
孫誕生🎊✨✨
「無事に生まれましたー!
母子ともに無事ですー!」
今朝、次女の旦那さんから連絡が入った。
四人目の孫誕生✨✨
母子共に無事との連絡に、どっと力が抜けた。
二人の娘が結婚し、かろうじて長女の第一子誕生の時だけはそばにいてやれたものの、続く孫たちの出産、その後の子育てに関しては、何の手伝いもできずにきた。
長女、次女共に、家族でドイツに遊びに来ているので、孫の顔は見ている。
しかし、熱を出して家族みんな寝込んでいる時とか、こうした出産の折など、親の手助けが必要な時に、何もできないでいる。
それぞれが良き伴侶を得たことがありがたく、安心して出国してきたものの、こうして娘たちの一番の大仕事の折に何もできなかったことには、申し訳ない気持ちが募る、ということを度々娘たちには伝えてきた。立場上、気楽に帰国はできない為、やむを得ないことは理解してくれている。
考えてみれば、私の親は、何かとこうした場面で、家にやってきて手伝ってもくれたし、孫へ愛情を向けてくれた。
私の初めての出産の折は、心配で心配でたまらなかったようで、夜遅く私の好物を持って準備室にいる私の顔を見に来て、まだ当分時間がかかるとわかっていながら、そのまま病院にしばらくいたのだった。
長女の第一子出産の折のこと。娘は病院のすぐそばに住んでいた。その点は安心だったのだけれど、出産前にもう一度家に顔を見に行こうとしていたところ、
「破水して、もう入院しちゃったから」と連絡が来てしまった。出遅れた、とさすがに焦った。
この時期は、コロナ禍であった為、病院には入れず、出産の立会いやお見舞いも一切できなかったのだ。
受付に行くと、まず外のテントでチェックを受けた後、入院患者に手渡す荷物は預かってもらえる。ただそれだけ。
娘の初めてのお産だというのに、非常時とはいえ、親が顔を見に来て励まされた私の出産の時とは、何という違いだろうと思う。
出産は命懸けだ。何が起こるかはわからない。そう思うと、ほんの一時間ほど出遅れて、会うこともできず、激励もできなかった後悔が募った。
受付で差し入れの荷物を預ける時に、ふとこのまま帰るのはやめよう、と決めた。
様子を見ていると、見舞客は全員、問答無用で帰されている。しかし、『どうしても娘に会うのだ』と決める。
受付の男性職員に、
「急に入院と決まりましたので、入れ違いで、私と顔を合わせることもできないまま、娘は入院致しました。コロナ禍であることは十分承知しておりますが、娘は初めてのお産なんです。
万が一何かあったら、私は生涯悔やむことになります。一目顔を見たいのですが、無理でしょうか」
と、些か大袈裟かとは思ったものの、親っぽい事を言ってみた。
交渉は勢いだ。論理的に正しい方向で、相手を納得させ、感情を揺り動かして、結果、動かす。
実際、そこまで説得力があったかどうかわからないまでも、それまで、見舞客を全員否応なしに帰していた窓口の人はしばらく考えて、
「ちょっとお待ちください」と産科に電話をしてくれた。
なんとOKの返事が出た。日頃の強気が役に立った‥‥。
産科の看護師さんは、
「短時間でお願いしますね」とだけ言って、部屋に案内してくれた。病院関係者以外、誰一人いない廊下、恐縮してお礼を伝える。
娘の部屋はお産準備室であると同時に、そのままそのベッドが分娩台になるハイブリッド。一見普通の個室のようで、私が知っている冷んやりした分娩室っぽさがない。
「良い部屋じゃないの🎶」
「ママが部屋まで来た!」と驚く娘。
「頼んだら通してくれたの♪」
「‥‥余程ママが怖かったんだねぇ」
失礼な。
差し入れを渡し、私自身の出産時の経験を改めて話したり、早口で激励し、部屋を後にした。
その後無事に産まれて安堵した。普通なら、産後、見舞いに来てくれる身内の顔を見て安心したり、経過を話したり、それで随分気が紛れるのに、それもできない。
お産は、産めば一旦楽になるものの、その後も散々痛い思いをする。娘には、そういう大変さは看護師さんに相談したり、患者さん同士で話してね! と伝えておいた。
他の科に長く入院している人たちも、家族に会えない時期は、どれだけ大変だった事だろう。
