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刑法 (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
刑法
日本国政府国章(準)
日本の法令
法令番号 明治40年法律第45号
提出区分 閣法
種類 刑法
効力 現行法
成立 1907年3月25日
公布 1907年4月24日
施行 1908年10月1日
所管 (司法省→)
(法務庁→)
(法務府→)
法務省[検務局→刑事局]
主な内容 主な犯罪の成立要件とそれに対する刑罰
関連法令 軽犯罪法
爆発物取締罰則
組織的犯罪処罰法
航空機の強取等の処罰に関する法律
刑事訴訟法
など
条文リンク 刑法- e-Gov法令検索
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刑法(けいほう、明治40年法律第45号、英語: Penal Code[1])は、犯罪に関する総則規定および個別の犯罪の成立要件やこれに対する刑罰に関する日本の法律である。日本において、六法を構成する法律の一つであり、基本的法令である。ただし、広義の「刑法」と区別するため刑法典とも呼ばれる。

1907年(明治40年)4月24日に公布、1908年(明治41年)10月1日に施行された。主務官庁は法務省刑事局刑事課および刑事法制管理官職。1906年6月に24名からなる法律取調委員会が設けられ、1880年の旧刑法(明治13年太政官布告第36号)が全部改正されたものである。

現行刑法は、第1編の総則(第1条 - 第72条)と、第2編の罪(第73条 - 第264条)の2編によって構成されている。とはいえすべての刑罰法規が刑法において規定されているものではなく、刑事特別法ないし特別刑法において規定されている犯罪も多い。

概要

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現行刑法は、強力な治安法制を確立させたいという制定時の政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型について抽象的・包括的な定め方がされ、法定刑の幅が広く取られている[2]。そのため、裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、裁量によって執行猶予を付すことができたり、逆に累犯に対しては重い処罰をすることができるものとなっている。これは犯罪者の更生や社会防衛のための柔軟さを兼ね備えたものであり、制定当時の国際水準においては最先端の刑法典であった。だが、その一方で政治的な意図が運用に反映され過ぎれば、人権が侵される危険があり、実際に刑事裁判においてはその歴史をたどってしまっている。それが克服されたのは、司法行政権が、内閣を構成する司法大臣から裁判所の下に移り、人権の尊重を謳った日本国憲法の制定以後のことである。

第1編「総則」

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ここでは、個別の犯罪に共通する一般原則を規定している。この編の規定は、明文のない限り他の刑罰法規(特別刑法)において定められた犯罪にも適用される。刑法の総則を理論化したものが講学上の刑法総論である。

適用範囲

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第1章では、刑法の場所的・時間的適用範囲が規定されている。

場所的適用範囲

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日本の刑法では刑法1条で属地主義を採用しており、この属地主義の立場を基本として犯罪の類型ごとに属人主義、保護主義、世界主義で補充する形をとっている(刑法第2条以下)。

時間的適用範囲

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遡及処罰の禁止
日本の刑法では、その施行後になされた犯罪に対してのみ適用される。犯罪行為から裁判までの間に法律が改正された場合、裁判時の法律を遡及的に適用してはならないという遡及処罰の禁止の原則をとっている。ただし、裁判時の法定刑が行為時より軽い場合には、裁判時の法律を適用してもよいことになる(刑法6条)。
刑の廃止
犯罪行為時に刑法が施行されていても、裁判時に廃止されている場合にはその行為を処罰することはできない(刑事訴訟法337条2号)。もっとも、経過規定が置かれている場合は処罰が可能である。
限時法理論
限時法理論とは、刑の廃止に際して経過規定が置かれていない場合にも、解釈上処罰を可能とする理論である。もっとも、罪刑法定主義の観点から、限時法理論を否定するのが通説である。

人的適用範囲

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条文上、人的適用範囲を定める規定は存在せず、刑法は、場所的・時間的適用範囲にあるとされた犯罪行為を行った者全てに適用される。天皇・摂政・国会議員・外国の元首・外交官等に適用されるかが問題となるが、これらの者についても刑法は適用され、犯罪自体は成立する。ただし、人的処罰阻却事由の存在や、手続上の制約により処罰を免れることがある。

刑罰

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第2章 - 第6章では、死刑・拘禁刑・罰金・拘留・科料といった刑罰の種類や軽重、刑の執行猶予、仮釈放、刑の時効および消滅等について規定している。

令和7年(2025年)6月1日に改正刑法が施行されたが、この改正以前は法定刑として懲役刑及び禁錮刑が定められており、令和4年(2022年)6月17日に公布された"刑法等の一部を改正する法律"に基づき拘禁刑に一本化された[3]。

犯罪の不成立、刑の減免

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第7章では、正当防衛や緊急避難といった違法性阻却事由や、故意犯処罰の原則、責任能力、自首等について規定している。

未遂罪

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第8章では、未遂罪について規定している。旧刑法では、未遂は必要的減軽事由であったが、現行刑法では「刑を減軽することができる」となっており、任意的減軽事由である。

罪数・累犯

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第9章では、併合罪や、観念的競合、牽連犯等に関する罪数の処理方法について、第10章では、累犯について規定している。

共犯

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第11章では、共犯について規定している。共同正犯についてもこの章に規定されており、ここでいう「共犯」とは広義の共犯を指す。

加重減軽

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第12章では、酌量減軽について、第13章では、刑の加重・減軽の順序や方法について規定している。

第2編「罪」

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ここでは、殺人罪や窃盗罪、放火罪など各種の犯罪類型や、その未遂罪を処罰するかどうかなどを規定する。これら各犯罪の構成要件等について研究するのが講学上の刑法各論である。

条文の配列は、基本的に「国家的法益に対する罪」(第2章[注釈 1] - 第7章)、「社会的法益に対する罪」(第8章 - 第24章)、「個人的法益に対する罪」(第26章 - 第40章)の順になっている。ただし、保護法益に対する考え方の違いもあり、全ての犯罪類型がこの順序に従って並んでいるわけではない。例えば、国家的法益に対する罪である「汚職の罪」は第25章に位置しており、また、今日では一般的に個人的法益に対する罪だと解されている「わいせつ、不同意性交等及び重婚の罪」は第22章に位置している。

日本の刑法典の各則(罪)は、犯罪を包括的に規定しているために条文数が少なく、また法定刑の幅が広く規定されているのが特徴である。

沿革

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古代

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上代には大祓詞(おおはらえのことば)では、身体障害、疾病、自然災害も含んだ天つ罪・国つ罪(あまつつみ・くにつつみ)の観念があり、これらは祓(はらえ)により浄化された。しかし、公開刑の死刑、財産刑、没収、追放なども存在したとされる。大化の改新ののち、大陸からの帰化人や留学生により大宝律令、養老律令が制定された。これらは唐律の規定にならうが、規定の簡素化と刑の緩和がはかられていた。なお、弘仁9年(818年)から保元元年(1156年)までの339年間、朝臣に対して死刑が行われなかった[4]( → 日本における死刑)。

中世

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鎌倉時代には律令法は公家の荘園や洛中に限られ、武士の慣習法を取り入れた御成敗式目(貞永式目)が国法的地位にあった。死刑、流刑、追放刑、自由刑、身体刑、職務刑、のほか財産刑が行われた。室町末期から戦国時代には幕府法、各分国法が行われ、残虐な刑が威嚇主義的に行われた。また、縁座、連座の制度が拡大され、喧嘩両成敗の法が武士の間で広く行われた[5]。

近世

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武家の刑法は江戸時代に完成を見る。徳川吉宗の時代に御定書100ヶ条(公事方御定書下巻)が、徳川氏の判例法の集大成として制定された。刑罰にも身分制を取り入れ、死刑も武士は切腹、斬罪、庶民には磔、獄門、火刑などと差別化され、遠島刑、追放刑、自由刑、財産刑、身分刑、などが行われた。江戸末期には、佐渡水替人足、人足寄場などは近代自由刑の更生施設的な意味も見いだされるとされる[6]。

ただし、公事方御定書など江戸幕府制定の規定が直接適用されるのは、天領や旗本領など幕府の支配下にあった地域に限られており、諸藩の領内では藩法に基づく刑法・刑事訴訟が行われていた。

明治初期の刑法典

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仮刑律
慶応4年(1868年、後の明治元年)、戊辰戦争が勃発した翌月の2月に、新政府は暫定的に刑法を制定した。一家に死罪を犯した者があれば一家で約3名が死罪となる規定があり、戊辰戦争が全国に拡大していった。
内容は律令や公事方御定書などを基として作成され、刑法草書(熊本藩)との共通点が見られることから、熊本藩出身者(当時新政府に出仕していた細川護久とその周辺か?)が起草したという説が有力である。旧天領である府県に対して施行され、諸藩に対しては残酷な刑罰を除去する事を命じた上で当面の間は自藩の刑法を施行させた(版籍奉還後は死刑執行には政府の許可を得ることとなった)。したがって、戊辰戦争ののちに東京裁判所により一家全員死刑となった氏族も少なくない[7][注釈 2][注釈 3]。
新律綱領
明治3年旧暦12月27日(1871年2月16日)に暫定的ではあったが、諸藩も含めて全国的に施行された刑法。全6巻(8図、14律192条)で構成された。清律の影響を受けて旧来の刑法よりは厳罰主義色は減ったものの封建的色彩が依然として強力であった。また、江戸幕府では禁じられていた刑法典の出版・頒布が初めて認められた。親属殺人の罪も設けられており、親告罪・非親告罪の規定はなかった。
改定律例
1873年(明治6年)6月13日に制定された追加法。欧米の近代刑法の影響を受けて、刑罰を簡略化して残酷な刑を廃止した。構成要件に関する規定を初めて設けた。
明治初期における基本的な刑罰(閏刑除く)
仮刑律(明治元年制定)[9]明治元年太政官達916号[10][9]新律綱領(明治3年12月発布)[11]改定律例(明治6年7月10日施行) [12]明治12年太政官布告第1号(明治12年1月4日布告)[12][13]収容又は執行刑事施設備考
明治2年3月時点[14]太政官布告第71号(明治6年2月25日布告)[15]明治12年4月以降[14]
焚刑-------放火犯のみ適用。明治元年11月13日に廃止。
磔刑磔刑------明治元年太政官達916号より、男系の尊属(父や祖父)か雇い主など加害者との主従関係で主に当たる者を殺した場合のみ適用。 新律綱領により廃止。
梟首梟首梟首梟首----獄門の別称。牢内で斬首刑後、3日2晩晒される。執行後の遺体の引き取りは認められなかったが、明治4年8月24日に認められ、同年10月10日には、執行日当日に獄囚掛(刑務官の前身)に、当日でない場合は解剖場に申し出るように定めた[16][17]。明治12年1月4日に布告された明治12年太政官布1号により廃止。
刎・斬刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑---刎・斬刑は、刎は斬首刑であり、斬は袈裟斬りである。明治元年太政官達916号より、斬首刑のみとなる。
-絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑---首を縄で絞めて絶命させる刑。執行方式は、新律綱領発布まで縛り首。新律綱領発布から明治6年太政官布告65号布告まで絞柱式。明治6年2月20日に布告した明治6年太政官布告65号[18]により、絞罪器械図式により執行される。
---終身懲役終身懲役徒場懲役場懲役場又は集治監改定律例により新たに設立された刑罰であり、現在の無期懲役に当たる。期間の定めなく、刑事施設で受刑する。なお、終身懲役設立に当たって、明治4年12月26日に司法省から太政官への伺いで、終身刑を設けるだけでなく、笞杖刑のを懲役刑に置き換えるように要望を出している[19]。
笞100回遠流流刑7年3等流刑(役2年)
(実際は、準流10年)
懲役10年懲役10年北海道(実際は北海道に流さず、江戸時代と同じ遠島先)北海道(実際は、北海道に流さず、懲役場収容)北海道(明治14年8月まで北海道に流さず、懲役場又は集治監収容)仮刑律制定時は、笞で100回叩かれる付加刑が定められ、流刑先の距離に応じて、重い順に遠流・中流・近流と3つ分かれていた。明治元年太政官達916号より、流刑先を北海道とし、服役年数で分けた。但し、北海道で受刑者の受け入れ態勢が整っていなかったため、流刑先は、北海道に流さず、江戸時代と同じ遠島先で流されていった。

新律綱領でも、北海道を流刑先とし、流刑を使役年数に応じて3つに分けていたが、発布前の明治3年11月17日に布告された准流法により、北海道に流さずに各地の徒場で、徒刑受刑者と区別する形で服役させた[20][21]。そのためか、改定律例では、流刑に当たる刑を懲役5年・7年・10年と懲役刑で統一している。 その後も明治14年8月に樺戸集治監が設置されるまで北海道に流さず、懲役場又は北海道以外の集治監に収容されていった。

