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出エジプト記

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出エジプト記
Exodus
出エジプト記40章の写本断片(オクシリンコス・パピルス 1075, 3–4世紀)
基本情報
宗教 ユダヤ教、キリスト教
作者 モーセ(伝承)
複数の匿名書記官(高等批評)
言語 ヘブライ語
時期 紀元前15世紀頃(伝承)
紀元前10–5世紀(高等批評)
章節 40
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『出エジプト記』(出埃及記、しゅつエジプトき、ヘブライ語: שמות、英: Exodus)は、旧約聖書(ヘブライ語聖書)の2番目の書であり、『創世記』の後を受け、モーセが虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語を中心に描かれている。モーセ五書(トーラー)の一つに数えられる。

エジプト脱出とシナイ山での契約(英語版)(英: Covenant)が二つの大きなテーマとなっている。キリスト教において旧約聖書という時、「旧約」すなわち古い契約というのはこのシナイにおける神と民との契約のことを指している。

ユダヤ教では本文冒頭より2番目の単語から『シェモース』(Shemot)と呼ぶ[注釈 1]。全40章から成る。

成立

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ユダヤ教及びキリスト教の伝統では、著者はモーセとされている。しかし、高等批評の立場からは、出エジプト記が現在の形にまとまったのは、(他のモーセ五書と同様)紀元前6世紀のバビロン捕囚から紀元前5世紀の帰還の時期であるとされている[1]。

『出エジプト記』はエジプト脱出の物語に、後から契約の内容と細かい規定が組み合わされて完成したと考えられている。長年J資料、E資料、P資料及び申命記からの影響から出エジプト記が成立したと考えられてきた(文書仮説)が、近年になり様々な説が出されるようになり、学問的同意は得られていない[2]。フレットハイムは基本的な出エジプト記のストーリーは王国時代以前に成立し、J資料やE資料などが付け加えられて様々な時代の伝承が組み合わされて出エジプト記が成立したとする[3]。

構成

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ナイル川とシナイ半島

内容

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モーセの出生

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エジプトのイスラエル人(エドワード・ポインター画)

エジプト記の初めは、創世記の終わり、すなわちヤコブの家が、飢饉を逃れて、エジプトで高官となっていたヨセフの許に身を寄せた出来事の後を受けている。ヨセフの時代から四百年後、ヨセフを知らない新しいファラオは、今や数が増えたイスラエル人奴隷が脅威になるのと恐れ、彼らに重労働を課し、生まれた男子を全て殺すよう命じた(1–2章)。その時期、あるレビ人の女性が、葦で作った籠に赤子を乗せてナイル川の茂みに隠した。ファラオの娘が赤子を見つけ、モーセ(水から引き上げた者)と名付けて、自分の子として育てた(2章)。

成人したモーセは、エジプト人の監督官がヘブライ人の奴隷を虐待している場面を目撃した。怒ったモーセは監督官を殺し、罰を逃れるためにミディアン地方に逃れた。モーセはそこで祭司の娘ツィポラと結婚した。その間にファラオが交代した(2章)。

エヒィエ・アシェル・エヒィエ

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燃える柴(セバスティアン・ブルドン画)

モーセは飼っていた羊の群れを追ってホレブ山にたどり着いた。そこで燃え尽きない柴(燃える柴)を目に留め、不思議に思っていると、神からの呼びかけがあったという(モーセの召命)。イスラエルの民をエジプトから導き出すよう神から命ぜられたモーセは、自分自身を誰から遣わされた者としてイスラエルの民に紹介すればよいか、と神に問う。すると、

神はモーセに語りかけて言われた、「わたしは私は有るという者である(エヒイェ・アシェル・エヒイェ)」[注釈 5]。さらに言われた、「イスラエルの子らにこう告げよ、『私は有る(エヒイェ)[注釈 6]がわたしをあなたがたのもとに遣わした』、と」。
—出エジプト記3章14節[4]

この「エヒイェ」のギリシャ語訳「エゴー・エイミ」[注釈 7]は、新約聖書ヨハネによる福音書などでイエスによって用いられることになる[5]。

エジプトからの脱出

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イスラエル人の出発(英語版)、デヴィッド・ロバーツ画、1829年