コロナ禍を経て夫と私はドイツに来た。その為、肝心な時期に、親として何もしていない状態にある。時々ビデオ通話をしたり、メッセージを送ったり、それぞれの誕生日とクリスマスにプレゼントを送るくらいだ。
しばらく会えない娘たちには、「全員それぞれ頑張ろうね! 」と言うしかなかった。
その上、こちらに来てよくわかった事がある。私自身が「何もしていない」と思う理由はドイツに住んでいるから、という距離だけの問題ではない。
まだ私の頭の中は、私自身の夢にかかりきりなのだ。もう娘たちは大人であって、家庭を持ったのだから、それはそれで良いのかもしれないのだけれど。
私は、大人として一通りの事はこなしてきたものの、基本的な思考パターンは小学生の頃のままだ。noteにそれを書くようになって、余計に感じるようになったのだった。
一応親なので、娘たちには親らしい事をたまには言ってみるものの、考えている事は、娘たちよりも遥かに幼く、現実から遠ざかって、夢見ていた世界を漂っている。そして、まだ何かをしようとしている。
現実的で、しっかり者の主婦になった娘たちが、妙に眩しい。物事の捉え方、人との関係性、ちゃんとしている。
私が育てたからね、ふふん、と思いつつも、私とは関係なく、元々がそういう子たちであったから、結果そうなっただけのことだと思う。
人として正しい事をせよ、という点に関しては、様々な場面で言ってはきたけれど、それ以外のこと、教育的な事はどうだったのだろう。もう忘れてしまった。
たまたま実家近くに嫁いだ長女とは、結婚後もよく会っており、何かを愚痴られると、
「下を見ても仕方がない」
と私は必ず答えたらしい。
これは、先程長女と電話で話した時に言われたので、確かな話のようだ。一々覚えていないけれど。
つまり娘が、仕事とか結婚とか子育てとか、その時々の悩みや状況を話したとしても、
「世の中には、子育てとか、経済的なこととか、他にもっと大変な思いをしている人がいるんだから、〇〇ちゃんは幸せよ」
というような、一見正解のように聞こえる普通っぽいことを、私は言わないのだそうだ。もう忘れたけれど。
娘が何か大変なことに直面している時、娘よりもっと大変な思いをしている人と比べたところで、娘の大変さが軽減されるわけではなく、解決しない。娘が「嫌なものは嫌だ」と感じる部分は変わらないのだから。
だから、
「善処して解決する方向へ持っていけば良し! 或いはその代償となる物を得よ」
というようなことをいつも言うらしい。私が。
そうだっけ?
親としてのアドバイスになっているのだろうか。
「うちのママは、他の家のママより厳しい」と、昔から娘たちにはよく言われていた。
「では、その厳しいという件の事柄をよく考えた場合、私とよその家のお母さんと、どっちが正しいと思う?」と訊き返すと、
「‥‥ママ」と返事が返ってきた。
娘たちは、それがたとえ正しくないとしても、そこはゆるっと見逃してほしいのだということは知っていた。けれど、親になったら、娘たちにもいずれわかることだと判断して駄目と言っておいた。
それに、厳しいと言われても、私の親の厳しさから比べれば、ゆるゆるだったのだし。
私の教育はそんな程度のことだった。
産まれたばかりの娘たちを見ても、最初から、『この子たちは私とは別人格だし』と思っていた。
この一定の距離を置く感じが、親と私の関係とはかなり違う、と思っていた。
そんな感じで年月は経ち、大学に進学する為、それぞれが上京するのを見送った時、はっきりと
「これで親の務め終了!」と思った。
かつて親が私に期待したようなものは何もなく、もうそれぞれで生きていくのだなぁ、とだけ思ったのだった。

もうそこで一旦、子育て完了と思っていたせいか、娘たちの結婚式のラスト、親への花束贈呈の場面で手紙を読まれても、涙が出ることもなかった。
長女の結婚式は、コロナ禍で二回延期となり、その為に子連れ結婚式となり、やや招待客を減らして催されたが、招待客は皆とても和やかで楽しく、延期した分熟慮された進行に、最初から最後まで、花嫁の母親としての緊張感はなく、笑い通した。花束贈呈の時も、楽しくて笑っていた。
