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子どもを叩いてしまうかも、と思っていたあの頃の私へ

    長男が幼稚園の年少さんの時に次男が産まれた。
    その時期が、私の中で一番辛かった時期だと記憶している。

    以前にも記事にしたけれど、長男が可愛いと思えなくなった。
    むしろ嫌いと思うようになってしまった、という記事です。

    この記事で叩いたりという風にはならなかった、と書いています。
    が、ふと思い出したのですが、叩きはしなかったけれど、手が出てしまいそうとは思っていたなと思い出しました。

    そして、手が出そうと思った時、私は家の壁に頭突きをしていたのです。
    どうして頭突きかというと、たぶん次男を抱っこして両手がふさがっていたのと、そんな気持ちを持ってしまう自分の頭をぶっとばしてやりたかった。
    なんてことを考えるんだ、このやろう!!って思ってた。

    痛かった。
    だからその痛みを子どもにぶつけてはならないと思えた。

    こう書くとかなりいっちゃってるお母さんじゃん、やばいじゃんと思うのですが、当時の私は大まじめだったのだから余計に怖い。
    落ち着いて、と言いたい。

    世の中に虐待のニュースがでるたび、「あぁ私もこうなるかもしれんかった。」って思う人はどのくらいいるんだろう。

    何も事情を知らずに「母親失格だ!」「人間として最低だ!」という人に違和感を持つけれど、そうとも思う自分もいる。

    そのくらい、子どもの命は尊くて、もろいものなのだ。


    もちろん子どもを叩いたりすることは悪いことだ。
    でも、叩くことになるまで追い詰められた理由はなんだったのだろう?って考えたら、胸がぎゅっとなる。

    旦那さんは?
    両親は?
    義理の両親は?
    友達は?
    近所の人は?
    職場の人は?

    普通の人だったらそう思うのではないか?

    でも、旦那さんはいなかったのかも?
    両親もいなかったのかも。
    義両親は頼れんかったのかも。
    友達はいないのかも。
    近所の人とはかかわりがもてなかったのかも。
    職がなかったのかも。

    じゃあ息抜きをすればよかったんだ。
    普通はそう思うのかも。
    もしお金がなかったら?
    車がなかったら?
    頼れる人がいなかったら。

    そう考えた時、自分がただ恵まれた環境にいただけだと知る。


    誰だって、偶然が重なって、自分の心が暗い所へいってしまうことがあると思う。
    そんな時に誰かが手を差し伸べてくれたりはしなかったか?
    自分一人だけで立ち上がったことはあるのか?


    もし、いま子育てで苦しんでいる人がいたら贈りたい言葉はひとつ。
    「自分の考えることにダメ出しをしないで。」

    もし、子どもを叩きたい気持ちになっちゃうとしたら、その気持ちを認めてあげて。
    それは気持ちのままに叩いていいよ、ということではない。
    叩くことは、考えることではなく「行為」だからね。

    「感情」と「行為」は別なんだ。
    何かを感じた時、私たちはどんな「行為」をするか選択できる。

    叩きたいと思った気持ちを、そんなこと思っちゃいけないとなくさないで。
    もしそう思ってしまうなら、それくらい追い詰められているってことなんだ。

    こどもは叩いてはいけないって知っているのに、叩きたいと思ってしまう。
    そんなあなたは疲れているんだよ。
    頑張っているんだよ。
    限界なんだ。
    それを認めてほしい。

    「でも、みんなできている。がんばっている。」
    そう思うかもしれない。

    でも、誰かに相談してほしい。
    叩きたいと思うことをなくす努力ではなく、誰かに頼る努力をしてほしい。

    それは、旦那さんかもしれないし、両親かもしれないし、友達かもしれないし、市の職員の人かもしれない。
    頭にふっと浮かんだ人でいい。
    直接言えないなら、電話とかメールでもいいかもしれない。

    もしかしたら、それが怖いと思うかもしれない。
    自分が強くなれば、我慢すればうまくいくんだ、と思ってしまうかもしれない。
    でも、誰かに話してほしい。


    私は誰にも言えなかった。
    夫に言えば、幻滅されると思った。
    お母さんに言えば、がっかりされると思った。
    友達に言えば、友達じゃなくなってしまうと思っていた。
    市の人に言えば、母親失格だと言われると思っていた。


    怖かった。
    だから、そう思うことをなくそうとした。
    自分の気持ちを認めなかった。

    でも、言えたら軽くなった。

    それから自分の気持ちを認めるようにした。
    「今日はご飯作るの無理だ」
    そう思ったら買いに行くようにした。

    「眠たいな」
    そう思ったら10分でも眠るか、目をつむることにした。

    「疲れたな」
    そう思ったら、旦那さんに言うようになった。

    たったそれだけ。
    でも、そんな小さなことが変化なのだ。


    私は子どもが小さい頃、朝起きると「あぁ、また寝落ちしちゃった。やりたいこと、何にも出来なかった…。」と昨日の自分へのダメ出しから始まる朝でした。

    むしろ、朝起きただけでもう100点満点!!

    起きた!えらい!
    あとは、もう加算されてくばっかりだ。

    ゴミを捨てた。えらい!
    ご飯を作った。えらすぎる!
    子どもに本を読んだ。えらすぎてやばい!
    お皿を洗った。もう最高!
    洗濯機をまわした。素晴らしい!
    無事に1日が終わったら、それはもう100億点くらいだ!


    小さい子どもがいる毎日で、何かをすることは、全てが素晴らしい。
    そんな風に思って欲しい。

    (というか、子どもがいなくても、人々の日常は素晴らしい。でも、ここでは小さい子どもがいる人に焦点をあてる。)

    できなかったことを悔やむのは、とっても向上心があるからだ。
    真面目なんだ。
    でも、出来なかったのは、仕方ない。

    やりたかった、やろうとした、その気持ちを大事にしよう。
    そして、またやってみよう。


    そうやって自分の気持ちを受け入れるようになったら、自然と子どもとの関わり方も変わってきた。
    何事も一気に良くなる事はないかもしれない。


    でも、小さな変化は、振り返ると大きな変化になっているよ。


    だから、落ち着いて。
    安心して欲しい。


    そんな風に思えない時は「かもしれない」と思って欲しい。

    「いつかよくなる、かもしれない」
    「ずっとこのまま、じゃないかもしれない」
    「私の気持ちも変わっていく、かもしれない」
    「明日はいい日、かもしれない」


    子育てに一生懸命だった自分。
    頑張っていたね、と言ってあげたい。

     
     
    二児の母が感じたことをゆるゆる書いています。 店舗のない焼き菓子屋/お菓子販売中/ネットショップ/野菜ソムリエジュニア/ナチュラルスイーツマスター/調理師 オンライン喫茶室open https://boketto-tearoom.studio.site/

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