
【思考実験/妄想SS】未開封の段ボール【拝啓文芸部】
頭が痛い。
口の中が乾いている。
何より、身体が重い。
目を開けた。
枕元のスマホを見る。
午前十時二十分。
火曜日。
「…………」
「やっべぇ!!」
仕事だ。
完全に寝坊した。
布団を跳ね飛ばし、慌てて立ち上がる。
「うわ、最悪だ!」
シャツを探す。
ズボンを探す。
もう一度スマホを見る。
火曜日。
「…………あれ?」
そうだ。
今日、有給を取ってたんだった。
土日月の三連休に、火曜日の有給をくっつけたのだ。
四連休。
「……なんだよ」
その場にへたり込む。
スマホには、やたらと通知がたまっていた。
着信もある。
だが、今はそれどころではない。
頭が痛い。
「……水」
冷蔵庫にあったペットボトルを半分ほど空けた。
少し生き返った。
部屋に戻る。
「…………ん?」
床には、脱ぎ散らかした服。
空き缶。
いつ届いたのかも分からない封筒やハガキが、開封済みも未開封もごちゃ混ぜになって積み上がっている。
その脇に、段ボール箱が置いてあった。
使い古された、見覚えのない箱。
「……なんだぁ、この箱?」
いつ受け取ったっけな。
持ち上げてみる。
軽い。
振ると、中で何か小さなものが動いた。
送り状を見る。
宛名は、自分。
差出人も、自分。
「…………は?」
自分から自分へ、荷物が届いている。
覚えがない。
テープを剥がす。
中には、車の鍵が一本。
「…………」
何だ、これ。
なぜ俺は、自分の車の鍵を自分宛てに送った?
そもそも、いつ送った?
そういえば、ここ数日の記憶が妙に曖昧だった。
飲んだことは覚えている。
いや、正確には、飲み始めたことは覚えている。
その後が怪しい。
「……車?」
ふと、嫌な予感がした。
窓から駐車場を見る。
ない。
車がない。
「…………」
もう一度見た。
やっぱりない。
「……マジかよ」
車の鍵はある。
車はない。
しかも鍵は、自分から自分へ郵送されてきた。
何がどうなっている。
「……とりあえず、落ち着こう」
もう一度、段ボールを確認する。
一度使われた箱らしく、古い商品名や管理用の印字が残っていた。
コンビニのバックヤードで使われていたような箱だ。
送り状の筆跡は、どう見ても自分のもの。
「……行ってみるか」
車はない。
だが、鍵を発送した場所なら、何か分かるかもしれない。
コンビニの店員は、送り状を見るなり「あっ」と声を上げた。
「この前のお客さんですね」
「……俺、ここに来ました?」
「はい。日曜日に」
日曜日。
「何時ごろですか?」
「午前中だったと思います。すごく酔ってらっしゃいましたけど」
「……でしょうね」
「車の鍵を送りたいって」
「はい」
「ご自宅に」
「はい」
「ご自分宛てに」
「…………はい」
店員は、少し困ったように笑った。
「最初は、箱なんて何でもいいから送ってくれって」
「……はい」
「バックヤードにあるやつでいいから、頼むよー、って」
「…………」
「『俺、事故っちゃうよー』って、すごく必死で」
「…………」
「飲酒運転は絶対しちゃいけないから、鍵を持ってたら乗っちゃうかもしれない、だから送るんだって」
「……なるほど」
なるほど、じゃない。
そんなことをするくらいなら、最初から車に乗らなければいい。
いや、だから鍵を送ったのか?