笞100回中流流刑5年2等流刑(役1年半)
(実際は、準流7年)
懲役7年懲役7年
笞100回近流流刑3年1等流刑(役1年)
(実際は、準流5年)
懲役5年懲役5年
笞100回徒刑3年-徒刑3年懲役3年懲役3年徒場懲役場懲役場又は集治監懲役刑の前身。仮刑律制定時は、笞で100回叩かれる付加刑が定められていたが、明治元年太政官達916号により、徒刑のみとなっている。

仮刑律では城の堀や道路の補修作業などに従事することになっており、新律綱領では徒場収容の上、給金を雇工の10分の1と定め、そのうちの半分が釈放されるまで預かっていた。

笞90回徒刑2年半-徒刑2年半懲役2年半懲役2年半
笞80回徒刑2年徒刑2年徒刑2年懲役2年懲役2年
笞70回徒刑1年半徒刑1年半徒刑1年半懲役1年半懲役1年半
笞60回徒刑1年徒刑1年徒刑1年懲役1年懲役1年
笞100回笞100回杖100回懲役100日懲役100日-多くの者が懲役場で執行仮刑律では、10~100回を10等分けた。また、50回以下は刑を執行する者は1人、60回以上の場合2人で行われることとなっている。但し、明治元年太政官達916号より20回・50回・100回のみとなっている。

新律綱領では、再び10等分ける形で復活し、50回以下を笞刑、60回以上を杖刑と回数で笞杖を分けた。また、女性の場合は笞10回を禁獄10日に換刑して執行した。そして、7歳越15歳以下と70歳以上90歳未満の男性、中度以上障害者は、下記の刑罰の適用制限により、収贖や科刑無しとされた。

その後、明治5年4月7日に制定された懲役法により笞杖刑を懲役100日以下の刑罰に換刑したが、但し書きで、各府県で換刑しがたい事情のある場合、従来の刑で執行することを許している[22]。また、改定律例では、笞杖刑は削除されているが、明治6年3月22日に司法省より出された布達[23]により、府県の判断で懲役100日以下の15歳超70歳未満の男性に対して、換刑して笞杖刑を行うことが許されており、引き続き多くの府県で執行される。

更に、女性は杖笞刑の換刑として懲役刑が科されたが、身分が華士族の場合で殺人や強盗、窃盗などで懲役100日以下の刑が科される場合、禁錮刑(明治7年6月24日以降は禁獄[24])に換刑された。

また、改定律例施行年の明治6年から旧刑法施行前年の明治14年までに以下の府県が、執行を停止している。

明治6年:東京府(1月25日停止)[25][26]、埼玉県(但し、一時復活の明治10年4月~明治11年8月の間は除く[27][28]。)
明治8年:長崎県[29]
明治11年:千葉県・栃木県・茨城県・群馬県・山梨県・静岡県・新潟県・福岡県[30]、埼玉県(8月)[31][29]
明治12年:島根県と兵庫県[29]
明治13年:神奈川県[32]
笞90回-杖90回懲役90日懲役90日
笞80回-杖80回懲役80日懲役80日
笞70回-杖70回懲役70日懲役70日
笞60回-杖60回懲役60日懲役60日
笞50回笞50回笞50回懲役50日懲役50日
笞40回-笞40回懲役40日懲役40日
笞30回-笞30回懲役30日懲役30日
笞20回笞20回笞20回懲役20日懲役20日
笞10回-笞10回懲役10日懲役10日
---呵責呵責---改定律例第6条によれば、懲役10日未満に当たる者が対象。江戸時代の刑罰の叱りに当たる、また、明治6年4月9日に司法省より正式な刑罰でないと太政官へ上申している。
付加刑
没収新律綱領では、賄賂や窃盗で得た不法財物や禁物は国に没収され、恐喝・詐欺は本主に返還される。
 晒罪人を縛り上げ路傍に置き見せしめにする刑。仮刑律・新律綱領で刑罰として明記されていない。1869年(明治2年)7月8日に出された刑法官指令により、市中引き回し・鋸挽きと共に廃止するよう指示が出されている[33][34][35]。但し、その後も付加刑として執行され、少なくとも明治4年にも付加刑として執行されている[36][34]。
市中引き回し死刑囚を馬に乗せ、罪状を書いた捨札等と共に刑場まで公開で連行していく。仮刑律・新律綱領で刑罰として明記されていない。1869年(明治2年)7月8日に出された刑法官指令により、鋸挽き・晒と共に廃止された[34]。ただし記録上では1870年(明治3年)5月27日まで、続いている[37]。
鋸挽き主人殺しをした磔刑受刑者が対象となる。実際に受刑者を穴晒箱に入れて首かせをかけ、釘締めにして晒した。加えて、田畑・家屋敷・家財の闕所が付加された。なお、実際に首を鋸で引くことはなく、事実上の磔刑の晒であった。仮刑律・新律綱領で刑罰として明記されていない。1869年(明治2年)7月8日に出された刑法官指令により、鋸挽き・晒と共に廃止された[34]。その後、晒と市中引き回しのようにしばらく継続されたかは不明。
その他
棒鎖江戸時代の刑罰方法の中では、手鎖が最も近い。執行方法は、鉄棒を両足に付け、立った状態のまま午前6時から午後6時の間(半日はその半分)で過ごす[38][39](グアンタナモ米軍基地で行われた拷問の中では、閉所監禁<サイズ大>【狭い場所で座位か立位の状態で最高18時間維持する。】が最も近い[40]。)。改定律例第5条より、笞杖刑で科されようとする者が、70歳以上か重度障害を持つ祖父母か父母を養う者が他にいない場合や罪状が脱獄の場合、笞50回以下は1日、杖60・70回は2日、80回以上は3日に換刑され執行される。

明治8年(1875年)3月20日に出された司法省布達第4号より、女性に棒鎖は科さずに闇室(最長7日間、光の届かぬ部屋に閉じ込めて、接見を禁じて食事のみ与える[38]。)の刑罰が科されることとなった[41]。

刑罰の適用制限年齢や障害の程度により、刑罰適用が制限されている。
7歳以下:犯罪を犯したことによる科刑適用無。但し、7歳以下の者に犯罪を犯すよう命令した者がいた場合、その者が代わりに刑が科せられる。また、その行為により不法利益を得た場合も同様である。
7歳超10歳以下:殺人を犯し死刑に当たる犯罪である場合、よく議論の上、天皇に上裁を請う。傷害と窃盗は収贖(刑に服する代わりに、金銭を納めて罪過をあがなうこと)。その他の罪は科刑適用無。
10歳超15歳以下:死刑は科されるが、流刑以下の場合は収贖(改定律例では第48条より、再犯の場合、収贖されず刑が科される)。
70歳以上80歳未満:死刑は科されるが、流刑以下の場合は収贖(改定律例では第48条より、再犯の場合、収贖されず刑が科される)。
80歳以上90歳未満:殺人を犯し死刑に当たる犯罪である場合、よく議論の上、天皇に上裁を請う。 傷害と窃盗は収贖(刑に服する代わりに,金銭を納めて罪過をあがなうこと)。その他の罪は科刑適用無。
90歳以上:仮刑律では反逆罪以外は刑罰を科されない。新律綱領・改定律例では適用は無いが、90歳以上の者に犯罪を犯すよう命令した者がいた場合、その者が代わりに刑が科せられる。また、その行為により不法利益を得た場合も同様である。
重度障害者(障害1級に当たる):殺人を犯し死刑に当たる犯罪である場合、よく議論の上、天皇に上裁を請う。 傷害と窃盗は収贖(刑に服する代わりに、金銭を納めて罪過をあがなうこと)。その他の罪は科刑適用無。但し、改定律例では第45条と第46条より、両目が失明している視覚障害者は終身懲役以下は収贖されるが、強盗と不同意性交は収贖されずに刑が科され、死刑は収贖されずに執行される[42][43]。
中度障害者(障害2級に当たる):死刑は科されるが、流刑以下の場合は収贖(改定律例では第48条より、再犯の場合、収贖されず刑が科される)。また、第46条より、強盗と不同意性交は収贖されずに刑が科される。そして、第45条より片目を失明している視覚障害者が犯罪を行った場合、収贖されずに刑が科される。
科刑者の罪状公開 新律綱領では、梟首執行者は、執行後3日間は罪状の書かれた捨札を晒し首されている場所だけでなく各所に立てるよう定めている。改定律例では、第7条より梟首執行者だけでなく懲役5年以上の科刑者は本籍地の掲榜場に掲示するよう定められ、絞首刑含め死刑執行された者は加えてもう1か所立てるように定められている。
明治初期における収贖・贖罪(一部条件を除いた官吏による犯罪は除く)
仮刑律[9]明治元年太政官達916号[10]准流法(明治3年11月17日)新律綱領(明治3年12月発布)[11]懲役法(明治5年4月7日)改定律例(明治6年7月10日施行) [12]明治12年太政官布告第1号(明治12年1月4日布告) [12]
刑罰贖銅銭刑罰贖金刑罰刑罰贖罪収贖過失殺傷収贖準流[44]・徒限内老疾収贖誣輕爲重収贖(最大)刑罰刑罰贖罪収贖過失殺傷収贖懲役限内老疾収贖華族贖罪誣輕爲重収贖(最大)刑罰
焚刑-------------------
磔刑-磔刑-磔刑-------------
梟首-梟首-梟首梟首-----梟首梟首-------
刎・斬刑50貫文斬首刑-斬首刑斬首刑100両15両---斬首刑斬首刑100円40円----斬首刑
--絞首刑62両2分絞首刑絞首刑35両(過失殺)--絞首刑絞首刑----絞首刑
------------終身懲役90円35円40円(過失殺)---終身懲役
笞100回遠流44貫文流刑7年55両3等徒役(準流10年)3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)80両13両2分30両(重度の障害[45])30円13両2分3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)懲役10年80円13円50銭30円(重度の障害[45])30円160円30円懲役10年
笞100回中流41貫文流刑5年51両1分2等徒役(準流7年)2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)70両12両-21円12両2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)懲役7年70円30円-21円140円21円懲役7年
笞100回近流38貫文流刑3年47両2分1等徒役(準流5年)1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)60両11両2分-15円10両2分1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)懲役5年60円21円-15円120円15円懲役5年
笞100回徒刑3年32貫文---徒刑3年45両9両20両(中度の障害[46])9両9両徒刑3年懲役3年45円9円20円(中度の障害[46])9円90円9円懲役3年
笞90回徒刑2年半29貫文---徒刑2年半37両2分7両2分-7両2分7両2分徒刑2年半懲役2年半37円50銭7円50銭-7円50銭75円7円50銭懲役2年半
笞80回徒刑2年26貫文徒刑2年32両2分徒刑2年徒刑2年30両6両15両(折傷以上 [47])6両6両徒刑2年懲役2年30円6円15円(折傷以上[47])6円60円6円懲役2年
笞70回徒刑1年半23貫文徒刑1年半28両3分徒刑1年半徒刑1年半22両2分4両2分-4両2分4両2分徒刑1年半懲役1年半22円50銭4円50銭-4円50銭45円4円50銭懲役1年半
笞60回徒刑1年20貫文徒刑1年25両徒刑1年徒刑1年15両3両10両(折傷以上[48])3両3両徒刑1年懲役1年15円3円10円(折傷以上[48])3円30円3円懲役1年
笞100回10貫文笞100回12両2分笞100回杖100回7両2分2両2分5両(折傷以上[49])-2両2分懲役100日懲役100日7円50銭2円50銭5円(折傷以上[49])2円50銭15円2円50銭懲役100日
笞90回9貫文---杖90回6両3分2両1分--2両1分懲役90日懲役90日6円75銭2円25銭-2円25銭13円50銭2円25銭懲役90日
笞80回8貫文---杖80回6両2両4両(折傷以下[50])-2両懲役80日懲役80日6円2円4円(折傷以下[50])2円12円2円懲役80日
笞70回7貫文---杖70回5両1分1両3分--1両3分懲役70日懲役70日5円25銭1円75銭-1円75銭10円50銭1円75銭懲役70日
笞60回6貫文---杖60回4両2分1両2分--1両2分懲役60日懲役60日4円50銭1円50銭-1円50銭9円1円50銭懲役60日
笞50回5貫文笞50回6両1分笞50回笞50回3両3分1両1分--1両1分懲役50日懲役50日3円75銭1円25銭-1円25銭7円50銭1円25銭懲役50日
笞40回4貫文---笞40回3両1両2両(折傷以下[51])-1両懲役40日懲役40日3円1円2円(折傷以下[51])1円6円1円懲役40日
笞30回3貫文---笞30回2両1分3分1両2分(折傷以下[52])-3分懲役30日懲役30日2円25銭75銭1円50銭(折傷以下[52])75銭4円50銭75銭懲役30日
笞20回2貫文笞20回2両2分笞20回笞20回1両2分2分--2分懲役20日懲役20日1円50銭50銭-50銭3円50銭懲役20日
笞10回1貫文---笞10回3分1分--1分懲役10日懲役10日75銭25銭-25銭1円50銭25銭懲役10日
------------呵責------呵責
贖銅銭・贖金仮刑律で定められており、刑罰を受ける代わりに金銭を納める。なお、明記されている適用条件は、以下の通り。
・流刑以下の犯罪を犯した時点で10歳超15歳以下の者
・流刑以下の犯罪を犯して、その犯罪が発覚した時点で70歳以上80歳未満の時
・流刑以下の犯罪を犯した中度障害者
・徒刑服役中に70歳に達したか中度以上の障害者になった場合(仮刑律布達時は1年で贖銅銭14貫文、後に明治元年太政官達916号で、笞刑が除かれたため20貫文)
贖罪新律綱領と改定律例で定められており、下記の条件に当てはまる場合は、刑罰を受ける代わりに金銭で納める。
・殺人や放火、不同意性交と窃盗などの犯罪以外の罪で犯した士族以上の女性で、通常の刑罰を科すことが適さない場合(新律綱領のみ。明治6年2月25日の改正により適用除外[53]。)
・過失によるもの
・失錯(やるべきことを怠ること)
・他人が犯した犯罪の巻き添えにより罪を犯した場合。
・上記3つ以外に情状酌量を汲むべき場合
収贖新律綱領と改定律例で定められており、下記の条件に当てはまる場合は、刑罰を受ける代わりに金銭で納める。
・流刑以下の犯罪を犯した時点で10歳超15歳以下の者(改定律例では、改定律例第48条より再犯の場合は適用されない。)
・窃盗か傷害を犯した7歳超10歳以下の者
・流刑以下の犯罪を犯して、その犯罪が発覚した時点で70歳以上80歳未満の時(改定律例では、改定律例第48条より再犯の場合は適用されない。)
・窃盗か傷害を犯した80歳以上90歳未満の者
・殺人や放火、不同意性交と窃盗などの犯罪以外の罪で犯した卒族以下の女性で、通常の刑罰を科すことが適さない場合(但し、明治6年2月25日の改正により士族含めた全ての女性が対象となる[53]。)なお、改定律例では第39条により、経済的事情により収贖出来ない場合、懲役100日以下は折半する形で収め、懲役1年以上は刑を5等減らした上で懲役刑に服する。
・70歳以上か重度障害を持つ祖父母か父母を養う者が他にいない場合(新律綱領では、初犯で徒刑1年以上3等流刑[准流10年]以下の刑が科された者が対象で、杖100回を科した上で、残りの刑罰は収贖される。改定律例では、懲役1年以上科された者が対象であり、棒鎖3日を科された上で残りの刑罰は収贖される。また、既に服役日数が100日以上の場合、収贖の上放免される。)。
・重度障害者(新律綱領では、窃盗や傷害を行った場合。但し死刑を科された両目を失明している視覚障害者は改定律例第45条より適用されない。)
・中度障害者(新律綱領では流刑以下の犯罪を犯した場合。改定律例では、強盗と不同意性交を除いた犯罪を犯した障害者。但し、片目を失明している視覚障害者は改定律例第45条より適用されない。)
・改定律例制定後で、15歳以下か70歳以上もしくは中度障害者が官吏として働いているときに窃盗や強盗、贈収賄、不同意性交などの廉恥を甚だしく破る犯罪を犯し懲役1年以上の刑が科せられるとき。但し、明治10年11月2日に布告された明治10年太政官布告76号により、適用されなくなる[54]。)
過失殺傷収贖過失で被害者を殺傷した場合に適用される。また、納められた金銭は、被害者のための埋葬か医療費として支給される。但し、加害者が以下の条件のどれかに当てはまる場合、上記の新律綱領か改定律例の収贖の金額で金銭を納める。
・15歳以下の者
・70歳以上の者
・中度以上の障害者
・女性(新律綱領では身分が卒族以下の女性)
華族贖罪華族が、過誤失錯(故意でなく、不注意等によるミスや やるべきことを怠ること)を犯した場合
準流・徒限内老疾収贖1年以上の徒刑を科され、徒刑服役中に70歳以上か中度以上の障害者になった場合。1か月あたり金1分で計算し、残りの刑期を金銭で納める。残りの刑期が1か月未満の場合は、日数で割った上で納める。また、流刑と徒刑で金の単位が異なるのは、準流の方は、新貨条例制定後の明治5年11月29日に定められたからである[44]。なお、新貨条例では、貨幣の基準単位を「両」から「圓(円)」に切り替え(旧1両を新1円とする)ている。
懲役限内老疾収贖10日以上の懲役刑を科され、服役中に70歳以上か中度以上の障害者になった場合。懲役100日以下は10日あたり25銭で、1年以上は1年あたり3円で計算し、残りの刑期を金銭で納める。また、経済的事情で収められない場合、第49条より収納期限を延長の上、軽役に服する。 更に、第50条より病気により服役出来ない場合、懲役場を出て親族などに預けるなど執行が停止した期間を除き、懲役1年以上の場合は1年あたり50日服役したとみなし、懲役100日以下は科刑日数の20%を服役したとみなし、残りの刑期を金銭で納める。
誣輕爲重収贖事実を捻じ曲げて証言したことにより本来受ける刑より重い刑が科せられたものの、刑が未決であった場合、証言した者は、最大収贖金から本来受ける刑罰分を差し引いた形で収贖する(但し、受けた刑罰分が換算して杖120回以上の場合は、証言した者に杖100回[改定律例では、懲役100日]の刑罰を受けさせた上で、その分も差し引く)。金額は新律綱領では笞10回を金1分とし、改定律例は笞10回で25銭として計算する。なお、既に刑罰を受けた場合は、証言者に本来受ける刑罰分を差し引いた上で、受けた分の刑罰を受けさせる。
明治初期における士族への刑罰
仮刑律[9]明治元年太政官達916号[10]准流法
(明治3年11月17日)
新律綱領(明治3年12月発布)[11]懲役法(明治5年4月7日)改定律例(明治6年7月10日施行)[12]明治12年太政官布告第1号
(明治12年1月4日布告)[12]
備考(閏刑)
刑罰閏刑死刑相当の犯罪
又は
廉恥を破る甚しき場合
刑罰閏刑死刑相当の犯罪
又は
廉恥を破る甚しき場合
刑罰閏刑廉恥を破る甚しき場合刑罰閏刑廉恥を破る甚しき場合
士分以上か
一部犯罪
を除いた
徒士以下
左記以外士分以上か
一部犯罪
を除いた
徒士以下
左記以外明治4年
6月26日
まで
明治4年6月27日
~
明治6年7月9日[55]
明治6年7月10日
~
明治7年6月23日
明治7年6月24日以降[24]
焚刑-斬首刑
か自裁
焚刑---------------士族死刑の刑罰を科される場合、仮刑律・明治元年太政官達916号の場合は、斬首刑か自裁(切腹)により執行される。新律綱領・改定律例では自裁のみであり、俸禄は自裁刑科刑者の子孫に受け継くことが出来る(但し、明治9年に行われた秩禄処分により、廃止されている)。

