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認知心理学を研究しながらnoteを書く大学生

    ◥◣◥◣このインタビューにはフィクションが含まれています◥◣◥◣

    すすすすすみません、このコンプライアンスの時代に校閲なき発信をしている無謀無名人インタビューですがこれは(これは!)さすがに見逃せない! これは(わあ)スクラップアンドスクラップでしかありません! 多数決で決めたら(らぁ!)多数派が勝つに決まってるんです!

    ◥◣◥◣◥◣この記事は四割虚構です◥◣◥◣◥◣

    ということで、改革なんかいくらヤッタッテムダダ!!!
    読むかどうかはご自身でご判断いただきたい。あたしもビビります!
    というわけで、モキュメンタリーをご存知ですか?
    モック(=模型)とドキュメンタリーをくっつけた言葉で、ドキュメンタリー的手法で作られたフィクションという、見立てでございますみなさま。
    私ね、「放送禁止」が好きだった。私の妻はね、「マトリックス」が好きだった。
    わかりますかね、つまり無名人インタビューの「名」というのは知名度だけでなく、その人の名前や国籍や性別、そういったシステムにつけられたものものって意味なんです。
    わかりますかねみなさん、その「名」を取り除く作業、言葉の向こうの世界に行くのが無名人インタビューなのに、そこにウソを持ちこんでくるなんて。ウソッパチ取り除こう空間にウソ散乱させるとどうなるのかな、なんていう今日このごろの無名人インタビューですね。
    つまり、でもウソですよって言われたのもウソかもしれないじゃない? はぁめんどうめんどい。
    ということで今日の無名人インタビューもお楽しみいただければ勿怪の幸い!

    ◥◣◥◣◥◣主催:qbc◥◣◥◣◥◣

    今回ご参加いただいたのは 長押し さんです!

    現在:noteは自分のポートフォリオ

    ドット:今、何をしている人ですか?

    長押し:大学で心理学を専攻していて、認知心理学の分野の研究をしている最中です。noteを2年ほど前から書き続けていて、先日700日目を超えました。内容は、まあそんなに高尚なことは書いていないので、雑記だったり何かしら書いている次第です。

    ドット:他にも趣味とかあったりするんですか?

    長押し:最近は読書だったり映画だったり。最近は…そうですね。
    8月の1日からちょうど都合がいいのでジムに通い始めました。
    今日も大学の方でジムに行ってきて、ギリギリに帰れるかなと思ってたところでインタビューに間に合ったんでよかったです。

    ドット:特に認知心理学とnoteの方に力を入れてるので、最初に話していただいたんですかね?

    長押し:そうですね。あまりこう、これをしていますっていうことの深度が浅いと思っているので、メタ認知的ですけれども、うん。

    ドット:認知心理学の話とnoteのお話、どちらの方が自分の中心だなと思っていますか?

    長押し:いや、もうどちらも同じような分量なので。
    なので、もう何かしら投げてもらえれば打ち返せるようにしますので。
    何か聞きたいことがあれば何なりと聞いていただければ、幸いです。

    ドット:では、そうですね、noteを始めたきっかけはあるんですか?

    長押し:そうですね。元々note始めて700日目とかなので、ちょうどコロナ禍が始まった20年の8月の20日とかだったと思うんですけど、あの頃って本当に何もできなかった時間が多いのと、何もさせてもらえなかった環境になっていて、このままじゃまずいぞっていうのがあって。
    何かしら自分のポートフォリオみたいなものがあればいいかなと思って始めたのがきっかけなんですけど。
    大学で勉強していることをまとめたり、資格の勉強だったり。そういったものの板書を自分でまとめて有料noteにすれば、ちょっと小銭稼げるんじゃないかと思ったのがきっかけですかね。

    ドット:(笑)なるほど。自分のポートフォリオという表現が出てきたと思うんですけど、学んだことであったりとか、日々の軌跡を書く、みたいな感じですか。

    長押し:そうですね。例えば就活のいわゆるガクチカが、コロナだとボランティアもできなかったりするし、計画だってできないとなってくると。
    自分のことを見定められるときに、ただただ書類1枚で自分自身を見れるような生活を送ってきてないと自分は思っていたので、何かしらあなたの裏付けになりますかっていう物を聞かれる機会があったりするときに、こういうことしてましたっていうリンクを貼るとか。
    それだけで、少なくとも700個は私について深掘れる要素が先方にできるのであれば、それに越したことはないかなといった感じですね。

    ドット:結構就活を意識してたんですか?

