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【思考実験/妄想SS】未開封の段ボール【拝啓文芸部】

    頭が痛い。


    口の中が乾いている。


    何より、身体が重い。


    目を開けた。


    枕元のスマホを見る。


    午前十時二十分。


    火曜日。


    「…………」


    「やっべぇ!!」


    仕事だ。


    完全に寝坊した。


    布団を跳ね飛ばし、慌てて立ち上がる。


    「うわ、最悪だ!」


    シャツを探す。


    ズボンを探す。


    もう一度スマホを見る。


    火曜日。


    「…………あれ?」


    そうだ。


    今日、有給を取ってたんだった。


    土日月の三連休に、火曜日の有給をくっつけたのだ。


    四連休。


    「……なんだよ」


    その場にへたり込む。


    スマホには、やたらと通知がたまっていた。


    着信もある。


    だが、今はそれどころではない。


    頭が痛い。


    「……水」


    冷蔵庫にあったペットボトルを半分ほど空けた。


    少し生き返った。


    部屋に戻る。


    「…………ん?」


    床には、脱ぎ散らかした服。


    空き缶。


    いつ届いたのかも分からない封筒やハガキが、開封済みも未開封もごちゃ混ぜになって積み上がっている。


    その脇に、段ボール箱が置いてあった。


    使い古された、見覚えのない箱。


    「……なんだぁ、この箱?」


    いつ受け取ったっけな。


    持ち上げてみる。


    軽い。


    振ると、中で何か小さなものが動いた。


    送り状を見る。


    宛名は、自分。


    差出人も、自分。


    「…………は?」


    自分から自分へ、荷物が届いている。


    覚えがない。


    テープを剥がす。


    中には、車の鍵が一本。


    「…………」


    何だ、これ。


    なぜ俺は、自分の車の鍵を自分宛てに送った?


    そもそも、いつ送った?


    そういえば、ここ数日の記憶が妙に曖昧だった。


    飲んだことは覚えている。


    いや、正確には、飲み始めたことは覚えている。


    その後が怪しい。


    「……車?」


    ふと、嫌な予感がした。


    窓から駐車場を見る。


    ない。


    車がない。


    「…………」


    もう一度見た。


    やっぱりない。


    「……マジかよ」


    車の鍵はある。


    車はない。


    しかも鍵は、自分から自分へ郵送されてきた。


    何がどうなっている。


    「……とりあえず、落ち着こう」


    もう一度、段ボールを確認する。


    一度使われた箱らしく、古い商品名や管理用の印字が残っていた。


    コンビニのバックヤードで使われていたような箱だ。


    送り状の筆跡は、どう見ても自分のもの。


    「……行ってみるか」


    車はない。


    だが、鍵を発送した場所なら、何か分かるかもしれない。




    コンビニの店員は、送り状を見るなり「あっ」と声を上げた。


    「この前のお客さんですね」


    「……俺、ここに来ました?」


    「はい。日曜日に」


    日曜日。


    「何時ごろですか?」


    「午前中だったと思います。すごく酔ってらっしゃいましたけど」


    「……でしょうね」


    「車の鍵を送りたいって」


    「はい」


    「ご自宅に」


    「はい」


    「ご自分宛てに」


    「…………はい」


    店員は、少し困ったように笑った。


    「最初は、箱なんて何でもいいから送ってくれって」


    「……はい」


    「バックヤードにあるやつでいいから、頼むよー、って」


    「…………」


    「『俺、事故っちゃうよー』って、すごく必死で」


    「…………」


    「飲酒運転は絶対しちゃいけないから、鍵を持ってたら乗っちゃうかもしれない、だから送るんだって」


    「……なるほど」


    なるほど、じゃない。


    そんなことをするくらいなら、最初から車に乗らなければいい。


    いや、だから鍵を送ったのか?