長女は、昔から手のかからない娘で、やるべき事は親が言わなくても全部こなす子だった。結婚式も本人が希望する通りに滞りなく進められ、親としては随分リラックスさせてもらったのだった。
近くに嫁ぐのだから、これからも宜しくね、という感じで、泣くようなこともなかった訳で。
次女の結婚式の方は、コロナはもはや終盤の時期で、当初の予定通り、都内の会場で無事挙行された。賑やかな雰囲気の中、二人らしい華やかなプラン満載の式となった。
花束贈呈の折、娘は泣きながら手紙を読み、あちらのご両親はさめざめと泣いていらしたが、私と夫は寧ろにっこりとし、その内容を『はい、はい、その頃はそうだったね』と思いながら聞いていた。
夫とその件で話し合った訳ではないけれど、夫は
「泣く感じはなかったなぁ」と淡々と言っていた。
次女は、それなりに中2病(軽症)になり、中3で寛解。
それは受験の為で、いよいよ周囲の進路が確定した頃、まだ進学先を明確に決めずにグズグズしていた次女は、勉強不足の自分の限界を感じ、逆らうことをやめ、親に受験生の身を委ねることにしたわけだ。
夫と私で受験のプランを立てた。
まず私立の滑り止め、本命の私立大学附属高校、万が一落ちた場合は、一ランク上の長女が通う公立、と決めた。受験は、この受け方なら3校別日で可能だった。
田舎であって、公立とは受験日が違う私立高校が少ないので、滑り止めの受験に関しては、悩むところだ。
市内に私立の女子高は二つあるので、案外女子は悩まずに済むが、男子は選択肢が少なすぎる。
第一志望と滑り止めとのランクに差がありすぎて、男子の場合はとても妥協はできず、浪人を選ぶ子たちがいるのもよくわかる。
娘の場合の受け方として、もし本命の私立に落ちた場合に、次に一ランク上の公立を受けようとするのは、その学校が難関校なので、一見無謀なプランに思える。
しかし娘よりも優秀な子たちは、滑り止めを受けないまま1校のみを受験するケースが多く、当日実力を出せないケースがある。
既に滑り止めを確保できていた娘が、その日だけリラックスして頑張れば勝算はある、と踏んだわけだ。
個人面談で、この受験予定を見た担任は、しばらく言葉を失い、
「‥‥これはプロの受け方ですね」と褒めてくれた。
「そうでしょう?」と私は答えて、笑い合った。
担任だったら、まず勧めない受け方である。安全策を選ぶのが普通だ。
実際、担任が娘に勧めていたのは、一見安全策の別の公立であって、もしそちらを受けていたら、逆に危険であったかもしれない。受験が近づくと、少し不安になって、最難関校を諦めて、そちらに変更する子たちがいるからだ。
結果は、本命の私立大学附属高校に合格。我々の計画通り受かったので、公立の受験は取り下げた。
実際、ここに受からなければ、次女の希望する大学の学部への進学は難しい(人気学部で、一般受験では難度高し)。
夫と私は、呑気な次女の学力をよく知っている。どうしてもそこに入れて、推薦をもらうしかないのだ。勉強しない割に頑固で、進学先の大学の希望だけは、揺らがないので、もうそれしかない。
受験の日まで、二人それぞれの教材を使って、ゴリゴリと娘に教え込み、受かる為のレベルに達するまで勉強させた。何とか間に合い、その成果が出たのだった。
ここに受かったので、次は推薦だけだ。普通、受験で苦労しているのだから、入学後は心を改めて、日々の勉強や活動に精を出せば、推薦はもらえるものだ。
この学校は厳しい学校で、それを承知して入学している子たちばかりなので、皆、勉強もスポーツも爽やかに頑張る子たちばかり。娘にも、今度こそ自らしっかり勉強することを期待した。
その3年後、予想通り、この厳しい高校でものんびり過ごした次女は、大学への推薦の時期になって、希望学部はギリギリ難しいと担任から厳しく言われたのだった。
再び、我々親が立ち上がる。推薦してもらえる手段を考え、娘には推薦の為の実績を積むべく行動させた。
担任が推薦の有無を決める時期スレスレに、娘はポイントが高い成果を出した。ものすごくピンポイントで効果的な成果だった。
これは褒めてやれる内容であったものの、いつも時期がスレスレ‥‥
結果、希望学部合格。上京する日、子育て完了!と清々しい思いで送り出したのだった。