「それで、空いてた段ボールを使って発送したんです」
「……すみませんでした」
「いえいえ。事故を起こさないのが一番ですから」
正論だった。
「ちなみに、車はどこに置いたか分かります?」
「いえ。お客さん、歩いて来られたので」
そうか。
歩いて来たのか。
つまり、少なくともこのコンビニには車で来ていない。
「ありがとうございました……」
店を出る。
鍵の謎は、ひとまず解けた。
だが、車の行方はさっぱり分からない。
「おう、あんちゃん!」
声をかけられた。
振り返ると、見知らぬおっちゃんが立っていた。
「日曜はどうもな!」
「……どうも?」
「いやあ、豪快だったなぁ!」
嫌な予感がする。
「すみません。俺、日曜に何かしました?」
「覚えてねぇのか?」
「全然」
おっちゃんは大笑いした。
「そりゃそうか! あんだけ飲んでりゃな!」
笑い事ではない。
「そういや、あんちゃんが買ったもん、まだ店に預かってもらってんじゃねぇか?」
「買ったもの?」
「そうそう。取りに来るまで置いといてくれって」
「……何を?」
「犬の餌」
「……犬?」
「そりゃもう、すげぇ量よ」
「…………」
俺は犬を飼っていない。
「……どこの店ですか?」
「ホームセンターだよ」
「どこのホームセンター?」
おっちゃんは、呆れたように俺を見た。
「しょうがねぇな、オメェ。行くぞ」
「……え?」
「案内してやるよ」
どうやら今日は休みで、たまたまコンビニに来ていたらしい。
そのおっちゃんに連れられ、俺はホームセンターへ向かった。
ホームセンターに入ると、おっちゃんは勝手知ったる様子で奥へ進んでいった。
店員が顔を上げる。
「あ、キヨさん。どうしたんですか?」
「日曜のあんちゃん連れてきたぞ」
「ああ!」
店員がこちらを見るなり苦笑いした。
「日曜日のお客様ですね」
まただ。
俺は、いったい何人に顔を覚えられているんだ。
「お預かりしている商品、こちらです」
案内された先には、段ボール箱が積まれていた。
犬用のフード。
それも大型犬向けらしい大袋が、何箱も。
「……これ全部?」
「はい。お支払いは済んでおります」
「いくらですか?」
金額を聞いて、思わず天井を見た。
何をしているんだ、日曜日の俺。
「オメェ、ずいぶん気前よかったぞ」
キヨさんが笑う。
「犬が喜ぶなら安いもんだってな」
「……そうですか」
俺は犬を飼っていない。
なのに、犬の餌を大量に買っている。
一体、誰の犬なんだ。
そこへ電話が鳴った。
知らない番号だった。
「もしもし?」
『あっ、やっと出たぁ♡』
妙に甘ったるい女性の声。
『この前の約束、覚えてるぅ?』
「……約束?」
『ラブちゃんの好きなアレ、買ってくれるって言ったじゃん♡』
ラブちゃん。
なんだその名前は。
スナックか何かの女の子だろうか。
日曜日の俺は、ずいぶん羽振りがよかったらしい。
「ええと、ラブちゃん、でしたっけ」
『そうそう♡』
「何を買う約束でした?」
『ごはんだよぉ♡』
ごはん。
目の前には犬の餌。
「……ひょっとして、ラブちゃんって」
『うちの子だよぉ♡』
「犬ですか?」
『そうだよぉ♡』
「…………」
どうやら俺は、犬に貢いだらしい。
女性はドッグカフェの店主だった。
日曜日、店で大型犬のラブちゃんと遊び、フードの値段を聞いて、酔った勢いで「俺が買ってやる」と言い出したのだという。
買った。
本当に買った。
しかも大量に。
「……分かりました。届けます」
電話を切った。
ホームセンターには、大型商品の運搬用に軽トラックを貸し出すサービスがあるらしい。
店員に頼み、手続きを始めようとした。
そのときだった。
「おい、あんちゃん」
キヨさんが顔を近づけてきた。
「オメェ、大丈夫か?」
「……何がです?」
「酒くせぇぞ」
「…………」
そう言われて、急に不安になった。
確かに、まだ頭が重い。
昨日からどれだけ飲んだのかも分からない。
「……運転、やめといた方がいいですかね」
「当たりめぇだろ」
キヨさんは即答した。
「……ですよね」
「しょうがねぇなぁ」
キヨさんは店員に向き直った。
「おい、キー貸せ。俺が運転するわ。書類の記入頼むな」
「キヨさん、勘弁してくださいよ〜」
「いいから、ちゃんと手続きしとけ」
「いや、ちゃんとやりますけど……」
どうやらキヨさんは、この店の古株らしい。
店員はぶつぶつ言いながら、必要な手続きを進めてくれた。
俺はその横で、ただ頭を下げていた。