    「それで、空いてた段ボールを使って発送したんです」


    「……すみませんでした」


    「いえいえ。事故を起こさないのが一番ですから」


    正論だった。


    「ちなみに、車はどこに置いたか分かります?」


    「いえ。お客さん、歩いて来られたので」


    そうか。


    歩いて来たのか。


    つまり、少なくともこのコンビニには車で来ていない。


    「ありがとうございました……」


    店を出る。


    鍵の謎は、ひとまず解けた。


    だが、車の行方はさっぱり分からない。


    「おう、あんちゃん!」


    声をかけられた。


    振り返ると、見知らぬおっちゃんが立っていた。


    「日曜はどうもな!」


    「……どうも?」


    「いやあ、豪快だったなぁ!」


    嫌な予感がする。


    「すみません。俺、日曜に何かしました?」


    「覚えてねぇのか?」


    「全然」


    おっちゃんは大笑いした。


    「そりゃそうか! あんだけ飲んでりゃな!」


    笑い事ではない。


    「そういや、あんちゃんが買ったもん、まだ店に預かってもらってんじゃねぇか?」


    「買ったもの?」


    「そうそう。取りに来るまで置いといてくれって」


    「……何を?」


    「犬の餌」


    「……犬?」


    「そりゃもう、すげぇ量よ」


    「…………」


    俺は犬を飼っていない。


    「……どこの店ですか?」


    「ホームセンターだよ」


    「どこのホームセンター?」


    おっちゃんは、呆れたように俺を見た。


    「しょうがねぇな、オメェ。行くぞ」


    「……え?」


    「案内してやるよ」


    どうやら今日は休みで、たまたまコンビニに来ていたらしい。


    そのおっちゃんに連れられ、俺はホームセンターへ向かった。




    ホームセンターに入ると、おっちゃんは勝手知ったる様子で奥へ進んでいった。


    店員が顔を上げる。


    「あ、キヨさん。どうしたんですか?」


    「日曜のあんちゃん連れてきたぞ」


    「ああ!」


    店員がこちらを見るなり苦笑いした。


    「日曜日のお客様ですね」


    まただ。


    俺は、いったい何人に顔を覚えられているんだ。


    「お預かりしている商品、こちらです」


    案内された先には、段ボール箱が積まれていた。


    犬用のフード。


    それも大型犬向けらしい大袋が、何箱も。


    「……これ全部?」


    「はい。お支払いは済んでおります」


    「いくらですか?」


    金額を聞いて、思わず天井を見た。


    何をしているんだ、日曜日の俺。


    「オメェ、ずいぶん気前よかったぞ」


    キヨさんが笑う。


    「犬が喜ぶなら安いもんだってな」


    「……そうですか」


    俺は犬を飼っていない。


    なのに、犬の餌を大量に買っている。


    一体、誰の犬なんだ。


    そこへ電話が鳴った。


    知らない番号だった。


    「もしもし?」


    『あっ、やっと出たぁ♡』


    妙に甘ったるい女性の声。


    『この前の約束、覚えてるぅ?』


    「……約束?」


    『ラブちゃんの好きなアレ、買ってくれるって言ったじゃん♡』


    ラブちゃん。


    なんだその名前は。


    スナックか何かの女の子だろうか。


    日曜日の俺は、ずいぶん羽振りがよかったらしい。


    「ええと、ラブちゃん、でしたっけ」


    『そうそう♡』


    「何を買う約束でした?」


    『ごはんだよぉ♡』


    ごはん。


    目の前には犬の餌。


    「……ひょっとして、ラブちゃんって」


    『うちの子だよぉ♡』


    「犬ですか?」


    『そうだよぉ♡』


    「…………」


    どうやら俺は、犬に貢いだらしい。


    女性はドッグカフェの店主だった。


    日曜日、店で大型犬のラブちゃんと遊び、フードの値段を聞いて、酔った勢いで「俺が買ってやる」と言い出したのだという。


    買った。


    本当に買った。


    しかも大量に。


    「……分かりました。届けます」


    電話を切った。


    ホームセンターには、大型商品の運搬用に軽トラックを貸し出すサービスがあるらしい。


    店員に頼み、手続きを始めようとした。


    そのときだった。


