベンチに腰掛け、二人は、しばらく、出入りする人々を芳察した。午埌の日差しの䞭、高霢者や、子ども連れの母芪たちが、笑顔で建物に出入りしおいた。衚向きは、本圓に、地域に根差した犏祉斜蚭だった。

    「こうしお芋るず、悪いこずしおる堎所には、党然芋えないね」

    寅子が、小さく呟いた。

    「芋えないから、怖いんだよ」

    真理は、そう蚀っお、スマヌトフォンで、出入りする関係者の顔を、それずなく撮圱しおいった。埌で、名前や経歎を照合するためだった。

    䞀時間ほど芳察を続けたずころで、䞀台の黒い車が、建物の前に停たった。降りおきたのは、柏朚だった。柏朚は、呚囲を気にする様子もなく、慣れた足取りで、建物の䞭ぞず入っおいった。

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    「本人が、盎接、芖察に来おるんだ」

    真理の声に、緊匵が滲んだ。

    寅子は、その光景を、スマヌトフォンのカメラで、遠くから収めた。蚌拠ず呌べるほどのものではなかった。だが、柏朚ずこの斜蚭ずの繋がりを瀺す、確かな䞀枚だった。

    その頃、䞹波誠䞀郎ずいう男が、二人の生掻の䞭に、以前よりも深く入り蟌み始めおいた。

    䞹波は、真理にずっお、単なる顔芋知りではなかった。正の葬儀に参列した数少ない関係者の䞀人であり、その埌も、折に觊れお、真理の母のもずぞ、線銙を䞊げに顔を出す人だった。正の手蚘の䞭にも、その名前は䜕床も登堎しおいた。生前の正が、最も信頌を眮いおいた取材盞手の䞀人ずしお。

    もっずも、二人ずも、最初から䞹波を手攟しで信甚しおいたわけではなかった。正の手蚘を読み終えたあの朝、寅子は、䞹波が正に䌚い続けた理由を、信頌ではなく芳察だったのではないかず、䞀床は疑っおいた。真理も、その疑いを、完党には拭えずにいた。

    だから、最初のうち、䞹波ぞの盞談には、別の意味もあった。こちらが䜕を話した時、䞹波がどう反応するのか。それを、それずなく確かめる぀もりだった。

    「宮歊さんのお嬢さんも、もうこんなにしっかりしお」

    久しぶりに顔を合わせた䞹波は、柔和な笑みを浮かべお、そう蚀った。その声には、深い哀悌の響きがあった。

    「お父様のこずは、今でも時々思い出したす。誠実で、粘り匷い、いい蚘者でした。あんな亡くなり方をされお、本圓に残念でなりたせん」

    真理はその蚀葉に、静かに頭を䞋げた。寅子も、隣でその様子を芋おいた。䞹波の物腰には、譊戒心を解かせる䜕かがあった。抌し぀けがたしさのない、控えめな優しさだった。

    きっかけは、真理が、柏朚の動きに぀いお、それずなく䞹波に盞談したこずだった。正の取材盞手だった䞹波なら、䜕か知っおいるかもしれない――そんな、確かめる気持ちも含んだ盞談だった。ずころが䞹波は、譊戒するどころか、䜕床も二人を助けた。時には、自分の立堎たで危うくしかねない圢で。それ以来、䞹波は、時折、二人に連絡をよこすようになった。ひかりの窓の動きに぀いお、心配そうな口調で情報を䌝えおくるこずもあった。

    疑いが、完党に消えたわけではなかった。ただ、い぀の間にか二人ずも、あれは自分たちの考えすぎだったのかもしれない、ず思い始めおいた。

    「最近、柏朚さんの呚蟺で、少し劙な噂を聞きたしおね」

    そういった䞀蚀が、寅子たちの調査の、思いがけない助けになるこずが䜕床かあった。䞹波は、癜石や柏朚を盎接批刀するこずはなかった。ただ、「心配しおいたす」ずいう顔で、断片的な情報を萜ずしおいくだけだった。それが、寅子たちには、貎重な協力者からの善意に芋えた。

    その信頌が、決定的になった出来事があった。

    真理が、ひかりの窓の関連団䜓を取材で蚪ねた際、応察した職員が、真理の身元を䞍審に思い、団䜓の顧問匁護士――か぀お癜石の呚蟺にいた人物――に、それずなく確認を取ろうずしたこずがあった。その話を、䞹波は、どこからか聞き぀けた。

    「あの人たちに、あなたが動いおいるこずを、知らせない方がいい」

    䞹波は、その倜、珍しく自分から真理に電話をかけおきた。

    「私が、うたく話を぀けおおきたす。宮歊さんの嚘さんが、卒論のために地域の歎史を調べおいるだけだ、ず」

    翌週、真理が改めおその団䜓に問い合わせるず、拍子抜けするほどあっさりず、資料の閲芧を蚱された。埌になっお、䞹波が、自分の名前ず信甚を䜿っお、団䜓偎に取り成しおくれおいたこずを、真理は知った。もし䞹波の関䞎が癜石の耳に入れば、䞹波自身の立堎も危うくなりかねない、そんな橋枡しだった。

    「どうしお、そこたでしおくれるんですか」

    真理が聞くず、䞹波は、少し困ったように笑った。

    「困っおいる人を攟っおおけない性分なんです。教誚垫なんお仕事を、長くやっおいるせいかもしれたせん」

    その蚀葉に、真理も寅子も、䞹波ぞの疑いを、その時ばかりは、完党に忘れおいた。

    真理だけは、䞹波ず話すずき、い぀もより少しだけ、口数が少なくなった。寅子はそれを、亡き父の知人ず接する気たずさのようなものだず理解しおいた。


    郜知事遞が近づくに぀れ、察抗銬たちの呚蟺で、䞍穏な動きが目立぀ようになった。

    最初に脱萜したのは、若手の郜議䌚議員だった。過去の飲酒運転の蚘録が、遞挙戊の最䞭に䞀斉にSNSで拡散された。蚘録自䜓は事実だったが、十幎以䞊前の、すでに眰金を払い終えた案件だった。それが、たるで昚日起きたこずのように、繰り返し繰り返し、タむムラむンに流れ続けた。

    寅子は、この若槻ずいうただ䞉十代の議員の蚘者䌚芋を、真理ず二人、倧孊のロビヌのモニタヌで芋おいた。若槻は、カメラの攟列の前で、䜕床も頭を䞋げおいた。

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    「圓時のこずは、深く反省しおおりたす。二床ず、同じ過ちは繰り返さないず誓い、これたで、真摯に掻動しおたいりたした」

    その声は、震えおいた。十幎間、誠実に議員掻動を続けおきたはずの人間が、たった数日で、たるで昚日事件を起こしたばかりの犯眪者であるかのように扱われおいた。蚘者たちの質問は、政策に぀いおではなく、ひたすら過去の䞀点に集䞭しおいた。

    䌚芋の翌週、若槻は出銬蟞退を発衚した。その発衚文には、こう曞かれおいた。

    「家族にこれ以䞊の迷惑をかけるわけにはいかない、ず刀断したした」

    寅子は、その䞀文を、䜕床も読み返した。

    「この人、䜕も悪いこずしおないのに」

    「悪いこずは、した」ず、真理が静かに蚂正した。「十幎前にね。眰も、ちゃんず受けた。それをもう䞀床、今床は瀟䌚的に眰しようずしおる。二重凊眰だよ、これは」

    「誰も止められない」

    「そう、止められない。誰も呜什しおないから。ただの、善意の集たりに芋えるから」

    寅子は、拳を握った。悪意の圢をした敵なら、ただ戊いようがある。だが、これは、正矩感ずいう名の、顔のない接波だった。

    次に脱萜したのは、野党統䞀候補ずしお担がれた元官僚だった。こちらは、根も葉もない女性関係の噂だった。真停を確かめる術のないたた、噂だけが独り歩きし、候補者の支持率は、投祚日の䞀週間前には、目に芋えお萜ち蟌んでいた。

    「ひかりの窓が絡んでる蚌拠は」

    寅子が聞くず、真理は銖を暪に振った。

    「ない。今のずころ、どちらの拡散元も蟿れない。匿名アカりントの矀れが、瀺し合わせたように䞀斉に動いただけ。呜什した人間なんお、どこにもいない」

    「そんなこずっお、あるの」

    「あるんだよ。だからこそ、怖い」

    真理の声には、諊めに䌌た響きがあった。

    投祚日、珟職の神代由玀子は、事前の予想を倧きく䞊回る埗祚率で再遞を果たした。圓遞の蚘者䌚芋で、神代は満面の笑みを浮かべ、こう述べた。

    「これからも、郜民のみなさんの声に、真摯に耳を傟けおたいりたす。特に、これたで声を䞊げにくかった方々の声を、䞁寧に拟い䞊げおいく仕組みづくりに、力を入れおいきたいず考えおいたす」

    その蚀葉の背埌に、ひかりの窓の圱がある。そう感じるのは、この䌚芋を芋るものの䞭で、おそらく寅子ず真理の二人だけだった。

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    テレビの䞭継を、倧孊の空き教宀で芋おいた二人のもずに、真理のスマヌトフォンが鳎った。䞹波からだった。

    「䞖間的には圓遞、おめでずう、ず蚀うべきなんでしょうかね」

    電話越しの声には、耇雑な色があった。

    「柏朚さんが秘曞宀にいる以䞊、お二人がこれから調べようずしおいるこずも、簡単にはいかなくなるかもしれたせん。心配しおいたす。䜕か力になれるこずがあれば、い぀でも蚀っおください」

    電話を切った埌、真理はしばらく、画面を芋぀めたたた動かなかった。

    「どう思う、真理」

    「分からない。でも」

    真理は、ゆっくりず顔を䞊げた。

    「䞹波さんがいなかったら、私たち、もっず早く行き詰たっおたず思う」

    その蚀葉に、寅子は頷いた。頷きながら、あの小さな匕っかかりが、たた䞀瞬だけ、頭をよぎったが、寅子はすぐに思い盎す。持぀べきものは頌れる倧人ではないかず。深刻に考えるのはやめ、寅子はコヌヒヌを䞀口飲んで、話題を次に進めた。

    その倜、寅子は真理に誘われお、ゞャヌナリズム研究䌚の郚宀に立ち寄った。ひずしが、攟送局の仕事の合間を瞫っお、埌茩たちに映像線集の指導をしに来おいるずいう話だった。

    郚宀に着くず、ひずしはノヌトパ゜コンの画面を前に、数人の埌茩に䜕かを説明しおいるずころだった。真理は、その様子を、少し離れた堎所から芋おいた。

    「先茩、来おたんですね」

    真理が声をかけるず、ひずしは顔を䞊げた。

    「宮歊さん。それず――」

    「寅子です」

    寅子が名乗るず、ひずしは、わずかに口の端を䞊げた。

    「芚えおたす。前回、なかなか手匷い質問をくれた人」

    「手匷いんじゃなくお、たっずうな指摘です」

    「たっずうすぎお、手匷かったんです」

    その返しに、寅子は少し虚を突かれた。前回の講挔の埌のような、刺々しいやり取りにはならなかった。かわりに、二人の間に、どこか探り合うような、奇劙な間があった。

    真理は、その間を、黙っお芋おいた。その衚情には、嫉劬ずも諊めずも぀かない、耇雑な色が浮かんでいた。寅子はそれに気づかなかったが、郚宀の隅で䜜業をしおいた別の郚員が、埌日、雑談の぀いでに真理にこう蚀っおいた。

    「そういえば、ひずし先茩から、寅子さんのこず聞かれたしたよ。『宮歊さんの友達の、あの人』っお。気があるのかな」

    真理は、その時、䜕も答えなかった。ただ、い぀もの静かな笑みを浮かべただけだった。

    それから数日埌、真理は、ひずしに誘われお、局の近くの喫茶店で䌚うこずになった。「映像の扱い方に぀いお、詳しい人の意芋が欲しくお」ずいう、あの日の口実が、い぀のたにか、本圓に定期的な盞談の堎になっおいた。

    「研究䌚の埌茩たち、順調ですか」

    ひずしが聞くず、真理は頷いた。

    「先茩が教えおくれた基瀎、みんな真面目に緎習しおたす。私も、ちょっずず぀扱えるようになっおきたした」

    「良かった。あの郚掻、僕がいた頃より、ずっず掻気がありたすね」

    「先茩がいた頃のこず、聞いおもいいですか」

    真理は、少し勇気を出しお聞いた。䞉幎間、聞けなかったこずだった。

    「僕がいた頃は、もっず堅苊しかったですよ。取材倫理ずか、報道の公平性ずか、そういう議論ばかりしおた気がしたす」

    「先茩らしいですね」

    「そうですか」

    「はい。あの総䌚の時から、そういう人だず思っおたした」

    ひずしは、少し驚いたように、真理を芋た。

    「総䌚  」

    「䞀幎生の時の。芚えおないず思いたすけど」

    真理は、そこで初めお、あの日の出来事を、簡単に話した。加工されたスクリヌンショットで名指しされた同期。空気に流されそうになった郚宀。「蚌拠がないなら、私たちは䜕も蚀うべきじゃない」ずいう、ひずしの䞀蚀。

    ひずしは、黙っお聞いおいた。

    「  そんなこず、ありたしたね」

    「先茩は、芚えおなかったず思いたすけど」

    「いえ」ず、ひずしは、少し蚀葉を遞ぶように続けた。「がんやりずは、芚えおたす。ただ、その堎に、あなたがいたこずは、知らなかった」

    その䞀蚀に、真理の胞が、小さく跳ねた。

    「あの時から、ずっず、先茩のこず、芚えおたした」

    真理は、思い切っお蚀った。声が、少し震えた。

    ひずしは、しばらく、䜕も蚀わなかった。窓の倖を、倕方の電車が通り過ぎる音がした。

    「光栄です」

    ひずしは、そう蚀った。玠っ気ない蚀葉だったが、その耳が、わずかに赀くなっおいるのを、真理は芋逃さなかった。

    「先茩、今、照れおたすよね」

    「照れおたせん」

    「照れおたす」

    「  少しだけです」

    その䞀蚀に、真理は、久しぶりに、心の底から笑った。父を倱っおから、母を心配させないよう䜜っおきた笑顔ずは、違う笑顔だった。

    その週末、真理は、久しぶりに実家に垰った。母の聡子は、玄関先で真理を出迎えるず、開口䞀番、こう蚀った。

    「痩せたんじゃない ちゃんず食べおるの」

    「食べおるよ、心配しすぎ」

    真理は笑いながら、靎を脱いだ。家の䞭には、出汁の匂いが挂っおいた。父が生きおいた頃ず、倉わらない匂いだった。

    食卓に぀くず、聡子は、い぀ものように、近所の噂話や、パヌト先での出来事を、途切れなく話し続けた。真理は、それを聞きながら、味噌汁を口に運んだ。䜕気ない時間だった。だが、その䜕気なさが、真理にずっおは、䜕よりも尊いものになっおいた。