なお、娘は大学生活を満喫して、就職の時期を迎えた時、とうとう自分の得意分野に目覚め、幾つか企業を受けて内定をもらった。
その時、長女に電話で、
「私、初めてパパとママに手伝ってもらわないで、自分一人でできた〜🎶」
と、報告したという。可愛いじゃないの、と長女が笑って電話してきたのだった。
ちなみに夫も私も長女も、どこを受けたのか知らなかったので、次女から送られてきた企業名を見て、三人が三人とも、それぞれすぐに会社概要を検索したのだった。後でそのことを話して大笑いした。
呑気な次女が、万が一ブラック企業を選んだとしたら阻止せねば、と三人それぞれ思ったわけだが、検索後、その分野で実績のある会社であることが判明した。
入社後、慣れるまで苦労はしたようだが、自分の好きな分野の仕事に携わり、次女の良さがそこで認められたようでありがたかった。
これまでの次女の歩んできた経緯を考えれば、三人とも心配になるのは致し方ない。
しかし、とうとう自分だけでできた、これで自信もつくことだろう。目覚めが遅い子だったねぇ、という安堵の溜息をついたのだった。
何も言わなくても、自らそつなく勉強し、やるべきことをやって、親が何の手助けもしなくても希望する高校、大学にすんなり合格した長女とは大違いだ。
しかしよく考えてみると、家族の中で、「好きな分野に進みたい」と自分の希望を叶えたのは、この次女だけだ。
親と同じ職業に、という元々決められた道を歩んだ夫と私、長女は満遍なくどの科目もできたばかりに、逆にどちらの分野に進めばいいか迷っていた。
勉強はちっともやらないものの、我を通した次女の方は希望を叶えているのだから、皮肉なものだ。
こう書いてみると、次女に対しては、受験に関して、私も親として随分頑張ったと思える。そういうことにしよう。良かった良かった。
さて、次女の結婚式、花束贈呈の場面では、娘の中2病以降、受験の手助けをして結果を出し、ここに至るまでを、まざまざと思い出した。手紙で語られるので、思い出したくなくても、思い出さないわけにはいかない。
しっかりと思い出し、
『我々はよくやった! 』と自画自賛の微笑みが、自然と浮かんできたのだった。
ああいう場面で泣かない親もいるということがよくわかった 笑
そうして進んだ方向の先に、良い結婚相手がいてくれた。めでたしめでたし。

あんなにのんびりしていた次女であるが、仕事も家の中のこともまめにこなし、結婚後、良き主婦となった。
送られてくるお料理の写真の数々は見事で、子育てが上手な旦那さんと協力しながら、よくやっている。
私よりずっと子育ても家事も上手い、と感心する。
あの子もいつかそのうちできるようになるだろう、と思って目を瞑っていたら、本当にできるようになった。
次女の気質を考えると、自分で痛い思いをして、「本気を出さなければ」と気づく必要がある、と長年思っていたが、どうやら当たっていた。
そして、その後の様子は、元々次女が本質的に持っていたものが、年月を経てゆっくりと表面に浮かび上がってきたように思える。
最近は、娘たちから子育ての話をされても、
「ママ、子育て苦手だから、よくわかんない」と正直に話す。
「私たちにそれを言われると、複雑なんだけど」と笑われる。
私はこの年齢になっても、頭の中はあの夢見がちな小学生の頃の自分のままだ。それを口にしてももう怒る人はいない。
もう人生の一通りのことはやってきた。まだ元気に動けるうちに、やりたいと思ってきたこと、夢見たことの実現ばかりを考えてもいいかな、と思う。
娘たちも孫たちも、沢山夢を持って、楽しい人生を歩んでもらいたい。
今日生まれた赤ちゃんへのお祝いは、どこのお店で買おうか、と考える。
お姉ちゃんによく似た、はっきりした可愛い顔立ちの女の子だ。
とびきり素敵な洋服を選ぼう。

—了—
誠にありがたいことに、この拙いエッセイをご紹介いただいた。
エッセイとは? コラムとは? そしてその融合の形とは?
noteの達人、武智倫太郎氏による書き方入門、noteの街で書く人々の必読の書として、ご一読をお勧めする。
【次回の予定】
孫誕生の為、今回は予定を変えました。
次回は前回の予告の通り、スイス&イタリア&オーストリアの旅のこぼれ話です。
是非ご覧ください。