    「おい、あんちゃん」


    キヨさんが顔を近づけてきた。


    「オメェ、大丈夫か?」


    「……何がです?」


    「酒くせぇぞ」


    「…………」


    そう言われて、急に不安になった。


    確かに、まだ頭が重い。


    昨日からどれだけ飲んだのかも分からない。


    「……運転、やめといた方がいいですかね」


    「当たりめぇだろ」


    キヨさんは即答した。


    「……ですよね」


    「しょうがねぇなぁ」


    キヨさんは店員に向き直った。


    「おい、キー貸せ。俺が運転するわ。書類の記入頼むな」


    「キヨさん、勘弁してくださいよ〜」


    「いいから、ちゃんと手続きしとけ」


    「いや、ちゃんとやりますけど……」


    どうやらキヨさんは、この店の古株らしい。


    店員はぶつぶつ言いながら、必要な手続きを進めてくれた。


    俺はその横で、ただ頭を下げていた。




    軽トラックにドッグフードを積み込み、キヨさんの運転でドッグカフェへ向かった。


    「しかしオメェ、豪快だねぇ」


    「……何がです?」


    「ねぇちゃんにいいとこ見せようってんだろ?」


    「いや、別に……」


    「犬の餌をこんだけ買ってやるなんて、なかなかできねぇぞ」


    「……はあ」


    何か、ものすごい誤解をされている気がする。


    だが、運転してもらっている手前、強くも言えない。


    ドッグカフェに着くと、入口には「CLOSED」の札が下がっていた。


    今日は定休日らしい。


    だが、店内には明かりがついている。


    犬の世話をしていた店主が、こちらに気づいて手を振った。


    「あっ、お兄さぁん♡」


    扉を開けてもらい、フードを運び込む。


    すると、奥からラブちゃんが猛烈な勢いで突進してきた。


    大きい。


    想像していたより、ずっと大きい。


    「うわっ!」


    押し倒された。


    顔を舐められる。


    逃げようにも、重い。


    「あはは♡ ラブちゃん、日曜のお兄さん覚えてるんだねぇ♡」


    そうですか。


    俺は覚えていません。


    どうにか立ち上がると、キヨさんが腹を抱えて笑っていた。


    「なんでぇ、オメェ。ねぇちゃんじゃなくてワンちゃんに貢いだんか!」


    「……いや、それは」


    「将を射んとすれば、まずワンを射よ、ってか! がはは!」


    「…………」


    「若いってのはいいねぇ!」


    ずいぶん調子のいいおっちゃんだ。


    だが、運転してもらっている手前、何も言えない。


    荷物を降ろし終えると、キヨさんは軽トラックに乗り込んだ。


    「んじゃ、俺ぁ帰るわ」


    「あ、ありがとうございました」


    「おう。じゃあな、うまくやれよ!」


    最後までニヤニヤしながら帰っていった。


    何をうまくやれというのか。


    いや、だいたい分かる。


    「……はぁ」


    そのとき、シャツのポケットから何かが落ちた。


    安っぽいライターだった。


    拾い上げる。


    『スナックぶるぅむ』


    店名が印刷されている。


    「……スナック?」


    「あっ、そこ、土曜日に行ってたお店だよぉ♡」


    「え?」


    「私もいたんだぁ。すっごく酔ってたよねぇ♡」


    なるほど。


    そこでこの人と知り合ったのか。


    「その店、今から行けば分かります?」


    「まだ開いてないと思うけどぉ。ママに電話してみよっか♡」


    女性はスマホを取り出した。


    しばらくして、こちらに差し出してくる。


    「はい、ママ♡」


    「もしもし。土曜日にお店に行った者なんですが……」


    『アンタぁ! いまどこおるんやぁ!!』


    野太い声が響いた。


    思わずスマホを耳から離す。


    『勝手にどっか行くんやないで! 今から行くから、そこにおり!』


    電話が切れた。


    「……ママ?」


    「うん♡ ぶるぅむのママ♡」


    なるほど。


    土曜日の俺は、なかなか幅広い交友関係を築いたようだ。


    ほどなくして現れたママは、開口一番こう言った。


    「アンタ、これ大事なもんちゃうんか!」


    差し出されたのは、小さな箱。


    開ける。


    指輪だった。


    「…………」


    今度は何だ。


    俺は誰かにプロポーズでもしたのか?