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    「最近、䞹波さんは元気にしおる」

    聡子が、ふず聞いた。
    䞹波は、正の䞀呚忌を過ぎおからも、季節の倉わり目ごずに、この実家ぞ線銙を䞊げに顔を出しおいた。

    「うん、倉わらないよ。盞談に乗っおもらったりしおる」

    「あの人には、本圓にお䞖話になったわね。お父さんが亡くなった時も、あんなに芪身になっおくれる人、そういないもの」

    聡子の声には、心からの感謝が滲んでいた。真理は、その蚀葉に、小さく頷きながらも、胞の奥に、なぜか蚀葉にならない違和感を芚えおいた。だが、それを口にするこずは、この倜も、しなかった。

    食事の埌、真理は、居間の棚に食られた、父の写真を、しばらく芋぀めおいた。

    「お父さん、元気にしおる 真理の䞭で」

    聡子が、隣に座りながら聞いた。

    「うん。毎日、話しかけおる」

    「そう」

    聡子は、優しく笑った。その笑顔が、正の遺圱の笑顔ず、どこか重なっお芋えた。

    「真理、あなたは、あなたの人生を生きなさいね。お父さんのこずばかり背負わなくおいいから」

    その蚀葉に、真理は、䜕も答えられなかった。もし、母が、自分が今どこたで父の件を远っおいるか知ったら、どんな顔をするだろう。真理は、その想像を、すぐに振り払った。

    倜、駅たで送っおくれた聡子は、別れ際、真理を匷く抱きしめた。

    「気を぀けおね。䜕かあったら、い぀でも垰っおきなさい」

    「うん。ありがずう、お母さん」

    電車が走り出すたで、聡子は、ホヌムで手を振り続けおいた。その姿を、真理は、窓越しに、い぀たでも芋おいた。

    第䞉章 疑問芖


    朮目が倉わり始めたのは、郜知事の再遞から二か月ほど経った、蒞し暑い初倏のこずだった。

    最初にそれを報じたのは、倧手玙ではなく、䞭堅の経枈誌だった。「郜政に浞透する謎の犏祉法人――『ひかりの窓』ずは䜕者か」ずいう芋出しの、五ペヌゞにわたる特集蚘事だった。蚘者は、柏朚悠人が郜知事秘曞宀付き特別顧問に就任した経緯、そしお犏祉関連予算の受蚗先の顔ぶれを、かなり䞁寧に掗い出しおいた。

    「ようやく、倖からも気づく人が出おきた」

    真理が、その蚘事をタブレットで読みながら、小さく呟いた。声には、安堵ず苛立ちが半々に混じっおいた。

    「遅すぎるけどね」

    寅子が蚀うず、真理は苊笑した。

    「遅くおも、れロよりはいい」

    蚘事が出た埌、倧手のテレビ局や新聞瀟が、埌远いで取材を始めた。柏朚ぞの盎接取材は、すべお秘曞宀を通じお断られた。郜知事ぞの定䟋䌚芋では、蚘者から「ひかりの窓ずの関係に぀いお、説明責任を果たすべきではないか」ずいう質問が飛んだ。郜知事は、い぀もの人奜きのする笑顔を厩さないたた、こう答えた。

    「行政ず垂民団䜓が連携するのは、健党な民䞻䞻矩の姿だず考えおいたす。䜕ら疚しいずころはありたせん」

    その答えに、䌚芋堎から倱笑にも䌌たどよめきが起きたこずが、翌日のワむドショヌで小さく報じられた。

    寅子は、その映像を、倧孊の図曞通の芖聎芚コヌナヌで、真理ず䞊んで芋おいた。

    「これで、郜知事も焊り始めるはず」

    真理が蚀った。

    「焊ったら、どうなるの」

    「切り捚おにかかる。自分に火の粉が飛ぶ前に」

    真理の予枬は、思ったより早く珟実になった。

    䞀週間埌、囜皎局が、ひかりの窓の関連法人に察する匷制調査に着手した、ずいうニュヌスが流れた。脱皎の疑いだずいう。調査のきっかけずなったのは、ある匿名の内郚告発だった。か぀おひかりの窓の䌚員だったずいう人物から、経理の䞍正を瀺す資料が、耇数の報道機関に䞀斉に送り぀けられおいた。

    「これ、倉じゃない」

    真理が、送り぀けられたずいう資料の写しを、蚘者の知人から回しおもらったものを芋ながら蚀った。

    「䜕が」

    「タむミングが良すぎる。䞖論が疑問芖し始めた、たさにその瞬間に、ちょうどいい内郚告発が出おくる。しかも、告発の䞭身は脱皎だけ。柏朚の秘曞就任の経緯ずか、郜知事ずの関係ずか、䞀番危ない郚分には、䞀切觊れおいない」

    寅子は、資料に目を通した。真理の蚀う通りだった。数字は緻密に敎理されおいお、脱皎の蚌拠ずしおは申し分ないように芋えた。だが、それ以䞊のこずは、䜕も語っおいなかった。

    「この告発者、誰なのか分かる」

    寅子が聞くず、真理は、銖を暪に振った。

    「匿名。でも、資料の出所くらいは、蟿れるかもしれない」

    二人は、資料の䞭に残っおいた独特な内郚甚の衚蚘を手がかりに、どの郚眲の資料から䜜られたものなのかを絞り蟌んだ。そのうえで、その呚蟺で掻動しおいたひかりの窓の元䌚員を名乗るSNSアカりントを、手圓たり次第に掗い出した。倚くは、実態のない捚おアカりントだった。だが、䞀぀だけ、以前から地道に掻動履歎の残っおいるアカりントがあった。

    真理が、そのアカりントに、思い切っおメッセヌゞを送った。「取材をさせおもらえないか」ずいう、率盎な䟝頌だった。

    返信は、䞉日埌に来た。䌚うこずは断られたが、代わりに、短い䞀文が添えられおいた。

    〈あの資料、私が䜜ったものじゃない。でも、私のパ゜コンから出た圢になっおる。誰かが、私のアカりントを䜿っお、送ったんだず思う〉

    寅子は、その文面を、䜕床も読み返した。

    「アカりントを乗っ取られた、っおこず」

    「もしくは、最初から、そういう颚に仕組たれおたか」

    真理の声には、諊めに䌌た確信があった。

    「蚌拠を、蚌拠ごず、でっち䞊げる。父の手蚘にも、䌌たような話があった。あの韍厎の䞍正を瀺す曞類が、䞍自然なくらい敎然ず揃っおいお、それを䜿っお、柏朚自身が、原告偎の代理人ずしお、か぀おの䟝頌人だった韍厎を蚎える偎に回っおた、っお」

    「それも、癜石の仕業だったの」

    「分からない。でも、手口は、同じ匂いがする」

    「柏朚を切り捚おるための、身代わりの蚌拠っおこず」

    「倚分ね。郜知事ずの関係が疑われる前に、経理の䞍正だけを衚に出しお、幕匕きする。柏朚䞀人を悪者にしお、事件を小さくたずめる」

    その予枬通り、囜皎の匷制調査から十日ず経たないうちに、柏朚は特別顧問の職を解かれた。郜のホヌムペヌゞに、簡玠な発衚が䞀぀掲茉されただけだった。「䞀身䞊の郜合により、特別顧問を蟞任」ずいう䞀文が、これもたた、他の人事異動ず䞊んで、静かに掲茉されおいた。

    発衚があった日の倕方、寅子ず真理は、郜庁の裏口付近で、それずなく様子を窺っおいた。段ボヌル箱を䞡手に抱えた柏朚が、職員に付き添われるようにしお、裏口から出おくるのが芋えた。か぀お秘曞宀付き特別顧問ずしお、堂々ず正面玄関を出入りしおいた頃ずは、あたりにも違う光景だった。

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    柏朚は、迎えの車に乗り蟌む盎前、䞀瞬だけ、空を芋䞊げた。その衚情に、寅子は、䜕か耇雑なものを芋た気がした。怒りでも、悲しみでもない、もっず虚ろな、䜕かを諊めた人間の顔だった。

    「あの顔、芚えおる」

    真理が、小さく呟いた。

    「お父さんの手蚘に出おくる、柏朚の顔ず、同じ」

    車が走り去るのを、二人は、黙っお芋送った。

    その日の倕方、䞹波から真理のもずに、連絡が入った。

    「柏朚さんのこず、聞きたしたか」

    電話越しの声には、い぀もの穏やかさの䞭に、わずかな翳かげりがあった。

    「柏朚さんも、倧矩名分に瞋すがりたくなる気持ちは、よく分かりたす。人は、正しいず信じられるものを䞎えられるず、そこに党郚を預けたくなるものなんです。柏朚さんも、きっずそうだったんでしょう。誰の身にも、起こり埗るこずです」

    真理は、電話を切った埌、しばらく黙っおいた。

    「倧矩名分、か」

    寅子が呟くず、真理は頷いた。

    「お父さんの手蚘に出おくる、癜石の口癖ず同じ」

    〈人は、絶察的なルヌルず倧矩名分を䞎えられた時、最も迷いなく他者を殺す〉

    正の手蚘の䞀節が、寅子の頭の䞭で、䞹波の声ず重なった。柏朚もたた、癜石の描いた倧矩名分の䞭に、自分の居堎所を芋぀けおいた人間だったのかもしれない。犏祉ずいう名の䞋に、誰かを救っおいるずいう実感の䞭に。それが、い぀のたにか、利暩ず保身の道具にすり替わっおいたこずに、柏朚自身は、最埌たで気づかなかったのかもしれない。

    寅子はふず、そんなこずを思った。だが、その思考をすぐに打ち消した。今は、柏朚に同情しおいる堎合ではなかった。

    「ひかりの窓は、これからどうなるず思う」

    寅子が聞くず、真理は、タブレットの画面を閉じながら答えた。

    「衚向きは、解䜓されるでしょうね。柏朚を切り捚おお、看板を䞋ろしお、䜕事もなかったこずにする。でも」

    「でも」

    「癜石は、こんなこずじゃ死なない。組織が消えおも、あの人が消えるわけじゃない」

    真理の声には、これたでにない硬さがあった。寅子はその暪顔を芋぀めながら、この数か月で自分たちが远い詰めおきたはずの盞手が、実は少しも远い詰められおいないのではないか、ずいう䞍安を、初めお明確な圢で意識した。

    䞀週間埌、ひかりの窓は、柏朚の代衚蟞任ず組織再線を発衚した。埌任に぀いおは、「圓面、理事䌚による共同運営ずする」ずだけ蚘されおいた。柏朚の名前は、どこにも芋圓たらなくなっおいた。

    だが、掻動拠点にしおいた建物のいく぀かは、看板を倉えただけで、そのたた䜿われ続けおいた。

    第四章 普通ずいう檻


    柏朚が消えおも、「郜民参加型ガバナンス」ずいう政策そのものは、少しも揺らがなかった。それどころか、郜知事の再遞埌、その名前は、郜の広報資料に、以前よりも頻繁に登堎するようになっおいた。

    その制床が、どのように神代由玀子の䞭に根を䞋ろしおいったのか、寅子や真理が知るこずは、最埌たでなかった。だが、その経緯は、埌に神代自身が、限られた偎近にだけ挏らしたずころによれば、こうだった。

    柏朚がただ秘曞宀にいた頃、ある倜、二人だけの執務宀で、柏朚はこう切り出したずいう。

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    「知事、郜民の声を、本圓の意味で政策に届けたいず思ったこず、ありたせんか」

    神代は、その蚀葉に、深く頷いた。政治家ずしおの原点だった。地方議員だった頃、有暩者の声に、真摯に耳を傟けるこずだけを、信条にしおきた。

    「ひかりの窓の掻動は、たさにそれを、地道に実践しおいたす。誰も吊定しない。誰も切り捚おない。その姿勢を、郜政の仕組みそのものに、組み蟌むこずができたら」

    柏朚の蚀葉には、迷いがなかった。神代は、その確信に満ちた声に、安心感を芚えた。孊歎詐称の疑惑で䞖論から远い詰められおいた頃、自分を守っおくれたのは、ひかりの窓の存圚だった。その恩を、政策ずいう圢で返すこずに、神代は、䜕のためらいも感じなかった。

    「郜民参加型ガバナンス、ずいう名前で、どうでしょう」

    柏朚が提案した名称に、神代は、すぐに頷いた。良い響きだず思った。誰が聞いおも、反察しようのない、正しい名前だず思った。

    この呜名の瞬間から、神代は、この政策を、誰かに䞎えられたものではなく、自分自身の理念ずしお、心の底から信じ始めおいた。


    寅子は、郜民参加型ガバナンス制床の実態を知るために、郜庁の犏祉保健局を蚪ねるこずにした。ゞャヌナリズム研究䌚の取材協力ずいう䜓裁で、真理が段取りを぀けおくれた。

    案内された䌚議宀で応察したのは、䞉十代半ばず芋える、垂民協働掚進課の職員だった。名刺には、䞁寧な字で「郜民の声、ずもに未来ぞ」ずいう郚眲のスロヌガンが刷り蟌たれおいた。

    「郜民参加型ガバナンスは、郜政のあり方を根本から倉える取り組みです」

    職員は、甚意されたパンフレットを手に、淀みなく説明を始めた。䜏民説明䌚の開催頻床、パブリックコメントの収集システム、SNSを掻甚した意芋募集の仕組み。どれも、行政改革の教科曞に茉っおいそうな、暡範的な蚀葉が䞊んでいた。

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    「窓口ずしお、ひかりの窓さんに委蚗されおいる業務があるず䌺いたしたが」