軽トラックにドッグフードを積み込み、キヨさんの運転でドッグカフェへ向かった。
「しかしオメェ、豪快だねぇ」
「……何がです?」
「ねぇちゃんにいいとこ見せようってんだろ?」
「いや、別に……」
「犬の餌をこんだけ買ってやるなんて、なかなかできねぇぞ」
「……はあ」
何か、ものすごい誤解をされている気がする。
だが、運転してもらっている手前、強くも言えない。
ドッグカフェに着くと、入口には「CLOSED」の札が下がっていた。
今日は定休日らしい。
だが、店内には明かりがついている。
犬の世話をしていた店主が、こちらに気づいて手を振った。
「あっ、お兄さぁん♡」
扉を開けてもらい、フードを運び込む。
すると、奥からラブちゃんが猛烈な勢いで突進してきた。
大きい。
想像していたより、ずっと大きい。
「うわっ!」
押し倒された。
顔を舐められる。
逃げようにも、重い。
「あはは♡ ラブちゃん、日曜のお兄さん覚えてるんだねぇ♡」
そうですか。
俺は覚えていません。
どうにか立ち上がると、キヨさんが腹を抱えて笑っていた。
「なんでぇ、オメェ。ねぇちゃんじゃなくてワンちゃんに貢いだんか!」
「……いや、それは」
「将を射んとすれば、まずワンを射よ、ってか! がはは!」
「…………」
「若いってのはいいねぇ!」
ずいぶん調子のいいおっちゃんだ。
だが、運転してもらっている手前、何も言えない。
荷物を降ろし終えると、キヨさんは軽トラックに乗り込んだ。
「んじゃ、俺ぁ帰るわ」
「あ、ありがとうございました」
「おう。じゃあな、うまくやれよ!」
最後までニヤニヤしながら帰っていった。
何をうまくやれというのか。
いや、だいたい分かる。
「……はぁ」
そのとき、シャツのポケットから何かが落ちた。
安っぽいライターだった。
拾い上げる。
『スナックぶるぅむ』
店名が印刷されている。
「……スナック?」
「あっ、そこ、土曜日に行ってたお店だよぉ♡」
「え?」
「私もいたんだぁ。すっごく酔ってたよねぇ♡」
なるほど。
そこでこの人と知り合ったのか。
「その店、今から行けば分かります?」
「まだ開いてないと思うけどぉ。ママに電話してみよっか♡」
女性はスマホを取り出した。
しばらくして、こちらに差し出してくる。
「はい、ママ♡」
「もしもし。土曜日にお店に行った者なんですが……」
『アンタぁ! いまどこおるんやぁ!!』
野太い声が響いた。
思わずスマホを耳から離す。
『勝手にどっか行くんやないで! 今から行くから、そこにおり!』
電話が切れた。
「……ママ?」
「うん♡ ぶるぅむのママ♡」
なるほど。
土曜日の俺は、なかなか幅広い交友関係を築いたようだ。
ほどなくして現れたママは、開口一番こう言った。
「アンタ、これ大事なもんちゃうんか!」
差し出されたのは、小さな箱。
開ける。
指輪だった。
「…………」
今度は何だ。
俺は誰かにプロポーズでもしたのか?
「アンタなぁ!」
ママは腰に手を当てた。
「しんどいんは分かるけど、ヤケになったらあかんで!」
「……はい?」
「そら、つらいこともあるわ。でもな、笑ってごまかしたって、何も解決せぇへんのや!」
「……ええと」
何の話だろう。
事情を聞いてみた。
土曜日の夜。
俺はスナックで、相当ご機嫌に飲んでいたらしい。
そこで脚を組もうとしたとき、ズボンの横ポケットに入っていた何かが引っかかった。
「痛ってぇ!」
取り出したのが、この指輪の箱だった。
周りにいた女性たちが、興味津々で覗き込んだ。
「指輪じゃなーい!」
「うわぁ、きれーい!」
「どうしたの、これ?」
すると俺は、
「んー、どうしたんだっけな? 忘れた! がはは!」
と笑ったらしい。
「……俺、そんなこと言ったんですか」
「言うたわ!」
「……すみません」
「ほんでアンタ、『脚組むと痛ぇから、これ預かっといてくれ』言うて、ウチに置いてったんや」
「……なるほど」
それでママは、俺が失恋したか何かで、傷ついた気持ちをごまかしているのだと思ったらしい。
「そんなん、痛いんは脚やのうて心やろ!」
「…………」
いや、たぶん本当に脚だったと思う。
だが、言える雰囲気ではなかった。
「それで、なんで俺に返そうと?」
「アンタ、またこの子に会う約束しとったやろ」
ママはドッグカフェの店主を指さした。
「せやから、また会える思うて預かっとったんや!」
「……ありがとうございます」