    「アンタなぁ!」


    ママは腰に手を当てた。


    「しんどいんは分かるけど、ヤケになったらあかんで!」


    「……はい?」


    「そら、つらいこともあるわ。でもな、笑ってごまかしたって、何も解決せぇへんのや!」


    「……ええと」


    何の話だろう。


    事情を聞いてみた。


    土曜日の夜。


    俺はスナックで、相当ご機嫌に飲んでいたらしい。


    そこで脚を組もうとしたとき、ズボンの横ポケットに入っていた何かが引っかかった。


    「痛ってぇ!」


    取り出したのが、この指輪の箱だった。


    周りにいた女性たちが、興味津々で覗き込んだ。


    「指輪じゃなーい!」


    「うわぁ、きれーい!」


    「どうしたの、これ?」


    すると俺は、


    「んー、どうしたんだっけな? 忘れた! がはは!」


    と笑ったらしい。


    「……俺、そんなこと言ったんですか」


    「言うたわ!」


    「……すみません」


    「ほんでアンタ、『脚組むと痛ぇから、これ預かっといてくれ』言うて、ウチに置いてったんや」


    「……なるほど」


    それでママは、俺が失恋したか何かで、傷ついた気持ちをごまかしているのだと思ったらしい。


    「そんなん、痛いんは脚やのうて心やろ!」


    「…………」


    いや、たぶん本当に脚だったと思う。


    だが、言える雰囲気ではなかった。


    「それで、なんで俺に返そうと?」


    「アンタ、またこの子に会う約束しとったやろ」


    ママはドッグカフェの店主を指さした。


    「せやから、また会える思うて預かっとったんや!」


    「……ありがとうございます」


    「ほんま、心配したんやで」


    「……すみません」


    ママはまだ何か言いたそうだったが、最後にはため息をついた。


    「まあ、元気そうでよかったわ」


    ありがたい。


    ありがたいが。


    俺は一体、どんな失恋男だと思われていたのだろう。




    箱には宝石店の名前があった。


    事情を確かめるため、歩いてその店を訪ねた。


    「すみません。この指輪について、何か分かりますか?」


    事情を説明すると、店員は指輪の刻印を確かめ、奥から別の店員を呼んできた。


    「あっ」


    出てきた店員は、俺を見るなり言った。


    「土曜日、近くにいらっしゃった方ですね」


    「……俺が?」


    どうやら、土曜日にこの店の近くで騒ぎがあったらしい。


    ある男が、女性に騙されていたことを知って激怒した。


    いわゆる美人局だったという。


    男は持っていた指輪の箱を、腹立ちまぎれに放り投げた。


    そこへ通りかかったのが、俺。


    酔っ払った俺は、その箱を拾い上げた。


    「おい、アンタ。落としたぞ」


    すると男は振り返り、吐き捨てるように言った。


    「そんなもんいらねえ! お前にやる!」


    そして、そのまま立ち去った。


    「……なんだぁ?」


    酔っ払った俺は、深く考えることもなく、箱をカーゴパンツの横ポケットに突っ込んだらしい。


    「……俺、関係ないんですか?」


    「ええ。たまたま通りかかられただけで」


    よかった。


    心底よかった。


    誰かに結婚を申し込んだわけでも、誰かの結婚を壊したわけでもない。


    「ちなみに、この指輪、こちらで引き取っていただけたりします?」


    店員は申し訳なさそうに首を振った。


    「すでにお支払いの済んだ商品ですので、当店ではお預かりできないんです」


    「……ですよね」


    だからといって、こんな高そうなものを持って帰るわけにもいかない。


    宝石店を出たあと、近くの交番へ向かった。


    事情を説明し、指輪について相談した。


    男から「やる」と言われたという店員の話も伝えた。


    警察官は話を聞き、必要な確認をしたうえで、指輪を預かってくれた。


    ようやく、指輪の件にも区切りがついた。


    「……あの」


    「はい?」


    「ついでに、もう一つ相談してもいいですか?」


    車のことだった。


    駐車場から車が消えている。


    鍵は自分宛てに郵送されてきた。


    自分には、その記憶がない。


    ここまで説明しようとして、やめた。


    待てよ。


    今日一日、俺は何をしてきた?