    長押し:当初はそんな感じでしたね。うん。

    ドット:「当初は」ということは、今は結構自分の中でモチベーションになるものがあったりとか、何か変わってきてるんですか?

    長押し:もう今となっては、やめどきがわからなくなってしまって。
    ちょうどそのnoteのシステムがなかなか憎いもので、結構頻繁に褒めてくれるんですよね。例えば100日だったり、200日だったり。日刻んで2日目、3日目。
    その辺を拾ってくれるので、やめるにやめられないというか。ここまで続いたんだったら自分の更新が途切れる日まではやらないとなぁみたいな義務感と脅迫にかられているようなことで。

    ドット:元々文章を書くのが好きだったとか、得意だったとかっていうわけではないんですか?

    長押し:得意というほどのことではないですけど、元々文章は好きでしたし、読書も好きでしたし、その流れで書いていくと…といった感じですね。

    過去:本の虫、諦めの常態化、そして、”一度明確な敗北を知りたい”

    ドット:過去の質問に移らせていただきたいんですけれども。子供の頃、どんな子でしたか?

    長押し:本が好きでしたね。今もですけど。
    そう、小学校を受験したんですけど、そのときの合格したきっかけを、何か当時の面接官の先生から聞く機会があって。舐めたことに「図書館の本を全部読みたい」って言ってたらしいんですね。

    ドット:(笑)そうなんですね。

    長押し:結局、7割ぐらいで終わっちゃったんですけど。それくらい本が好きでしたし。
    逆に、20分の中休み、あったじゃないですか。あそこでドッジボールをしに行く人の気が知れなかったんですよね。

    ドット:小学校受験したきっかけはあるんですか?

    長押し:近くにその私立小ができたんですね。ちょうど私が入学をするぐらいの時期に。
    そこが今も通っている大学の附属小なんですけど、子供ながらにその説明をした両親もなかなかロックだと思うんですけど、今から公立の小学校に行って、大学受験まで受験勉強をし続けるか、それとも今この幼稚園の時代を使い倒して小学校に受験をして、その分を前借りするか、どっちがいいか聞かれたんですね。
    流れるようにその受験を選んだんですけど。
    例えば、よくあるじゃないですか。一般受験がなんだ、AOだなんだ、推薦だっていうような、大学受験のヒエラルキー的なやつ。それで見定められるかのようなものが、すごく苦手で。

    ドット:うん。

    長押し:冷静に考えてみると、小中高の学費と、一般的な進学塾だったりに通うコストを考えると、小学校から内部の方がコスパが良かったりするんですよね。
    トントンか、ちょっと内部の方が得くらいに。それを考えながら見ていると、各駅停車のチケットを買う人と、入り口が狭いけど特急を並ぶ人の違いみたいな感じでおもしろい。

    ドット:ご自分としては、小学校受験したこととか内部進学したことに対して、どうお考えですか?

    長押し:むしろ、あのときに受験していなかったら、今本当にどうなってたかわからないので。むしろ助けられましたね、過去の自分に。
    多分、受験っていう要所要所の関所を越えずにいた最中の、例えば読書によって得られたことが、大学に入ってやっと結びついた感があって。いわゆる教科書的な勉強が苦手でして。
    例えば数学であったら、定義が納得できなかったら応用が解けなくなっちゃうんですね。今だったら心理学統計っていうのがあるんですけど。
    心理学って結構文系寄りと思いきや、すごい統計が多かったり、理数系が多い分野で。わりかし悲鳴を上げながらいるんですけど。そういうのやってくると、なぜそうなるかっていうのを考えてしまって。
    そういうことをしていくと、自分が捨ててきたものが、浮き彫りになると同時に、過去の積み上げていたものが上手いこと繋がるような感覚を覚えられるのがいいですね、大学って。

    ドット:受験しない分、読書して得たものが大学で結びついたみたいなことおっしゃっていましたが、どういうところで特にそれを感じますか?