なお、加賀本多家旧臣の敵討ち(明治の忠臣蔵と言われている。本多政均暗殺事件に関わった人物らを加賀本多家旧臣ら15人により殺される。また、1873年(明治6年)2月7日布達の太政官第37号「復讐禁止令」が出される以前の最後の仇討ちである。)により、明治5年11月4日に石川県刑獄寮の裁判で自裁が下され、執行された12人が日本法制史上最後の自裁(切腹刑)である。

また、改定律例により、士族の閏刑は禁錮刑に一本化される。なお、改定律例では、死刑又は終身懲役相当の刑罰を受けた場合、閏刑として終身禁錮(明治7年6月24日以降は終身禁獄)を受ける(仮刑律では、士分以上の士族の刑罰の1つに永遠禁錮の刑罰がある。)。

磔刑-磔刑磔刑-斬首刑
か自裁
磔刑磔刑----------
梟首-梟首梟首-梟首梟首梟首自裁自裁梟首梟首梟首終身禁錮終身禁獄梟首-
刎・斬刑-刎・斬刑斬首刑-斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑
---絞首刑-絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑
--------------終身懲役-終身懲役
笞100回遠流-永遠禁錮[56][57]
[58][59]
笞100回遠流流刑7年200日永遠禁錮[56][58]
[57][59]
流刑7年3等徒役
(準流10年)
3等流刑(役2年)
(実際は、準流10年)
辺戍10年禁錮10年3等流刑(役2年)
(実際は、準流10年)
3等流刑(役2年)
(実際は、準流10年)
懲役10年禁錮10年禁獄10年3等流刑(役2年)
(実際は、準流10年)
懲役10年士族が流刑の刑罰を科される場合の閏刑は、以下のそれそれ刑法によって執行される。
仮刑律・明治元年太政官達916号:中流・近流では、逼塞・遠慮・差控のどれかの方法で科刑される。
新律綱領:北海道で国境警備の仕事に就く。また、1代限りの功田賞禄を持っている場合は剥奪される。但し、明治4年6月27日に禁錮5年・7年・10年に換刑される。
改定律例:準流と同じ服役年数で禁錮刑(明治7年6月24日以降は禁獄刑)に換刑される。
笞100回中流100日笞100回中流流刑5年170日流刑5年2等徒役
(準流7年)
2等流刑(役1年半)
(実際は、準流7年)
辺戍7年禁錮7年2等流刑(役1年半)
(実際は、準流7年)
2等流刑(役1年半)
(実際は、準流7年)
懲役7年禁錮7年禁獄7年2等流刑(役1年半)
(実際は、準流7年)
懲役7年
笞100回近流笞100回近流流刑3年130日流刑3年1等徒役
(準流5年)
1等流刑(役1年)
(実際は、準流5年)
辺戍5年禁錮5年1等流刑(役1年)
(実際は、準流5年)
1等流刑(役1年)
(実際は、準流5年)
懲役5年禁錮5年禁獄5年1等流刑(役1年)
(実際は、準流5年)
懲役5年
笞100回徒刑3年禁錮3年笞100回徒刑3年--禁錮3年--徒刑3年禁錮3年禁錮3年徒刑3年徒刑3年懲役3年禁錮3年禁獄3年徒刑3年懲役3年士族が徒刑・懲役の刑罰を科される場合の閏刑は、以下のそれそれ刑法によって執行される。
仮刑律・明治元年太政官達916号:逼塞・遠慮・差控のどれかの方法で科刑される。
新律綱領・改定律例:禁錮刑に換刑される形で科刑される。
笞90回徒刑2年半-笞90回徒刑2年半-----徒刑2年半禁錮2年半禁錮2年半徒刑2年半徒刑2年半懲役2年半禁錮2年半禁獄2年半徒刑2年半懲役2年半
笞80回徒刑2年90日禁錮2年笞80回徒刑2年徒刑2年100日禁錮2年徒刑2年徒刑2年徒刑2年禁錮2年禁錮2年徒刑2年徒刑2年懲役2年禁錮2年禁獄2年徒刑2年懲役2年
笞70回徒刑1年半禁錮1年半笞70回徒刑1年半徒刑1年半90日禁錮1年半徒刑1年半徒刑1年半徒刑1年半禁錮1年半禁錮1年半徒刑1年半徒刑1年半懲役1年半禁錮1年半禁獄1年半徒刑1年半懲役1年半
笞60回徒刑1年80日禁錮1年笞60回徒刑1年徒刑1年80日禁錮1年徒刑1年徒刑1年徒刑1年禁錮1年禁錮1年徒刑1年徒刑1年懲役1年禁錮1年禁獄1年徒刑1年懲役1年
-禁錮半年---禁錮半年------------
笞100回貶席
奪禄
奪刀
笞100回笞100回100日貶席
奪禄
奪刀
笞100回笞100回杖100回閉門100日閉門100日士族身分剥奪懲役100日懲役100日禁錮100日禁獄100日士族身分剥奪懲役100日士族が笞杖刑の刑罰を科される場合の閏刑は、以下のそれそれ刑法によって執行される。
仮刑律・明治元年太政官達916号:逼塞・遠慮・差控のどれかの方法で科刑される。
新律綱領:笞刑相当は謹慎、杖刑相当は閉門。両者の違いは前者が家族と使用人の接見通信は許されたが、後者は食事や薪など生活に必要な物を運ぶ場合以外は許されなかった。
改定律例:禁錮刑(明治7年6月24日以降は禁獄刑)に換刑される形で科刑される。
笞90回70日笞90回----杖90回閉門90日閉門90日懲役90日懲役90日禁錮90日禁獄90日懲役90日
笞80回笞80回----杖80回閉門80日閉門80日懲役80日懲役80日禁錮80日禁獄80日懲役80日
笞70回60日笞70回----杖70回閉門70日閉門70日懲役70日懲役70日禁錮70日禁獄70日懲役70日
笞60回笞60回----杖60回閉門60日閉門60日懲役60日懲役60日禁錮60日禁獄60日懲役60日
笞50回50日笞50回笞50回50日笞50回笞50回笞50回謹慎50日謹慎50日懲役50日懲役50日禁錮50日禁獄50日懲役50日
笞40回40日笞40回----笞40回謹慎40日謹慎40日懲役40日懲役40日禁錮40日禁獄40日懲役40日
笞30回30日笞30回----笞30回謹慎30日謹慎30日懲役30日懲役30日禁錮30日禁獄30日懲役30日
笞20回20日笞20回笞20回20日笞20回笞20回笞20回謹慎20日謹慎20日懲役20日懲役20日禁錮20日禁獄20日懲役20日
笞10回10日笞10回----笞10回謹慎10日謹慎10日懲役10日懲役10日禁錮10日禁獄10日懲役10日
--------------呵責--呵責
刑罰閏刑士分以上か
一部犯罪
を除いた
徒士以下
左記以外刑罰閏刑士分以上か
一部犯罪
を除いた
徒士以下
左記以外准流法
(明治3年11月17日)
刑罰明治4年
6月26日
まで
明治4年6月27日
~
明治6年7月9日[55]
廉恥を破る甚しき場合懲役法(明治5年4月7日)刑罰明治6年7月10日
~
明治7年6月23日
明治7年6月24日以降[24]廉恥を破る甚しき場合明治12年太政官布告第1号
(明治12年1月4日布告) [12]
備考(閏刑)
死刑相当の犯罪
又は
廉恥を破る甚しき場合
死刑相当の犯罪
又は
廉恥を破る甚しき場合
閏刑閏刑
仮刑律[9]明治元年太政官達916号[10]新律綱領(明治3年12月発布)[11]改定律例(明治6年7月10日施行) [12]
廉恥を破る甚しき場合士族が犯した罪で窃盗や強盗、不同意性交、偽造、殺人などの士道を担う者として相応しくないと判断された犯罪については、刑法によって異なる。なお、仮刑律・明治元年太政官達916号・新律綱領では賭博が含まれ、改定律例では第18条により含まれず閏刑によって科される。ただし、一時の義憤にかられて殺人を行った場合は閏刑によって科される。更に、棄児と堕胎は、犯行の状況によって、このケースに当たるか判断される[60]。
仮刑律・明治元年太政官達916号:流刑以下の犯罪を犯した場合、身分が士分以上か徒士以下で刑罰が分かれ、前者は重い順に禁錮(永遠[実質の無期]~半年)、貶席(降格に当たる[61][62]。)、奪禄(減給に当たる[63][64]。)、奪刀に科せられる。後者は、士分以上の刑罰に準じるが、死刑相当の犯罪・盗み・不同意性交・無断で本籍地から脱した場合、平民同様に刑罰が科される。
新律綱領・改定律例:懲役1年以上の刑罰は、士族身分剥奪の上、平民同様に科された。杖100回(改定律例では懲役100日)以下の場合、士族身分剥奪のみ科される。
禁錮と禁獄武士の閏刑の1つ。禁錮と禁獄は、前者は自宅の一室での監禁に対して、後者は禁獄舎か懲役場・集治監内の準流・懲役刑受刑者と区別する形で収容し、労役に服さない。なお、明治7年6月24日に布告された明治7年太政官布告69号により、閏刑の1つである禁錮を禁獄へ変えている[24]。但し、禁獄科刑者らの受け入れ態勢が整っていないことから同年7月14日に布達された明治7年司法省布達第17号[65]より、受刑名を禁獄に変えた上で引き続き自宅での監禁が明治11年4月5日に取り止めるまで引き続き行われた[66][67]。
明治初期における官吏の刑罰
新律綱領(明治3年12月発布)[11]懲役法(明治5年4月7日)改定律例(明治6年7月10日施行)[12]明治12年太政官布告第1号(明治12年1月4日布告)[12]備考(閏刑)
刑罰廉恥を破る甚しき場合公務上又は過誤失錯を犯した場合公務上又は過誤失錯を犯した場合以外刑罰廉恥を破る甚しき場合公務上又は過誤失錯を犯した場合(明治9年4月14日に出された明治9年太政官布告第48号[68]による廃止まで、この条文は有効であった。)公務上又は過誤失錯を犯した場合以外平民官吏の父母兄弟子孫(平民官吏が家長で、破廉恥甚しき犯罪以外を犯した場合)
官吏全体
(明治4年8月21日まで)
明治4年8月22日~明治5年10月23日[69]明治5年10月24日以降[70]明治4年6月26日まで4年6月27日[55]~明治5年8月28日明治5年8月29日[71]から10月23日明治5年10月24日以降[70]
等外吏判任奏任勅任等外吏・官14等以下判任官13等以上判任奏任勅任官吏全体官吏全体官吏全体等外吏判任奏任勅任等外吏判任奏任勅任等外吏判任奏任勅任
梟首梟首官2等降格-官2等降格----自裁自裁自裁自裁梟首梟首梟首----終身禁錮終身禁錮-官吏が死刑に当たる刑罰を受ける場合、公務上又は過誤失錯(故意でなく、不注意等によるミスや やるべきことを怠ること)を犯した場合は、判任以上の有官公務員は官2等降格され、無官の場合は100両(後に100円)の贖罪金を納めることになる。それ以外の場合は自裁(切腹)となる。