    自分で鍵を郵送し。


    犬の餌を大量に買い。


    知らない指輪を拾い。


    スナックのママに失恋を心配されていた。


    こんな状態で車がないと言っても、そもそも俺自身が何かした可能性が高い。


    「……いや、すみません。もう少し自分で確認してみます」


    「そうですか?」


    「はい」


    車の盗難を疑うのは、それからでも遅くない。


    たぶん。




    腹が減った。


    もう昼を大きく回っている。


    朝から何も食べていない。


    通りかかった町中華に入った。


    「ラーメンとチャーハンください」


    「はいよ!」


    厨房のおっちゃんが顔を上げる。


    「おっ、あんちゃん!」


    またか。


    「今日も同じもんかい!」


    「……俺、来たことあります?」


    「何言ってんだ。土曜も来たじゃねぇか」


    「土曜日?」


    「昼も夜もな!」


    昼も夜も。


    「これサービスな。野菜も食わなきゃ駄目だぞ」


    小皿が置かれた。


    「……ありがとうございます」


    「しかし、あんちゃんも気前がいいねぇ」


    「……何がです?」


    「隣の倅が言ってたぞ。昔の同級生と五人くらいで集まって飲んでたら、知らねぇあんちゃんと意気投合して、全部奢ってもらったって」


    「…………」


    「そりゃ、あんちゃんのことだろ?」


    「……たぶん」


    覚えていない。


    「で、そのあとウチにも来たんだよ。夜中に」


    「……俺が?」


    「おう。ラーメン食ってったぞ。えらく上機嫌でな」


    「…………」


    「昼間はあんなに落ち込んでたのになぁ」


    「……昼間?」


    「そうだよ。昼にも来ただろ」


    「そのときのこと、何か覚えてない?」


    「覚えてるよ」


    おっちゃんは腕を組んだ。


    「あんちゃん、すっごい凹んでたぞ」


    「……俺が?」


    「おう。飯食いながら、ため息ばっかりついてな」


    「…………」


    「ところが、テレビ見てたら急に元気になってよ」


    「テレビ?」


    「そうそう。何か見て、急に大喜びしてたな」


    「……何を?」


    「さあなぁ。こっちは仕事してたからよ」


    テレビ。


    何だろう。


    何かが引っかかった。


    そういえば、俺はいつから記憶がないんだ?


    日曜日は覚えていない。


    土曜日の夜も覚えていない。


    土曜日の昼も覚えていない。


    土曜日の朝は?


    「…………」


    金曜日の夜は覚えている。


    仕事を終えて帰宅した。


    晩飯を食べて、テレビを見て、寝た。


    そこまでは確かだ。


    では、土曜日は?


    「……俺は誰だ?」


    「おい、あんちゃん、大丈夫か?」


    「いや、名前は覚えてる」


    さすがにそこまでは忘れていない。


    土曜日の朝。


    三連休の初日。


    せっかくの休みだからと、朝から一杯引っ掛けた。


    「……あっ」


    そうだ。


    朝から飲んでいた。


    いや、待てよ。


    家飲みだったんだよ。


    「…………」


    だったら、なぜ昼にはここにいた?


    俺は、何をしに家を出た?


    ラーメンをすすりながら考える。


    土曜日。


    テレビ。


    落ち込んでいた。


    突然、喜び出した。


    そして、なぜか金回りがよかった。


    「……金?」


    スマホを取り出し、銀行アプリを開いた。


    残高を確認する。


    「……あれ?」


    思っていたより多い。


    履歴を見る。


    土曜日、現金の入金。


    その後、現金の出金。


    どちらもATMでの取引だった。


    「…………」


    入金したあとに、また出金している。


    何をやっているんだ、俺。


    いや、待て。


    最初の現金は、どこから来た?


    俺は何かを売ったのか?


    誰かに金を借りたのか?


    まさか。


    「…………」


    考えても分からない。


    とりあえず、家に帰ろう。




    一度、家に帰ることにした。


    朝は車がないことに気を取られ、部屋をまともに見ていなかった。


    改めて見渡す。


    ダカラ焼酎のボトル。


    ギンノミヤ。


    飲みかけのグラス。


    空き缶。


    「……ひでぇな」


    そして、テーブルの端に競馬新聞があった。


    『週刊ターフ』


    「あっ」


    そうだ。


    土曜日、競馬をやっていた。


    新聞を広げる。


    何頭かの馬に、赤い丸がついている。


    「……これ、俺の予想か?」


    スマホで土曜日のレース結果を検索した。


    丸をつけた馬を確認する。


    「んーーーー?」


    当たってる?