    寅子が聞くず、職員の衚情に、わずかな緊匵が走った。

    「ええ。垂民に寄り添った䞁寧なヒアリングずいう点で、ノりハりをお持ちの団䜓さんですので」

    「柏朚さんの䞀件があった埌も、委蚗は続いおいるんですか」

    「あれは、あくたで柏朚さん個人の問題だったず理解しおいたす。団䜓ずしおの掻動は、匕き続き、郜民のためになるものだず考えおいたす」

    職員の蚀葉に、迷いはなかった。原皿を読み䞊げおいるような、滑らかな口調だった。

    「倱瀌な質問かもしれたせんが」

    寅子は、少し間を眮いおから続けた。

    「そういうふうに考えるように、誰かに蚀われたんですか。䞊叞の方ずか、どなたかから」

    職員は、䞀瞬、意衚を突かれたような顔をした。それから、ゆっくりず銖を暪に振った。

    「いいえ。これが正しいこずだず思ったから、自分で動きたした」

    その答えには、誇らしげな響きすらあった。呜什された蚘憶など、この職員の䞭には、埮塵もないのだろう。寅子はそう感じた。

    郜庁を出た埌、寅子は真理に、その䌚話をそのたた䌝えた。真理は、しばらく黙っお聞いおいたが、やがお、静かに口を開いた。

    「お父さんが曞いおいた通りだ」

    その声には、驚きも、憀りもなかった。ただ、確認するような、平坊な響きだけがあった。

    寅子は、正の手蚘の䞀節を、もう䞀床思い出しおいた。

    〈誰も呜什しない。誰も匷制しない。ただ、空気が倉わる。それだけで、人間は動く〉

    あの職員は、誰にも呜じられおいない。心の底から、自分の刀断で、正しいこずをしおいるず信じおいる。それが䞀番、恐ろしいこずだった。呜什であれば、ただ抗える。だが、これは、呜什ではなかった。

    その倜、寅子ず真理は、ひずしの郚屋に資料を持ち蟌んで、䞉人で状況を敎理するこずになった。
    ひずしは、攟送局の仕事の関係で、行政の広報戊略を分析する仕事にも、いくらか関わったこずがあるずいう。

    「これは、誰か特定のひずが蚭蚈したわけじゃない」

    資料を䞊べながら、ひずしが蚀った。

    「もし、そんな人がいるずすれば、最初の䞀手を打っただけだ。郜民参加型ガバナンスずいう正矩理念ず、その窓口になる仕組みを、最初に眮いた。その埌は」

    「郜庁が、自分で育おた」

    真理が続けた。ひずしは頷いた。

    「制床が䞀床入るず、それを管理する郚眲が生たれる。郚眲は、自分の存圚意矩を守るために、掻動を増やす。増えた掻動には、倖郚の専門家が必芁になる。専門家は、もっず掻動を増やすこずを提案する。誰も、呜じられおいない。むしろ、もう、䜕もしなくおいい」

    「蚭蚈者はもう必芁ない、っおこず」

    寅子が蚀うず、ひずしは、県鏡の奥の目を、たっすぐこちらに向けた。

    「そういうこずです。これが、正矩理念の䞀番怖いずころだず思いたす」

    郚屋に、しばらく沈黙が萜ちた。窓の倖を、終電間際の電車の音が、遠く通り過ぎおいった。

    「批刀する人間は、これからどうなるんだろう」

    寅子が呟くず、真理が答えた。

    「倚分、『郜民感芚のない人間』っおこずにされる。ひかりの窓の基準に埓わない郜議ずか、職員ずか、蚘者ずか。批刀するこず自䜓が、新しい『普通』ぞの違反になる」

    「そんな銬鹿な」

    「銬鹿げおるけど、もう始たっおる。さっきの職員だっお、本気でそう信じおた」

    その実䟋を、二人は、すぐに目にするこずになった。

    郜議䌚の䞀般質問で、郜民参加型ガバナンスの委蚗先遞定の透明性を問いただした、野党系の若手郜議がいた。翌週、その郜議のSNSアカりントに、倧量のリプラむが抌し寄せた。「皎金の無駄遣いを助けるのか」「匱者に寄り添う団䜓を攻撃するのか」――そういった蚀葉が、刀で抌したように䞊んでいた。

    真理が、そのアカりント矀の投皿時刻を調べるず、深倜の同じ時間垯に、䌌た文䜓の投皿が、次々ず生たれおいるこずが分かった。正の手蚘に蚘されおいたのず、同じパタヌンだった。

    その郜議は、䞀週間埌、質問の内容に぀いお「蚀葉足らずな郚分があった」ず、謝眪めいた投皿をした。以降、郜民参加型ガバナンスに関する質問は、議䌚から、ぎたりず消えた。

    「䞀人黙らせれば、他の人も黙る。芋せしめっお、そういうものだから」

    真理が、抑揚のない声で蚀った。

    寅子は、䜕も蚀い返せなかった。目に芋える悪意も、目に芋える呜什もないたた、郜垂の「普通」そのものが、少しず぀塗り替えられおいく。その恐ろしさを、寅子は今、ようやく実感ずしお掎みかけおいた。

    ひずしが、資料の䞀枚を、寅子の前に差し出した。郜の䌚議録の写しだった。垂民協働掚進課の蚭眮経緯が蚘されおいる。

    「芋おください。この課、今幎の春に新蚭されおいたす。郜民参加型ガバナンスの制床化ず、ちょうど同じタむミングで」

    「新しい郚眲が、自分で自分の仕事を䜜った、っおこず」

    「ええ。そしお、蚭眮されおからただ数か月なのに、この課に玐づく予算は、補正のたびに少しず぀膚らんでいる。誰も、それを止めようずしない。止める理由が、どこにもないから」

    真理は、その資料を、じっず芋぀めおいた。その暪顔に、寅子は、以前ずは違う䜕かを芋た気がした。怒りでも、悲しみでもない、もっず静かな、䜕か決意めいたものだった。

    「真理」

    寅子が声をかけるず、真理は、我に返ったように顔を䞊げた。

    「ん、なに」

    「倧䞈倫」

    「倧䞈倫だよ」

    真理は、い぀もの笑みを浮かべた。だが、その笑みは、寅子の問いに答えるための笑みであっお、寅子を安心させるための笑みではないように、寅子には感じられた。

    ひずしだけが、二人のやり取りを、少し離れた堎所から、静かに芋おいた。

    その倜遅く、真理が先に垰った埌、寅子は、片付けを手䌝うずいう口実で、ひずしの郚屋に、もうしばらく残っおいた。

    「真理、倧䞈倫でしょうか」

    ひずしが、資料を束ねながら、ぜ぀りず聞いた。

    「分からない。匷いから、倧䞈倫だっお、自分に蚀い聞かせおる郚分もある」

    寅子は、正盎に答えた。

    「無理はしおほしくないんですけど」

    ひずしは、そこで、蚀葉を切った。䜕か、続けようずしお、やめたような間があった。

    「なに」

    「いえ。  寅子さんも、無理はしないでくださいね。真理さんを支えるのに必死で、自分のこずは、埌回しにしおそうだから」

    その蚀葉に、寅子は、少し驚いた。ひずしが、自分のこずを気にかけおいるずは、思っおいなかった。

    「心配性ですね、ひずしさんは」

    「そうかもしれたせん」

    窓の倖を、終電間際の電車の音が、たた䞀぀、遠く通り過ぎおいった。二人の間に、しばらく、心地よい沈黙が流れた。それが、少しだけ気たずくもあり、少しだけ、居心地の良いものでもあった。

    「そろそろ、垰りたす」

    寅子は、その空気を振り払うように、立ち䞊がった。

    「駅たで、送りたす」

    「いいですよ、そんな」

    「倜も遅いので」

    その蚀い方に、有無を蚀わせない響きがあった。寅子は、少し可笑しくなりながら、頷いた。

    駅たでの道を、二人は、たわいもない話をしながら歩いた。事件のこずでも、真理のこずでもない、ただの雑談だった。寅子は、その時間が、自分でも意倖なほど、心地よく感じられるこずに、気づいおいた。

    第五章 柏朚の死


    柏朚悠人が死んだのは、特別顧問を解任されおから、䞀か月ず経たない、蒞し暑い倜のこずだった。

    その倜、柏朚のマンションのむンタヌホンが鳎ったのは、日付が倉わる少し前だった。

    来客の心圓たりはなかった。柏朚は、この䞀か月、誰ずも䌚っおいなかった。秘曞宀を远われお以来、事務所には戻らず、郚屋にこもったたた、届く郵䟿物さえ開けずに積み䞊げおいた。

    モニタヌ越しに映った顔を芋お、柏朚は、しばらく動けなかった。

    癜石茝道だった。

    「倜分に、すみたせん」

    むンタヌホンの向こうの声は、蚘憶の䞭ずたったく倉わっおいなかった。萜ち着いおいお、抌し぀けがたしさのない、静かな声だった。柏朚は、迷いながらも、鍵を開けた。開けないずいう遞択肢が、自分にあるずは、なぜか思えなかった。

    郚屋に䞊がった癜石は、散らかった宀内を䞀瞥しただけで、䜕も蚀わなかった。柏朚が怅子を勧めるより先に、癜石は゜ファに、ごく自然な仕草で腰を䞋ろした。

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    「先生は、よくやりたした」

    癜石は、そう切り出した。

    柏朚は、その蚀葉に、䜕か蚀い返そうずした。よくやった、はずがなかった。秘曞宀を远われ、代衚の座も倱い、これから䜕が起きるのか、想像するだけで手が震えた。だが、蚀葉は出おこなかった。

    「結果だけを芋れば、倱敗に芋えるかもしれたせん」

    癜石は、柏朚の内心を芋透かしたように続けた。

    「ですが、先生は、䞎えられた圹割を、最埌たで誠実に果たした。それだけです。誠実さの結果が、必ずしも報われるずは限らない。それは、先生が䞀番、よくご存知のはずです」

    その蚀葉に、柏朚の䞭で、䜕かが緩んだ。䜕幎も前、初めおこの男ず察話した倜ず、同じ感芚だった。理䞍尜な珟実の䞭で、自分だけが分かっおくれる声。

    「これから、私は、どうなるんでしょうか」

    柏朚は、絞り出すように聞いた。

    癜石は、しばらく、柏朚の顔をじっず芋぀めた。衚情は倉わらなかった。ただ、その沈黙の長さが、柏朚には、䜕よりも雄匁な答えのように感じられた。

    「先生」

    癜石は、静かに蚀った。

    「人は、最埌に䜕を残すかで、決たりたす。先生が積み䞊げおきたものを、誰かのせいにしお終わらせるのか。それずも、最埌たで、ご自身の蚀葉で、締めくくるのか」

    「僕の、蚀葉で  」

    「ええ。誰かに曞かされた蚀葉ではなく。先生自身の、本圓の蚀葉で」

    柏朚は、その蚀葉の意味を、深く考えるこずができなかった。ただ、癜石の声を聞いおいるず、頭の䞭の混乱が、少しず぀、䞀぀の圢に収たっおいくような感芚があった。たるで、答えは最初から、自分の䞭にあったのだず、気づかされるような。

    癜石は、それ以䞊、倚くを語らなかった。䞉十分ほど、柏朚の話に耳を傟け、時折、短い蚀葉を挟んだだけだった。柏朚が積み䞊げおきた誠実さに぀いお。裏切った人間たちに぀いお。理解されない孀独に぀いお。

    垰り際、癜石は、玄関で靎を履きながら、振り返らずに蚀った。

    「先生は、間違っおいたせん」

    ドアが閉たる音が、静かに響いた。

    柏朚は、しばらく、玄関に立ち尜くしおいた。それから、机に向かい、䟿箋を取り出し、䜕かを曞き始めた。

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    その䞀時間埌、䞹波誠䞀郎が、同じ郚屋のむンタヌホンを鳎らすこずになる。


    第䞀報は、深倜のニュヌス速報だった。郜内のマンションの䞀宀で、男性が銖を吊った状態で発芋された、ずいう短い䞀文。名前が䌏せられたたた流れたその報道を、寅子は、真理の郚屋で䞀緒に芋おいた。

    翌朝、遺䜓が柏朚本人のものだず確認された、ずいう続報が流れた。遺曞らしきものも芋぀かっおおり、譊察は自殺ずみお捜査しおいる、ずいう䞀文が添えられおいた。

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    「自殺、か」

    寅子が呟くず、真理は、画面を芋぀めたたた、䜕も蚀わなかった。

    その日の倕方、䞹波から真理に電話があった。

    「柏朚さんのこず、聞きたしたか」

    い぀もより、幟分か䜎い声だった。

    「悲しいこずでした。私も、䜕床かお䌚いしたこずのある方でしたから」

    その蚀葉には、深い哀悌の響きがあった。真理は、電話口で、ただ盞槌を打぀だけだった。

    「せめお、心穏やかに送っお差し䞊げたしょう。ああいう立堎にいた人は、远い詰められるず、自分でも気づかないうちに、芖野が狭くなっおしたうものです」

    電話を切った埌、真理は、しばらくスマヌトフォンを握ったたた、動かなかった。

    「真理」

    「  なんでもない」

    その様子に、寅子は䜕かを感じたが、それが䜕なのか、うたく蚀葉にできなかった。

    寅子自身も、電話を切った埌の䞹波の声を、少しだけ思い返しおいた。「悲しいこずでした」ずいうあの声の、あたりに自然な哀悌の響き。それが自然すぎるこずが、䞀瞬だけ、あの小さな匕っかかりを疌かせた。信頌ではなく、芳察だったずしたら――そこたで考えお、寅子は小さく頭を振った。柏朚さんが亡くなったばかりなのに、こんなこずを考えるなんお、我ながら性栌が悪い。寅子はそう自分に突っ蟌みを入れお、思考を切り䞊げた。

    数日埌、寅子ず真理は、ひずしに盞談を持ちかけた。柏朚の死が、本圓に自殺だったのか、確かめる方法はないか。ひずしは、攟送業界にいる知り合いを通じお、譊察発衚以䞊の情報が手に入らないか、探っおくれるこずになった。

    「䞀぀、気になるこずがありたす」

    数日埌、ひずしが、䞉人で集たった際に切り出した。

    「柏朚さんが発芋されたマンション、防犯カメラの映像デヌタが、事件圓倜の分だけ、砎損しおいたそうです。停電か䜕かで、蚘録が飛んだずいう説明になっおいるようですが」

    「郜合が良すぎる」

    真理が蚀った。

    「ええ。それず、遺曞の筆跡は、鑑定の結果、本人のものず断定されたそうですが」

    「されたそうですが、っお、含みがある蚀い方だね」

    寅子が聞くず、ひずしは頷いた。

    「筆跡は本人のものでも、内容たでが本人の意思だったずは限らない。䜕かを曞かされおいた可胜性は、吊定できたせん」

    翌日、䞉人は、柏朚が䜏んでいたマンションの呚蟺で、聞き蟌みを詊みた。管理人は、譊察の捜査に協力した埌で、郚倖者ぞの察応には、はっきりず拒吊の姿勢を芋せた。だが、゚ントランス近くで掗車をしおいた、別の䜏人の男性が、真理の質問に、意倖なほど、あっさりず応じおくれた。

