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ラジオカセットレコーダー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(ラジオカセットから転送)
ステレオタイプのラジオカセットレコーダー。最上段 Citizen TA 80。2段目 GE 5252、シャープ GF 4646、ソニー GF-580。3段目、東芝 RT-6015、Lloyds V156、日立 TRK-9000H。最下段 ソニー CFS-88S、JVC PC200。

ラジオカセットレコーダー(英語: radio cassette recorder)は、コンパクトカセットテープレコーダー(テレコ)にラジオチューナーを内蔵した音響機器である。一般的に略称でラジカセと呼ばれる。

概要

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ラジカセは、ラジオおよびカセットテープレコーダーに加えて、アンプとスピーカーも備え、オールインワン方式になっている。基本的には持ち運びが出来るように設計され[注釈 1]、上部に折りたたみ式の把っ手がついており乾電池でモバイル使用を可能にしている。

定義

ラジカセの定義に関して、ラジカセに不可欠なのは次の4点である[1]。

1 - ラジオ[1]
2 - カセットテープレコーダー[1]
3 - アンプ(ラジオ / カセットの切り替え)[1]
4 - スピーカー[1]

不可欠ではないが、備わっているのが望ましい性質として次の2つがある[1]。

乾電池で(も)作動すること[1]
持ち運びできること[1]

本項では上の定義を採用し、ラジオ、カセットテープレコーダー[注釈 2]、アンプ、スピーカーの4要素を全て供えた製品を扱い、乾電池でも動作し[注釈 3]持ち運べるものを中心に説明する。

呼称

登場したての頃は「ラジオ付きテープレコーダー」や「ラジオ付きカセットレコーダー」と呼ばれていた[1]。「ラジカセ」という名称が世間に定着していったのは1970年代後半のことである[1]。

この「ラジカセ」の名称を音響機器メーカーのパイオニア(当時)が商標登録しようとしたが却下されたことがある。

アメリカなど英語圏ではブームボックス(ブーンボックス、英: boombox)やゲットーブラスター(英: ghettoblaster)と呼ばれる。楽器編成に指定する場合にもこれらの名称が使われる。

歴史

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前史

ラジカセの前史はオープンリールのテープレコーダーにラジオを搭載させた複合機にまで遡ることができる。日立製作所が1963年にリリースしたベルソーナ TRT-398[2]はオープンリール式テープレコーダーにトランジスタラジオを搭載したもので、トランジスタラジオを組み込んだテープレコーダーとしては国内初の製品である(ただし、これはまだカセットテープを使用したラジカセではなかった)。歴史的に見るとこの複合機のオープンリール部分をカセットテープに置き換えたものがラジカセである[1]。

1960年代当時はカセットテープの規格はいくつかあり互いに競いあっていたが、最終的にはオランダのフィリップスのコンパクトカセットが優位にたった。

日本ではいくつかのメーカーが1966年-1967年に、フィリップス方式のテープレコーダーを発売するなど、コンパクトカセット方式への協力体制ができつつあった[1]。

ラジカセの登場

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世界初のラジカセは、コンパクトカセット規格の開発元であるオランダのフィリップスが1966年に発売した22RL962である。 これはAM/FMラジオを搭載し、縦型の筐体の上部にカセットテープレコーダーの機構を搭載し、出力はモノラル1 Wで、AC電源や乾電池6本でも動くものだった[3][4]。

日本ではFM放送が1957年のNHKの実験放送から始まり、民間放送局の実験放送、1960年には民間局の実用実験放送[5]、そして1969年には本放送が始まり、FM受信装置を持っていれば雑音の少ない高音質の放送が聞けるようになった。

松下 RQ-231。AUX端子、AFCスイッチ付き。1967年12月発売。

松下電器産業(初代法人、現・パナソニックホールディングス)が1967年12月に、カセットテープレコーダーと2バンドラジオ(FM・AM)を組み合わせた RQ-231[6]を発売。