    いや、待て。


    だったら、なぜ町中華であんなに落ち込んでいた?


    レースの詳細を開く。


    そこに、見覚えのある言葉があった。


    着順変更。


    「…………あ」


    思わず結果を見直す。


    最初の入線順では外れ。


    しかし、審議の結果、着順が変わっている。


    つまり。


    「……当たってるじゃねぇか」


    そういうことか。


    断片的な記憶が、少しずつつながってきた。


    土曜日の朝。


    休みだからと酒を飲みながら競馬新聞を広げ、予想を立てた。


    勢いでWINSへ行き、結構な額の馬券を買った。


    本当はレースまでそこで待つつもりだった。


    だが、腹が減った。


    酒も入っていて、頭がろくに回っていない。


    近くの町中華に入った。


    飯を食っているうちにレースの時間になった。


    スマホで見ればいいか、と思っていたら、ちょうど店のテレビで中継していた。


    見た。


    外れた。


    かなり突っ込んでいた。


    そりゃ落ち込む。


    ところが、そのまま飯を食っていると、審議の結果、着順が変更された。


    店のテレビでそれを知った俺は、大喜びした。


    紙の馬券だから、払戻しは現金。


    その一部をATMで口座に入金した。


    残りは手元に置いて、飲み歩いた。


    どこかの飲み屋で、同窓会をしていた五人ほどの若者と意気投合した。


    調子に乗って、全員に奢った。


    そのうち現金が足りなくなった。


    それで、またATMから金を下ろした。


    そして、夜中にラーメンを食った。


    そのあと、スナックにも行った。


    「……なるほどなぁ」


    銀行の謎の入金も、昼の落ち込みも、夜の羽振りのよさも、これで説明がつく。


    もっとも、実際にどの馬券をいくら買ったかまでは分からない。


    それでも、土曜日の自分が何をしていたのか、おおよその見当はついた。


    競馬で当たった。


    調子に乗った。


    飲み歩いた。


    知らない連中に奢った。


    指輪まで拾った。


    スナックに行った。


    日曜日には、犬に餌を買った。


    「…………」


    で。


    俺の車はどこへ行った?