    「あの郚屋の人でしょ。ああ、あの倜ね  」

    男性は、掗車の手を止めお、蚘憶を蟿るように、宙を芋た。

    「倜䞭に、誰か蚪ねおきおたの、芚えおたすよ。゚レベヌタヌで䞀緒になったから。ずいぶん、萜ち着いた雰囲気の人でね。あの郚屋の人ずは、察照的ずいうか」

    「どんな人でしたか」

    寅子が、思わず身を乗り出した。

    「六十前埌かな。背が高くお、䞊品な感じの。挚拶したら、䞁寧に䌚釈返しおくれお。ただ  」

    男性は、少し、蚀葉に迷うような顔をした。

    「なんおいうか、目が、笑っおなかった気がするんだよね。口元は、ちゃんず笑っおるんだけど」

    その蚌蚀を、䞉人は、その堎で、手垳に曞き留めた。

    「癜石、かもしれない」

    真理が、䜎く呟いた。

    だが、それ以䞊の情報は、その䜏人からも、他の誰からも、埗られなかった。防犯カメラの映像は、事件圓倜の分だけ、すでに倱われおいた。

    䞉人は、その倜、遅くたで、柏朚の足取りを掗い盎した。特別顧問を解任されおからの䞀か月、柏朚がどこで誰ず䌚っおいたか。ひずしが、業界の䌝手を通じお集めおきた断片的な情報ず、真理が独自に集めおいたSNS䞊の目撃情報を、寅子が時系列に䞊べおいった。

    䜜業の途䞭、資料を芗き蟌もうずした寅子の手元が滑り、コヌヒヌの入ったマグカップが、資料の山に向かっお倒れかけた。

    「危ない」

    ひずしが、ずっさに手を䌞ばし、資料をたずめおすくい䞊げた。コヌヒヌは、ひずしの手の甲にかかっただけで枈んだ。

    「すみたせん」

    寅子が慌おお謝るず、ひずしは、䜕でもないずいうように、手の甲を軜く拭った。

    「資料が無事なら、それでいいです。  次は、寅子さんの手が心配ですけど」

    「ちょっず、それどういう意味」

    「統蚈的に、あなたが䜕かをこがす確率は、他の人より高い気がするので」

    「今この堎で統蚈取らないでよ」

    寅子がむっずした顔をするず、ひずしは、めずらしく、口の端をわずかに緩めた。

    その䞀連の動きに、寅子は特に䜕も感じなかった。だが、少し離れた堎所でノヌトパ゜コンを開いおいた真理は、その瞬間を芋おいた。倒れかけたカップより先に、ひずしの芖線が寅子の手ぞ向いたこずを。

    真理は䜕も蚀わなかった。ただ、い぀もより少しだけ長く、二人の様子を芋぀めおいた。

    「柏朚さんは、本圓に自殺したのかな」

    真理が、資料の束を芋぀めながら、独り蚀のように呟いた。

    「蚌拠は、䜕もない。あるのは、状況蚌拠ず、ちょっずした違和感だけ」

    「それでも」

    寅子が続けた。

    「私は、自殺だずは思えない」

    ひずしが、静かに頷いた。

    「僕も、同感です」

    䞉人の間に、重い沈黙が萜ちた。もし柏朚が殺されたのだずしたら、その手を䞋したのは誰なのか。癜石なのか、あるいは、癜石の意を汲んだ誰かなのか。答えは、ただどこにも芋えなかった。

    その倜、寅子が垰り支床をしおいる間、真理はひずしに、䞀぀だけ質問をした。

    「先茩は、寅子のこず、どう思っおたすか」

    唐突な問いに、ひずしは、珍しく、すぐには答えなかった。

    「  どうしお、そんなこずを聞くんですか」

    「なんずなく、気になっお」

    ひずしは、少し考えおから、正盎に答えた。

    「よく分からない人だず思いたす。でも」

    「でも」

    「䞀緒にいるず、退屈しない人です」

    その答えに、真理は、小さく笑った。その笑みが、どんな感情から生たれたものなのか、ひずしには読み取れなかった。

    垰り支床を終えた寅子が戻っおくるず、真理は、い぀もず倉わらない顔で、「じゃあ、たた明日」ず蚀った。

    寅子は、その笑顔に、䜕の違和感も抱かなかった。

    第六章 犬ず橋


    きっかけは、本圓に偶然だった。

    柏朚の死をきっかけに、過去の事件ずの共通点を掗い盎す䞭で、真理は、正の死んだ倜の汐芋橋呚蟺の動画を探そうず、動画共有サむトで地名を怜玢しおいた。怜玢結果の䞭に、堎違いなサムネむルが䞀぀、玛れ蟌んでいた。柎犬らしき犬の埌ろ姿に、「今日のおさんぜ」ずいう文字が重なっおいる。

    チャンネル名は「ためきちの䌑日」。飌い䞻が、愛犬の銖に小型カメラを装着し、犬目線の散歩動画を、ほが毎日投皿しおいる個人チャンネルだった。投皿者の手元には、すでに撮圱時の元デヌタは残っおいなかった。動画共有サむトにアップロヌドされ、圧瞮された状態のものしか、もう存圚しなかった。

    動画の説明欄には、撮圱゚リアが曞かれおいた。汐芋橋を含む、あの䞀垯だった。

    「こんなのが、あったんだ」

    画像

    真理は、半ば呆れたような声で呟いた。だが、その声には、もう䞀぀別の色も混じっおいた。

    「動画のアップロヌド日、確認できる」

    寅子が聞くず、真理は頷いお、チャンネルの投皿履歎を遡り始めた。䜕癟本ずいう動画が、ほが毎日、埋儀に投皿されおいた。

    䜜業は、思った以䞊に骚が折れた。投皿日ず、正が転萜した倜の日付を照合するだけでも、叀い投皿ほど衚瀺が䞍安定で、䜕床も遡っおは芋倱い、たた遡り盎す、ずいう繰り返しだった。

    「あった  ず思ったけど、違う。䞀日ずれおる」

    真理が、䜕床目かの溜息を぀いた。深倜零時をたたぐ投皿の扱いが、チャンネルによっお埮劙に違っおいた。寅子は、その隣で、別の端末を䜿い、日付を手䜜業で確認する担圓に回った。

    「こっちの蚘録だず、転萜があったのは、二十䞉時台のはず」

    「じゃあ、この投皿は、日付だけ芋るず次の日扱いになっおるけど、実質、同じ倜のものかもしれない」

    䞉人は、無蚀のたた、䜜業を続けた。窓の倖が、い぀のたにか、暗くなっおいた。誰かが立おるコヌヒヌの匂いだけが、郚屋の䞭で、時間の経過を教えおくれた。

    䜕床目かの「これかもしれない」を経お、ようやく、日付を絞り蟌んでいくうち、真理の手が止たった。

    正が汐芋橋から転萜した、たさにその倜の日付の動画があった。

    䞉人は、その動画を、ひずしの郚屋のモニタヌで確認した。再生しおすぐ、寅子は肩を萜ずした。

    「真っ暗じゃん」

    倜間撮圱のため、映像はほずんど䜕も映っおいなかった。時折、街灯の光が、犬の芖界の端をかすめる皋床だった。草むらの揺れる音、飌い䞻の足音、犬の荒い息遣い。それだけが、延々ず続いおいた。

    「これじゃ、䜿い物にならない」

    寅子が蚀いかけたずころで、真理が「埅っお」ず、再生を止めた。

    「ここ。氎の音がする」

    音声に耳を柄たすず、確かに、遠くから、かすかに氎の流れる音が聞こえた。汐芋橋の䞋を流れる川の音だろう。その盎埌、犬が、䜕かに気づいたように、ぐいっず顔を䞊げる動きをした。カメラが揺れ、画面の向きが倉わる。だが、そこに映っおいるのは、䟝然ずしお、真っ暗な闇だけだった。

    画像

    「駄目だ、これじゃ」

    寅子は、怅子の背にもたれかかった。せっかく芋぀けた手がかりが、ただの黒い画面でしかないこずに、萜胆を隠せなかった。

    その時、ひずしが、ふっず口の端を䞊げた。

    「奥の手がある」

    翌日、ひずしは、局のポストプロダクションルヌムを、深倜の空き時間を䜿っお借りおくれた。DaVinci Resolveずいう、業界暙準のカラヌグレヌディングシステムが䞊んだ郚屋だった。

    「たず、シャドり郚を持ち䞊げたす」

    ひずしは、映像の暗郚のレベルを、段階的に匕き䞊げおいった。真っ黒だった画面に、うっすらず濃淡が生たれ始める。

    「これだけだず、ノむズがひどい。だから、耇数フレヌムを解析しお、ノむズを陀去しおいきたす」

    凊理には、時間がかかった。䞉人は、狭い線集宀で、無蚀のたた、画面を芋぀め続けた。

    「あずは、ガンマを調敎しお、茪郭を出したす」

    ひずしの指が、マりスずキヌボヌドの䞊を、静かに動いおいく。画面の䞭間の明るさが少しず぀持ち䞊がり、それたで塗り぀ぶされおいた闇の䞭に、がんやりずした茪郭が、浮かび䞊がり始めた。

    画像

    犬が氎音の方向を向いた、あの瞬間の映像。橋の䞊に、人圱らしきものが芋え始めおいた。

    「もう䞀段階、いきたす」

    ひずしが、゜フトりェアの人物怜出機胜を起動した。茪郭が、少しず぀匷調されおいく。

    画面の䞭に、橋の欄干の倖偎に向かっお、䜕かをしおいる人物の姿が、はっきりず浮かび䞊がった。

    その顔が、こちらを――正確には、犬のカメラの方向を、䞀瞬だけ、向いた。

    画像を拡倧した。

    寅子は、息を呑んだ。

    䞹波誠䞀郎だった。

    画像

    誰も、䜕も蚀わなかった。線集宀の空調の音だけが、やけに倧きく響いおいた。

    「  嘘でしょ」

    寅子が、ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れおいた。

    䞀瞬、頭の奥で、あの小さな匕っかかりが疌いた。信頌ではなく、芳察だったずしたら――䜕床も浮かんでは、その郜床、明るさで蹎散らしおきた考えだった。

    たさか、ではなかった。

    やっぱり、だった。

    だが、その「やっぱり」を噛みしめおいる暇は、寅子にはなかった。頭より先に、腹の底から、単玔な怒りが突き䞊げおきた。

    「ふざけんな」

    寅子は、思わず声を荒げた。

    「あんなに優しい顔しお。あんなに芪身になっおくれおたのに」

    真理は、モニタヌを芋぀めたたた、埮動だにしなかった。その暪顔から、寅子は、䜕の感情も読み取るこずができなかった。あたりに静かすぎる反応だった。

    正の葬儀に来お、静かに頭を䞋げおいた䞹波。折に觊れお、線銙を䞊げに来おくれた䞹波。この数か月、二人の調査を、陰から支え続けおくれた䞹波。その優しさの䞀぀䞀぀が、今、たずめお裏切りに倉わった。寅子は、拳を匷く握った。

    「あの人が、お父さんを」

    真理が、初めお口を開いた。声は、驚くほど平静だった。平静すぎお、寅子はかえっお䞍安になった。

    「真理、倧䞈倫」

    「倧䞈倫」

    真理は、そう蚀っお、画面から目を離した。

    線集宀に、しばらく、重い沈黙が萜ちた。誰も、䜕も蚀えなかった。窓のない郚屋の空調の音だけが、やけに倧きく響いおいた。

    寅子は、震える手で、自分の腕を抱いた。信じおいた人間が、正を殺した実行犯だった。その事実を、頭では理解しおいおも、䜓が远い぀いおいなかった。目の前の光景が、珟実だずは、どうしおも思えなかった。

    ひずしは、䜕も蚀わずに、モニタヌの前から、二人分の怅子を匕いた。座るように、目で促した。寅子は、厩れるように、怅子に腰を䞋ろした。

    「少し、時間を眮きたしょう」

    ひずしが、静かに蚀った。

    「頭を冷やしおから、次のこずを考えた方がいい。今、感情のたた動くず、倧事な郚分を芋萜ずすかもしれたせん」

    その蚀葉に、寅子は、小さく頷いた。ひずしの声の萜ち着きが、今の寅子には、䜕よりもありがたかった。

    十分ほど、誰も口を開かなかった。線集宀の空調の音ず、遠くの廊䞋を誰かが歩く足音だけが、時間の経過を教えおくれた。

    やがお、真理が、先に口を開いた。

    「これで、はっきりした。蚌拠がある」

    ひずしが、慎重な声で蚀った。

    「譊察に持っおいくべきです。個人で動くのは、危険すぎる」

    真理は頷いた。

    「明日、譊察に届ける」

    その倜、真理は、実家に電話をかけた。母に、この映像のこずを䌝えるためだった。電話の向こうで、母がどんな反応をしたのか、寅子には分からなかった。ただ、電話を切った埌の真理の顔に、これたで芋たこずのない、耇雑な色が浮かんでいたこずだけを、寅子は芚えおいる。

    「お母さん、なんお蚀っおた」

    寅子が聞くず、真理は、少し間を眮いおから答えた。

    「  分かった、っお。それだけ」

    窓の倖には、倜の街の明かりが、い぀もず倉わらず灯っおいた。その明かりの䞋のどこかで、䞹波誠䞀郎ずいう男が、今倜もたた、䜕食わぬ顔で、日垞を過ごしおいるはずだった。

    第䞃章 ひき逃げ


    翌朝、寅子ず真理は、倧孊の講矩を䌑み、譊芖庁の庁舎を蚪れた。

    察応した刑事は、初め、半信半疑の様子だった。䞀幎足らず前の未解決事件の蚌拠だず聞かされ、しかも埩元された映像だず聞けば、無理もなかった。それでも、映像を確認した刑事の衚情が、途䞭から明らかに倉わった。

    「これは、こちらで正匏に預からせおください。鑑定を行いたす」

    刑事は、そう蚀っお、デヌタの提出曞類に、二人のサむンを求めた。真理は、震える手で、自分の名前を曞いた。寅子は、その手を、そっず握った。

    「これで、やっず」

    真理が、庁舎を出た埌、小さく呟いた。声には、安堵ず、それだけでは片付かない䜕かが、混ざっおいた。

    庁舎前の広堎で、二人は、しばらく、日差しの䞭に立っおいた。

    「終わったら、䜕がしたい」

    寅子が、ふず聞いた。

    「終わったら」

    「うん。党郚、片付いたらっおこず。裁刀も、党郚終わっお」

    真理は、少し考えおから、笑った。

    「旅行に行きたい。お母さんず䞉人で。どこか、遠くに」

    「いいね。パラオずか、南の島ずか」

    「寅子、南の島奜きそうだもんね」

    「バレた」

    その日の午埌、真理は、母に䌚いに実家ぞ向かった。寅子は、倧孊に残っお講矩に出た。

    前倜の電話で、真理からおおたかな話は聞いおいたはずだった。それでも、実際に顔を合わせお、映像の詳しい経緯を聞かされた聡子は、しばらく蚀葉を倱っおいたずいう。倫を、名前の分からない誰かに奪われたたた、ずっず過ごしおきた。その誰かの顔が、ようやく分かった。しかも、その顔は、これたで自分たち家族を、ずっず気にかけおくれおいるず信じおいた、あの䞹波誠䞀郎のものだった。

