
【文化小説】都会モンと田舎モン 第6話 学び
第6話 2024年5月 学び
●〇● ユカリの学び
「茶道」と聞くと、正座がつらそう、作法が難しそう、敷居が高い。
そんなイメージを持つ人は少なくないと思う。
私自身も最初はそうだった。
でも実は、茶道の本質は「難しい作法を覚えること」ではない。
一杯のお茶を通じて、人をもてなし、自分自身と向き合う。
そのための「心得」こそが茶道の核心といえる。
茶道は、抹茶を点てて客をもてなす、日本独自の総合芸術だ。
単なる「お茶の飲み方」ではなく、茶室の空間、道具、掛け軸、季節の花、和菓子、そして所作のすべてが一体となって「おもてなし」を表現する。
その源流は、安土桃山時代の茶人・千利休が大成した「侘び茶(わびちゃ)」にある。
華美な装飾を排し、簡素な中に美を見出す精神性が、今日の茶道の土台になっている。
千利休の子孫が興した茶道の流派は、大きく「表千家」「裏千家」「武者小路千家」の三つに分かれ、これらを総称して「三千家」と呼ぶ。
中でも裏千家は、明治以降に海外への普及や女性・学生への門戸開放に積極的に取り組んだこともあり、現在国内外で最も会員数が多い流派とされている。
私自身も裏千家を学んだ。
茶道の心得には5つのキーワードがある。
1.和敬清寂(わけいせいじゃく)
利休の教えを凝縮した、茶道全体を貫く根本理念だ。
和 … 主人と客、客同士が心を通わせ、和やかであること
敬 … 互いを敬い、尊重し合うこと
清 … 心と場を清らかに保つこと
寂 … どんな状況にも動じない、静かで落ち着いた心
この四文字は、茶室での立ち居振る舞いだけでなく、日常生活における人との向き合い方の指針としても語られる。
2.一期一会(いちごいちえ)
「この茶会は、一生に一度きりの出会いである」という考え方だ。
同じ顔ぶれで同じお茶を飲んだとしても、その瞬間は二度と戻ってこない。
だからこそ、亭主(お茶を点てる側)は全力でその一服に心を込め、客もまたその心づかいを丁寧に受け取る。
これは茶道に限らず、日々の人間関係や仕事の場面にも通じる考え方として、多くの人の心に残る言葉だ。
3.おもてなしの心
茶道における「もてなし」とは、単に丁寧に接することではない。
客の立場に立ち、季節や相手の好みを想像しながら、道具の取り合わせや部屋のしつらえを考え抜くこと、目に見えない気配りの積み重ねこそが、茶道的なおもてなしの本質だ。
一方で客の側にも「亭主の心づかいを汲み取り、感謝して受け取る」という心得が求められる。
もてなす側・もてなされる側、双方の心があって初めて茶会は成立する。
4.型を通して心を磨く
茶道には、お辞儀の角度からお茶碗の持ち方まで、細かく決められた「型(かた)」がある。
一見窮屈に思えるこの型は、実は理由がある。
無駄のない美しい所作を体に覚え込ませることで、初めて「今、この瞬間の相手」に心を向ける余裕が生まれる。
これが型の役割だ。
基本の型を身につけることは、決して自由を奪うものではなく、むしろ心を自由にするための土台といえる。
5.五感で味わう
茶道は、味覚だけの体験ではない。
・茶筅(ちゃせん)がお茶を点てる音
・抹茶の鮮やかな緑色
・炭や香が漂う茶室の匂い
・茶碗の質感、温かさ
・静けさの中に響く一服の時間
視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚のすべてを研ぎ澄まし、「今この瞬間」に意識を向けること。
これは現代でいう「マインドフルネス」に近い感覚とも言える。
はじめて茶道に触れる方に伝えたいのは、「作法を完璧にこなそう」と気負わなくていいということだ。
裏千家の教室でも、最初は先生や先輩の所作を見よう見まねで学びながら、少しずつ体に馴染ませていくのが一般的だ。
大切なのは、間違えないことよりも、目の前の一服とその場にいる人を大切にしようとする気持ちそのもの。
それが「和敬清寂」にも通じる、茶道の入口だ。
茶道の心得は、決して特別な世界だけの話ではない。
・相手を敬う気持ち
・今この瞬間を大切にする姿勢
・目に見えない気配り
・基本を大切にしながらも心をこめること
これらはすべて、日常生活や仕事、人間関係の中でも活きてくる考え方だ。
一杯のお茶を通して、そんな心のあり方に触れてみる。
それが茶道の、本当の魅力なのかもしれない。
Kalafinaさんの名曲【symphonia】