    長押し:小学校の頃の蔵書、図書館の本全部読むって言った話に戻るんですけど。
    そこで、小学校程度のものですけど、専門書があったり、野口英世みたいなA級の偉人ではない、ちょっとした料理人の伝記だとか、そこまで有名ではないけれども基礎研究を頑張った学者の伝記とか。
    あと、釣りだとか、キャンプだとか、スポーツだとか、そういった専門書を一通り読んでたんですね。
    そのおかげで、人と話す間口が広くなったと。そうなって、あのとき読んでて良かったなというのを感じますね。

    ドット:どう広がったと思いますか?

    長押し:例えば、私釣りをしたことがないんですけど。なんなら魚も生のあのピチピチの、触りたくもないし。
    でも何も釣りって知らなければ、釣りが趣味の人と釣りについて喋れないじゃないですか。
    釣りって竿に餌をつけて釣るあれですか、みたいな。。0から0.3ぐらいの程度の質問しかできないけども、例えば、今だったら、今8月やったら「アジとかですか?」みたいなことを聞けるようなことを感じると、人の会話の間口がすごい広いなっていうのを感じるっていう。
    存在しない過去の記録を基に知ったようなことが喋れるので、何かこう、器用に修正と誤魔化しがきくようなコミュニケーションができているような気がしますね。

    ドット:中学時代、中学校、高校等のお話聞きたいなと思うんですけど、どんな感じでしたか?

    長押し:中学高校…そうですね。まず中学は勉強できない話に戻るんですけど、中学1・2年でしたかね。内部っていう特性もあって、一応なんか特進クラスにいたんですね。他大学医学部受験を専攻するような。そこで見事にドロップアウトしまして。
    なんでしょう、二次関数わかんないみたいなことを中1でしながら、落ちに落ちていって、勉強をする、というよりかは、さっきのその下地になるような、少なくとも点数としては使えないようなものばかり求めてしまうようになってしまって。その結果、中3で英語系に特化したクラスに落ちたというとあれですけど、移動したんですね。
    そこでいろいろ英語を使ってやっていたり。流れで高1も英語科で。別に英語そこまで好きちゃうなって思いながら、こう、海外の、なんでしょう、交換留学的なものを積み重ねていったり、模擬国連に行ったり。そこから普通科に戻って、高2、高3を過ごしつつ。
    それこそ学祭の運営だったり。自分の、ちょっと起業しようかなと思っていろいろ勉強したり。
    それこそ本当に受験に縛られない自由な生活をさせてもらってました。

    ドット:そんなに英語が好きじゃないって気づいたきっかけはあったんですか?

    長押し:逃避ではあるんですけど。言い訳というか理由付けをするのであれば、ちょっと映画が好きなので。
    小学校から小・中学校ぐらいですかね、映画を見まくる生活が続いたので。洋画が好きなんですね。そこで英語を話せないのに聞けるとか、書けないのに話せるみたいに、すごい、ちぐはぐな英語を使うような人になってしまって。
    今でも文法が使えないけど、なんとなく喋れるなんとなく聞けるぐらいの感じの、すごい歪な英語の運用をしてしまっていて。
    結局自分が好きなのは映画、英語を使った表現であって、英語そのものではないよなっていうことに、ふと感じてしまったんですね。
    なんなら、感動する映画って別に言葉を使わなくてもできるし。英語を使えなくても別に字幕を見ればいいじゃない。
    てかここ日本やしって思いながら。
    そうなったのが、英語を使うことを好きであったとしても、英語そのものに対して好きではなくてもいいんじゃないかと思ったのがきっかけですかね。

    ドット:英語クラスに入られたときは、きっかけは特になかったんですか?

    長押し:もうもはや英語しか残ってなかったっていうのが。
    小学校の頃から英語をやっていたので。何か英検2級までを小学校で取り終わって。あとはもう、なんかノリで英語をし続けていたのが続いたので。もう自分に残ってるのは英語しかないよっていう。
    諦めと逃げですかね。良く言えば、置かれた場所で咲きなさいみたいな話ですけど。

    ドット:学祭の運営であったり、起業であったりは、その道でよかったなとか、ありましたか?