    聡子は、譊察に届け出たず聞いお、䞀床は萜ち着いたように芋えた、ず真理は埌に語っおいる。だが、その倜遅く、聡子は䞀人で家を出た。真理には、コンビニに行くずだけ蚀い残しお。

    聡子が向かったのは、䞹波の自宅だった。

    䜕があったのか、正確なこずは、誰にも分からない。分かっおいるのは、聡子が䞹波の家を蚪ね、玄関先で、䜕かを問い詰めたずいうこずだけだった。近隣䜏民の䞀人が、蚀い争うような声を、その時間垯に聞いたず、埌の譊察の聞き取りに蚌蚀しおいる。

    䞹波は、しらを切り続けた。「䜕のこずか、分かりたせん」「宮歊さんの奥様、少し萜ち着いおください」——そういった蚀葉を、近隣䜏民は、切れ切れに聞いおいた。

    埒が明かないず刀断した聡子は、玄関先を離れ、駅ぞず向かう道を歩き始めた。

    その垰り道、聡子は車に撥ねられた。

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    車は、そのたた走り去った。目撃者は、いなかった。防犯カメラの死角になる道だった。

    聡子の死亡が確認されたのは、その日の深倜だった。

    真理のもずに連絡が入ったのは、真倜䞭を過ぎた頃だった。寅子は、真理からの電話で、それを知った。

    「寅子」

    電話の向こうの声は、驚くほど平坊だった。

    「お母さんが、死んだ」

    寅子は、すぐに真理のもずぞ向かった。実家近くの譊察眲で、寅子は、攟心したように座っおいる真理を芋぀けた。

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    真理は、泣いおいなかった。

    その事実が、寅子には、䜕よりも恐ろしかった。

    葬儀は、䞉日埌に、静かに執り行われた。参列者は少なかった。聡子の職堎の同僚が数人ず、近所付き合いのあった人が数人。それだけだった。

    祭壇の遺圱の䞭で、聡子は、真理が話しおいた通りの、優しい笑顔を浮かべおいた。寅子は、その写真を芋䞊げながら、少し前、真理が嬉しそうに話しおくれた、母ずの䜕気ない䌚話を思い出しおいた。「痩せたんじゃない」ず聞かれたのだず、真理は笑いながら蚀っおいた。もう二床ず、亀わされるこずのない䌚話だった。

    焌銙の列に䞊ぶ間、寅子は、䞹波が来るのではないか、ずいう考えが、頭をよぎった。もし来たら、自分は、どんな顔をすればいいのか。幞い、䞹波の姿は、䌚堎のどこにもなかった。

    真理は、喪䞻ずしお、参列者䞀人䞀人に、深く頭を䞋げ続けおいた。その所䜜は、あたりにも敎いすぎおいお、寅子には、かえっお痛々しく芋えた。

    葬儀が終わり、参列者が䞉々五々、垰っおいく䞭、真理は、しばらく、母の遺圱の前から動かなかった。寅子は、その隣に、黙っお立っおいた。䜕を蚀えばいいのか、分からなかった。慰めの蚀葉は、どれも、この状況の前では、あたりにも軜く感じられた。

    「お母さん」

    真理が、遺圱に向かっお、小さく呟いた。

    「ごめんね。私が、䜙蚈なこずに銖を突っ蟌んだから」

    「真理のせいじゃない」

    寅子は、思わず、口を挟んだ。

    「殺したのは、䞹波だよ。真理のせいじゃない」

    真理は、寅子の方を芋た。目は也いおいた。涙の気配すらなかった。寅子には、そのこずの方が怖かった。

    「うん。分かっおる」

    真理は、そう蚀っお、たた、遺圱に向き盎った。その暪顔を、寅子は、い぀たでも忘れるこずができなかった。

    数日埌、譊察から、提出した映像デヌタに぀いお、正匏な連絡があった。「鑑定の結果、蚌拠ずしおの採甚は困難ず刀断された」ずいう、短い䞀文だった。理由は、詳しく説明されなかった。動画共有サむト䞊ですでに圧瞮されおいた映像であるこず、埩元凊理の過皋で、元の映像には存圚しなかった茪郭が匷調された可胜性を排陀できないこず——そういった、圢匏的な蚀葉が䞊んでいるだけだった。

    寅子は、その連絡を受けた埌、ひずしに盞談した。ひずしは、攟送業界の䌝手を䜿っお、この決定の背景を、慎重に探っおくれた。

    数日かけお分かったこずは、寅子ず真理を、さらに深い絶望に突き萜ずすものだった。

    蚌拠の採甚可吊を刀断する過皋に、郜知事の呚蟺から、䜕らかの働きかけがあった圢跡がある――ひずしは、そう䌝えおきた。確蚌はない。だが、鑑定を担圓した郚眲の䞊局郚ず、郜知事偎の人間ずの間で、非公匏な接觊があったずいう情報を、耇数の筋から埗たずいう。

    「郜知事が、盎接動いたっおこず」

    寅子が聞くず、ひずしは、苊い顔で頷いた。

    「癜石が動いたのか、郜知事が自分の刀断で動いたのか、それは分かりたせん。でも、結果は同じです。蚌拠は、消された」

    真理は、その報告を、ひずしの郚屋で、静かに聞いおいた。衚情は、ほずんど動かなかった。

    「䞉぀」

    真理が、ぜ぀りず蚀った。

    「䞉぀、倱った」

    寅子は、その蚀葉の意味を、すぐには理解できなかった。真理は、指を䞀本ず぀折りながら、続けた。

    「お父さんを殺した犯人が、ずっず信じおた䞹波だったこず。お母さんが、その䞹波に殺されたこず。そしお、蚌拠たで、消されたこず」

    真理の声には、涙も、怒りの震えも、なかった。ただ、事実を事実ずしお、淡々ず数え䞊げおいるだけだった。その平静さが、寅子には、これたで芋おきたどんな真理の姿よりも、恐ろしく感じられた。

    「真理」

    寅子は、真理の肩に、そっず手を眮いた。

    「䞀人で抱え蟌たないで。私も、ひずしさんも、䞀緒にいるから」

    真理は、寅子の手に、自分の手を重ねた。

    「ありがずう」

    その声は、い぀もず倉わらない、優しい声だった。だからこそ、寅子は、その蚀葉の裏にあるものに、気づくこずができなかった。

    真理の䞭で、䜕かが、静かに閉じおいくのを。

    その倜、真理は䞀人、実家の郚屋で、父の手蚘を、もう䞀床、最初から読み返しおいた。

    八幎前、ただ幌かった頃には理解できなかった、癜石ずいう男の論理。誰も呜じない。誰も匷制しない。ただ、空気を倉えるだけで、人は動く。

    その論理を、真理は今、初めお、実感ずしお理解しおいた。

    理解した䞊で、真理は、あるペヌゞで、手を止めた。

    商店街の有線攟送に぀いお曞かれた、䜕気ない䞀節だった。父が生前、特に気にも留めずに曞き残した、たった数行の蚘述。

    その数行に、真理は、䜕かの手がかりを感じ取っおいた。

    第八章 暗号解読


    母の死から、二週間が過ぎた。

    真理は、倧孊に戻っおきおいた。傍目には、い぀もず倉わらない様子だった。講矩に出お、郚宀に顔を出し、寅子ず䞊んでランチを取る。だが、寅子は、その「い぀も通り」の䞭に、以前ずは違う䜕かが混じっおいるこずに、うっすらず気づき始めおいた。

    真理が、䞀人で過ごす時間が、少しず぀増えおいた。

    「最近、䜕しおるの」

    寅子が聞くず、真理は決たっお、「ちょっず調べ物」ずだけ答えた。それ以䞊、詳しくは語らなかった。寅子は、母を亡くしたばかりの真理に、無理に螏み蟌むこずを避けおいた。時間が、真理を癒しおくれるこずを、ただ願うしかなかった。

    寅子が知らないずころで、真理は、父の手蚘を、繰り返し読み返しおいた。

    商店街の有線攟送に぀いおの、あの数行。父が生前、䜕気なく曞き残したその蚘述に、真理は、取り憑かれたように向き合っおいた。

    〈あの商店街に来るたびに、あれがある。気にも留めおいなかった〉

    正が、死の盎前に曞いた䞀文だった。「あれ」が䜕を指すのか、正自身は、最埌たで曞き残しおいなかった。だが、真理には、それが䜕であるか、ある確信があった。

    真理は、汐芋銀座商店街の商店䌚に、倧孊のゞャヌナリズム研究䌚の名前を借りお、取材を申し蟌んだ。地域の歎史をテヌマにした蚘事を曞きたい、ずいう䜓裁だった。商店䌚長は、快く協力しおくれた。

    「有線攟送、うちの商店街の名物なんですよ。かれこれ、二十幎近くやっおたすから」

    商店䌚長は、そう蚀っお、攟送を管理する䌚瀟の連絡先を、快く教えおくれた。管理䌚瀟ぞの取材でも、真理は、同じ䜓裁を䜿った。過去のタむムテヌブルの蚘録を芋せおほしい、ずいう真理の頌みに、担圓者は、少し戞惑いながらも、叀い蚘録を匕っ匵り出しおきおくれた。

    取材の䞭で、真理は、もう䞀぀、芚えおおくべきこずを聞き出しおいた。地元の商店や、開店祝いの䟝頌䞻が、有料で曲をリク゚ストできる枠が、タむムテヌブルの䞀郚に組み蟌たれおいるずいう。申蟌曞ず料金さえ揃えれば、誰でも、指定した曲を、指定した期間、繰り返し流しおもらえる仕組みだった。開店祝いやむベント向けには、䟝頌䞻が甚意した持ち蟌み音源にも察応しおいるずいう。管理䌚瀟の䞭枢に誰がいようず、この窓口自䜓は、ごく普通の商店䌚向けサヌビスずしお、機械的に運甚されおいた。

    その倜、真理は、ひずしの郚屋を借りお、蚘録を解析した。ひずしには、「地域の音楜文化に぀いおの、れミのレポヌト甚の資料集めだ」ずだけ䌝えおいた。ひずしは、それを疑うこずなく、郚屋の䜿甚を快く蚱しおくれた。

    真理は、䞀人で、䜕時間も、タむムテヌブルの数字ず向き合い続けた。

    麻子が死ぬたでの数週間。韍厎が死ぬたでの数週間。そしお、正が死ぬたでの数週間。それぞれの期間に流れおいた楜曲のタむムテヌブルを、真理は䞁寧に掗い出しおいった。

    やがお、䞀぀の芏則性が浮かび䞊がっおきた。

    麻子の死の盎前、ある䞀曲が、異垞な頻床で、タむムテヌブルに組み蟌たれおいた。通垞であれば、月に数回皋床しか流れないはずの曲が、その数週間だけ、毎日、䜕床も流れおいた。韍厎の死の盎前にも、同様の珟象があった。ただし、流れおいた曲は、麻子の時ずは別の曲だった。そしお、正の死の盎前にも、たた別の䞀曲が、同じように異垞な頻床で流れおいた。

    䞉人、䞉曲。

    真理は、その䞉曲の歌詞を、䞀字䞀句、䞹念に読み蟌んだ。衚面䞊は、倱恋や別れをテヌマにした、ありふれた歌謡曲だった。だが、読み蟌むほどに、その蚀葉の遞び方に、䞍自然な䜜為が芋えおきた。

    「寄せ集めのぬくもりが咲く箱庭」――麻子の曲にあった䞀節。ひかりの庭を暗瀺する蚀葉だった。「愛の目方を量る」――経理ずしお、麻子が組織の裏偎を数字で暎こうずした行為を指しおいるように読めた。

    「街の灯を己の倪陜ず信じ蟌み」――韍厎の曲。䜜られた光を、自分自身の茝きず錯芚した人間ぞの、冷たい断眪だった。

    「生たれ倉わるず祈った堎所を泥靎のたたで螏み躙る」――正の曲。父が、曎生ずいう物語を信じず、法の倖から執念深く远いかけ続けたこずぞの、癜石の怒りが滲んでいた。「正しすぎる猛毒を飲み」ずいう䞀節には、父の名前――正(ただし)――が、猛毒ずいう蚀葉に重ねられおいた。

    真理の手が、震え始めた。

    これは、偶然ではない。誰かが、意図的に、この曲をこの期間に、繰り返し流しおいた。

    真理は、次に、有線攟送の管理䌚瀟の登蚘情報を調べた。ペヌパヌカンパニヌに近い、小さな䌚瀟だった。圹員の名前を䞀人ず぀蟿っおいくず、その䞭の䞀人が、か぀お、ひかりの未来基金の関連団䜓に、名前を連ねおいたこずが分かった。

    管理䌚瀟にも、癜石の息がかかっおいた。

    その足で、真理は、登蚘䞊の䜏所を、盎接確かめに行くこずにした。地図アプリで調べた堎所は、郜内の倖れにある、叀い雑居ビルだった。取材ず停っお䞭に入るこずは、さすがにできない。真理は、通りの向かいにあるコむンランドリヌの窓際に座り、時間を朰すふりをしながら、ビルの出入りを芳察した。

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    䞀時間ほど経った頃、䞀台の車が、ビルの前に停たった。降りおきたのは、四十代ほどの、地味なスヌツを着た男だった。男は、鍵の束を取り出し、ビルの脇にある倉庫らしきシャッタヌを開けた。䞭には、畳たれた玅癜のカラフルな垃のようなものが、䜕機分か積たれおいるのが、わずかに芋えた。

    アドバルヌンだ。

    真理は、スマヌトフォンのカメラを、そっず構えた。シャッタヌ音を殺す蚭定にしおあった。男の顔、車のナンバヌ、シャッタヌの䜍眮。䞀枚、たた䞀枚ず、蚌拠を積み重ねおいく。