斬首刑斬首刑100両100円---斬首刑斬首刑斬首刑100円---斬首刑
絞首刑絞首刑---絞首刑絞首刑絞首刑---絞首刑
-------------------終身懲役終身懲役90円---終身懲役
3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)官2等降格80両官2等降格80円罰棒10か月辺戍10年禁錮10年禁錮10年禁錮10年3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)懲役10年懲役10年80円罰棒10か月禁錮10年禁錮10年懲役10年官吏が流刑に当たる刑罰を受ける場合、公務上又は過誤失錯(故意でなく、不注意等によるミスや やるべきことを怠ること)を犯した場合は、判任以上の有官公務員は官2等降格されたが、明治5年10月24日以降は、月給7~10か月分の金銭を納める形となる。無官の場合は60~80両(後に60円~80円)の贖罪金を納めることになる。それ以外の場合は北海道で国境警備の仕事に就くことになるが、(明治4年6月27日以降は禁錮刑となる。
2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)70両70円罰棒7か月辺戍7年禁錮7年禁錮7年禁錮7年2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)懲役7年懲役7年70円罰棒7か月禁錮7年禁錮7年懲役7年
1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)60両60円罰棒5か月辺戍5年禁錮5年禁錮5年禁錮5年1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)懲役5年懲役5年60円罰棒5か月禁錮5年禁錮5年懲役5年
徒刑3年徒刑3年45両45円罰棒3か月免職免職(明治5年4月[72]~8月28日の間は、奪官と刑罰名を変え、免職の上位記剥奪もされていた。)禁錮3年禁錮3年徒刑3年懲役3年懲役3年45円罰棒3か月禁錮3年禁錮3年懲役3年官吏が徒刑・懲役刑に当たる刑罰を受ける場合、公務上又は過誤失錯(故意でなく、不注意等によるミスや やるべきことを怠ること)を犯した場合は、判任以上の有官公務員は2年以上は官2等、1年と1年半は1等で降格されたが、明治5年10月24日以降は、月給1~3か月分の金銭を納める形となる。無官の場合は15~45両(後に15円~45円)の贖罪金を納めることになる。それ以外の場合は免職(明治5年4月~同年8月28日の間は、奪官と刑罰名を変え、免職の上位記剥奪もされていた。)されていたが、明治5年8月29日以降は禁錮刑に置き換えられる。
徒刑2年半徒刑2年半37両2分37円50銭罰棒2か月半禁錮2年半禁錮2年半徒刑2年半懲役2年半懲役2年半37円50銭罰棒2か月半禁錮2年半禁錮2年半懲役2年半
徒刑2年徒刑2年30両30円罰棒2か月禁錮2年禁錮2年徒刑2年懲役2年懲役2年30円罰棒2か月禁錮2年禁錮2年懲役2年
徒刑1年半徒刑1年半官1等降格22両2分官1等降格22円50銭罰棒1か月半禁錮1年半禁錮1年半徒刑1年半懲役1年半懲役1年半22円50銭罰棒1か月半禁錮1年半禁錮1年半懲役1年半
徒刑1年徒刑1年15両15円罰棒1か月禁錮1年禁錮1年徒刑1年懲役1年懲役1年15円罰棒1か月禁錮1年禁錮1年懲役1年
杖100回身分剥奪閉門50日7両2分10両15両20両7円50銭10円15円20円官1等降格官1等降格閉門100日20円20円30円40円懲役100日懲役100日懲役100日7円50銭10円15円20円15円20円30円40円禁錮100日懲役100日官吏が笞杖刑の刑罰を科される場合、判任以上の公務員で公務上又は過誤失錯(故意でなく、不注意等によるミスや やるべきことを怠ること)を犯した場合は、笞刑は謹慎、杖刑は閉門と士族と同様の刑罰が科される。明治4年8月22日以降は金銭で納める形となる。それ以外の場合は、笞刑は謹慎、杖刑は官1等降格(後に閉門)であったが、金銭で納める形に変更しているなお、家長が判任官以上平民公務員の父母兄弟子孫で、犯した罪が廉恥を甚だしく破る犯罪でない場合、士族と同等の刑罰を受ける。
杖90回閉門45日6両3分9両13両2分18両6円75銭9円13円50銭18円閉門90日18円18円27円36円懲役90日懲役90日懲役90日6円75銭9円13円50銭18円13円50銭18円27円36円禁錮90日懲役90日
杖80回閉門40日6両8両12両16両6円8円12円16円閉門80日16円16円24円32円懲役80日懲役80日懲役80日6円8円12円16円12円16円24円32円禁錮80日懲役80日
杖70回閉門35日5両1分7両10両2分14両5円25銭7円10円50銭14円閉門70日14円14円21円28円懲役70日懲役70日懲役70日5円25銭7円10円50銭14円10円50銭14円21円28円禁錮70日懲役70日
杖60回閉門30日4両2分6両9両12両4円50銭6円9円12円閉門60日12円12円18円24円懲役60日懲役60日懲役60日4円50銭6円9円12円9円12円18円24円禁錮60日懲役60日
笞50回謹慎25日3両3分5両7両2分10両3円75銭5円7円50銭10円謹慎50日謹慎50日謹慎50日10円10円15円20円懲役50日懲役50日懲役50日3円75銭5円7円50銭10円7円50銭10円15円20円禁錮50日懲役50日
笞40回謹慎20日3両4両6両8両3円4円6円8円謹慎40日謹慎40日謹慎40日8円8円12円16円懲役40日懲役40日懲役40日3円4円6円8円6円8円12円16円禁錮40日懲役40日
笞30回謹慎15日2両1分3両4両2分6両2円25銭3円4円50銭6円謹慎30日謹慎30日謹慎30日6円6円9円12円懲役30日懲役30日懲役30日2円25銭3円4円50銭6円4円50銭6円9円12円禁錮30日懲役30日
笞20回謹慎10日1両2分2両3両4両1円50銭2円3円4円謹慎20日謹慎20日謹慎20日4円4円6円8円懲役20日懲役20日懲役20日1円50銭2円3円4円3円4円6円8円禁錮20日懲役20日
笞10回謹慎5日3分1両1両2分2両75銭1円1円50銭2円謹慎10日謹慎10日謹慎10日2円2円3円4円懲役10日懲役10日懲役10日75銭1円1円50銭2円1円50銭2円3円4円禁錮10日懲役10日
-------------------呵責呵責---------呵責
刑罰廉恥を破る甚しき場合官吏全体
(明治4年8月21日まで)
等外吏判任奏任勅任等外吏・官14等以下判任官13等以上判任奏任勅任官吏全体官吏全体官吏全体等外吏判任奏任勅任懲役法(明治5年4月7日)刑罰廉恥を破る甚しき場合等外吏判任奏任勅任等外吏判任奏任勅任平民官吏の父母兄弟子孫(平民官吏が家長で、破廉恥甚しき罪以外を犯した場合)明治12年太政官布告第1号(明治12年1月4日布告)[12]備考(閏刑)
明治4年8月22日[69]~明治5年10月23日明治5年10月24日以降[70]明治4年6月26日まで4年6月27日[55]~明治5年8月28日明治5年8月29日[71]から10月23日明治5年10月24日以降[70]公務上又は過誤失錯を犯した場合(明治9年4月14日に出された明治9年太政官布告第48号[68]による廃止まで、この条文は有効であった。)公務上又は過誤失錯を犯した場合以外
公務上又は過誤失錯を犯した場合公務上又は過誤失錯を犯した場合以外
新律綱領(明治3年12月発布)[11]改定律例(明治6年7月10日施行)[12]
廉恥を破る甚しき場合官吏が犯した罪で窃盗や強盗、贈収賄、部下の婦女に性交、偽造、殺人など破廉恥な犯罪と判断された犯罪については、平民と同様の刑罰を受ける。なお、仮刑律・明治元年太政官達916号・新律綱領では賭博が含まれ、改定律例では第18条により含まれず閏刑によって科される。ただし、一時の義憤にかられて殺人を行った場合は閏刑によって科される。更に、棄児と堕胎は、犯行の状況によって、このケースに当たるか判断される[60]
罰棒明治5年10月24日に布告された明治5年太政官布告第321号より、13等以上の官位を有する官吏が、公務上又は過誤失錯を犯し、刑罰が徒刑1年以上3等流刑以下の相当である場合、刑罰を受ける代わりに、給与の半分を国に納める。14等以下の場合は、平民と同様に前表「明治初期における収贖・贖罪」の贖罪の金額を納める。
勅任官・奏任官が犯罪を犯した場合新律綱領では、天皇に申し上げた上で、取り調べを受ける。なお、官吏でない華族も同様に対応される。
その後、微罪の場合、申し上げた上で取り調べるのは手続きに時間がかかり却って科刑対象者に不都合が生じることを理由に、明治5年3月12日に布告された明治5年太政官布告第80号[73]により、急を要する場合は取り調べてから天皇に申し上げが可能となり、公務上又は過誤失錯を犯した場合で罪が明白であり杖笞刑が科される場合は、取り調べをせず、執行してから申し上げることも可能となる。また、同年10月13日に布告された明治5年太政官布告第307号[74]より、急を要する場合は犯罪の種類や科される刑罰に関係なく取り調べてから申し上げるが可能となる。
旧日本軍軍人軍属が犯罪を犯した場合明治5年2月12日に布告された明治5年太政官布告第43号[75]により、出征行軍中以外で犯罪を起こしたり、旧日本軍軍人軍属以外の者に対して犯罪を起こした場合は、海陸軍刑律(明治5年2月施行)で裁かず、新律綱領に基づいて裁かれた。
その後、明治6年4月13日に布告された明治6年太政官布告第132号[76]により、軍人軍属が犯罪を犯した場合は以下のように対処した。
軍人軍属以外の者に対して犯罪を犯した場合:海陸軍刑律により裁かれる。
軍人軍属以外と一緒に犯罪を犯した場合:軍人軍属は海陸軍刑律により裁かれ、軍人軍属以外は、新律綱領か改定律例によって裁かれる。
軍人軍属が軍務に服していない状態で犯罪を犯した場合:新律綱領か改定律例によって裁かれる。
軍人軍属を含めて大量の逮捕者が出るなど規模の大きい事件や大規模な汚職事件:軍事裁判所と裁判所で協議して、どちらで裁くか決める。

