
「囚われ」
私たちは、自分の考えや感情に囚われる生き物なのだと思う。
人は、自分の基準で物事を見ている。
よく色眼鏡に例えられるが、その自分の持っているレンズを通して
自分の捉え方で物事を見ている。
主観で見ているものに囚われていることに気がついていない。
私たちは、この自分の主観の思考と感情に囚われてしまうのだ。
一度囚われると、決めつけてしまいがちになる。
物事に対して、別の考えが存在していることに目を向けない。
思考の偏りや、感情を言葉で理解することなど、
物事を冷静に見て捉えることができなくなる。
もし、ある出来事にとても不安を感じたとしたら、
それは、その人が持っている眼鏡から見ているものだ。
その出来事が大きなものとなっていて、他のものが小さく見えている。
不安の感情も大きく捉えて、他に感じているものが小さく感じている。
この眼鏡を通して見ている間は、思考も感情もこの大きく捉えているところから離れられない。
今、起きている状態を冷静に捉えるには、
自分の眼鏡を取り、思考と感情から離れて、傍観する位置へ移動する。
これが「客観視」だ。
この冷静な見方ができないことが、囚われている
ということなのだろう。
同じ出来事を見ても、主観で見るか、客観で見るかによって
思考と感情が、捉える感じ方は全く異なるものとなる。
これが、その後のその人の方向性を決めているといってもいいだろう。
思考と感情の中にいると、私たちはそこに囚われる
思考と感情から離れると、冷静に物事を捉えられる
ネガティブであっても、ポジティブであっても
主観はその人の感じ方だ。
客観は、出来事の状態の把握だ。
囚われてしまうと、難しいけど
違いを経験していくと、できるようになる。
人は、囚われやすいものなのだと思う。