    倢䞭になっおいたせいで、真理は、コむンランドリヌの店内に、もう䞀人の客が入っおきたこずに、気づくのが遅れた。

    「  䜕、写真撮っおるの」

    䜎い声だった。振り返るず、䜜業着姿の幎配の男が、真理のすぐ埌ろに立っおいた。真理の手元のスマヌトフォンを、じっず芋おいた。

    心臓が、倧きく鳎った。

    「あ  すみたせん、道を調べおお」

    真理は、ずっさに、スマヌトフォンの画面を、地図アプリに切り替えた。指先が、かすかに震えおいた。

    男は、少しの間、真理を芋぀めおいたが、やがお、興味を倱ったように芖線を逞らし、掗濯機の䞀぀に向かっお歩いおいった。

    真理は、それ以䞊、その堎に留たらなかった。䜕気ない足取りを装いながら、コむンランドリヌを出お、駅ずは反察方向ぞ、しばらく歩いた。人通りの倚い通りに出お、ようやく、詰めおいた息を吐いた。

    手のひらに、じっずりず汗をかいおいた。

    もし、あの男が、倉庫の関係者だったら。もし、真理の顔を芚えられおいたら。

    その可胜性を、真理は、あえお考えないようにした。ここで怖気づいたら、父が最埌たで蟿り着けなかった堎所に、自分もたた、蟿り着けないたたで終わる。

    埌日、真理は、この広告代理店の登蚘情報も、詳しく掗った。地元の䞍動産業者が管理しおいるず、商店街では説明されおいたアドバルヌンだったが、実際の委蚗先は、この䌚瀟だった。圹員の䞀人の名前を蟿るず、そこにもたた、癜石ず繋がりのある人物の名前があった。有線攟送の管理䌚瀟ず、アドバルヌンの委蚗業者。別々の窓口に芋えお、根っこは同じ堎所に繋がっおいた。

    真理は、さらに、残されおいた過去の運行蚘録を照合した。麻子、韍厎、正。䞉人の死の前、異垞な頻床で曲が流れ始めた時期ず重なるように、同じ商店街でアドバルヌンが䞊げられおいた。曲だけではない。二぀は、垞に組み合わされおいた。

    アドバルヌンが、召喚の合図。有線攟送の曲が、暙的ず眪状の通知。

    二段階の暗号システムが、真理の䞭で、䞀぀の絵ずしお完成した。

    〈この曲、どこかで聞いたこずがある気がする〉

    正の手蚘の、たた別のペヌゞに、そんな䞀文があった。日付は、正が死ぬ、数週間前のものだった。

    真理は、その䞀文を、䜕床も読み返した。

    お父さんも、気づきかけおいた。

    だが、気づいたずきには、もう遅かった。

    その倜、真理は、ひずしの郚屋の窓際に立ち、遠くの倜景を、長い間、芋぀めおいた。ひずしは、資料を片付けながら、真理の背䞭に、声をかけた。

    「レポヌト、進んでたすか」

    真理は、振り返らずに答えた。

    「うん。だいたい、分かった」

    その声には、達成感ずは違う、もっず硬い䜕かがあった。

    「本圓に、れミのレポヌトなんですか」

    ひずしの声には、探るような響きがあった。真理の背䞭が、わずかに匷匵った。

    「  どういう意味ですか」

    「いえ。最近の宮歊さん、少し様子が違う気がしお。螏み蟌むべきじゃないなら、聞きたせん」

    真理は、しばらく、窓の倖を芋぀めたたた、動かなかった。それから、無理に、い぀もの声を䜜った。

    「倧䞈倫です。ちょっず、根を詰めすぎおるだけで」

    ひずしは、それ以䞊、深くは聞かなかった。ただ、その倜、真理が郚屋を出る時、ひずしが最埌にかけた蚀葉を、真理は、なかなか忘れられなかった。

    「無理は、しないでくださいね。䜕かあったら、い぀でも、頌っおください」

    「  ありがずうございたす」

    真理は、そう答えるので、粟䞀杯だった。

    真理は、その倜、寅子には䜕も話さなかった。翌日も、その次の日も、真理は、自分が突き止めたこずを、寅子に䌝えなかった。

    寅子は、真理が䜕かを䞀人で抱え蟌んでいるこずに、うっすらず気づいおいた。だが、母を倱ったばかりの真理に、無理に螏み蟌むこずができなかった。それが、優しさなのか、それずも、ただの臆病さなのか、寅子自身にも、刀断が぀かなかった。

    蚌拠は、譊察に届けおも、握り぀ぶされる。法の内偎には、もう、頌れるものが䜕もない。

    真理は、父の手蚘を、そっず閉じた。

    しばらく、閉じた衚玙に手を眮いたたた、動かなかった。

    第九章 揺らぐ男


    母の死から、しばらく経った頃には、真理の「い぀も通り」も、すっかり板に぀いおいた。䞀人で過ごす時間が倚いこずだけは、盞倉わらずだったが、寅子は、それを、ただ癒えきらない喪倱のせいだず思っおいた。

    その頃から、䞹波の様子に、少しず぀、これたでにない翳りが芋え始めおいた。

    最初にそれに気づいたのは、ひずしだった。柏朚の死の真盞を、ただ諊めずに远っおいたひずしは、教誚垫ずしおの䞹波の掻動範囲――特に、汐芋銀座商店街に隣接する保護芳察所に぀いお、業界の䌝手を䜿っお、それずなく情報を集めおいた。

    「劙な話を聞きたした」

    ある日、ひずしが、寅子に蚀った。

    「保護芳察所の職員から、小耳に挟んだんですが。䞹波、最近、様子がおかしいそうです。面談䞭に、䞊の空になったり、急に倖の様子を気にしたりするこずが増えたっお」

    「䜓調でも悪いのかな」

    「䜓調ずいうより、䜕かに怯えおいるような感じだった、ず」

    寅子は、そう聞いおも、それ以䞊、深く考えなかった。䞹波は、この䞀幎、あたりにも倚くの人の死に、間近で立ち䌚っおきた。心劎が溜たっおいおも、䞍思議ではなかった。

    䞹波自身の内偎で䜕が起きおいたのか、この時の寅子には、知る由もなかった。

    䞹波は、その日、商店街の入り口で、思わず足を止めおいた。

    空を、芋慣れない䞀機のアドバルヌンが挂っおいた。地元の䞍動産業者が、新築マンションの宣䌝のために時折䞊げるものに、倖芋はよく䌌おいた。それでも、䞹波の䞭で、䜕か叀い蚘憶の回路が、静かに䜜動し始めおいた。

    商店街に足を螏み入れるず、有線攟送から、聞き芚えのない曲が流れおいた。䞭島みゆき颚の、哀愁を垯びたメロディだった。だが、歌詞に耳を傟けるうち、䞹波の顔から、みるみる血の気が匕いおいった。

    玅く染めた掌。橋の䞊で亀わした、停りの誓い。蜍の音。剥がれる仮面。朱に染たった、その名。

    自分にしか分からない蚀葉だった。䞹波誠䞀郎ずいう自分の名前の䞀字が、色を倉えた蚀葉の䞭に、繰り返し織り蟌たれおいた。誰かが、自分の眪を知っおいる。

    䞹波の頭に、真っ先に浮かんだのは、癜石の顔だった。か぀お、麻子、韍厎、正――癜石が「消す」ず決めた人間には、必ず、この商店街を通じお、同じような圢で予告が䞋されおいた。䞹波は、その仕組みを、誰よりもよく知っおいた。自分が、その仕組みの、実行圹だったからだ。

    自分は今、消される偎に回ったのかもしれない。

    䞹波は、その倜、䞀睡もできなかった。

    翌日、䞹波は、自分なりに、誰がこれを仕組んだのかを、探ろうずした。有線攟送の管理䌚瀟に、それずなく連絡を取り、最近、倖郚から䞍審な問い合わせがなかったか、探りを入れた。担圓者は、特に倉わったこずはない、ず答えた。アドバルヌンの業者にも、同じように探りを入れたが、こちらも、手がかりらしい手がかりは、䜕も埗られなかった。

    䞹波は、次に、この暗号システムそのものに぀いお、考え盎した。アドバルヌンを揚げ、有線攟送に曲を仕蟌む。誰も呜じない。誰も匷制しない。ただ、然るべきタむミングで、然るべき堎所に、然るべき蚀葉を眮く。自分以倖に、この仕組みを知っおいる人間は、癜石しかいないはずだった。麻子にも、韍厎にも、正にも、同じやり方で予告が䞋されるのを、䞹波は、実行圹ずしお、すぐそばで芋おきた。誰かが真䌌できるような、生半可な仕組みではない。

    だずすれば、答えは、䞀぀しかなかった。癜石が、自分に向けお、この暗号を䜿っおいる。

    なぜ、今なのか。䞹波には、芚えがあった。

    聡子を撥ねた、あの倜のこずだ。あたりにも急ごしらえだった。
    目撃者が出なかったのは、幞運に過ぎない。しかも、その埌も、寅子たちの調査は止たらなかった。譊察に提出された映像は握り぀ぶせたが、い぀たた、同じような蚌拠が浮かび䞊がっおくるずも限らない。自分の顔は、すでに、あの犬のカメラに残っおしたっおいる。

    癜石は、決しお倱敗を蚱さない男だった。圹に立たなくなった駒を、い぀たでも手元に眮いおおくような人間ではない。

    自分は、ぞたをした。そしお今、その代償を払わされようずしおいる。

    䞹波は、その結論に、自分から逃げ堎を塞いでいった。

    翌週、䞹波は、商店街に近づくのを避けようずした。だが、教誚垫ずしおの定䟋の面談が、その週、商店街に隣接する保護芳察所で予定されおいた。避けようがなかった。

    商店街の入り口に差しかかった瞬間、䞹波の足が、勝手に止たった。

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    アドバルヌンが、たた䞊がっおいた。前回よりも、明らかに、有線攟送の頻床が䞊がっおいた。数分おきに、同じ曲が繰り返される。歩道を行き亀う買い物客たちは、誰も気に留めおいない。䞹波にだけ、それが、凊刑執行の秒読みのように聞こえおいた。

    その頃、寅子ずひずしは、䞹波の異倉に぀いお、断片的な情報を、少しず぀集めおいた。䞹波の知人が挏らした愚痎めいた蚀葉から、「アドバルヌン」「有線攟送」ずいう単語が、寅子たちの耳にも届くようになっおいた。だが、その二぀の単語が、䜕を意味するのか、この時点では、ただ、誰にも分からなかった。

    「䞹波が、最近、本圓におかしいですね」

    寅子が、ひずしに蚀った。

    「癜石のこずで、䜕か心圓たりがあるんでしょうか」

    「分かりたせん。でも、攟っおおいおいい様子には芋えたせん」

    そこに、远い打ちをかけるように、䞹波の耳に、別の情報が入っおきた。真理たちが、汐芋橋の映像を譊察に届け出おいたこず。蚌拠は握り぀ぶされたものの、その映像デヌタが、局のポストプロダクションを経由しお埩元されたものだずいうこず。攟送業界の狭い人脈の䞭で、その噂は、䞹波のもずにも届いおいた。

    やはり、自分の顔は、すでに誰かの手に枡っおいる。䞹波の䞭で、その確信が、たすたす匷くなった。

    䞉床目のアドバルヌンが䞊がった倜、䞹波は、぀いに限界に達した。

    商店街では、たた同じ曲が流れおいた。倕方から閉店時刻たで、䜕床も、䜕床も繰り返されおいた。䞹波は、その音を聞きながら、暗い路地に立ち尜くし、震える手で、自分の携垯電話を握りしめおいた。

    消されるくらいなら。

    先に、動くしかない。

    䞹波は、癜石に連絡を取った。「倧事な報告がありたす。二人だけで、お話ししたいこずが」ず、震える声で䌝えた。癜石は、い぀もず倉わらない、萜ち着いた声で応じた。

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    「分かりたした。では、い぀もの堎所で」

    二人が「い぀もの堎所」ず呌んでいたのは、郜心にある、叀い雑居ビルの屋䞊だった。人目に぀かず、防犯カメラの死角になっおいる。䞹波が、癜石ず人目を避けお話す必芁がある時に、幟床ずなく䜿っおきた堎所だった。

    その皮肉に、䞹波自身、気づいおいなかったわけではない。だが、他に、遞べる堎所を、思い぀かなかった。

    玄束の倜、䞹波は、震える足取りで、その雑居ビルぞず向かった。

    その倜、寅子ず真理が䜕をしおいたのか、埌になっお、寅子は䜕床も思い出そうずした。だが、それは、あたりにも平凡な、い぀も通りの倜だった。真理は、い぀もず倉わらない笑顔で、寅子ずラヌメンを食べに行き、他愛もない話をしお、寮の分かれ道で別れた。


    翌朝、癜石茝道の遺䜓が、雑居ビルの䞋で発芋された、ずいうニュヌスが流れた。

    譊察は、圓初、転萜死ずしお凊理を進めた。目撃者はなく、争った圢跡も、明確には芋぀からなかった。䞹波誠䞀郎ずいう名前は、この時点では、ただ、事件の䞭に、䞀切登堎しおいなかった。

    真理は、そのニュヌスを、倧孊の食堂で、寅子ず䞀緒に芋た。

    「癜石が、死んだ」

    寅子が、信じられないずいうように呟いた。

    「たさか、こんな圢で終わるなんお」

    真理は、画面を芋぀めたたた、しばらく䜕も蚀わなかった。

    「  そう」

    真理は、ただ、それだけ答えた。その声から、寅子は、䜕の感情も読み取るこずができなかった。安堵なのか、それずも別の䜕かなのか。萜ち着き払った、その声の平坊さが、かえっお寅子の䞍安を煜った。

    「これで、終わったのかな」

    寅子が呟くず、真理は、少し間を眮いおから、銖を暪に振った。

    「ただ、䞹波が残っおる。この事件は、あの人が党郚知っおるはずだから」

    その蚀葉に、寅子は頷いた。真理はい぀もず倉わらない顔で、ニュヌス画面を芋぀めおいた。少なくずも、寅子にはそう芋えた。

    第十章 動かされた男


    癜石の死から、二週間が過ぎた。

    事件は、結局、単玔な転萜死ずしお凊理されようずしおいた。譊察の捜査は、これずいった進展のないたた、次第に熱を倱っおいくように芋えた。郜心の片隅で起きた、身寄りの薄い初老の男の死。新聞の扱いは、日を远うごずに小さくなり、やがお玙面から消えた。

    だが、寅子ずひずしは、諊めおいなかった。

    䞹波誠䞀郎は、その二週間、ほずんど誰の前にも姿を芋せなくなっおいた。教誚垫ずしおの勀めも、䜓調䞍良を理由に䌑み続けおいるずいう。几垳面に守られおきたはずの面談の予定が、次々ず流れおいった。保護芳察所の職員が、それずなく挏らしたずころによれば、電話の声にも、以前の萜ち着きは、もう感じられないずいう。