なお、海陸軍刑律第7条により、旧日本軍を辞めたり(懲戒免職含む)、兵役を終えてから3年以内に犯罪を犯した場合と第6条により戦時において、敵のスパイや兵士等に賭博や風俗の遊興の仲介を生業とする者は海陸軍刑律によって裁かれる[77]。

更に、明治7年5月18日に太政官により出された指令より、犯罪が発覚した時点で除隊して軍人軍属でない状態であっても、犯罪を犯した時に軍人軍属であった場合は、海陸軍刑律により裁かれる[78]。

官吏でない地方公務員が犯罪を犯した場合明治7年6月2日に明治7年太政官布告第71号[79]が布告されるまでは、官吏でない群や区町村(大区小区制により編成されていた自治体含む。また、郡区町村編制法制定後の群区長と群区書記は除く。)の地方公務員は平民と同様に刑罰が科されたが、この布告により、俸給を基準に奏任相当は月給350円以上[80][81]、判任相当は月給30円[82][81]以上350円未満、等外吏は月給30円未満の者とし、廉恥を破る甚しき場合と判断されない犯罪を犯した場合は、上記の改定律例の記載の閏刑が科されることとなった。
しかし、等外吏に準ずるとされた地方公務員の中には等外吏よりも月給の低い者がおり、閏刑を適用した場合、経済的な圧迫を招くことを理由[83]に、明治8年2月22日に布告された明治8年太政官布告第31号[84]により、官吏で最も低い等外吏4等の月給に満たない者(戸長除く)は平民同様の刑罰を科すこととなった。
明治初期における僧侶の刑罰
仮刑律[9]明治元年太政官達916号[10]准流法(明治3年11月17日)新律綱領(明治3年12月発布)[11]懲役法(明治5年4月7日)改定律例(明治6年7月10日施行)[12]明治12年太政官布告第1号(明治12年1月4日布告)[12]備考(閏刑)
刑罰僧位を有する僧侶僧位のない僧侶戒律を破る甚しき場合刑罰僧位を有する僧侶僧位のない僧侶戒律を破る甚しき場合刑罰戒律を破る甚しき場合僧位を有する僧侶僧位のない僧侶刑罰 僧位を有する僧侶刑罰
業務上又は過誤失錯を犯した場合業務上又は過誤失錯を犯した場合以外 戒律を破る甚しき

場合

閏刑
明治5年10月23日まで明治5年10月24日以降[70]明治5年8月28日まで明治5年8月29日[71]から10月23日明治5年10月24日以降[70]
判任(官13等以上)相当奏任相当勅任相当判任(官13等以上)相当奏任相当勅任相当
焚刑焚刑焚刑焚刑------------------- ---僧侶が死刑に当たる刑罰を受ける場合、改定律例では、僧位を有する場合に士族と同じ閏刑が科され終身禁錮となる。
それ以外は、平民と同様の刑が科される。
磔刑磔刑磔刑磔刑磔刑磔刑磔刑磔刑磔刑-------------- ---
梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首梟首 梟首終身禁錮-
刎・斬刑刎・斬刑刎・斬刑刎・斬刑斬首刑刎・斬刑刎・斬刑刎・斬刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑斬首刑 斬首刑斬首刑
----絞首刑---絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑絞首刑 絞首刑絞首刑
----------------------終身懲役 終身懲役終身懲役
笞100回遠流貶官
奪職
追院
逼塞
差控
(情重き場合)
退院
脱衣
(情が軽い場合)
贖銅銭
笞100回遠流流刑7年貶官
奪職
追院
逼塞
差控
(情重き場合)
退院
脱衣
(情が軽い場合)
贖銅銭
笞100回遠流3等徒役(準流10年)3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)禁錮10年3等流刑(役2年)(実際は、準流10年)懲役10年 懲役10年禁錮10年懲役10年僧侶が遠島に当たる刑罰を受ける場合、仮刑律・明治元年太政官達916号では、閏刑が科された。
新律綱領と改定律例では、禁錮10・7・5年の刑が課せられた。
笞100回中流笞100回中流流刑5年笞100回中流2等徒役(準流7年)2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)禁錮7年2等流刑(役1年半)(実際は、準流7年)懲役7年 懲役7年禁錮7年懲役7年
笞100回近流笞100回近流流刑3年笞100回近流1等徒役(準流5年)1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)禁錮5年1等流刑(役1年)(実際は、準流5年)懲役5年 懲役5年禁錮5年懲役5年
笞100回徒刑3年笞100回徒刑3年-笞100回徒刑3年-徒刑3年徒刑3年僧位2等降格罰棒3か月免職(明治5年4月[72]~同年8月28日の間は、奪官と刑罰名を変え、免職の上、僧位剥奪もされていた。)禁錮3年禁錮3年徒刑3年懲役3年 懲役3年禁錮3年懲役3年僧侶が徒刑・懲役に当たる刑罰を受ける場合、仮刑律・明治元年太政官達916号では、閏刑が科された。
新律綱領では、僧位を有する僧侶は徒刑・懲役刑以下の場合、官吏と同様の閏刑を受ける。業務上又は過誤失錯を犯した場合、明治5年10月23日までは僧位の降格が科されたが、同年10月24日以降は、給料の半分を国に納める形となった。業務上又は過誤失錯を犯した場合以外で閏刑が科される場合、免職であるが、明治5年4月~同年10月23日の間で科された場合、僧位も剥奪された上で免職された。同年同月24日以降は改定律例含め、禁錮刑に換刑されている。
僧位のない僧侶は、士族と同様閏刑が科され、この場合禁錮刑が科せられた。
笞90回徒刑2年半笞90回徒刑2年半-笞90回徒刑2年半-徒刑2年半徒刑2年半罰棒2か月半禁錮2年半禁錮2年半徒刑2年半懲役2年半 懲役2年半禁錮2年半懲役2年半
笞80回徒刑2年笞80回徒刑2年徒刑2年笞80回徒刑2年徒刑2年徒刑2年徒刑2年罰棒2か月禁錮2年禁錮2年徒刑2年懲役2年 懲役2年禁錮2年懲役2年
笞70回徒刑1年半笞70回徒刑1年半徒刑1年半笞70回徒刑1年半徒刑1年半徒刑1年半徒刑1年半僧位1等降格罰棒1か月半禁錮1年半禁錮1年半徒刑1年半懲役1年半 懲役1年半禁錮1年半懲役1年半
笞60回徒刑1年笞60回徒刑1年徒刑1年笞60回徒刑1年徒刑1年徒刑1年徒刑1年罰棒1か月禁錮1年禁錮1年徒刑1年懲役1年 懲役1年禁錮1年懲役1年
笞100回笞100回笞100回笞100回笞100回杖100回還俗閉門50日10円15円20円僧位1等降格閉門100日20円30円40円閉門100日懲役100日懲役100日 懲役100日禁錮100日懲役100日僧侶が杖笞刑に当たる刑罰を受ける場合、仮刑律・明治元年太政官達916号では、閏刑が科された。
新律綱領では、僧位を有する僧侶は、閉門・謹慎の刑が科されたが、明治5年10月24日以降は罰金に換刑されている。僧位のない僧侶は、閉門・謹慎の刑が科された。
改定律例では、僧位を有する僧侶の場合に禁錮刑が科せられた。
笞90回笞90回-笞90回-杖90回閉門45日9円13円50銭18円閉門90日18円27円36円閉門90日懲役90日懲役90日 懲役90日禁錮90日懲役90日
笞80回笞80回-笞80回-杖80回閉門40日8円12円16円閉門80日16円24円32円閉門80日懲役80日懲役80日 懲役80日禁錮80日懲役80日
笞70回笞70回-笞70回-杖70回閉門35日7円10円50銭14円閉門70日14円21円28円閉門70日懲役70日懲役70日 懲役70日禁錮70日懲役70日
笞60回笞60回-笞60回-杖60回閉門30日6円9円12円閉門60日12円18円24円閉門60日懲役60日懲役60日 懲役60日禁錮60日懲役60日
笞50回笞50回笞50回笞50回笞50回笞50回謹慎25日5円7円50銭10円謹慎50日謹慎50日10円15円20円謹慎50日懲役50日懲役50日 懲役50日禁錮50日懲役50日
笞40回笞40回-笞40回-笞40回謹慎20日4円6円8円謹慎40日謹慎40日8円12円16円謹慎40日懲役40日懲役40日 懲役40日禁錮40日懲役40日
笞30回笞30回-笞30回-笞30回謹慎15日3円4円50銭6円謹慎30日謹慎30日6円9円12円謹慎30日懲役30日懲役30日 懲役30日禁錮30日懲役30日
笞20回笞20回笞20回笞20回笞20回笞20回謹慎10日2円3円4円謹慎20日謹慎20日4円6円8円謹慎20日懲役20日懲役20日 懲役20日禁錮20日懲役20日
笞10回笞10回-笞10回-笞10回謹慎5日1円1円50銭2円謹慎10日謹慎10日2円3円4円謹慎10日懲役10日懲役10日 懲役10日禁錮10日懲役10日
------------------呵責 呵責-呵責
刑罰僧位を有する僧侶僧位のない僧侶戒律を破る甚しき場合刑罰僧位を有する僧侶僧位のない僧侶戒律を破る甚しき場合准流法(明治3年11月17日)刑罰戒律を破る甚しき場合明治5年10月23日まで判任(官13等以上)相当奏任相当勅任相当明治5年8月28日まで明治5年8月29日[71]から10月23日勅任相当奏任相当判任(官13等以上)相当僧位のない僧侶懲役法(明治5年4月7日)刑罰 戒律を破る甚しき