    長押し:今となっては「あのとき、ああしていれば」っていうものは、ありますけど。
    例えばそれこそ、なんでしょう、屋上で昼ご飯を食べるだとか。

    なんでしょうね、なんかこう、強大な権力を持つ生徒会に入っているとか。大したことなかったんですけど。フィクションをフィクションとして楽しむような、度量と意欲が自分になかったことが悔やまれますね。

    ドット:屋上で昼ご飯食べるとか生徒会入るっていうのは、フィクションなんですか?

    長押し:ああ、物の例えです。例えばなんでしょうね。デフォルメされてる高校生活ってそんな感じじゃないですか。別にそれがしたかったわけじゃないんですけど。
    ただ本当に高2から、それらしい高校は過ごしたような気がしますね。
    とにかく自由な校風の高校だったので。
    校則もあってないようなもんでしたし。なんでしたっけ、モラルさえ守ればある程度のことを許されたし。
    例えば本当に友達は、デカい寿司桶と炊飯器を持ってきて、昼休みにひつまぶしパーティー開いてめっちゃ怒られたり。
    ガス管持ち込んでタコパして、めちゃめちゃ怒られたりしていたし。
    校則に書かれていないことをある程度しても大丈夫、みたいな風潮だったので。

    ドット:個性的な人、多かったんですか?

    長押し:多かったですね。

    ドット:幼少期、小学校、中学校、高校、それぞれの時代に、点数でもいいですし、キャッチフレーズでも良いんですけど、どの時代がどうだったなとか、楽しかったなとか何かありますか。

    長押し:小学校は、規模が小さい大学みたいな環境でしたね。
    したいことができて、それを意欲的っていうところで、ブレーキをかけられない生活を過ごしていたので。
    中学は…そうですね。挫折というか、徒労感を感じることが多かった時代でしたね。
    高校は、そうですね、高校は高校で自由でしたけど、その、寛容ある自由ではなかったような気がしてます。
    高校とかってクラスが狭いじゃないですか。
    30人、40人程度の部屋の中で、誰かしらに関心を向けなければいけないし、向けられなければいけなかった環境で、ポジティブな意味で無関心であることを感じることが少なかったなっていうのが、意図的なそれですね。
    その、なんでしょう、私、好きじゃないですけど、陽キャ・陰キャみたいな、ゾーニングだったり、ラベリングか、ラベリングだったり、そういったものが、日常的に強いられるようなものが、なにかね、息苦しさもありましたし。
    そのバカバカしさを笑い飛ばすには私には、経験も賢さもなかったので。
    不自由さの伴う自由ですかね。だから。

    ドット:中学時代の徒労感というのは?

    長押し:定期テストっていうのが生活に組み込まれたのが中学だと思うんですけど。
    そこで例えば自分が、練習の問題集を3周解いても、この点数だったら他の人は何周しているんだとか思ったり。逆に1周しかしていない人が、どうしてこんな点数取れるんだとか。
    突然生まれる順位づけというか、明確な数値としての比較を感じながら、無意識に他人の努力を一方的な視点でしか見なかったのもあったんでしょうね。

    ドット:幼少期、小中高で心理学部に結びつくような原体験はあったんですか?

    長押し:元々学部を志す最終締め切りが高3の10月ぐらいだったと思うんですね。
    そこのテストの点数が高い順から志望する学部に進学ができるというシステムだったので、そこでそれなりに取って、無事に第一志望で通ったんですけど。
    志望理由のところが、今でこそ違うんですけど、当時はすごい臨床分野がしたかったらしいんですね。というのも、自分自身の欠陥を客観的に見定めれば、まだ生きてますけど、自分を成仏させられるんじゃないかっていう、そういう部分があったらしいんです。
    これ学部に進学してからあるあるになったんですけど、うちの学部に進学する人って、本当に研究がしたい人と、なんとなくその入った人と、学部の学問自体に救いを求める人間の3種類に分類できるみたいな話があって。
    すげえ、入ってる入ってるって思いながら。そういうの聞いてたら思い出しますね。

    ドット:長押しさん的には、当時は救いを求める人?