「ほんま、心配したんやで」
「……すみません」
ママはまだ何か言いたそうだったが、最後にはため息をついた。
「まあ、元気そうでよかったわ」
ありがたい。
ありがたいが。
俺は一体、どんな失恋男だと思われていたのだろう。
箱には宝石店の名前があった。
事情を確かめるため、歩いてその店を訪ねた。
「すみません。この指輪について、何か分かりますか?」
事情を説明すると、店員は指輪の刻印を確かめ、奥から別の店員を呼んできた。
「あっ」
出てきた店員は、俺を見るなり言った。
「土曜日、近くにいらっしゃった方ですね」
「……俺が?」
どうやら、土曜日にこの店の近くで騒ぎがあったらしい。
ある男が、女性に騙されていたことを知って激怒した。
いわゆる美人局だったという。
男は持っていた指輪の箱を、腹立ちまぎれに放り投げた。
そこへ通りかかったのが、俺。
酔っ払った俺は、その箱を拾い上げた。
「おい、アンタ。落としたぞ」
すると男は振り返り、吐き捨てるように言った。
「そんなもんいらねえ! お前にやる!」
そして、そのまま立ち去った。
「……なんだぁ?」
酔っ払った俺は、深く考えることもなく、箱をカーゴパンツの横ポケットに突っ込んだらしい。
「……俺、関係ないんですか?」
「ええ。たまたま通りかかられただけで」
よかった。
心底よかった。
誰かに結婚を申し込んだわけでも、誰かの結婚を壊したわけでもない。
「ちなみに、この指輪、こちらで引き取っていただけたりします?」
店員は申し訳なさそうに首を振った。
「すでにお支払いの済んだ商品ですので、当店ではお預かりできないんです」
「……ですよね」
だからといって、こんな高そうなものを持って帰るわけにもいかない。
宝石店を出たあと、近くの交番へ向かった。
事情を説明し、指輪について相談した。
男から「やる」と言われたという店員の話も伝えた。
警察官は話を聞き、必要な確認をしたうえで、指輪を預かってくれた。
ようやく、指輪の件にも区切りがついた。
「……あの」
「はい?」
「ついでに、もう一つ相談してもいいですか?」
車のことだった。
駐車場から車が消えている。
鍵は自分宛てに郵送されてきた。
自分には、その記憶がない。
ここまで説明しようとして、やめた。
待てよ。
今日一日、俺は何をしてきた?
自分で鍵を郵送し。
犬の餌を大量に買い。
知らない指輪を拾い。
スナックのママに失恋を心配されていた。
こんな状態で車がないと言っても、そもそも俺自身が何かした可能性が高い。
「……いや、すみません。もう少し自分で確認してみます」
「そうですか?」
「はい」
車の盗難を疑うのは、それからでも遅くない。
たぶん。
腹が減った。
もう昼を大きく回っている。
朝から何も食べていない。
通りかかった町中華に入った。
「ラーメンとチャーハンください」
「はいよ!」
厨房のおっちゃんが顔を上げる。
「おっ、あんちゃん!」
またか。
「今日も同じもんかい!」
「……俺、来たことあります?」
「何言ってんだ。土曜も来たじゃねぇか」
「土曜日?」
「昼も夜もな!」
昼も夜も。
「これサービスな。野菜も食わなきゃ駄目だぞ」
小皿が置かれた。
「……ありがとうございます」
「しかし、あんちゃんも気前がいいねぇ」
「……何がです?」
「隣の倅が言ってたぞ。昔の同級生と五人くらいで集まって飲んでたら、知らねぇあんちゃんと意気投合して、全部奢ってもらったって」
「…………」
「そりゃ、あんちゃんのことだろ?」
「……たぶん」
覚えていない。
「で、そのあとウチにも来たんだよ。夜中に」
「……俺が?」
「おう。ラーメン食ってったぞ。えらく上機嫌でな」
「…………」
「昼間はあんなに落ち込んでたのになぁ」
「……昼間?」
「そうだよ。昼にも来ただろ」
「そのときのこと、何か覚えてない?」
「覚えてるよ」
おっちゃんは腕を組んだ。
「あんちゃん、すっごい凹んでたぞ」
「……俺が?」
「おう。飯食いながら、ため息ばっかりついてな」
「…………」
「ところが、テレビ見てたら急に元気になってよ」
「テレビ?」
「そうそう。何か見て、急に大喜びしてたな」
「……何を?」
「さあなぁ。こっちは仕事してたからよ」
テレビ。
何だろう。
何かが引っかかった。
そういえば、俺はいつから記憶がないんだ?
日曜日は覚えていない。
土曜日の夜も覚えていない。
土曜日の昼も覚えていない。
土曜日の朝は?
