
【息子のこと|🍀今の視点】消えたパンツと、守りたい息子の正義
これまでは時系列に沿って
私の過去を綴ってきましたが、
今日は少しだけ「今」の心境を
お話しさせてください。
物語の中の私は今、負の連鎖の渦中でボロボロになっていますが、
そんな私の「常識」や「世間体」を、
物理的に、そして豪快にぶち壊して
くれた救世主がいます。
それが、私の息子です。
彼は小学5年生で
知的障害を伴わない
軽度のADHD、ASD併発という診断を受けましたが、それまでの日々は、
まさに予測不能な事件の連続でした。
その中でも印象に残っているエピソード
今となっては笑い話ですが
当時は本気で頭を抱えた、
通称「ノーパン事件」です。
1回目は幼稚園の年少。
完璧なトレーニングパンツを履かせて送り出すのに、お迎え時にはなぜか「ノーパン」
『お母さんパンツがないんです』
『替えのパンツを履かせても
いつのまにか脱いでいて‥』
『色々探したんですけど
どこにもないんです』
お迎えに行くたび先生に言われます
え?一体パンツはどこに?
一体どのタイミングで脱ぎ捨て
それをどこにやったのか
そしてパンツを脱ぎ捨てた後の服は
自分で着たのか?
謎しかありませんでした
2回目は小学1年生。
朝、確かに履いているのを確認したのに、帰宅するとやっぱり
「ノーパン」
「……パンツなんではいてないの?」と
聞いても本人は
『え?なにが?』とケロッとしたもの
1ヶ月ほど続いたこのブーム(?)
消えたパンツの消息は今も不明。
買い替えたパンツ多数‥
他にも、全力でブランコを
漕いでいる人の前を、吸い寄せられるように横切ってぶつかりに行ったり。
当時の私は、真面目すぎるがゆえに「普通」や「正解」の型に息子を
はめようと必死でした。
育児書を読み漁り、いろんな方法を試しました。
「褒めて育てる」を目指したこともあります。
やっと1つ褒めポイントを見つけても、それを一瞬で凌駕する10のトラブルが起きる。
「……褒めるところ、どこ?」
結局、私の口から出るのは
「すごいね」「えらいね」といった、
心がこもっていない表面的な言葉ばかり。
「怒りたくなったら6秒数える」と
いうアンガーマネジメントも試しました。
私が「いーち、にーい……」と数えている間に、目の前ではさらなる惨劇が起きる。
数を数え終わっても、腹の底から
湧き上がる怒りは1ミリも収まりませんでした。
周りのお友達とのトラブルも多く、
一部の親御さんや先生からは
「扱いづらい子」というレッテルを
貼られ、私はいつも玄関先や電話口で「すみません」と頭を下げ続けていました。
(私の育て方のせいだ。私がダメな親だから……)
夜、眠れないほど自分を責めたこともあります。
けれど、そんな泥沼の日々の中で、私には見えていたものがありました。
息子の、圧倒的な**「純粋さ」**です
何を考えているかはサッパリわからないけれど、
彼の行動には一ミリの
悪意も裏もありません。
まっすぐな正義感と、
どこかクスッと笑えてしまう愛嬌。
(この子のこの部分だけは絶対に守りたい。このまま大人になれたら、きっと大丈夫)
そう信じて、私はあえて
「先回りして心配する」のをやめました。
パンツを履いていなくても死ぬわけじゃない
トラブルが起きたら、起きた時に
一緒に対処すればいい。
もちろん決意してすぐにできたわけじゃありません
考えないようにしていても
湧き上がってくる不安
これが起きたらどうしよう
お友達の親からなにかいわれないかしら
その考えを振り払い昨日より今日、
今日より明日
一個でもいいから考えるのをやめよう
「私の正解」を押し付けるより、
「彼の世界観」に寄り添う努力をしよう
そう思うようになったとき
一番救われたのは私自身でした。
今、中3になった彼は、
あの頃の純粋さを失わないまま、
自分の世界を大切にする素敵な少年に成長しています。
「育て方が悪い」と自分を責めていたあの頃の私に、そっと教えてあげたい。
あなたが守り抜いた息子の純粋さが、
今度はあなたに
「過去と向き合う勇気」をくれる
だから、大丈夫。
そのままでいいんだよ、と。
「うまく褒められなくても、
うまく数えられなくても大丈夫」
あの頃の自分に、そして今、
必死に数を数えながら泣きそうな
あなたに、届きますように。