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琥珀の共鳴 (レゾナンス) 5

    第二部 共鳴感染編


    第五章 共鳴者


    久瀬伊織は生きている。その事実は、詩乃だけでなく特殊心理対策課にも衝撃を与えた。ただ、詩乃にとって、それは衝撃などという言葉では足りず理解ができなかった。というよりは、受け入れられなかった。
    地下四階。機密資料閲覧室。
    防爆扉が閉まり、重い音が響く。室内にいるのは、榊詩乃、三崎玲司、そして特殊心理対策課課長、御堂誠一。机の上には黒いファイルが置かれていた。

    管理番号《E-07》

    それを見た瞬間、詩乃の表情が変わる。忘れるはずのない番号だった。御堂が静かに言う。
    「本来なら永久封印案件だ。だが、もう隠している場合じゃないな」
    詩乃がファイルを開くと、そこには十年前の記録があった。

    《情動共鳴転換プロジェクト》
    研究責任者:久瀬伊織

    そこに記された名前を読み、胸の奥が重くなるがページをめくる。

    被験者記録。
    研究報告。
    事故調査報告書。
    そして、最後のページ。

    《最終事故報告》

    その一文を見た瞬間、詩乃の指が止まった。事故発生日は、十年前の六月十三日。忘れられない日付だった。そこにはこう記されていた。

    ---
    死者 四名
    行方不明者 一名
    研究施設一部崩壊
    感情共鳴炉暴走
    ---

    詩乃の眉が寄る。行方不明者が一名。その文字に違和感を覚えた。
    「……違う」
    御堂が視線を向ける。
    「何がだ」
    「伊織は死亡扱いになったはずです」
    御堂は答えない。詩乃が報告書をめくると、一枚の写真が現れた。透明な保管ケースが写っており、その中に収められているものは、琥珀化した黄金色の腕だった。肘から先の人間の右腕。それは、完全に琥珀化している。
    写真の下には説明文が記されていた。

    ---
    回収物
    久瀬伊織のIDカード
    研究記録媒体
    琥珀化した右腕
    久瀬伊織のDNAとの一致率99.8%
    ---

    詩乃の呼吸が止まる。
    覚えている。忘れるわけがない。

    ――六月の終わり。伊織の葬式の日だった。その日は雨で、空はずっと泣いていた。棺の前には白い花と線香の匂い。読経。参列者たちのすすり泣き。だが、棺は空だった。中に遺体はない。あったのは、琥珀化した腕が入っている小さな保管ケースだけだった。詩乃はずっと立ち尽くしていた。泣くこともできなかった。認めたくなかった。けれど、認めるしかなかった。事故現場から回収された腕は、DNA鑑定で一致。久瀬伊織は死んだのだ。そう結論付けられた。伊織といた時間は、人生で一番幸せだった。だからその日から、詩乃は幸福感を恐れるようになった。幸せな時間はいつか奪われる。幸せな時間の後は最後に、人を失わせる。この世で一番残酷な感情だと――


    「……何を言ってるんですか」
    気づけば声が出ていた。資料室。現実。詩乃は御堂を見ていた。
    「伊織は死にました」
    声が震えていた。詩乃にしては、感情が表に出ることは珍しいことだった。
    「私はこの目でちゃんと見ました」
    「葬儀にも出ました。死亡認定もされています」
    拳が強く握られる。
    「だから我々も死んだと思っていた」
    御堂は静かに答える。詩乃の瞳が揺れる。
    「思っていた?」
    「その後、琥珀化の右腕の再鑑定を行ったんだ」
    御堂が新しい資料を差し出した。

    ---
    再鑑定結果
    DNA構造異常
    感情粒子混入率98%
    生体組織との一致確認不能
    ---

    意味がわからなかった。三崎が先に口を開く。
    「ん?要するに?」
    「要するに、その腕は久瀬伊織本人のものではなかった可能性が高い」
    詩乃の思考が止まる。
    「……そんな」
    「当時の技術では、詳しくは判別できなかったんだ。だから、その後に再鑑定が行われた」
    御堂は続ける。
    「幸福感情が極限まで結晶化した場合、人体構造を模倣する現象が確認されている」
    詩乃は資料を見つめたまま動けない。
    十年間、伊織は死んだと思っていた。十年間、喪ったと思っていた。それが違った?
    「じゃあ……伊織は」
    詩乃の声が掠れる。御堂が頷く。
    「生きている可能性が極めて高い」


     ◆◆◆


    資料室を出た後も、詩乃は現実感を失っていた。長い廊下。白い壁。蛍光灯。何も変わらないのに、詩乃の世界だけが変わってしまった。
    死んだと思っていた人間が生きている。そんなことがあるのか。そんなことを許していいのか。
    その時、スマートフォンが震えた。画面には、非通知の表示があった。胸騒ぎがする。本能が拒絶している。だが、指は通話ボタンを押していた。
    無音が続く。呼吸音すらない静寂。その奥から、ぽろん、とピアノの一音だけが聞こえる。詩乃の身体が緊張した。
    知っている。忘れられない、あの日の音。
    そして、しばらくすると男の声で話始めた。

    『資料は読んだかい?』

    詩乃の呼吸が止まる。それは、間違いなく伊織の声だった。
    録音でもなく、偽物でもない。生きている生声。本当に今、電話の向こうに伊織が存在するのだろうか。

    『君なら辿り着くと思っていたよ』

    懐かしく優しい声。あの日と変わらない声。だからこそ怖かった。
    詩乃は声を出そうにも上手く言葉が出ず、ただ黙っているしかない。伊織は少し笑った。

    『久しぶりだね』

    胸の奥をぎゅっと掴まれるような感覚がする。悲しみでも怒りでもない。十年間押し込めてきた感情が、一斉に揺れだしていた。

    『会いたいな』

    静かな声で言ったその一言が、十年分の時間を壊す。詩乃は目を閉じた。伊織は続ける。

    『もうすぐ完成するんだよ』

    電話の向こうでピアノが鳴り続けている。優しく、穏やかに。まるで世界を祝福するかのような旋律。

    『君にも聴いてほしいな』

    そして、通話は切れた。無音。だが、すぐにメールが入る。メールを開いてみると、そこには一枚の画像が添付されていた。都市中心部の地図だ。そこに一点の赤い印があり、詳細が記されていた。それを見た途端、詩乃の顔から血色が失われる。

    市民音楽ホール
    来月開催予定
    大型音楽イベント会場
    収容人数:一万人

    伊織は隠れてはいない。この街全体を巻き込むための準備をしているのだ。十年前は未完成だった旋律を完成させるために。



     
     

    未灯

     
     
    未灯-MITOU- ■『琥珀の共鳴(レゾナンス)』創作大賞2026 ファンタジー小説部門 中間選考通過 巡り会えたご縁に心より感謝いたします。 たちどまる時間を、短い物語に。ショートショートや短編小説を不定期で綴っています。 X ▷ https://x.com/mitou423