1968年5月にはアイワが国産初の3バンドラジオ(FM・SW・AM)式のTPR-101[7][8]を発売し、海外にも輸出され、ロングセラーになった[1]。 ただし、元アイワ社員が調べたところでは、最初のラジカセは松下のものでもアイワのものでもなく、クラウン マイカセットF CRC-9100Fが1967年9月に発売という巻末広告や製品紹介記事が旺文社の「週刊F6セブン」の1967年(昭和42年)9月23日号(昭和42年38号)に掲載されているといい、実物の製品写真も掲載されており、こちらが最初のラジカセだという[9]。

初期3機の価格、操作性、売れ行き

それぞれの価格は下記のようになっていた[9]。

  • クラウン CRC-9100F:30,000円(現金正価28,000円)
  • 松下 RQ-231:38,700円(現金正価35,800円)
  • アイワ TPR-101:27,500円(現金正価25,900円)

1968年の大卒初任給平均は29,100円だった[9]。

3機の中でアイワのTPR-101が価格が一番安いうえに、操作性も良く、良く売れた[9]。

ソニー CF-1300(当写真は、実質はCF-1300と同一だが、厳密に言うと海外向けのもので型番はCF-300)。FM / AMの2波ラジカセ。モノラル。1970年9月発売。
ソニー CF-1700。FM、MW(中波)、SW(短波)の3波ラジカセ。1973年発売。モノラルタイプの機種でスピーカーがひとつ。

1970年3月にはソニー(初代法人、現・ソニーグループ)が同社初のラジカセ CFM-8120を発売。 また1970年代には日立製作所や東京芝浦電気(現・東芝)、日本ビクター(現・JVCケンウッド)、三菱電機、三洋電機、シャープなども、相次いでラジカセを市場に投入した。この時代はまだすべての機種がモノラル式だった。

当時の若者は、アナログレコードやテレビやラジオから流れた音楽や番組をラジカセで録音した[10]そうやって作られたオリジナルのカセットテープは、パーソナルなメディアであり、誰かと音を共有できる世界への扉となった[10]。

高音質化。エアチェックや生録の流行

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コンポーネントステレオのカセットデッキでは高音質化が1960年代から進み始めていたが、ラジカセの高音質化が行われたのは1970年代になってからだった[1]。

ソニーが1974年(昭和49年)に発売したCF-1980(愛称:スタジオ1980)は、16cmのウーファーと5cmツイーターの2ウェイスピーカー、アンプの出力は3W、BASSとTREBLEが独立したトーンコントロール、クロームテープポジションを選択できるスイッチ、小音量再生時に低音と高音を増強して音に厚みを加えるラウドネススイッチなど、当時として最高音質のラジカセで、販売価格が4万2800円であったにもかかわらず70万台という販売台数を記録し[11][12][信頼性要検証][13]、その後「名機」と呼ばれるようになっている[11][12][信頼性要検証][13]。

ソニー スタジオ1980 II(マーク・ツー)。CF-1980 II。ITL-OTL回路を採用。1976年発売。

ソニーはCF-1980をさらに進化させ、1976年にCF-1980 II(愛称:スタジオ1980 II(マークツー))を発売。これもやはりミキシング機能搭載でモノラル2ウェイスピーカーのラジカセだが、アンプの出力が3.2Wと若干増しており、クロムテープ(後のハイポジションテープ相当の高音質テープ)対応スイッチを備え、当時のBCLブームに対応してラジオがFM/AMに加えてSW(短波)も受信できた[14][15]。このCF-1980 IIを「モノラルラジカセの完成形」と言う人もいる[14][16]。

ソニーのスタジオシリーズが良く売れているのを見て、他のメーカーも模倣して2ウェイスピーカーでミキシング機能を備えた製品を販売するようになった。

1970年代後半や1980年代の日本製ラジカセ。一番下段の左から2つ目にソニーの「スタジオ1980」が見える。上の写真の「ソニー スタジオ1980 II」はこのスタジオ1980を進化させた機種。[注釈 4]