    長押し:そうですね。自己を定義づけしたかったと思うんですよね。
    例えば臨床を進めて、自分を客観的に捉えたときに、この人はこういう特性があるから、こういったことができなかったとか。”じゃあ仕方がないよね”っていうふうに落としこみたかったのかもしれないですね。

    ドット:ラベリングが嫌いだったとか、誰かしらに関心を向けなければならなかったというところと結び付くんですかね。

    長押し:そうかもしれないですね。関心を向ける・向けられるについては、今でも私に根強く残っているものだと思ってますし。
    人によく「怒らないよね」って言われるんです。多分、怒らないっていうのが違うんだろうなあというふうに思っていて。
    言ってみれば、他人に対して、怒るカロリーを考えると、無駄だなっていうふうに割り切ってしまうようになってしまった。というのもこの学問を進めていくにあたって生まれた感情かもしれないし。
    多分自分にも他者にも期待値が低いんでしょうね。その割には承認欲求が強くて700日近く書き続けてるんですけど。

    ドット:期待値が低くなったことに対してや、承認欲求が強い自分に対して、どう思いますか?

    長押し:そうですね。明確に一度自己が壊れるような経験があったような気がしていて。
    中学ですかね。当時進学コースにいたことで、なんでしょう、進学塾的なものに通っていたことがあって。そこが、9時集合・AM2時解散みたいな塾で。
    塾長が、学力と筋力を持ち合わせたような方で。
    そこで、一度、そこそこというか、心根が折られるような経験を重ねた結果、多分、フラットになったんでしょうね。
    他者の感受性というか、他者における言動に対する受けとめるあれが、下地が。

    ドット:それは、塾の中の制度が? 体制であったりが?

    長押し:体質だったり、そういう言動だったりですかね。
    しばかれますし、怒鳴られますし。やっぱあれですよね、人格否定が続くと、結構人ってもろいんやなっていうのを、ネガティブな厨二的なあれで学んでしまったのが、間違いだったんですかね。

    ドット:その他、過去の自分が形づくられるきっかけみたいな。経験だなって思うこととかあったりしますか?

    長押し:そうですね。ターニングポイント的なあれですよね。
    大学進学が大きかったんじゃないですかね、やっぱり。環境の変化としてのっていう。
    まあその、なんでしょう、向く先は違えど、足の向いている先は一緒の人が多い。
    自分の立ち位置も、その、進捗としての立ち位置も考えられるし。
    同じ方向を向いている人がいれば、おのずと好利益って生まれるし。
    そこに加えて、印象的なのが今年の正月でしたかね。
    自分が読んでいたnoteに「自分以外を捨て石やと思え」っていうことを言っている本があって、「なるほどね」って思いながら、決して自分以外の他者を捨て石とは言わないですけど、自分を研磨する存在として、他人のことを見るようにできたことが大きいですかね。

    ドット:具体的にそういう経験とかありました?

    長押し:ありますね。例えば同期だったり。今だったら、就活関連で出会った人だったり。そういう人たちによって、感化されることもあったり、触発されることもあったり、良くも悪くも自分を磨くきっかけをくれる人に恵まれましたね。

    ドット:他者によって磨かれる前の自分と磨かれた後の自分で、どういうふうに変わったな、とかありますか。

    長押し:昔は本当に諦め癖というとあれですけど、諦めることが常態化していた卑屈な生活であったと思うんですね。例えばこの勉強の問題集を1周しても2周しても変わらないんだったら、もう1周でいっか、みたいな。
    結構、斜に構えた生活やと思うんですけど、それってその、なんでしょう、負けではないじゃないですか。挫折であって。
    大学に入ってから、自分の積んでた下地が思ったよりも大きかったことに気づけたりしていて。もしかしたらどこかで自分が記事にしたかもしれないんですけど、敗北を知りたいっていうところになったんですね。

    ドット:ほう。

    長押し:『バキ』ってご存知ですか?

    ドット:えっと、タイトルだけ。

    長押し:そこに、自己研鑽を続けてきた結果、一度明確な敗北を知りたいって言ってる人たちが集まる所があるんです。
    そういうのに触発されたのもあると思うんですけど、その、完膚なきまでに負けたっていうのを同期に対して感じていないんですね。
    もちろんその、なんでしょう、スコア化されるものにおいては、低いことは多々ありますけど、むしろ低いことの方が多いですし。…えっと。なに喋ってましたっけ?(笑)

    ドット:(笑)。今は敗北を知りたいって思っているっていうお話をありがとうございます。

    長押し:だから、今でも自分がこの人には敵わないって人を探しているんだと思うんですね。
    でありながら、何もしていないわけではないんですけど、多分、読書量はそこそこありますし、研究の深入り度としてもやってると思いますし。
    今自分が個人でしていることもそれなりにありますし、。自分自身が負けてみたいって思うと同時に、今日は私が書こうと思っているnoteの先出しになるんですけど、一番尖ってたらそれ最強やんなみたいな、すごいアホの少年ジャンプみたいな生き方を主張としている節があって。

    ドット:尖りたいんですか?