    スマホをもう一度確認した。


    銀行アプリ。


    写真。


    着信履歴。


    土曜日の履歴をさかのぼる。


    「……ん?」


    見覚えのある番号があった。


    車のディーラー。


    いつも世話になっている担当営業の番号だった。


    「なんで車屋に電話してんだ?」


    ふと、思い当たる。


    車の鍵は郵送されてきた。


    だが、家にあるはずのスペアキーも見当たらない。


    「……あれ?」


    いつもの引き出しを開ける。


    ない。


    別の棚を探す。


    ない。


    「……まさか」


    担当営業の携帯に電話した。


    数回の呼び出しのあと、聞き慣れた声がした。


    『ああ、どうも!』


    「すみません、お休みのところ」


    『いえいえ。どうされました?』


    「あの……ちょっと変なこと聞いていいですか?」


    『はい?』


    「俺の車って、そちらにあります?」


    『……はい?』


    「いや、ちょっと記憶が曖昧で」


    『ああ! 昨日お預かりしたお車ですよね。車検の』


    「…………」


    『スペアキーもいただいてますよ』


    「……昨日?」


    『はい。月曜日の午前中にご自宅へ伺いました』


    「…………」


    『土曜日にお電話いただいたじゃないですか』


    「……俺が?」


    『はい。車検のご案内をお送りしていた件で』


    「…………」


    そういえば。


    車検の案内ハガキが来ていた。


    読んだ覚えもある。


    ただ、金がなかった。


    それで、しばらく放っておいたんだった。


    『お電話で、急にお金の都合がついたっておっしゃってましたよ』


    「…………」


    競馬だ。


    あの金だ。


    『それで、日曜の昼以降なら引き取りに行けますってお伝えしたら、月曜の午前中にしてくれって』


    「……そうでしたか」


    『昨日も、だいぶお疲れのご様子でしたけど』


    「……でしょうね」


    『玄関先でスペアキーと、お金をお預かりしました』


    「……金?」


    『ええ。「これで足りなかったらまた言って」って』


    「…………」


    そんなことまでしていたのか。


    『車検の費用としてお預かりした金額で足りましたので、お釣りはお引き取りの際にお返ししますね』


    「……あ、はい」


    『それで、昨日から何度かお電話したんですけど』


    「え?」


    『メッセージも送ってありますよ』


    スマホを確認する。


    本当だ。


    着信履歴。


    未読のメッセージ。


    車を預かったこと。


    車検の予定。


    預かった金額の確認。


    全部、ちゃんと連絡が来ていた。


    「…………」


    俺が見ていなかっただけだった。


    今朝も通知がたまっていた。


    面倒くさくて、後回しにした。


    そのあともスマホは何度も使ったのに、着信やメッセージは確認していなかった。


    「…………」


    『大丈夫ですか?』


    「……ええ、まあ」


    『いやあ、また飲みすぎたのかなと思ってましたけど』


    「…………」


    また。


    また、なのか。


    この人の中で、俺はどういう客になっているんだ。


    いや、今回は否定できない。


    「……すみません。ありがとうございます」


    『いえいえ。お車はこちらでお預かりしていますから、ご安心ください』


    車は盗まれていない。


    どこかに置き忘れたわけでもない。


    俺が自分で車検を頼み、月曜日に引き取ってもらっていた。


    費用まで渡して。


    「……なるほど」


    全部つながった。


    鍵を郵送したのは、飲酒運転をしないため。


    車が消えたのは、車検に出したため。


    そして、そのどちらも自分の判断だった。


    「……ありがとうございました」


    『いえいえ』


    電話を切ろうとして、思い出した。


    「あ、ちなみに」


    『はい?』


    「今日、車を取りに行けます?」


    『ああ、すみません。今日は店が定休日なんですよ』


    「…………」


    『明日でしたら大丈夫ですよ』


    「……明日、仕事なんですよね」


    『ああ……』


    「…………」


    『…………』


    「……また連絡します」


    電話を切った。


    しばらく、スマホを見つめていた。


    四連休。


    土曜日は朝から飲んで、競馬で当たった。


    日曜日も、酔っ払ってあちこち歩き回っていたらしい。


    月曜日は、ほとんど寝ていた。


    寝ぼけながら車検の費用とスペアキーまで渡していたらしい。


    そして火曜日。


    自分の車を探して、一日中あちこちを歩き回った。


    ようやく車が見つかった。


    だが、今日は引き取れない。


    明日から仕事だ。


    「…………」


    床には、封筒やハガキの山。


    その脇には、開封した段ボール箱。


    中には、車の鍵。


    鍵はある。


    車もある。


    ただし、ここにはない。


    「……何やってんだ、俺」


    腹が減った。


    そういえば、昼にラーメンとチャーハンを食べた。


    それでも、何だか腹が減っていた。


    冷蔵庫を開ける。


    何もない。


    仕方がない。


    買い物に行こう。


    車はない。


    「……歩くか」


    玄関で靴を履く。


    明日から仕事。


    せっかく取った有給休暇も、今日で終わりだ。


    「…………」


    今度の休みは、家でゆっくりしよう。


    酒でも飲みながら。




    Mr.Qさんの、【お題】未開封の段ボール|拝啓文芸部の企画へ参加させていただきました。

    楽しく書かせていただきました。感謝。


    ほかにも、こんなものを書いています。

    妄想SS

    ちょっと変な世界の、ちょっと変なお話。

    のら話

    思いついたことを、あれこれと。


    #創作 #短編小説 #ショートショート #ミステリー #コメディ #拝啓文芸部   #未開封の段ボール #のらぼうず

     
     
    田舎の一般通過僧侶 お釈迦様が大体言うべきこと言ってるんで、僕の記事は蛇足です。 仏教を中心に、脳科学、心理学、哲学、歴史、思想、社会、経済、たまにアニメまで好き勝手に。 頭の中でグルグルやってんじゃないの。やろうぜ、生きようぜ。 ……って、note自体がグルグルじゃん。

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