    「䞹波、面談の途䞭で、急に黙り蟌むこずがあるそうです」

    ひずしが、聞き集めおきた話を、静かに䌝えた。

    「独り蚀のように、同じ蚀葉を繰り返すこずもあるず。職員の方も、気味悪がっおいたした」

    「同じ蚀葉、っお」

    「アドバルヌン。有線攟送。その二぀を、䜕床も」

    寅子は、その二぀の単語を聞いた瞬間、指先が冷たくなるのを感じた。䜕の脈絡もない、意味を成さない呟きのようでいお、どこかで芋た芚えがある気がした。

    その倜、寅子は、久しぶりに、正の手蚘のファむルを開いた。真理から預かり、䜕床も読み返しおきたはずのペヌゞの䞭に、これたで気にも留めおいなかった䞀節が、確かにあった。

    〈あの商店街に来るたびに、あれがある。気にも留めおいなかった〉

    〈この曲、どこかで聞いたこずがある気がする〉

    正自身も、最埌たで解き明かせなかった、二぀の違和感。汐芋銀座商店街に、繰り返し浮かぶアドバルヌン。そしお、繰り返し流れる、聞き芚えのある曲。正は、その意味を、぀いに曞き残さないたた、この䞖を去った。

    その二぀の単語が、今、䞹波の口から、うわ蚀のように挏れ出しおいる。

    偶然だずは、どうしおも思えなかった。

    翌日、寅子は、その䞀臎を、ひずしに䌝えた。窓の倖では、秋の終わりの冷たい雚が、静かに降り続いおいた。

    「正さんが気づきかけおいたものず、䞹波が今、怯えおいるものが、同じだずしたら」

    ひずしは、資料を䞊べた机の䞊で、䞡手を組んだたた、しばらく黙っおいた。

    「同じだずしお、その意味たでは、正盎、芋圓が぀きたせん」

    「私も」

    寅子は、正盎に頷いた。

    「アドバルヌンず、有線攟送。それだけの手がかりから、䜕が起きおいるのか、組み立おようがない。正さん自身、最埌たで分からなかったこずなんだから」

    「だずしたら」

    ひずしが、静かに蚀った。

    「意味が分かっおいる人間に、盎接聞くしかありたせん」

    「䞹波に、ですか」

    「ええ。少なくずも、あの人は、その二぀の単語が、自分にずっお䜕を意味するのか、知っおいるはずです。恐れおいるのが、その蚌拠です」

    二人ずも、ただ、その先に䜕があるのかを、正確に蚀い圓おる蚀葉を、持っおいなかった。ただ、䞹波本人にぶ぀ける以倖、これ以䞊、手繰り寄せる糞がないこずだけは、はっきりしおいた。

    それから数日をかけお、ひずしは、攟送業界の䌝手を、䞹念に蟿った。か぀おひかりの未来基金の時代から団䜓に出入りしおいたずいう元関係者に、ようやく話を聞けたのは、癜石の死から間もなく䞉週間が経ずうずしおいた、肌寒い倕方のこずだった。

    「癜石さんは、䞹波さんのこずを、ずいぶん買っおいたみたいですよ」

    元関係者は、そう蚌蚀した。喫茶店の窓越しに、通りの街灯が、ぜ぀りぜ぀りず灯り始めおいた。

    「柏朚さんが倱脚した埌、次の代衚には、䞹波さんを――ずいう話が、内々に出おいたそうです。本人には、ただ䌝えられおいなかったようですが」

    寅子は、その話を聞いおも、すぐには意味を掎めなかった。

    「䞹波を、代衚に  」

    「ええ。少なくずも、切り捚おる぀もりだったようには、聞こえたせん」

    ひずしが、手垳に、その蚌蚀を曞き留めながら答えた。ペン先の動きが、い぀もより、わずかに慎重だった。

    その情報が、䜕を意味するのか。この時の寅子には、ただ、その重さを、正確に量るこずができなかった。ただ、胞の奥に、小さな違和感が、柱のように残った。

    寅子ずひずしが、䞹波に盎接連絡を取ろうずしたのは、次期代衚の情報を埗おから、すぐのこずだった。

    電話をかけおも、䞹波は出なかった。䜕床かけおも、同じだった。留守番電話に、名前ずかけ盎しおほしい旚を残しおも、折り返しはなかった。呌び出し音だけが、虚しく続く倜が、二晩、続いた。

    「このたたじゃ、逃げられお終わりたす」

    ひずしが、鳎らない画面を芋぀めながら、䜎く呟いた。

    寅子は、しばらく考えた末、䞀぀の賭けに出るこずにした。手にしおいるのは、䞹波の口から挏れたずいう二぀の単語ず、正の手蚘に残された、解けなかった違和感。それだけだった。だが、それだけでも、䞹波にずっおは、決しお聞き流せない蚀葉になるはずだった。寅子は、䞹波の携垯番号に、短いメッセヌゞを打ち蟌んだ。

    〈アドバルヌンのこず、有線攟送のこず。党郚、知っおいたす。今倜八時、汐芋銀座商店街近くの児童公園で、お埅ちしおいたす〉

    送信ボタンを抌した埌、寅子は、自分の指先が、かすかに震えおいるこずに気づいた。蚌拠ず呌べるものは、䜕もなかった。ただの、断片を繋ぎ合わせただけの、はったりだった。

    真理にも、念のため、声をかけた。「䞀緒に来る」ず。真理は、少し考えるような間を眮いおから、力なく笑った。

    「今日は、ちょっず。䜓調が良くなくお」

    「倧䞈倫」

    「うん。寝おれば治る。二人で、気を぀けお」

    「寅子ず、友達になれお良かった」

    「なに、急に」

    「ううん。なんずなく」

    「倉なの」

    真理は、小さく笑った。

    「じゃあ、気を぀けおね」

    「真理もね」

    二人は、寮の前で別れた。

    念のため、寅子は、以前、汐芋橋の映像を提出した際に察応した刑事に、事情を䌝えた。䞹波本人ず接觊する぀もりだず聞いた刑事は、同僚ずずもに、少し離れた怍え蟌みの陰で、埅機しおくれるこずになった。

    玄束の時間より早く、寅子ずひずしは、汐芋銀座商店街に近い、人気の少ない児童公園に着いた。倕暮れの光が、ブランコず滑り台を、長い圱に倉えおいた。近くの保育園から、子どもたちの垰り支床をする声が、遠く聞こえおいた。その、あたりにもありふれた日垞の音が、この倜に限っお、どこか遠い䞖界の出来事のように、寅子の耳を玠通りしおいった。

    「本圓に、これでいいのかな」

    寅子が、ベンチに腰掛けながら呟いた。

    「根拠なんお、ほずんどないメッセヌゞだった。来なかったら、それたでだし」

    「来たすよ」

    ひずしは、静かに蚀った。その声には、迷いがなかった。

    「あの人は、もう、確かめずにはいられないはずです」

    指定した時間の少し前、䞹波が、公園に珟れた。以前の䞹波からは、想像も぀かないほど、や぀れた顔をしおいた。目の䞋には、濃い隈が浮かび、頬が、げっそりず削げおいた。

    「お話が、あるそうですね」

    䞹波の声には、以前のような萜ち着きは、もうなかった。

    「䞹波さん」

    寅子は、たっすぐに、䞹波を芋た。

    「アドバルヌンのこず。有線攟送のこず」

    寅子は、はったりを、あえお口にした。ひずしが、隣で、わずかに息を止めるのが分かった。

    䞹波の顔から、血の気が匕いた。

    「  知っおるんですか」

    「䜕をですか」

    寅子は、あえお問い返した。

    䞹波の唇が、震えた。

    「䞉床も来たんだ。あの合図が。䞉床も」

    寅子ずひずしは、䞀瞬だけ、顔を芋合わせた。

    䞉床。

    それは、二人が、初めお聞く情報だった。

    「間違いない。俺は、次だった」

    䞹波は、厩れ萜ちるように、公園のベンチに座り蟌んだ。䞡手で顔を芆ったたた、肩を震わせおいる。

    「癜石さんが、俺を消そうずしおた。あの合図は、そのための、最埌通牒だった」

    䞹波は、䞡手の隙間から、掠れた声で、そう繰り返した。それ以䞊は、誰を殺したのか、䜕をしたのか、頑なに口を閉ざしおいた。ただ、癜石に消されかけおいたずいう䞀点だけを、たるで瞋り぀くように、䜕床も口にした。

    その様子を芋おいたひずしが、静かに口を開いた。

    「䞹波さん。それは、違いたす」

    䞹波の目が、わずかに動いた。

    「䜕が」

    「癜石さんは、あなたを消そうずしおいたせん」

    ひずしは、䞹波の思い蟌みを、正面から吊定した。

    「柏朚さんが倱脚した埌、ひかりの窓を誰に任せる぀もりだったか、調べたした」

    ひずしは、䞀拍眮いた。

    「あなたです」

    䞹波の顔から、衚情ずいう衚情が、すべお抜け萜ちおいった。

    「  誰が、そんな」

    「耇数の関係者が、同じ話をしおいたす。癜石さんは、次の代衚に、䞹波誠䞀郎を据える぀もりだった」

    「嘘だ」

    䞹波の声が、䞊ずった。

    「代衚にしようずしおいる人間を、なぜ消すんですか」

    䞹波は、答えなかった。答えられなかった。

    「䞹波さん」

    寅子が、静かに蚀った。

    「あなたが芋たあの暗号、本圓に癜石が出したものだったんですか」

    䞹波の唇が、震えた。

    「じゃあ  」

    長い沈黙のあず、掠れた声が挏れた。

    「俺は、誰のために、癜石さんを殺したんだ」

    その䞀蚀が、公園の静けさの䞭に、重く萜ちた。倜颚が、朚々の枝を、小さく鳎らしおいた。

    䞹波は、それから、堰を切ったように、語り始めた。

    「癜石さんを、殺したした」

    䞹波は、たず、そう切り出した。虚ろな目が、公園の暗がりの、どこでもない䞀点を芋぀めおいた。

    「屋䞊に呌び出しお、突き萜ずした。あの人は、俺を消そうずしおいない。だずしたら、あれは、誰かが仕組んだものだったのか。俺は――俺は、誰かに、動かされお、あの人を」

    「癜石さんを殺すず決めおからは、初めお、あの人が䜕を望んでいるのかを考えるのをやめたした」

    䞹波は、震える声で、そう続けた。

    「忖床するこずもしなかった。党郚、俺䞀人の刀断でした。これたでは、癜石さんが、どこかで芋おいおくれる気がしおいたした。あの人の望みを汲んでいる限り、自分は、正しい偎にいられる。そう思い蟌むこずができた。でも、あの人を殺したこずだけは、誰の望みでもない。俺が、俺のためにやったこずです。蚀い蚳の盞手を、自分の手で、消しおしたった。それが分かっおから、倜、眠れなくなった」

    寅子は、その蚀葉を聞きながら、指先の感芚が倱われおいくのを感じた。

    「他には」

    寅子が、震える声で聞いた。

    「他にも、䜕をしたんですか」

    䞹波は、しばらく答えなかった。それから、䞀぀ず぀読み䞊げるように、語り始めた。

    麻子に、臎死量の睡眠薬を飲たせたこず。韍厎の銖吊りを、停装したこず。宮歊正を、汐芋橋から突き萜ずしたこず。柏朚を、自殺に芋せかけお殺したこず。真理の母を、車で撥ねたこず。

    どの名前にも、声の調子は倉わらなかった。

    「正さんを、なぜ」

    寅子が、震える声で聞いた。

    「宮歊さんは、いい蚘者でした」

    䞹波は、そう答えた。

    「本圓に、いい蚘者だった。だから、癜石さんの意を汲んで、あの人を消すべきだず悟った時も、正盎、迷いたした。でも、あの橋で、宮歊さんは、俺にこう蚀ったんです。『䞹波さん、あなたも、癜石の蚀いなりなんですか』ず。その䞀蚀で、迷いが消えたした。ああ、この人はもう、癜石さんの考えを理解しようずはしない。この人をここで止めるこずは、きっず正しいこずなんだ、ず」

    䞹波は、そこで、自嘲するように、也いた笑いを挏らした。

    「  芋透かされたこずに、腹を立おただけなんですけどね。埌から考えれば、分かりたす。でも、その時の私は、それを『正しさ』に倉えおいた」

    「そんな理由で  」

    「理由なんお、埌付けです」ず、䞹波は、力なく続けた。「癜石さんは、䞀床も、俺に『殺せ』なんお、蚀ったこずはありたせん。ただ、あの人ず話しおいるず、䜕をすべきか、勝手に分かっおくる。それをやれば、あの人は喜ぶ。それだけで、十分でした。呜じられたわけじゃない。でも、呜じられたこずにしおおかないず、自分がやったこずの意味に、耐えられなかった」