場合

閏刑明治12年太政官布告第1号(明治12年1月4日布告)[12]備考(閏刑)
明治5年10月24日以降[70]明治5年10月24日以降[70]
業務上又は過誤失錯を犯した場合業務上又は過誤失錯を犯した場合以外
僧位を有する僧侶 僧位を有する僧侶
仮刑律[9]明治元年太政官達916号[10]新律綱領(明治3年12月発布)[11]改定律例(明治6年7月10日施行)[12]
戒律を破る甚しき場合僧侶が犯した罪で仮刑律では、盗みや強盗、不同意性交や出奔、偽造、殺人、そのほか死罪に当たる犯罪を犯した場合は、庶民と同様の刑罰を受ける。
新律綱領・改定律例では、窃盗や強盗、不同意性交、賭博など戒律を破る甚だしきと判断された犯罪については、身分剥奪の上、平民と同様の刑罰を受ける。但し、新律綱領で杖笞刑の刑が科される場合。還俗(僧侶の身分剥奪)のみとなる。なお、一時の義憤にかられて殺人を行った場合は閏刑によって科される。更に、棄児と堕胎は、犯行の状況によって、このケースに当たるか判断される[60]
僧位を有する僧侶仮刑律戒律を破る甚しきと判断されない犯罪を犯した場合、重い順に貶官(降格に当たる。)、奪職(住職を罷免し、僧階を剥奪する。)[85]、追院(直ちにその場から追放し、居住していた寺院に帰ることを許さないもの。)、逼塞、差控が科される。
新律綱領戒律を破る甚しきと判断されない犯罪を犯した場合、官吏と同様の閏刑を受ける。また、杖笞刑に当たる刑罰を受ける場合の閏刑は、僧位によって異なっていた[86][87][88]。
明治4年7月28日まで:勅任相当は大僧都以上、奏任相当は権律師以上権大僧都以下[89]
明治4年7月29日以降:勅任相当は大僧正・僧正のみ、奏任相当は律師(中律師)以上権僧正以下、判任(官13等以上)相当:権律師のみ"[90]
改定律例戒律を破る甚しきと判断されない犯罪を犯した場合、士族と同様の閏刑を受ける。
また、明治6年1月19日に布告された明治6年太政官布告第23号[91]により、僧位は廃止されているが、廃止後も各宗は独自に僧位を定めているので、廃止後も各宗で独自に定めた僧階であるものの引き続き僧位のある僧侶が対象となる。
僧位のない僧侶仮刑律戒律を破る甚しきと判断されない犯罪を犯し情重き場合、退院(居住していた寺院に一度身支度ため帰ることを許した上で、追放する。)か脱衣。そうでない場合は、金銭を国に納める。
新律綱領戒律を破る甚しきと判断されない犯罪を犯した場合、士族と同様の閏刑を受ける。また、明治5年3月27日に出された太政官指令により、閏刑の対象となる僧位のない僧侶は、一寺院を管掌する住職以上であり、それ以外の僧位のにない僧侶は平民と同様の刑罰を受ける[92]。
改定律例すべての僧位のない僧侶は平民と同様の刑罰を受ける。

旧・刑法

[編集]
刑法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 旧刑法
法令番号 明治13年太政官布告第36号
種類 刑法
効力 廃止
公布 1880年7月17日
施行 1882年1月1日
所管 司法省
主な内容 主な犯罪の成立要件とそれに対する刑罰
条文リンク 法令全書、刑法- e-Gov法令検索
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刑法(明治13年太政官布告第36号)[※ 1]は、今日では現行の刑法と区別して「旧・刑法」と呼称されている。また、施行年に基づいて「明治15年刑法」と称される場合もある。1880年(明治13年)7月17日に治罪法(刑事訴訟法)とともに制定され、1882年(明治15年)1月1日に新律綱領・改定律例に代わって施行された。全4編、430条から成る。

1872年(明治5年)頃から司法省内で本格的な刑法草案の起草が進められていたが、「校正律例稿」(1874年〈明治7年〉)・「日本帝国刑法初集」(1876年〈明治9年〉)、「改正刑法名例集」とも〈総則のみ〉)などいずれも不十分なものであった。そこで司法省はボアソナードにフランス刑法典を基本にした刑法草案の作成を依頼して、でき上がった草案を元に元老院内に伊藤博文(後に柳原前光に交代)を中心に陸奥宗光・細川潤次郎らとともに「刑法草案審査局」を設置して審議を行って修正を加えた。

犯罪を重罪・軽罪・違警罪の3種類に分けて規定している。基本的には1810年に制定されたフランス刑法典を基本にしているが、自首による罪の減軽(85条以下)、親族関係への配慮(犯罪を犯した者を蔵匿・隠避した親族に対しては罪を問わない(153条)、親族間の窃盗については罪を問わない(377条 - 親族相盗例)、本人または親属による親告罪の設置など)、不敬罪の厳罰化(117条、119条)など、日本の伝統的な法思想に基づく規定もある。

旧・刑法における刑罰
犯罪の種類国事に関する罪以外国事に関する罪[93]服役年数・金額服役刑事施設備考
監獄則(1882年〈明治15年〉1月1日施行)[94]改正監獄則(1889年〈明治22年〉7月12日公布) [95]
重罪死刑---監獄内で非公開の絞首刑。ただし、検事から死刑執行観覧の許可を得られた場合は、観覧可能。
無期徒刑無期流刑定め無(仮出獄は15年以上服役した場合、可能。)集治監集治監(ただし、集治監に発遣されるまでは、仮留監に収容。)集治監で刑を服する。徒刑は労役があり、流刑は労役がない。
また、女性が徒刑の判決を受けた場合、集治監ではなく、懲役場または地方監獄(現在の刑務所)で労役に服する。
なお、沖縄県の場合も明治16年太政官達第4号より、集治監に収容されず、旧来と同様の刑罰で八重山列島へ流刑(八重山列島科刑者の場合は、他の島へ流刑)されることとなった[96][97]。
有期徒刑有期流刑12年以上15年以下
重懲役重禁獄9年以上11年以下懲役場地方監獄集治監ではなく、懲役場または地方監獄で刑を服する。懲役は労役があり、禁獄は労役がない。
刑罰名の「重軽」は服役年数の違いのみである。
輕懲役軽禁獄6年以上8年以下
軽罪重禁錮11日以上5年以下刑罰名の「重軽」は、労役に服するのが重禁錮で、服さないのが軽禁錮である。
輕禁錮
罰金2円以上--完納出来ない場合、1円を1日換算して、軽禁錮の刑に服する。ただし、1円未満の場合は、1日に換算する。また、換算できる服役年数上限は2年。
違警罪の主刑拘留1日以上10日以下拘留場(ただし、場合によっては留置場で服役する場合がある。)地方監獄(ただし、場合によっては留置場で服役する場合がある。)労役は服さず。
科料5錢以上1円95錢以下--完納出来ない場合、1円を1日換算して、拘留の刑に服する。ただし、1円未満の場合、拘留1日に換算する。
付加刑
剥奪公権公権が剥奪される[98]。重罪を犯した場合に対象。剥奪期間は、旧・刑法第63条1項に該当するか恩赦による復権がない限り、終身。
停止公権公権が一定期間停止される。禁錮刑または監視の付加刑を受けた場合。公務員の場合、失職する。
禁治産自らの財産を管理・処理を出来なくなる。重罪を犯した場合に対象となる。ただし、流刑受刑者で刑を免ぜられた場合、一部免除。
監視一定の刑を終えた受刑者に、釈放後ある期間内住居を移転することを禁じ、かつ警察官にその行動を見守らせる。
監視期間は、死刑および無期刑の刑を免ぜられた場合は5年間、重罪はそれぞれの刑罰の最も短い服役年数の3分の1(有期徒刑と有期流刑は4年、重懲役と重禁獄は3年、輕懲役と軽禁獄は2年)、軽罪は裁判で宣告した期間である。
罰金
沒收違法物品、犯罪に使われた物、犯罪によって得られた金品を対象に、受刑者から没収される。
旧・刑法と新律綱領・改定律令の刑罰対比と旧・刑法第3条に関すること
新律綱領・改定律令旧刑法
国事に関する罪以外国事に関する罪
斬首刑死刑(絞首刑)
絞首刑
終身懲役禁獄終身無期徒刑
(新律綱領・改定律令
では終身懲役)
無期流刑
(新律綱領・改定律令
では禁獄終身)
------有期徒刑有期流刑
懲役10年禁獄10年重懲役重禁獄
懲役7年禁獄7年輕懲役軽禁獄
懲役5年禁獄禁錮5年重禁錮・輕禁錮
(新律綱領・改定律令では前者は懲役刑、後者は禁獄禁錮刑)
懲役3年禁獄禁錮3年
懲役2年半禁獄禁錮2年半
懲役2年禁獄禁錮2年
懲役1年半禁獄禁錮1年半
懲役1年禁獄禁錮1年
懲役100日禁獄禁錮100日
懲役90日禁獄禁錮90日
懲役80日禁獄禁錮80日
懲役70日禁獄禁錮70日
懲役60日禁獄禁錮60日
懲役50日禁獄禁錮50日
懲役40日禁獄禁錮40日
懲役30日禁獄禁錮30日
懲役20日禁獄禁錮20日
収贖・贖罪・罰金で2円以上罰金
懲役10日禁獄禁錮10日拘留
収贖・贖罪・罰金で2円未満科料
旧・刑法と新律綱領・改定律令の刑罰のどちらかを科す時(旧・刑法第3条)
旧刑法第3条より、旧刑法施行以前に犯した犯罪で判決が下されていない者に関しては、旧刑法と改定律令・新律綱領を比べて刑罰が軽い方で処罰することになっており、明治14年太政官布告第81号により以下の条件で刑罰を科すことになった[99]。
1.旧刑法で定めた刑罰の刑期を科す時、新律綱領・改定律令で定めた刑期を超えてはならない。
例:新律綱領・改定律令で懲役100日以下の刑に当たり、旧刑法にいおいて2月以上4年以下の重禁錮に当たる時は、旧刑法に基づいて2か月以上100日以下の重懲役で科す。
2.旧刑法と新律綱領・改定律令で定めた刑罰の刑期に上限と下限の定めがある場合は、旧刑法と新律綱領・改定律令でそれぞれ短い方にして、その範囲内で科す。
例:新律綱領・改定律令では1年以上3年以下の懲役、旧刑法で3か月以上4年以下の重禁錮の時は、旧刑法に基づいて3か月以上3年以下の範囲の重懲役を科す。
3.旧刑法と新律綱領・改定律令で定めた刑罰で労役の有無に違いがある場合は、無い方の法律に基づいて刑罰で科す。但し、刑期は2に従い、どちらも短い方にして、その範囲内で科す。
例1:新律綱領・改定律令では禁獄30日で、旧刑法で1か月以上1年以下の重禁錮の時は、新律綱領・改定律令に基づいて禁獄30日のままで科す。
例2:新律綱領・改定律令では2ヵ月以上3年以下の禁獄で、旧刑法で2か月以上2年以下の重禁錮の時は、新律綱領・改定律令に基づいて2ヵ月以上2年以下の範囲で禁獄を科す。
4.旧刑法で定めた収贖・贖罪・罰金の金額が新律綱領・改定律令で定めた金額を超えて科してはならない。
5.罰金・科料を多数科された場合は、旧刑法か新律綱領・改定律令のどちらか多い方に科されれた方の法律に基づいて納付する。
但し、金額は、両方の法律で定めた少ない方で科す。
6.旧刑法で自由刑(罰金・科料以外の刑罰)が科される場合で、新律綱領・改定律令において財産刑の付加刑が無い場合は、付加刑を科さない。
7.旧刑法で定めた刑罰が財産刑(罰金・科料)で新律綱領・改定律令が自由刑である場合は、旧刑法に基づき財産刑(罰金・科料)が科される。
但し、逆の場合は、新律綱領・改定律令で財産刑が科される。
8.新律綱領・改定律令で財産刑が科された者で、完納できない場合は、未納分を1円当たり1日に換算して、軽禁錮又は拘留を科す。
但し未納分が1円未満の場合は1日に換算し、拘留1日を科す。
9.新律綱領・改定律令で自由刑に当たり、旧刑法で輕懲役(国事に関する罪では軽禁獄)以上の刑罰が科せられる場合は、旧刑法の付加刑は科さないが、新律綱領・改定律令に基づいて除族・追奪位記・没収などの付加刑が科される。
10.旧刑法で定めた刑罰で重軽禁錮に当たる者は、監視の付加刑は科されない。
11.華族と士族で、重禁錮以下の刑罰が科される場合は、身分剝奪はされない。
12.新律綱領・改定律令で棒鎖の刑罰が科される者は、他の刑に変更せずに、そのまま科す。
但し、女性の場合は明治8年(1875年)3月20日に出された司法省布達第4号より、棒鎖は科さずに闇室(最長7日間、光の届かぬ部屋に閉じ込めて、接見を禁じて食事のみ与える[38]。)の刑罰が科される[100]。
13.再犯や情緒酌量の余地の有無、年齢などを加味して刑の加減をした上で、どちらの法律を適用するか決めること。

刑法典論争

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ところが、旧刑法制定の直後から、この刑法に対する不満の声が政府内から持ち上がった。ヨーロッパでは新しい刑法理論(近代学派(新派))が誕生して、従来の理論(古典主義(旧派))と激しい論争が行われているのに、旧刑法ではその成果が反映されていないことなどが問題視された。さらには近代化の途上にあった当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して対応できていないという不満が批判に拍車をかけた。このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「賭博犯処分規則」・「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(1890年(明治23年)、行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の伊東巳代治と違憲論の井上毅の間で激論が交わされた)などによって、旧・刑法の理念との矛盾を含んだ新しい法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であった。

この動きを見た司法省は、ドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。改正案は1890年(明治23年)・1895年(明治28年)・1897年(明治30年)・1901年(明治34年)・1902年(明治35年)と5度にわたって議会に提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官や裁判官も加わった)の反対論などによっていずれも挫折した。

