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日常に溶け込む非日常 — デジタルデトックスを通して考えたこと

    はじめに

    7月はなにかと忙しく、心身ともに余裕がないことから、デジタルデトックスを実践していました。

    具体的にはTwitterの利用頻度を減らすようにしていました。
    といいますか、結果的に利用頻度が減っていたというほうが正確なのかもしれません。

    余裕がないときこそ、Twitterが癒しや気晴らしになる……という場合もあると思いますが、私はそのタイプではないようで、余裕がないとTwitterから遠ざかっていく傾向があります。
    余裕がないときは認知が歪んでしまって、楽しんで読めるツイートも読めなくなるもの。
    ツイートしようにも、ネガティブなことは投稿したくないですし、そもそも投稿したいことが思いつかなかったりします。

    私にとってはデジタルデトックスが必要な時期だったのかもしれません。

    今回は、先月の突発的なデジタルデトックスを通して考えたことについて書いてみたいと思います。

    日常に溶け込む非日常

    8月に入り、先月と比べるとかなり余裕が出てきました。
    noteでも徐々に記事が書けるようになり、時間的にも精神的にも落ち着いてきたように感じます。

    ただ、不思議なことに気づきました。

    余裕がなくてTwitterから離れていたはずなのに、余裕があってもTwitterになかなか戻ろうとしない自分がいるのです。

    私のTwitter歴は比較的長く(恐らく10年ほど)、「いいね」が星マークで「ふぁぼ」(favoriteに由来)と呼ばれていた時代やリツイートをするために冒頭に「RT:」をつけて共有したいツイートをコピペしていた時代から愛用してきたのですが、すっと自分のなかから離れた感覚がありました。

    そこで考えたのは、Twitterは「日常に溶け込む非日常」であったのではないかということです。

    すっかり当たり前のように定着してしまったTwitterというサービスですが、考えてみれば当然ながら「なかった時代」もあるわけで。
    今では必須のように思われていても、なくても平気だった時代もあるわけで。

    意図せず、少しの間距離を置いていたことで、その「特殊さ」に気づくことになりました。

    News Diet

    私のTwitterとの付き合い方が変わり始めたのには、ロルフ・ドベリ氏の以下の著書を読んだ影響もあるかもしれません。

    この本はTwitterというよりは、主にテレビやネットニュースについて書かれたものです。
    日常的にふれる情報源をコントロールすることで、より良い生活を目指していくというのがこの本のコンセプトです。

    しかし、本質的な内容はTwitterにも通じるところがあると思っています。

    Twitterも次のような点でテレビやネットニュースと同じような性質を持っているからです。

    • 速報性に優れている

    • 情報量が多い

    いずれもTwitterの利点ではありますが、それゆえに自分自身のキャパシティを超える情報にふれることにもなり、うまくコントロールできないと消化不良に陥る場合があります。

    スピード感溢れるTwitterというツールの扱い方についても考えていく必要があるのではないかと思いました。

    「ゆったりTwitterを楽しむ」という発想

    実を言うと、私は完全にTwitterから離れたわけではなく、時々タイムラインを辿るようにしています。

    ただ、その頻度は昔よりも落ちていて、数日前のツイートを遅ればせながら読むということもしばしばあります。
    速報性というTwitterの強みを持て余した楽しみ方ではありますが、「リアルタイムで読まなければならない」というプレッシャーを感じなければ、落ち着いて投稿を読むことができて心地よいものです。

    Twitterはスピード感のある情報収集を可能にしますが、「そのスピード感に必ず応えなければならない」ということははないはずです。

    「Twitterを”日常”にしない」という考え方

    結局のところ、Twitterとの正しい付き合い方はわかりませんし、そもそも正解があるかどうかもわかりません。

    しかし、ひとまず今回のデジタルデトックスを通じた学びをまとめるとするならば、「Twitterを”日常”にしない」という考え方に至ります。

    • Twitterを使っていない人もいる

    • Twitterを使っていなかった時代もある

    そう考えると、Twitterは決して「あって当たり前」のツールではなく、日常+αの存在として思えるようになります。

    これは決してTwitterを否定するつもりではなく、むしろ「日常ではない」からこそ、楽しめるものなのではないかとも思っています。

    たとえるならば、友人や知人とカフェでお茶をしたり、お酒を飲みに行ったりするようなもの(これが「日常」という場合もあるかもしれませんが、それはさておき)

    余裕がないときは控えるのは自然なことですし、義務でもありません。
    ずっと続けていたら疲れてしまうことだってあります。気が向かないことだってあります。
    でも、楽しめるときは楽しいものです。

    日常の一部としてTwitterを位置づけて疲れてしまうのならば、いっそ日常+αとして捉えて、「お茶しよう」「飲みに行こう」の感覚で「Twitter見よう」とワンステップが必要なスタンスで考えたほうが気持ちが楽になるかもしれません。

    やや気負ったスタンスのようにも感じられますが、タイムラインに並ぶツイートの一つ一つは一人一人のユーザーによって書かれたものなのだから、人と会うのに似た感覚や状態で臨むほうが自然なのかもしれません。

    おわりに

    繰り返しにはなりますが、この記事にはTwitterを批判する意図はありません。

    10年間というTwitter歴のなかでも、Twitterを通じて様々な人と交流し、有意義な時間を過ごしてきました。
    感謝したい人もたくさんいます。

    楽しい時間。ほっとする時間。
    ネットの世界と切り離す勿れ。それは貴重な人と人との交流です。

    だからこそ、より良い付き合い方を見つけていきたいと思います。

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