モーセは兄アロンと再会し、エジプトに戻って神の言葉通りイスラエルの民をエジプトから導き、荒野で祭儀を行おうとした。ファラオはイスラエル人を労働から解放することを拒んだため、神はエジプト人に、「血の川の災い」「蛙の災い」「疫病の災い」「暗闇の災い」など九の災いを下した(4–11章)。それでもファラオの心が変わらなかったため、神は十番目の災いを決意し、エジプトの全ての初子を撃った。イスラエル人は子羊を犠牲にし、その血をヒソプで戸口の柱と鴨居に塗ることで、神の使いがその家を過ぎ越して、初子を撃たないようにした(除酵祭=過越祭)。ファラオはイスラエルの民を追放した(12–13章)。自らの決断を後悔したファラオは、戦車を率いて「葦の海」の前で止まっているイスラエルの民を追った。神は海を二つに分け、乾いたところをイスラエルの民が渡った後、追ってくるファラオの軍を溺死させた(葦の海の奇跡、14–15章)。

天からのマナ

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砂漠での生活の過酷さにイスラエルの人々は不平を言い、エジプトでの奴隷生活を恋しがった。神は奇跡によって水と天からの「マナ」を与えた。これは露が蒸発した後に荒野の地表を覆う、「薄く壊れやすいもの」であり、神は人々に家族の数に応じて必要な分だけ取るよう命じた。多く取った者も少なく取った者も、升で計ると過不足なくそれぞれが必要な分集めた。またモーセはそれを翌朝まで取っておいてはならないと命じたが、残しておいたものは虫がついて臭くなるか、日で溶けてしまった。安息日の前日には二日分集めることができ、安息日には野に何も見つからなかった(16章)。

十戒の授与

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モーセと十戒(ホセ・デ・リベーラ画)

イスラエル人はシナイ山の麓に着いた。神の臨在により、山全体がに雷と煙に包まれて震え、角笛の音が鳴り響いた。神は十戒を宣告した。モーセは山に登り、神の前に出た。神は祭儀法、民法、刑法、訴訟法等(律法)を、神と民との契約として告げた[6]。モーセは山で四十日四十夜を過ごした(19–25章)。

神は幕屋の建設をモーセに命じ、祭司の衣服、祭壇とその付属物、祭司叙任の手順、犠牲の捧げ物、安息日に関する律法も与えた。アロンは最初の大祭司となった。神はモーセに、十戒の言葉が記された二枚の石板を与えた(25–31章)。

モーセが山頂で神と共にいる間、アロンは民衆の圧力に負けて金の仔牛を鋳造し、民はそれを崇拝した。神はモーセに民の背信を告げ、全員を滅ぼすと告げたが、モーセが執りなして赦しを乞うたため、神はこれを思いとどまった。モーセは山から降りると石板を砕き、偶像崇拝を行ったイスラエル人の殺害を命じた。モーセは再び山に登って、十戒の記された二枚の石板に新たに得た。以来、神は幕屋に宿ってイスラエルの民の荒野での旅路を導いた(32–34章)。

影響

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思想宗教

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出エジプト記22章18節にある「呪術を使う女はこれを生かしておいてはならない」という部分が『欽定訳聖書』では「魔女」(witch) と訳され[7]、この『聖書』が広く読まれたことで、魔女狩りの『聖書』における根拠とみなされることになった。

文化芸術

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本文

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外部リンク

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脚注

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注釈

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  1. ↑ 冒頭の語を題名とするやり方をインキピットと呼ぶ。
  2. ↑ 十戒そのものは20:2-17
  3. ↑ 「幕屋」とは神が必要に応じて降りてくるテントのことで、後のエルサレム神殿の原型とも言える。
  4. ↑ 「モーセの角」の誤訳の原因となった箇所は34:29-30
  5. ↑ ’ehyeh ’ăšer ’ehyeh (I AM that I AM) ギリシャ語七十人訳聖書:ἐγώ εἰμι ὁ Ὤν
  6. ↑ ’ehyeh (I AM) ギリシャ語七十人訳聖書:ὁ Ὤν
  7. ↑ ἐγώ εἰμι (I AM)

出典

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  1. ↑ Johnstone, William D. (2003). "Exodus". In Dunn, James D. G.; Rogerson, John William (eds.). Eerdmans Bible Commentary. Eerdmans. ISBN 9780802837110.
  2. ↑ Longman, Tremper (2005). "How to Read Genesis. How to Read Series. InterVarsity Press. ISBN 9780830875603. p. 49.
  3. ↑ T.E.フレットハイム 著、小友聡 訳『出エジプト記』日本基督教団出版局〈現代聖書注解〉、1995年、27頁。
  4. ↑ Exod. 3:14.
  5. ↑ ヨハネによる福音書8章58節「アーメン、アーメン(まことにまことに)、私はあなたがたに言う、アブラハムが生まれる前から「私はある」。」
  6. ↑ Meyers, Carol (2005). "Exodus". Cambridge University Press. ISBN 9780521002912. p. 150.
  7. ↑ 『欽定訳聖書』22章18節(Wikisource)

関連項目

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