「…………」
金曜日の夜は覚えている。
仕事を終えて帰宅した。
晩飯を食べて、テレビを見て、寝た。
そこまでは確かだ。
では、土曜日は?
「……俺は誰だ?」
「おい、あんちゃん、大丈夫か?」
「いや、名前は覚えてる」
さすがにそこまでは忘れていない。
土曜日の朝。
三連休の初日。
せっかくの休みだからと、朝から一杯引っ掛けた。
「……あっ」
そうだ。
朝から飲んでいた。
いや、待てよ。
家飲みだったんだよ。
「…………」
だったら、なぜ昼にはここにいた?
俺は、何をしに家を出た?
ラーメンをすすりながら考える。
土曜日。
テレビ。
落ち込んでいた。
突然、喜び出した。
そして、なぜか金回りがよかった。
「……金?」
スマホを取り出し、銀行アプリを開いた。
残高を確認する。
「……あれ?」
思っていたより多い。
履歴を見る。
土曜日、現金の入金。
その後、現金の出金。
どちらもATMでの取引だった。
「…………」
入金したあとに、また出金している。
何をやっているんだ、俺。
いや、待て。
最初の現金は、どこから来た?
俺は何かを売ったのか?
誰かに金を借りたのか?
まさか。
「…………」
考えても分からない。
とりあえず、家に帰ろう。
一度、家に帰ることにした。
朝は車がないことに気を取られ、部屋をまともに見ていなかった。
改めて見渡す。
ダカラ焼酎のボトル。
ギンノミヤ。
飲みかけのグラス。
空き缶。
「……ひでぇな」
そして、テーブルの端に競馬新聞があった。
『週刊ターフ』
「あっ」
そうだ。
土曜日、競馬をやっていた。
新聞を広げる。
何頭かの馬に、赤い丸がついている。
「……これ、俺の予想か?」
スマホで土曜日のレース結果を検索した。
丸をつけた馬を確認する。
「んーーーー?」
当たってる?
いや、待て。
だったら、なぜ町中華であんなに落ち込んでいた?
レースの詳細を開く。
そこに、見覚えのある言葉があった。
着順変更。
「…………あ」
思わず結果を見直す。
最初の入線順では外れ。
しかし、審議の結果、着順が変わっている。
つまり。
「……当たってるじゃねぇか」
そういうことか。
断片的な記憶が、少しずつつながってきた。
土曜日の朝。
休みだからと酒を飲みながら競馬新聞を広げ、予想を立てた。
勢いでWINSへ行き、結構な額の馬券を買った。
本当はレースまでそこで待つつもりだった。
だが、腹が減った。
酒も入っていて、頭がろくに回っていない。
近くの町中華に入った。
飯を食っているうちにレースの時間になった。
スマホで見ればいいか、と思っていたら、ちょうど店のテレビで中継していた。
見た。
外れた。
かなり突っ込んでいた。
そりゃ落ち込む。
ところが、そのまま飯を食っていると、審議の結果、着順が変更された。
店のテレビでそれを知った俺は、大喜びした。
紙の馬券だから、払戻しは現金。
その一部をATMで口座に入金した。
残りは手元に置いて、飲み歩いた。
どこかの飲み屋で、同窓会をしていた五人ほどの若者と意気投合した。
調子に乗って、全員に奢った。
そのうち現金が足りなくなった。
それで、またATMから金を下ろした。
そして、夜中にラーメンを食った。
そのあと、スナックにも行った。
「……なるほどなぁ」
銀行の謎の入金も、昼の落ち込みも、夜の羽振りのよさも、これで説明がつく。
もっとも、実際にどの馬券をいくら買ったかまでは分からない。
それでも、土曜日の自分が何をしていたのか、おおよその見当はついた。
競馬で当たった。
調子に乗った。
飲み歩いた。
知らない連中に奢った。
指輪まで拾った。
スナックに行った。
日曜日には、犬に餌を買った。
「…………」
で。
俺の車はどこへ行った?