この曲の歌詞のように、温故知新の心で、大和心を伝える先人の心に触れてみる。
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〇●〇 ジンイチの学び
16世紀フランスの医師で占星術師でもあったミシェル・ノストラダムスは、生涯にわたって未来を予言したとされる『予言集(Les Propheties)』を残した。
その中でも最も有名なのが、第10巻72番の四行詩だ。
「1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくる。」
この一節が、20世紀末の日本において「人類滅亡」を連想させる不吉な予言として広く語られることになった。
この予言が日本社会に強い影響を与えた背景には、1973年に出版された五島勉氏の書籍『ノストラダムスの大予言』の存在が大きいとされている。
同書は大ベストセラーとなり、映画化もされ、以後何十年にもわたって「1999年に世界が滅びるかもしれない」という空気を作り出した。
学校や家庭で「1999年問題」として話題になり、当時の子どもたちの間で恐怖と好奇心が入り混じった一種の社会現象になっていたそうだ。
「恐怖の大王」が何を指すのかについては、核戦争、巨大隕石の衝突、宇宙人の襲来、第三次世界大戦など、実にさまざまな解釈がなされた。
中には特定の月や日にちまで絞り込んで具体的な滅亡シナリオを主張する識者もいたそうだ。
では、実際に1999年7月には何が起きたのか。
結論から言えば、世界的な破局は何も起きなかった。
世界中の人々が固唾を飲んで見守った7月は、いつも通りのニュースが流れる、ごく普通の月として過ぎていった。
7月が何事もなく過ぎ去ると、世間の関心は急速に冷めていった。
しかし、1999年7月7日、無名の聖者による祈りが行われていた。
祈りの場所は群馬県にある神山だ。
日本航空123便墜落事故近くの山。
1985年8月12日午後6時56分、羽田発大阪行き日航123便が群馬県上野村の山中に墜落し、乗客乗員524人のうち520人が死亡。
単独機事故としては世界の航空史上最悪の犠牲者数となった。
日本航空123便墜落事故は多くの報道で「御巣鷹山に墜落」と伝えられ、これが山名を有名にしたが、実際の墜落地点は御巣鷹山本山ではなく、そこから南南東に約1.7km離れた、高天原山系に属する尾根だった。
事故当初この場所には名前がなく、捜査上の必要から群馬県警の依頼で当時の上野村村長が「御巣鷹の尾根」と命名した。
「神とともに」の著者、神立学さんは、群馬県の実家で、
「神山には大きな神様が祀ってあるそうだ」と
父親から、祖父から伝え聞いていたそうだ。
航空機事故は神山の麓で起きた。
毎年、実家に帰省すると航空機事故で亡くなられた方々の霊が救いを求めてやって来るが、対処できずにいた。
1997年、縁ある方から紹介された「目覚め」の本をきっかけに無名の聖者ことS先生と出会い、光を見て、救霊をお願いした。
1998年12月初冬、航空機事故で亡くなった方々の救霊の祈りが無名の聖者によって行われた。
慰霊の園で、まずは恐怖感を取って差し上げる祈りの言葉で始まり、全ての人々の想いが、安らかに落ち着いてくると、観音様と光のリレーをするように、お一人お一人の魂を、天界へ導くようにお連れしてくださった。
こうして神山を有する群馬県の地へ、無名の聖者が導かれた。
神山という山は、宇宙からの大きな神を招来する山であり、古代の日本という国が形を成してきた頃に、初めて宇宙の神が地球への思いを寄せて天下っていらっしゃった地である。
そして1999年7月7日、神山での、宇宙の大元への祈りへと繋がる。
神武天皇様、天照大御神様、地球霊王様、天之御中主神様、空海様、様々な僧侶や神々様、精霊たちが見守る中、
黄金に輝く光の柱が、神山に、ズドーン!
宇宙の大元から光が降りてきて、宇宙文明の始まりとなった。
宇宙文明とは、自然の法則に従って、自然と共に生きる文明だ。
親である創造の神様の存在を忘れてしまった地球の人々にとって、親神様の存在に気づかなければいけない、始まりの日となった。
宇宙の親神様の心をこの地球に開花具現させるのが、本当の地球の、人の役目。
優しさを、情けを、礼を、仁を、愛を、慈悲を、徳を現すのが、人間の本当の役目。
神山に祀られる神様は、宇宙創造に関わる、心の学びの神様、
「宇宙学びの神様」
だと後日判明した。