現行刑法の制定

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第1次西園寺内閣の司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織し、そこで刑法改正論議を行わせることにした。松田の苦労が実を結んで、1907年(明治40年)に現行の刑法が成立した。

刑法施行法

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現行の刑法の制定のため、刑法の制定の翌年、「刑法施行法(明治41年3月28日法律第29号)が制定され、刑法と同時に施行された。これは刑法の施行に伴う経過措置、他法の改正等を規定しているが、第25条において旧刑法の一部の規定を「当分ノ内刑法施行前ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定し、2023年現在でも旧刑法第二編第四章第九節の規定(公選ノ投票ヲ偽造スル罪)がその対象である。

また第26条及び第27条でいくつかの法律について国外犯の対象とするとしている。例えば戸籍法違反は、刑法第2条すなわち、すべての者の国外犯が適用される。日本国外にある在外公館で、外国人が届出をすることもあるので規定されている。また著作権法違反は刑法第3条、すなわち日本国民の国外犯が適用される。戸籍法等に国外犯の規定がないので国外犯規定の対象でないと誤解することがあるので注意が必要である。

改正刑法草案

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時代の変遷や社会の高度化に伴い、原因において自由な行為や共謀共同正犯など現行の刑法が想定していなかった問題が山積していたため、政府は大規模な刑法の改正に乗り出した。そして、1974年(昭和49年)5月29日、法制審議会総会が、前述の問題に対する解決や保安処分、現代的な犯罪類型などを盛り込んだ改正刑法草案(全369条)を決定した。しかし、犯罪となる行為の範囲が広くなりすぎる、国家主義的であるなどの批判を受け、国会に上程されることなく現在に至っている。

主な改正

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戦前

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1921年(大正10年)改正(大正10年法律第77号、第一次改正)[101]
1941年(昭和16年)改正(昭和16年法律第61号、第二次改正)[102]

昭和20年代

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1947年(昭和22年)改正(昭和22年法律第124号、第三次改正)[103]

日本国憲法公布に伴い、その精神に沿うようにするための改正。

  • 連続犯規定(旧・55条)の削除
  • 裁判確定後の再犯による加重規定(旧・58条)の削除
  • 執行猶予の要件の緩和と取消事由の拡張
  • 刑の消滅の規定(34条の2)の新設
  • 自国民保護主義による国外犯処罰規定の削除
  • 外国判決の効力規定の修正
  • 皇室に関する罪の削除
  • 外国元首・使節に対する暴行・脅迫罪(旧・90条、91条)の削除
  • 利敵行為の罪(旧・83条 - 86条)の削除
  • 外患援助罪などを戦時同盟国に対して適用すること(旧・89条)の削除
  • 安寧秩序ニ対スル罪(旧・第2編第7章ノ2)の削除
  • 親族による犯人蔵匿罪を不可罰から刑の裁量的免除に改める(105条)
  • 姦通罪(旧・183条)の削除
  • 名誉毀損罪の法定刑の加重(230条)と真実性の証明による免責規定(230条の2)の新設
  • 公然わいせつ罪・わいせつ物販売等罪(174条、175条)の法定刑の加重
  • 暴行罪(208条)の法定刑の加重、非親告罪化
  • 脅迫罪(222条)の法定刑の加重
  • 公務員職権濫用罪(193条 - 195条)の法定刑の加重
  • 重過失致死傷罪(211条)の新設
  • 親族相盗例からの「家族」の削除(244条)
1953年(昭和28年)改正(昭和28年法律第195号)[104]
  • 執行猶予の要件の緩和、再度の執行猶予(24条2項)・必要的保護観察(25条の2)新設
  • 仮出獄の規定の整備
1954年(昭和29年)改正(昭和29年法律第57号、第四次改正)[105]

昭和30年代

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1958年(昭和33年)改正(昭和33年法律第107号、第五次改正)[106]
1960年(昭和35年)改正(昭和35年法律第83号、第六次改正)[107]
1964年(昭和39年)改正(昭和39年法律第124号、第七次改正)[108]

昭和時代後期

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1968年(昭和43年)改正(昭和43年法律第61号、第八次改正)[109]
1980年(昭和55年)改正(昭和55年法律第30号、第九次改正)[110]
1987年(昭和62年)改正(昭和62年法律第52号)[111]

平成時代初期・前期

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1991年(平成3年)改正(平成3年法律第31号)[112]
1995年(平成7年)改正(平成7年法律第91号、第十次改正)[113]

平成10年代(平成時代中期 - 末期)

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2001年(平成13年)改正
(平成13年法律第97号、第十一次改正)[115]
(平成13年法律第138号、第十二次改正)[116]
(平成13年法律第153号)[117]
2003年(平成15年)改正
(平成15年法律第122号、第十三次改正)[118]
  • 国民以外の者の国外犯の規定(3条の2)新設
(平成15年法律第138号)[119]
  • 仲裁法制定に伴う改正(197条等)
2004年(平成16年)改正(平成16年法律第156号)[120]
2005年(平成17年)改正
(平成17年法律第50号)[121]
(平成17年法律第66号)[122]
2006年(平成18年)改正(平成18年法律第36号)[123]
  • 公務執行妨害罪・窃盗罪に選択刑として罰金刑を追加
  • 業務上過失致死傷罪の罰金刑の上限引上げ
  • 労役場留置に関する規定の整備
2007年(平成19年)改正(平成19年法律第54号、第十四次改正)[124]
  • 自動車運転過失致死傷罪(211条2項)の新設
  • 危険運転致死傷罪をオートバイも対象とする

平成20年代(平成時代後期)

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2010年(平成22年)改正(平成22年法律第26号)[125]
  • 刑事訴訟法の改正とともに、死刑に関して刑の時効を廃止(31条、34条1項)
  • 懲役または禁錮10年以上の時効の延長(32条)
2011年(平成23年)改正(平成23年法律第74号)[126]
2013年(平成25年)改正
(平成25年法律第49号)[127]
  • 刑の一部執行猶予の制度を導入
(平成25年法律第86号)[128]
2016年(平成28年)改正(平成28年法律第54号)[129]
  • 犯人隠避罪及び証拠隠滅罪の法定刑について、二年以下の懲役を三年以下の懲役に引上げ。
  • 証人威迫罪の法定刑について、一年以下の懲役を二年以下の懲役に引上げ。
2017年(平成29年)改正
(平成29年法律第72号、第十五次改正)[130]
  • 強姦罪(刑法177条)を「強制性交等罪」に名称を変更し、法定刑の下限を引き上げ。性別を問われなくなり、被害者からの親告罪から非親告罪へ変更され、集団強姦罪が廃止される。6月23日公布、平成29年7月13日に施行。
(平成29年法律第67号)[131]
2018年(平成30年)改正(平成30年法律第72号)[132]
  • 放火罪及び毀棄罪について差押え等に係る自己の物に関する特例が規定されていたところ、民法改正に伴う配偶者居住権の新設によって、配偶者居住権が設定された自己の物についても他人の物に対するのと同様に処罰される旨が規定された。

令和時代

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2022年(令和4年)改正(令和4年法律第67号)[133]
  • 侮辱罪(刑法231条)の法定刑の上限を引き上げ。これまで法定刑は「拘留又は科料」であったが、「一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」に改められた。令和4年6月13日成立、6月17日公布。公布後20日を経過した日(7月7日)に施行。
  • 懲役刑と禁錮刑を拘禁刑に統一[134]。拘禁刑の受刑者は「改善更生を図る」ことを明記した[135]。2025年(令和7年)6月1日から施行。
2023年改正(令和5年)改正(令和5年法律第66号)[136]
  • 強制わいせつ罪(176条)、強制/準強制性交等罪(177条/178条)及び各致死傷罪(181条)、強盗・強制性交等罪及び同致死傷罪(241条)を不同意わいせつ罪、不同意性交等罪、強盗・不同意性交等罪へと罪名変更及び性犯罪の成立要件の見直し、性的同意年齢を13歳から16歳へ引き上げ。また、十六歳未満の者に対する面会要求等罪(182条)を新設し、旧182条の淫行勧誘罪を欠番の183条へ移動。2023年(令和5年)6月23日公布、同年7月13日施行。

関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ↑ かつて第1章には国家的法益に対する罪の筆頭として「皇室ニ対スル罪」が設定され、大逆罪などの規定があったが、日本国憲法施行に伴う刑法の改正で削除され、現在は存在しない。下の「沿革」節も参照。
  2. ↑ 東京裁判所は1869年5月、戊辰戦争の首謀者として仙台藩の但木成行と坂時秀を、盛岡藩藩主の代わりとして楢山佐渡を刎首刑に処した。会津藩については「萱野長修以下二十一名を斬に処す。既に死する者は其後を絶つ」とされた[8]。
  3. ↑ フランツ・フォン・リストによる刑事法政策利用論が現れたのは、假刑律よりも後である。明治新政府は紙幣製造事業等のため、普仏戦争の前後にはドイツ帝国に投資した。