スマホをもう一度確認した。
銀行アプリ。
写真。
着信履歴。
土曜日の履歴をさかのぼる。
「……ん?」
見覚えのある番号があった。
車のディーラー。
いつも世話になっている担当営業の番号だった。
「なんで車屋に電話してんだ?」
ふと、思い当たる。
車の鍵は郵送されてきた。
だが、家にあるはずのスペアキーも見当たらない。
「……あれ?」
いつもの引き出しを開ける。
ない。
別の棚を探す。
ない。
「……まさか」
担当営業の携帯に電話した。
数回の呼び出しのあと、聞き慣れた声がした。
『ああ、どうも!』
「すみません、お休みのところ」
『いえいえ。どうされました?』
「あの……ちょっと変なこと聞いていいですか?」
『はい?』
「俺の車って、そちらにあります?」
『……はい?』
「いや、ちょっと記憶が曖昧で」
『ああ! 昨日お預かりしたお車ですよね。車検の』
「…………」
『スペアキーもいただいてますよ』
「……昨日?」
『はい。月曜日の午前中にご自宅へ伺いました』
「…………」
『土曜日にお電話いただいたじゃないですか』
「……俺が?」
『はい。車検のご案内をお送りしていた件で』
「…………」
そういえば。
車検の案内ハガキが来ていた。
読んだ覚えもある。
ただ、金がなかった。
それで、しばらく放っておいたんだった。
『お電話で、急にお金の都合がついたっておっしゃってましたよ』
「…………」
競馬だ。
あの金だ。
『それで、日曜の昼以降なら引き取りに行けますってお伝えしたら、月曜の午前中にしてくれって』
「……そうでしたか」
『昨日も、だいぶお疲れのご様子でしたけど』
「……でしょうね」
『玄関先でスペアキーと、お金をお預かりしました』
「……金?」
『ええ。「これで足りなかったらまた言って」って』
「…………」
そんなことまでしていたのか。
『車検の費用としてお預かりした金額で足りましたので、お釣りはお引き取りの際にお返ししますね』
「……あ、はい」
『それで、昨日から何度かお電話したんですけど』
「え?」
『メッセージも送ってありますよ』
スマホを確認する。
本当だ。
着信履歴。
未読のメッセージ。
車を預かったこと。
車検の予定。
預かった金額の確認。
全部、ちゃんと連絡が来ていた。
「…………」
俺が見ていなかっただけだった。
今朝も通知がたまっていた。
面倒くさくて、後回しにした。
そのあともスマホは何度も使ったのに、着信やメッセージは確認していなかった。
「…………」
『大丈夫ですか?』
「……ええ、まあ」
『いやあ、また飲みすぎたのかなと思ってましたけど』
「…………」
また。
また、なのか。
この人の中で、俺はどういう客になっているんだ。
いや、今回は否定できない。
「……すみません。ありがとうございます」
『いえいえ。お車はこちらでお預かりしていますから、ご安心ください』
車は盗まれていない。
どこかに置き忘れたわけでもない。
俺が自分で車検を頼み、月曜日に引き取ってもらっていた。
費用まで渡して。
「……なるほど」
全部つながった。
鍵を郵送したのは、飲酒運転をしないため。
車が消えたのは、車検に出したため。
そして、そのどちらも自分の判断だった。
「……ありがとうございました」
『いえいえ』
電話を切ろうとして、思い出した。
「あ、ちなみに」
『はい?』
「今日、車を取りに行けます?」
『ああ、すみません。今日は店が定休日なんですよ』
「…………」
『明日でしたら大丈夫ですよ』
「……明日、仕事なんですよね」
『ああ……』
「…………」
『…………』
「……また連絡します」
電話を切った。
しばらく、スマホを見つめていた。
四連休。
土曜日は朝から飲んで、競馬で当たった。
日曜日も、酔っ払ってあちこち歩き回っていたらしい。
月曜日は、ほとんど寝ていた。
寝ぼけながら車検の費用とスペアキーまで渡していたらしい。
そして火曜日。
自分の車を探して、一日中あちこちを歩き回った。
ようやく車が見つかった。
だが、今日は引き取れない。
明日から仕事だ。
「…………」
床には、封筒やハガキの山。
その脇には、開封した段ボール箱。
中には、車の鍵。
鍵はある。
車もある。
ただし、ここにはない。
「……何やってんだ、俺」
腹が減った。
そういえば、昼にラーメンとチャーハンを食べた。
それでも、何だか腹が減っていた。
冷蔵庫を開ける。
何もない。
仕方がない。
買い物に行こう。
車はない。
「……歩くか」
玄関で靴を履く。
明日から仕事。
せっかく取った有給休暇も、今日で終わりだ。
「…………」
今度の休みは、家でゆっくりしよう。
酒でも飲みながら。
Mr.Qさんの、【お題】未開封の段ボール|拝啓文芸部の企画へ参加させていただきました。
楽しく書かせていただきました。感謝。
ほかにも、こんなものを書いています。
妄想SS
ちょっと変な世界の、ちょっと変なお話。
のら話
思いついたことを、あれこれと。