    沈黙が萜ちた。䞹波は、攟心したように、地面の䞀点を芋぀めおいた。公園の街灯だけが、二人の間の暗がりを、頌りなく照らしおいた。

    䞍意に、䞹波の䜓が、倧きく揺れた。

    䞹波の目が、ゆっくりず寅子ぞ向いた。

    「  お前たちは、誰がやったか、知っおるのか」

    寅子は、答えなかった。

    䞹波の衚情が、歪んだ。

    「ふざけるな  」

    䞹波が、突然、寅子ぞ向かっお螏み出した。

    ひずしが、ずっさに、寅子の前ぞ出た。

    その瞬間だった。

    「動くな」

    怍え蟌みの向こうから、鋭い声が飛んだ。

    䞹波の動きが、その堎で止たった。二人の刑事が駆け寄り、その腕を埌ろぞ回す。䞹波は、抵抗しなかった。先ほどたでの怒りが、嘘のように、䜓から力が抜けおいた。

    「  俺は」

    地面を芋぀めたたた、䞹波が、掠れた声で呟いた。

    「誰に、動かされたんだ」

    誰も、答えなかった。答えられる者は、この堎に、誰もいなかった。

    連行されおいく䞹波を、寅子は、ただ芋おいた。倜の公園に、パトカヌの赀い光が、無音のたた、静かに回り続けおいた。

    癜石が、あのフレヌムを眮いたのではないずしたら。

    誰が、䞹波の前に、あのフレヌムを眮いたのか。

    その問いが、寅子の頭の䞭で、静かに、茪郭を持ち始めた。

    暗号を解読できる人間は、誰か。

    癜石の手口を、完党に理解しおいた人間は、誰か。

    䞹波を、あそこたで恐怖させるこずができた人間は、誰か。

    答えは、䞀぀しかなかった。

    寅子の脳裏に、真理の顔が浮かんだ。同時に、今倜、寮の前で亀わした、あの䞀蚀を思い出した。

    「寅子ず、友達になれお良かった」

    あれは、ただの感傷ではなかった。

    サペナラだった。

    「ひずしさん、真理を――」

    寅子は、それだけ蚀うず、走り出しおいた。

    「寅子さん――」

    ひずしの声が、背埌で聞こえた。だが、寅子は、振り返らなかった。振り返っおいる時間が、惜しかった。

    向かう先は、䞀぀しかなかった。

    汐芋橋。

    父が、突き萜ずされた堎所。嚘が、今、そこに立ずうずしおいる堎所。

    寅子は、倜の街を、党力で走った。息が䞊がり、脇腹が痛んだ。それでも、足を止めなかった。

    橋の袂が芋えおきた時、寅子の目に、それが映った。

    第十䞀章終章 汐芋橋


    橋の欄干を乗り越え、その倖偎の瞁に、真理が立っおいた。欄干を背に、片手だけをそこに軜く添えおいる。

    倜颚が、真理の髪ず、着おいるカヌディガンの裟を、揺らしおいた。県䞋には、黒く沈んだ川面が、街灯の光を、ちらちらず反射させおいた。

    「真理っ」

    画像

    寅子の叫び声に、真理が、ゆっくりず振り返った。

    「  寅子」

    真理の顔には、驚きはなかった。むしろ、どこか、安堵にも䌌た衚情が浮かんでいた。

    「来るず思わなかった」

    「来るに決たっおるでしょ」

    寅子は、橋の袂で足を止めた。それ以䞊近づけば、真理を刺激しおしたうかもしれない。そんな恐怖が、寅子の足を、その堎に瞫い付けおいた。

    「党郚、聞いた。䞹波から」

    真理は、静かに頷いた。吊定は、しなかった。

    「お父さんずお母さんを殺した䞹波さんに、癜石を殺させた。私は、そういうこずをした」

    「真理」

    「誰も、私に呜じおない。私も、誰にも呜じおない。ただ、暗号を、䜜っただけ」

    真理の声は、驚くほど、萜ち着いおいた。

    「アドバルヌンは、普通に広告ずしお発泚した。有線攟送も、お祝い甚のリク゚スト枠を䜿っただけ。業者の人は、ただ仕事をしただけ。私は、䞹波さんにしか意味の分からないものを、そこに眮いただけ」

    「そんな  それだけで」

    「うん。それだけで、十分だった」

    真理は、川面に目を萜ずした。

    「癜石ず、同じこずをした」

    「違う」

    寅子は、声を振り絞った。

    「真理は、癜石ずは違う」

    「同じだよ」

    「違う」

    寅子の叫びが、倜の橋に響いた。

    「じゃあ、䜕が違うの」

    真理の声が、初めお、わずかに揺れた。

    「動機 お父さんずお母さんのためだったから 動機が違えば、やったこずは、蚱されるの」

    寅子は、答えられなかった。答えを、持っおいなかった。

    やがお、小さく、銖を振った。

    「  分からない」

    真理が、寅子を芋た。

    「真理が、癜石ず同じなのか、違うのか。やったこずが、どこたで蚱されるのか。私には、分からない」

    「だったら――」

    「でも」

    寅子は、真理の蚀葉を、遮った。

    「それを、今ここで決めなくおいい」

    真理の目に、初めお迷いが浮かんだ。

    「生きお、こっちに戻っおきお。それから、考えよう」

    真理は、䜕も蚀わなかった。

    「私は、あの日、聞いたよね。䞭庭で、远いかけ始めたばかりの頃。私たちがやろうずしおいるこず、あの人たちず同じにならない、っお」

    真理が、静かに続けた。

    「なるよ、っお蚀いたかった。でも、あの時は、ただ、䜕もやっおなかったから。『ただ』っお、蚀えた」

    「今は」

    「今は、もう、やっおしたった」

    颚が、たた䞀床、匷く吹いた。真理の䜓が、わずかに揺れた。寅子は、思わず、足を䞀歩、前に螏み出した。

    「真理、お願い。そこから、降りお」

    「降りたら、どうなるの」

    「譊察に、行こう。䞀緒に」

    「私、捕たるよ」

    「それでも」

    「もう、今たでみたいには、戻れないよ」

    「それでも」

    寅子は、涙を堪えながら、続けた。

    「それでも、生きおお。私、埅っおるから」

    真理は、寅子の顔を、じっず芋぀めた。

    「必ず、埅っおる」

    寅子は、繰り返した。

    「どれだけかかっおも、必ず、埅っおる。だから、そこから、降りお」

    長い沈黙が、二人の間に流れた。川の氎音ず、遠くの車の走行音だけが、静かに響いおいた。

    長い沈黙のあず、欄干に添えられおいた真理の指が、ゆっくりずほどけた。

    真理は、こちら偎ぞ、足を戻した。

    寅子は、駆け寄り、真理を、匷く抱きしめた。真理の䜓は、驚くほど、冷たかった。

    「ごめん」

    真理が、寅子の肩に顔を埋めながら、小さく呟いた。

    「ずっず、䞀人で、抱えおお、ごめん」

    「いいよ」

    寅子は、真理の背䞭を、そっず撫でた。

    「もう、䞀人にしない」

    ゚ピロヌグ フレヌムは死なない


    その倜、真理は、自ら譊察眲ぞ向かった。寅子は、その隣を歩いた。

    䞹波誠䞀郎は逮捕され、その埌、これたでの事件に぀いお次々ず責任を問われるこずになった。

    真理もたた、停の暗号によっお䞹波を動かした経緯に぀いお捜査察象ずなり、その埌、身柄を拘束された。盎接手を䞋しおいない圌女の行為を、法がどこたで眪ずしお捉えるのか。その時点では、ただ誰にも分からなかった。

    寅子は、週に䞀床、真理の面䌚に通っおいた。アクリル板越しに向き合う真理は、以前よりも、ずっず痩せおいた。頬は萜ちおいたが、目だけは、橋の䞊にいたあの倜よりも、たっすぐ寅子を芋た。

    「寅子、ちゃんずご飯食べおる」

    面䌚のたびに、真理は、決たっおそう聞いおきた。自分よりも、寅子の心配をする。そういうずころは、䜕も倉わっおいなかった。

    ある日の面䌚で、真理は、ふず、こんなこずを蚀った。

    「埌悔しおないよ、っお蚀ったら、寅子は怒る」

    寅子は、少し考えおから、銖を暪に振った。

    「怒らない。ただ、寂しいずは思う」

    「寂しい」

    「真理が、埌悔しおないなら、それは、私にはただ分からない堎所に、真理が䞀人で立っおるっおこずだから」

    真理は、その蚀葉に、驚いたような顔をした。それから、目を䌏せお、静かに頷いた。

    「埌悔は、しおる。ちゃんず、しおる」

    真理は、アクリル板に、そっず手のひらを圓おた。

    画像

    「お母さんに、もっず違う圢で、仇を取る方法があったんじゃないかっお、毎日考える。䞹波を利甚しなくおも、良かったんじゃないかっお。でも、あの時の私には、それしか、思い぀かなかった」

    「うん」

    「だから、埌悔はしおる。でも、もう䞀床同じ状況になったら、たた同じこずをするず思う。それも、本圓」

    寅子は、どちらも吊定しなかった。

    「必ず、埅っおるから」

    寅子は、そのたびに、同じ蚀葉を繰り返した。真理は、そのたびに、少しだけ、笑った。

    䞹波の逮捕ず、その䟛述から「ひかりの窓」をめぐる䞀連の関係が衚面化するず、神代由玀子は、郜知事の職を蟞任した。蟞任䌚芋で、神代は、涙ながらに「ひかりの窓をめぐる䞀連の䞍正や事件に぀いおは、たったく関知しおいなかった」ず繰り返した。その蚀葉が、どこたで本心なのか、寅子には、もう刀断のしようがなかった。神代自身、自分がい぀から、誰の蚭蚈の䞭にいたのか、正確には分かっおいないのかもしれない――寅子は、そんな颚にも思った。

    䞀連の事件ず郜政ずの関係が衚面化したこずで、ひかりの窓は正匏に解散した。だが、垂民協働掚進課が担っおいた機胜は、名称だけを倉えた別の郚眲ずしお、郜庁の組織図の䞭に、今も残り続けおいた。担圓者も、業務内容も、ほずんど倉わらないたただった。

    冬の気配が街に降り始めたある日の倕方、寅子は、ひずしず二人、汐芋橋の袂で埅ち合わせおいた。あの倜以来、二人で、この堎所に来るのは、初めおだった。

    「柏朚さんの死も、麻子さんの死も、韍厎さんの死も、正さんの死も。これから、捜査や裁刀の䞭で、少しず぀明らかになっおいく」

    ひずしが、川面を芋぀めながら蚀った。

    「癜石ずいう男が、どういう人間だったのか。これから、ようやく瀟䌚に知られおいくず思いたす」

    「それで、終わるのかな」

    寅子が呟くず、ひずしは、静かに銖を暪に振った。

    「終わりたせん」

    その声には、迷いがなかった。

    「癜石は、死にたした。でも、フレヌムは、死んでいない」

    寅子は、ひずしの暪顔を芋た。

    「フレヌムっお」

    「垂民協働掚進課がやっおいた仕事。ただ、残っおいたす。名前だけを倉えお、今も続いおいる。誰も呜じおいない。誰の手も、汚れおいない。それでも、動き続けおいる」

    寅子は、あの郜庁職員の蚀葉を、思い出しおいた。

    「これが正しいこずだず思ったから、自分で動きたした」

    癜石ずいう蚭蚈者が消えおも、その蚭蚈は消えおいなかった。

    「ひずしさんは、これから、どうするんですか」

    寅子が聞くず、ひずしは、鞄から䞀冊の本を取り出した。叀い、翻蚳曞だった。衚玙には、半䞖玀以䞊前、スむスで党䞖垯に配られたずいう、その本の題名が印刷されおいた。

    ひずしは、䜕も蚀わずに、あるペヌゞを開いお、寅子に差し出した。

    そこには、こんな意味のこずが曞かれおいた。

    〈自分の普通を疑え。以前は、違っおいなかったか〉

    その䞀文が、倕暮れの光の䞭で、静かに、寅子の胞に萜ちおきた。

    自分が「普通」だず思っおいるこずは、本圓に、自分自身が遞び取ったものなのか。それずも、誰かが、い぀のたにか、そう感じるように、仕向けたものなのか。

    寅子は、橋の欄干に手をかけ、川面を芋䞋ろした。䞀幎ほど前、真理の父、正が、呜を萜ずした堎所。数か月前、その嚘の真理が、この欄干を乗り越え、倖偎の瞁に立った堎所。

    いく぀もの人生が、この䞀本の橋の䞊で、亀わり、壊れ、それでも、ただ続いおいる。

    「私、真理が戻っおくるたで、埅っおる」

    寅子は、静かに蚀った。

    「埅っおる間、私にできるこずを、やろうず思う。郜庁のこず、ひかりの窓のこず、ただ終わっおないなら、私が、次を芋匵る」

    ひずしは、寅子の暪顔を、しばらく芋぀めおいた。それから、倧きくため息を぀いた。

    「たたそれですか」

    「たたっお、䜕」

    「寅子さんが、そうやっお銖を突っ蟌むず決めた顔をする時、だいたい面倒なこずになる。これたでの経隓則です」

    「経隓則っお、ただ数か月しか䞀緒にいないのに」

    「その数か月で、十分孊びたした」

    そう蚀いながらも、ひずしは、拒む玠振りを芋せなかった。

    「䞀人じゃ、倧倉です」

    「䞀人じゃないよ」

    寅子は、ひずしの方を芋た。

    「ひずしさんも、いるでしょ」

    ひずしは、少し驚いたような顔をした埌、珍しく、はっきりず笑った。

    「ええ。いたす。  頌むから、無茶だけはしないでくださいね」

    「はいはい」

    「その返事が䞀番信甚できないんですけど」

    倕陜が、川面を、橙色に染めおいた。二人は、しばらくの間、䜕も蚀わずに、その光景を芋぀めおいた。

    寅子は、指先で、もう䞀床、小さな四角を぀くった。幌い頃、久兵衛に教わったおたじない。芋たいものだけが、真ん䞭にくる。

    四角の䞭に、今、倕陜に染たる橋ず、隣に立぀ひずしの暪顔が、収たっおいた。

    画像

    祖父は、癜石を远い、䞀人で死んだ。正もたた、同じ男を远い、䞀人で死んだ。真理は、その父の遺志を継ぎ、䞀人で眪を背負おうずした。

    だが、自分は、䞀人ではなかった。

    その違いが、この先、䜕かを倉えられるのかどうか、寅子には、ただ分からなかった。それでも、四角の䞭に誰かがいるずいうこずが、今の寅子にずっおは、䜕よりも確かな拠り所だった。

    寅子は、ゆっくりず、手を䞋ろした。

    橋の向こうの街には、今日も、郜庁の明かりが灯っおいる。その明かりの䞋で、誰かが、たた新しく「正しいこず」を、自分の意志で、始めおいるのかもしれない。

    誰も、それを呜じおはいない。

    それでも、フレヌムは、今日も、静かに、動き続けおいる。

    了


    🐯 寅子から、この長い旅に付き合っおくださったあなたぞ

    最埌たで読んでくださっお、本圓にありがずうございたす。
    ここたで長い旅になるずは、最初の頃の私は思っおいたせんでした。

    祖父が远い続けた人。

    正さんが、最埌たで名前を曞き切れなかった人。

    そしお、真理ず私が远い続けた人。

    癜石茝道は、もういたせん。

    でも、たぶん私は、これからも時々、指で小さな四角を぀くるず思いたす。
    祖父に教えおもらった、あのおたじないです。

    芋たいものだけが、真ん䞭にくる。

    昔の私は、その四角の䞭に、答えになるものを探しおいた気がしたす。
    今は、少し違いたす。

    真理は、今、自分がやったこずず向き合っおいたす。
    私は、埅っおいたす。
    どれだけ時間がかかっおも。

    そしお私は、これからも、芋過ごさないようにしおいこうず思いたす。

    今床は、䞀人じゃないので。

    癜石茝道をめぐる物語は、これで終わりたす。

    長い旅に付き合っおくださっお、本圓にありがずうございたした。

    源 寅子 🐯✌


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    サッチャヌ政暩末期のロンドン、冷戊終結盎埌の欧州に居たした。特別な立堎でなく、ただその珟堎呚蟺にいた䞀人ずしお。そこで出䌚った人々から教わったこずは、今も自分の䞭に根付いおいたす。忘れない぀もりで蚘録を始めたはずが、気づけば゚ッセむになり、小説になり、映像になっおいたした。

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