出典

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  1. ↑ 日本法令外国語訳データベースシステム - [法令本文表示 - 刑法]
  2. ↑ 幅の広さでソートできる法定刑一覧
  3. ↑ “インターネット版官報 令和4年6月17日 号外第129号”. 国立印刷局. p. 10. 2025年6月7日閲覧。
  4. ↑ 大塚仁 刑法概説P.31
  5. ↑ 大塚仁 刑法概説P.32
  6. ↑ 大塚仁 刑法概説P.33
  7. ↑ 『各国刑法比照』 五、1883年、72頁。
  8. ↑ 『朝報掲要 巻三』《維新日誌》静岡郷土研究会・橋本博、1935年、36頁。「旧暦6月19日」
  9. 1 2 3 4 5 6 7 司法省秘書課 (1945-04), 日本近代刑事法令集 仮刑律, 司法資料 別冊 仮刑律, 17 (上 ed.), pp. 229-236, doi:10.11501/1269363
  10. 1 2 3 4 5 6 内閣官報局 (1894-10), 法令全書. 慶応3年, pp. 342-344, doi:10.11501/787948
  11. 1 2 3 4 5 6 7 8 司法省秘書課 (1945-04), 日本近代刑事法令集  新律綱領, 司法資料 別冊, 17 (上 ed.), pp. 422-427,449-451, doi:10.11501/1269363
  12. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 司法省秘書課 (1945-04), 日本近代刑事法令集 改定律例, 司法資料 別冊 仮刑律, 17 (上 ed.), pp. 32-33,37-41, doi:10.11501/1269373
  13. ↑ 太政官 (1879). “第一号 名例律五刑条例ニ関スル件(86コマ)” (日本語). 太政官布告 自明治十一年至明治十二年 (第七). doi:10.11501/2938268 2023年3月12日閲覧。.
  14. 1 2 法務省 (1968年11月). “昭和43年版犯罪白書 第三編 犯罪と犯罪者処遇の一〇〇年  第二章 刑事関係制度の変遷 二 刑務所”. 2023年3月12日閲覧。
  15. ↑ 太政官 (1873年2月25日). “従来ノ徒場ヲ懲役場ト改称” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月12日閲覧。
  16. ↑ 太政官 (1869-08-24). “梟示遺骸下付ヲ許ス” (日本語). 太政類典 (国立公文書館) 第二編・明治四年~明治十年 (第三百四十六巻・刑律二・刑律二) 2022年6月22日閲覧。.
  17. ↑ 太政官 (1869-10-10). “死刑遺骸請フモノナケレハ解剖場ヘ交付” (日本語). 太政類典 (国立公文書館) 第二編・明治四年~明治十年 (第三百四十六巻・刑律二・刑律二) 2022年6月22日閲覧。.
  18. ↑ 内閣官報局 (1889-05-15), 太政官 第六十五号, 法令全書, 明治6年, pp. 59-63, doi:10.11501/787953
  19. ↑ 太政官 (1872年4月). “笞杖ノ罰ヲ懲役ニ換ヘ并終身苦役ノ一刑剏立伺” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月12日閲覧。
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  21. ↑ 司法省秘書課 (1945-04), 日本近代刑事法令集 改定律例, 司法資料 別冊 仮刑律, 17 (上 ed.), pp. 9, doi:10.11501/1269363
  22. ↑ 太政官 (1872年4月7日). “懲役図” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月12日閲覧。
  23. ↑ 太政官 (1873年3月22日). “懲役場狭隘ノ地方笞杖実決ヲ許ス” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月12日閲覧。
  24. 1 2 3 4 太政官 (1874年6月24日). “閏刑律中禁錮ヲ禁獄ト改ム” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
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  35. ↑ 松永寛明「公開刑廃止の社会的要因」『犯罪社会学研究』第25巻、日本犯罪社会学会、2000年、86-102頁、doi:10.20621/jjscrim.25.0_86、ISSN 0386-460X、NAID 110002779960、2021年12月7日閲覧。
  36. ↑ 牧 英正; 安竹 貴彦 (2017-11-01), 大阪「断刑録」―明治初年の罪と罰, 阿吽社, pp. 166-169, ISBN 4907244312
  37. ↑ 若松県, 旧若松県誌 政治部 刑1-3(明治2・3年) (122-127コマ), 国立公文書館
  38. 1 2 3 太政官 (1875), 監獄則 第8条 賞罰(20-21コマ), pp. 17-19, doi:10.11501/795901
  39. ↑ 司法省調査課 (1937), 和漢図書目録 二 明治六年 第62号(558コマ), pp. 2087, doi:10.11501/1756584
  40. ↑ “米CIA心理学者、グアンタナモでの拷問を正当化”. AFP通信. 2020年1月23日. 2024年8月2日閲覧.
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  42. ↑ 明治3年8月に視覚障害者が起こした強盗殺人事件で、天皇に上裁した上で、梟首刑が可決されている。この事件を一因として、視覚障害者は除外されている。
  43. ↑ 太政官 (1870年9月). “無宿盲人柳建断刑伺” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月12日閲覧。
  44. 1 2 太政官 (1872年11月29日). “準流限内老疾収贖例図” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月19日閲覧。
  45. 1 2 両目を失明させたり、両足が折れたり、もともと病を患っている者を殴ってしまい、重度の障害を負わせた場合。その他に、舌を断ち、陰陽を傷つけ壊した場合。
  46. 1 2 身体を傷つけたり、片目を失明させたりして、中度の障害を負わせた場合。
  47. 1 2 肋骨を折れる傷害を負わせたり、両目を傷つけ視力を低下させた場合。
  48. 1 2 2本以上の指か歯が折れる傷害を負わせた場合。もしくは、髪が抜ける傷害を負った場合
  49. 1 2 1本の指か歯が折れる傷害を負わせたり、片目を傷つけ視力を低下させたり、耳や鼻を刃物などで抉って傷つけたり、骨が突き破ったりする傷害を負わせた場合。もしくは湯や火で傷害を負わせた場合。
  50. 1 2 耳や目から内部出血により、血が出ている傷害を負わせた場合。
  51. 1 2 棒などの道具で折傷以下の傷を負わせた場合。
  52. 1 2 素手や足で折傷以下の傷を負わせた場合。
  53. 1 2 太政官 (1873年2月25日). “贖罪収贖例図” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月19日閲覧。
  54. ↑ 司法省秘書課 (1945-04), 太政官布告 第76号, 法令全書, 明治10年, pp. 65, doi:10.11501/787957
  55. 1 2 3 4 太政官 (1872年6月). “士族卒犯罪辺戍ニ処スル者ハ年限ヲ照シ禁錮ニ換フ” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
  56. 1 2 永遠禁錮を流刑の閏刑としたのは、仮刑律制定前であるが、明治元年9月8日に岸和田藩家臣の岡部正路に対して、明治天皇即位による大赦により1等減刑し、永遠禁錮の例があったため。なお、同年9月24日に蒔田相模守から刑法官へ主家の留守居役から100両と旅宿の箪笥から金札1640両を盗んだ武士に対して、同様の理由で1等減じて武士の身分を剥奪したうえでの斬首刑から剥奪せずに切腹にするよう伺いを立てている(この武士に対して、刑法官は廉恥を破る甚しき犯罪に該当するため、梟首から1等減刑し斬首刑としている)。
  57. 1 2 司法省秘書課 (1945-04), 日本近代刑事法令集 仮刑律例 明治元年辰9月24日 蒔田相模守より伺来, 司法資料 別冊 仮刑律, 17 (上 ed.), pp. 308-309, doi:10.11501/1269363
  58. 1 2 太政官 (1868年9月8日). “岸和田藩士岡部正路相馬肇ノ流刑ヲ永禁錮ニ改ム” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
  59. 1 2 太政官 (1868年9月8日). “御即位被為済候ニ付大赦被仰出” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
  60. 1 2 3 第二回  第四節 破廉恥甚トハ何々ノ罪ヲ指スカ, 警察問答会議録, 第1号, 警視第五方面第四分署, pp. 18-19, doi:10.11501/785257, 000000438698
  61. ↑ 降格に当たるとした理由は、仮刑律には明文されていないが、博士論文「唐代後半期の官僚制度 - 人事の問題を中心に」の31~33ページより、降格相当と判断した
  62. ↑ 松浦典弘 (1999-03-23) (日本語). 唐代後半期の官僚制度 - 人事の問題を中心に. 京都大学. pp. 31-33. doi:10.11501/3149241 2023年4月29日閲覧。.
  63. ↑ 減給に当たるとした理由は、養老律令禄令奪禄条より、月棒の半年分又は1年分を国に期限内(半年分は60日、1年分は120日)に収めることを定めていたため、減給相当と判断した。
  64. ↑ 藤原不比等、 (757年). “養老律令 禄令 奪禄条”. 官制大観 律令官制下の官職に関わるリファレンス Ver.0.8. 日本国政府(平安中期以降形骸化したことに留意する). 2023年3月26日閲覧。
  65. ↑ 太政官 (1874年7月14日). “第十六号禁獄当分私宅内ニ於テ一室ニ締リ方等ノ条” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
  66. ↑ 太政官 (1878年4月5日). “禁獄人自宅ニ在ルヲ止メ監獄内ヲ区別シテ入監セシム” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
  67. ↑ 太政官 (1874年7月12日). “已ニ禁錮ニ処セラルヽ者ヲ改テ禁獄ト為ス” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年3月26日閲覧。
  68. 1 2 内閣官報局 (1890-03-15), 明治9年太政官布告第48号, 明治9年法令全書, pp. 42, doi:10.11501/787956
  69. 1 2 内閣官報局 (1888-10-20), 明治4年太政官布告第434号, 明治4年法令全書, pp. 332-333, doi:10.11501/787951
  70. 1 2 3 4 5 6 7 8 内閣官報局 (1888-10-20), 明治5年太政官布告第321号, 明治5年法令全書, pp. 216-218, doi:10.11501/787952
  71. 1 2 3 4 内閣官報局 (1888-10-20), 明治5年太政官布告第244号, 明治5年法令全書, pp. 188, doi:10.11501/787952
  72. 1 2 太政官 (1872年4月). “官吏犯罪免職ノ節奪官ト改称伺” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年4月8日閲覧。
  73. ↑ 司法省秘書課 (1989-01-26), 太政官附集議院 第76号, 法令全書, 明治5年, pp. 78, doi:10.11501/787952
  74. ↑ 司法省秘書課 (1989-01-26), 太政官附集議院 第307号, 法令全書, 明治5年, pp. 206, doi:10.11501/787952
  75. ↑ 司法省秘書課 (1989-01-26), 太政官附集議院 43号, 法令全書, 明治5年, pp. 206, doi:10.11501/787952
  76. ↑ 司法省秘書課 (1989-05-15), 太政官 132号, 法令全書, 明治6年, pp. 169, doi:10.11501/787953
  77. ↑ 兵部省 (1981-08-28), 海陸軍刑律 第6条・第7条, pp. 3, doi:10.11501/794406
  78. ↑ 太政官 (1874年5月18日). “軍人軍属犯罪免官除隊後発覚スル者取扱方・二条” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2024年6月8日閲覧。
  79. ↑ 司法省秘書課 (1989-05-15), 太政官 132号, 法令全書, 明治7年, pp. 324, doi:10.11501/787954
  80. ↑ 現在の価値で1,050万円
  81. 1 2 “明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?”. man@bow(まなぼう). 野村ホールディングス. 2026年9月13日閲覧。
  82. ↑ 現在の価値で90万円
  83. ↑ 公務上又は過誤失錯以外を犯し、笞50回の刑に相当する刑罰を科す場合、官吏(等外吏)の閏刑では7円50銭に対して、平民を対象とした収贖で科された場合は3円75銭と後者の方が安くなる。
  84. ↑ 司法省秘書課 (1989-12-26), 太政官 31号, 法令全書, 明治8年, pp. 36-37, doi:10.11501/787955
  85. ↑ 文部省宗教局 (1922-09), 臨済宗 東福寺派 法則 懲戒例第2条第2項, 宗教制度調査資料, 7, 文部省宗教局, pp. 113, doi:10.11501/980493
  86. ↑ 太政官 (1870年2月). “僧尼 僧侶僧位相当” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年4月23日閲覧。
  87. ↑ 大僧都広淵が、大興徳院へ下げ渡した裏菊紋付の提灯が出火する事件が起きた。この事件により、明治4年に広淵は刑罰を受けたが、大僧都の位が官位で従四位相当であったため、官吏と同じ閏刑を受けることになり、笞30回の刑での刑ではなく閉門30日の刑が科された。また、奏任官相当以上であったため、天皇に申し入れる対象となった
  88. ↑ 太政官 (1871年5月). “大興徳院大僧都広淵裏菊紋附提灯町人ヘ為相用候ニ付渡方ノ儀達” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年4月23日閲覧。
  89. ↑ 「勅奏判任ノ区別ヲ定メ判任ハ其長官之ヲ授ケ位階ハ太政官之ヲ賜フ」JACAR(アジア歴史資料センター)JACAR:A15070026900、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第五巻・制度・出版・爵位(国立公文書館)
  90. ↑ 「太政官中官制ヲ改正ス」JACAR(アジア歴史資料センター)JACAR:A15070099700、太政類典・第一編・慶応三年~明治四年・第十五巻・官制・文官職制一(国立公文書館)(第3画像目)
  91. ↑ 太政官 (1873年1月19日). “僧官位階廃停” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年4月23日閲覧。
  92. ↑ 太政官 (1872年3月24日). “寺住職ノ僧侶ハ士族ニ擬ス” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2023年4月23日閲覧。
  93. ↑ 内乱罪と外患罪の2つが、この罪に該当する。
  94. ↑ 須原鉄二 (1881年10月). “監獄則 第1条”. 国立国会図書館デジタルコレクション. doi:10.11501/795902. 2022年12月25日閲覧。
  95. ↑ 白江廷太郎 (1889年9月). “改正監獄則 第1条”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 岡島宝文館. doi:10.11501/795866. 2022年12月25日閲覧。
  96. ↑ 太政官達 第4号, 法令全書, 明治16年, 内閣官報局, (1891-03-02), pp. 177-178, doi:10.11501/787963, 000000440426
  97. ↑ 太政官 (1883-10-24), 沖縄県人民徒刑流刑ニ処セラレタル者取扱方ノ件, 公文録・明治十六年, 第四十四巻・明治十六年十月・内務省第二, 国立公文書館デジタルアーカイブ, 公03492100-03400
  98. ↑ 剥奪された場合、以下のことが出来なくなる。停止の場合は、一定期間できなくなる。
    ・官吏、軍人になること
    ・年金受給や国内の勲章授与
    ・国外の勲章佩用
    ・裁判で証人として出廷すること(ただし、単に事実を陳述する場合を除く)
    ・後見人になること(ただし、親族の許可を得て、子孫のために管理する場合を除く。)
    ・管財人になることと会社や共同財産の管理
    ・校長や教師学監になること
  99. ↑ 内閣官報局, 法令全書 明治14年 太政官布告 第八十一号, pp. 145-147, doi:10.11501/787961
  100. ↑ 太政官 (1875年3月20日). “第四号婦女ハ監獄則闇室ノ条ニ依リ処分ノ条” (JPEG,PDF). 国立公文書館. 2024年7月28日閲覧。
  101. ↑ 刑法中改正法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  102. ↑ 刑法中改正法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  103. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  104. ↑ 刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  105. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  106. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  107. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  108. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  109. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  110. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  111. ↑ 刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  112. ↑ 罰金の額等の引上げのための刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  113. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  114. ↑ 尊属殺重罰規定違憲判決:最高裁判所昭和48年4月4日大法廷判決・刑集27巻3号265頁-最高裁判例情報
  115. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  116. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  117. ↑ 保健婦助産婦看護婦法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
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  120. ↑ 刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  121. ↑ 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  122. ↑ 刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  123. ↑ 刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  124. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  125. ↑ 刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  126. ↑ 情報処理の高度化等に対処するための刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  127. ↑ 刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  128. ↑ 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  129. ↑ 刑事訴訟法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  130. ↑ 刑法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  131. ↑ 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  132. ↑ 民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  133. ↑ 刑法等の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引
  134. ↑ “インターネット版官報 令和4年6月17日 号外第129号”. 国立印刷局. p. 10. 2025年6月7日閲覧。
  135. ↑ “拘禁刑下の矯正処遇等について” (pdf). 法務省矯正局. 2025年6月7日閲覧。
  136. ↑ 刑法及び刑事訴訟法の一部を改正する法律 - 国立国会図書館 日本法令索引

参考文献

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史料
『昭和六年刑法(総則)仮案及刑法補足三法』。草野豹一郎訳、齊藤金作、リヒャルト・ブロイヤー;巌松堂、1939年11月。
文献
  • 特集・刑法典の百年(ジュリスト1348号)

外部リンク

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