    長押し:尖りたくはないです。人を傷つけかねないので。何かハリネズミのジレンマみたいなことはしたくはないんですけど。
    かといって、別に孤高の存在になりたいわけでもないのが面白いですよね。だから自分を打ち負かしてくれる人と、比喩的なあれですけど、喧嘩がしたいんでしょうね。
    だから同期とかにもすごい面白いテーマをしている同期がいたら、プロレスしようやとか言いながら、基礎研究、応用研究、思想無差別級プロレスみたいなところしたいんですけど、はい。
    あれですね、引用が面白い人は好きです。私も引用できる言葉と語彙を増やしたいと思ってるんで。

    ドット:自分がこの人には敵わないなって思える人って、どんな人だと思いますか。

    長押し:同期に限るんですけど。もうなんでしょう、多分現れないと思います。
    すごい自己矛盾してはいるんですけど、ただそういう人がいたときに、負けたくないから今やってるんでしょうね。
    何か言い方が悪かったかもしれないですね。なんでしょう。
    最速を目指してるんじゃなくて、平均時速を上げたいんかもしれないですね。この100m最速みたいなことをしたいんじゃなくて、その瞬間瞬間のトップスピードが同じ人が欲しいのかもしれないですね。自分と同じような分野において。

    ドット:知識量が同じぐらいの人みたいな?

    長押し:そうです。同じような本を読んでる人ですかね、本読んでるとか、同じようなことをしている人。
    同じような研究をしている同期がいて、その人がすごいVRとかの研究をしているんですね。
    それをどう応用するかって考えたときに、すごい綺麗な上澄みみたいなことをしたい一方、自分はメタバースとか言ってるけど、これもうちょっとあるよなみたいなことを考えてしまったりするんですね。
    それって別に、なんでしょう、喧嘩でもないですし、解釈違いじゃないですか。
    なんでしょう、そこを、いやこれは、みたいな話をしつつ、お互いそれはそれ、これはこれみたいな話をしたいんですよね。凄い、その、好きなんですよ。すごいクサい目標をぶっちぎっていくのを見るのも。
    こっちは推したいですし。
    なんか、すごい、ね。
    綺麗なものを作ろうとしているのを見て、素直にこの人すげえなって思う一方、自分自身が読んできたものが違うので、何かもっとあるやろみたいなことを思ってしまうんですよね。
    それをすごいやんとかじゃなくって、もっとこう、2歩くらい踏み込んで話ができるような同期に会いたいんですかね。
    私のしてる研究も多分、他の人からしたらすごいしょうもないなって感じなんで、どう使うん? みたいな研究してるんで、あれなんですけど。

    ドット:どんな研究なんですか?

    長押し:最適な選択をするための方略を今、研究してるんですけど。なんでしょう、複数ある選択肢を選ぶ際にどういう流れの選択をすれば、それが最適であるのかっていう研究をしていて。
    言ってみれば、人によって最適であることって違うじゃないですか。
    それを定義づけようとしているんで、それってどう使うんみたいな話なってくると、いやわからん〜って話をしてるんですけど。
    多分それも、さっき話していた同期もそれが最適であると思ったからしてる話であって。
    そうなってくると、私の定める最適は果たして最適なのかっていう。
    最適を最適で最適化するみたいなマトリョーシカ的なことになっているんで、なんともですね。

    未来:認知の研究をしながら、公認心理師の資格を取って、夜しか空いていないカウンセリングの場所を作りたい

    ドット:もしも、自己が壊れるような中学時代の経験がなかったら、自分はどういう人生を歩んでいたと思いますか?