1970年代の日本ではBCLが流行し、海外放送を受信しベリカードを収集することが社会現象化していた[1]。また1970年代なかばには、SL(蒸気機関車)の走行音やライブ演奏の音をテープレコーダーで録音する「生録(なまろく)」ブームや[1]、FM放送を録音する「エアチェック」ブームも到来した[1]それをラジカセで行う需要に応える機種が開発された。

左右に別々のスピーカーを備えたステレオタイプのラジカセに関しては、日本初はソニーのCF-2500で、1971年にすでに発売されていたが、まだ2ウェイスピーカーではなく音質的に優れていたわけではなかったので、さほど販売数は伸びなかった。[注釈 5] 本格的にステレオラジカセが売れるようになったのは、ソニーが1977年にCF-6500(愛称:ZILBA'P)という2ウェイ4スピーカーのステレオラジカセを発売してからである。初代ZILBA'Pはヒット商品となり、シリーズ化し、他のメーカーも続いた。

2ウェイ4スピーカー方式のステレオラジカセが珍しくなくなると、各メーカーは他の特徴で差別化をはかり、自動選曲機能やオートリバースなどの便利機能をさかんに搭載しはじめた。大型化および多機能化が進み、大きな直方体の箱、上部に大きなチューニングスケール、正面左右に大きいステレオのスピーカー、中央にカセットテープドライブ、というスタイルができあがった。さらに1979年にはシャープから国産初のダブルカセットラジカセが発売され[17]、テープからテープへのダビングも可能となった。その結果、部品の量が増え、重くて持ち運びにくい機種が増え、大型・多機能の機種では定価(販売価格)も上昇する傾向になった。

スリムなラジカセ

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サンヨーのスリムラジカセ「おしゃれなテレコ」。特に若い女性層に飛ぶように売れた。

そのような中、三洋電機は1979年にあえて細身で横長のラジカセ「U4」を市場に投入し、若い女性が街中で鮮明な赤色のU4を軽やかに持ち運ぶ映像や画像をテレビCMや雑誌広告で提示し「おしゃれなテレコ」というコピーを添えた[18]。 ラジカセの販売はそれまでは中学生から若年層の男性が主なターゲットだったが、三洋はU4で若い女性を狙い撃ちにしたマーケティングを展開した[18]。筐体色もそれまでの男性向けラジカセのような地味な色ではなく、赤、青、ピンクが用意され、後の機種では当時流行のパステルカラーのイエロー、グリーンなども用意された[18]。この作戦が当たり、日本のラジカセ市場の規模はU4登場以前の1978年は約380万台から、1979年には450万台、1980年代には530万台と急成長した[18]。三洋はU4投入前の1976年にすでに国内のラジカセ市場でシェア26.7%を占め、海外向けも含めると1年で800万台も生産・輸出する巨大メーカーになっていたが、U4の初代機種だけで100万台も売れた[18]。「横長のカラフルなラジカセ」という市場に気づいた他の7社はU4を模倣した製品を開発しその市場に参入したが、この市場での三洋の首位の座は長らく揺らがなかった[18]。U4はシリーズ累計で700万台も売れた[18]。

Boombox

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アメリカでの使われ方の一例(1985年、シカゴで行われた屋外パレードの場において)
ビクター メタルカセッターM90。RC-M90。1981年発売。その名の通り、メタルテープの録音・再生に標準で対応した大型クラスのステレオラジカセで総合30W(15W + 15W)の実用最大出力を誇る。
シャープ GF-9494。22W
シャープ GF-777

大出力化したラジカセはアメリカで屋外に持ち出されるようになった[19]。 特にニューヨーク北部、ハーレム、ブロンクス、ニューヨーク南西部、ブルックリン、クイーンズなどの地域では重要なストリートギアとなり、ヒップホップ・カルチャーやブレイクダンス・カルチャー、ストリート・カルチャーの醸成と躍進に貢献した[19]。ストリート・カルチャーを担っていた若者はラジカセをBoombox(ブーン・ボックス)と呼んだ[19]。ブーン・ボックスは「ブンブン鳴る箱」という意味の英単語である[19]。

なお、このカルチャーの担い手であったアフリカ系アメリカ人やプエルトリコ系アメリカ人は自分が住む地域を「