    長押し:遅かれ早かれ壊れてたと思います。でも、オタク的なあれで申し訳ないんですけど、ifルートは多分どっかで、現在に収束するんやろうなと思っていて。
    もしもとか、あのときこうやっていたらって、あると思うんですけど、結局そこが収束するのって、今の自分とそんなに変わらないかもしれへんなっていうのを、思ってます。

    ドット:もう1つターニングポイントっておっしゃってた、今の大学・学部に入るっていう選択をしていなかったとしても、現在の自分に収束しますかね?

    長押し:だと思います。例えば、私が学部を迷ったのが、経営学部だったり、文学部だったり、政策系の学部だったり、法学部、であると思うんですけど。
    今の心理学部だって結局、私は将来的に何かをしたいときのツールとして勉強している場所だと思っているんで。
    多分経営学部にいたとしても、多かれ少なかれ同じようなことを志して、同じような同期と同じようなことをしてるんじゃないかな、というふうに思ってます。

    ドット:5年後10年後、あるいは死ぬとき、どういうふうに思っていたい? もしくは周りからどう思われる、周りからこういうふうな人って思われたいとか、ありますか?

    長押し:5年後となると26とかですかね。2025年に、追いかけている映画の新作が決まって、とりあえずそこまでは生きなあかんなって思うと思うし。マーベル作品のアベンジャーズの新作が出るらしくて。
    そこまでに自分がまず生きなあかんなって思うと同時に、できるかするか、させてもらえるかおいておいて、結婚してるんです。もう同期も結婚してるかもしれないし、下手すると、他の同期にはもう子供がいるかもしれないような、未来じゃないですか、5年後って。
    そのとき何をしてるんか、すごい漠然としてはありますよね。まずは生きていてほしいです。私が。

    ドット:はい。

    長押し:20年後。もうアラサーどころか、30代ですね。そうですね。したいことをしていてくれたら、幸いです。
    学生というか、中学生の頃の卒業文集的なものに「10年後のあなたにメッセージ」とか、ああいうのがあるじゃないですか。
    やらかしてないですかって書いてるんです。
    絶対に今、何かしら犯罪的なものをやらかすと。やらかさずに、生きていてほしいんですよね。
    あとは、将来どうするんってトピックのときに、戒めのように言っているんですけど、公認心理師を目指していて、一応。
    認知の研究をしながら公認心理師の資格を取って、夜しか空いていないカウンセリングの場所を作りたくって。

    ドット:ほうほう。

    長押し:今のカウンセリング業界って、お昼しか空いてなかったり、時間が限られたりするんですけど。
    疲れている社会人って、その時間帯ってカウンセリングできへんよなっていうのをずっと考えていて。じゃあ夜の7時くらいから朝方くらいまで空いてるとこがあったら、少しはマシになるんじゃないかっていう、漠然としたものがあって。
    それを人に言うことによって、勉強しろよ自分っていう戒めをしてるんですけど。
    なので、腹をくくって覚悟をするのがここで晒されてしまうので、もう逃げられないですよね。

    ドット:大学院を目指す感じなんですか?

    長押し:今のところ、そうですね。

    ドット:死ぬ時に思われていたいことはありますか?

    長押し:ああ。そうだ。死ぬとき! 私のnoteのマガジンにもあるんですけど、斎場プレイリストを作っていて。
    今月はちょっと諸事情で7月分は更新してないんですけど、自分のお通夜のときに、あの、ボサノバアレンジをされたサザンとかミスチルを流されたくないなと思って。
    一昨年ですかね、叔父が亡くなりまして。葬儀がめちゃめちゃ湿やかやったんですね。
    それも全然会ってない他人くらいの親戚なのに、不覚にもボサノバの波乗りジョニーを聞いて、うるっとしてしまって。
    もちろんあれです、泣いてほしいですけど。
    どうせなら笑って帰ってもらいたいんで。自分のお通夜では、もう、bpm120ぐらいのもうテクノとかが流れてたり、かと思えば、めちゃくちゃしんみりした曲が流れたり。出棺直前ぐらいに『明日以外全て燃やせ』が流れたり。あそこでこう、「もうこれから燃えるっちゅうねん!」とか言われながら、笑われたりしたいですね。

    ドット:最後に言い残したことはありますか?

    長押し:伏せてもらっていたこともあったと思うんですけど、知ってる友人に他人としてインタビューしてもらうと、すごい楽しいですね。
    いやあ、モキュメンタリーって面白いですね、やっぱり。
    それと、もう1つお話してもいいですか。
    4割ほど、フィクションです。4割ほどは、盛ったり改変をしたりしたので、それがどこまで文章化されてくるのかが、今からすごく楽しみです。

    ドット:どこがフィクションかは判定しようがないですね。

    長押し:これは最後聞いておくとか、烏滸がましいですが何か聞きたいことはありますか?

    ドット:4割フィクションって言われてしまったので、どこがどうなんだろうっていうのは、ちょっと、お聞きしたいですが。

    長押し:もちろんもちろん。4割盛ったかな。いえ、2割3割ですかね。

    ドット:どうしましょう、ネタバレ部分も含めて作品にしてよければ、このまま文字起こしさせていただいて。

    長押し:そんな感じでやってもらったら。

    ドット:いいんですか?

    長押し:はい。

    ドット:じゃあ、もうぶっちゃけどこがフィクション、どのあたりがフィクションだったかは?

    長押し:まずはそうですね、すごい自由な校風って言ってたじゃないですか。そこで陽キャ的立ち振る舞いをしていないのにルールを順守しながらルール違反をしまくっていたのは、私です。
    例えば卒業式前に。未遂ですけど、生ハムを買って食堂で捌きまくって、それをあらゆる人に配布するみたいなふざけたことを企画したり。
    学祭で押しつけられた企画をいいことに、自分の推しを呼ぼうとして、めっちゃ怒られたり。でもこれってルール違反じゃないですよね、みたいなことをひたすら主犯としていたのが私でした。

    ドット:ほう。

    長押し:あとはそうですね。小学校も普通に本読みながら遊んでます。読書しながら普通にドッジとかしてました。普通にしてました。
    あとはなんでしょう。自分はその大学云々の下りで、自分を磨いてくれる人が多いって話をしたと思うんですけど、全然自分のことを捨て石にしてくれてもいいし、むしろ捨て石やとお互い思おうぜ、くらい思ってます。
    もう、何かしら覆すものありましたかね?
    あとは、編集者さんと読者さんが、探してもらえたらと思います。イースターエッグ的なものにしてください。
    日頃読ましてもらっているのもあるので、きっと、面白おかしく書いてくれると思っています。

    ドット:大学で変わる前と後のところで、今までの自分が積んできた下地が案外大きかったことに気づいた、みたいなお話されてたと思うんですけど。

    長押し:ああ、あれはほんまです。はい。

    ドット:そこの部分の下地って、やっぱり読書だったんですか?

    長押し:そうです。92%くらい読書ですね。8%はその他です。

    ドット:なるほど。

    長押し:もし、ご縁があれば、あれですね、今度はもっとこう、自分自身を練りまくった、本当に、他人としてやれたら楽しそうだなと思いながら、ロバートのクリエイターズファイルみたいな、くらいに作りこんで、いい意味で読んでくれる人を馬鹿にできればな、と思います。

    あとがき

    未来の章にもある通り、長押しさんは現在進行形で大学の同期で、先日もオープンキャンパスで同じブースを担当していたほどの仲です。

    1年の頃の演習の授業が同じだったけれど、おそらく彼に認知されたのは2年に上がる前、友人に誘われて行った焼き肉の日。そのだいぶ前に彼と1度だけ話した時に彼が「note書いてるのでぜひ」と言っていたnoteについて、焼き肉の席で「読んでるよ。最近はエヴァの話よく書いてるよね。」と言ったことが仲良くなったきっかけだったのではないかな、と思っています。

    そんな彼のnoteは今も700日連続更新中。そして、私も書く側にまわっている。
    noteがなかったら今の私たちの関係はないかもしれません。noteに感謝です。

    そんな今回のインタビューは、いちインタビュアーとしても、リアルの知人としても、”長押し哲学”と”彼ならではのワードセンス”が爆発していたものだったのではないか、と思います。

    モキュメンタリーをしたがっていますが、まだまだ深掘りたいことはたくさんあるので。
    次はぜひ、モキュメンタリーでなく、完全に素の長押し(さん)として、ご参加お待ちしております。

    インタビュー・編集:.(ドット).

    #無名人インタビュー #インタビュー #自己紹介 #大学生 #モキュメンタリー

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