
絶対零度 - 落とし物の持ち主|掌編小説
台風が近づく土砂降りの秋の夜だった。こんな夜は溜めこんだアニメの一気見に限る。いそいそとタブレットをベッドに持ち込み、私は今まさにたっぷりだらけようとしていた。
ドアチャイムが鳴ったのは、そのときだった。
私は眉を寄せ、玄関のほうを振り返る。いや、何か配達されてくる予定はない。無視しよう、とタブレットの画面を起こして動画配信アプリを立ち上げた瞬間、またもやドアチャイムが響く。
「何なの……」
仕方なく身を起こした私は、ベッドサイドのテーブルに置いたスマホを手に取った。何か配達があるなら、スマホに通知なりメールなりあるはずだ。と思ったら、一件メッセが来ている。
……げ、通知音聞こえなかったと思ったら、通知オフの元彼じゃん。
『今から家行っていい?』
……待って、ちょっと何を書いてあるのか分からない。
よくねえよ。元彼が何言ってんだよ。
ドアチャイムがまた鳴る。ついで、トークルームには既読確認したぞと言わんばかりの壁からちらっと覗くスタンプが来る。
うざ。
私はため息をつきながらベッドサイドに座ると、通話を発信した。秒で通じた。
『いるだろ』
「残業してます」
『道から見たら、部屋に電気ついてた』
「ストーカーか」
『入れてください』
「何? 何で? 私の友達と浮気したの誰でしたっけ?」
『鍵落とした。傘もない。駅からここが一番近かったけど、歩いてきてすげー濡れた。死ぬほど寒い』
「風邪食らっとけ」
『何だよ、冷たすぎ』
「ショック受けたままブロックも忘れてた自分の繊細さにびっくりだわ。帰れ」
『電車止まったし、この雨の中を三駅歩くのは修行でもありえん』
「頭冷えるからちょうどいいと思うよ」
『頼む、今晩しのぐだけ。鍵落としたの、たぶん職場だから朝イチに出るし』
「職場、まだ駅前のカフェ?」
『そうだけど』
「職場で鍵探せばよかったじゃん」
『もう今日は店閉じて、オーナーも帰ったんだよ。オーナーしかセキュリティいじれないし』
「オーナーに連絡してください」
『この台風の中、呼べるわけないだろ』
「私の部屋にはずうずうしく泊まろうとするのに? ずいぶんとちょろく見られたもんですね」
『なあ、このあたりでの知り合いってお前だけなんだよ。頼む。廊下で通話してんのも恥ずいし──』
「そうだね、もう切るしブロックするし、失せろ」
奴がまだ何か言っているのは聞かず、私は容赦なく通話を切った。
ドアチャイムが鳴る。警察呼ぶか、と本気で通話画面をスマホに表示させたけど、こんなことで暴風雨の中、おまわりさんを出動させることになるのは申し訳ない。
ひとまず奴をさくっとブロックして、一覧からも削除して、トークルームもさっぱり消した。それから、スマホを放ってぬくぬくのベッドの中に戻る。こういうときはノイキャンヘッドホンだ。ヘッドホンをBluetoothでタブレットに接続すると、私は溜めていた今季の気になるアニメを悠々と観始める。
まったく、こっちがいつまでもあんたを引きずって、めそめそ想い続けていると思ったら大間違いだ。吹っ切れた女をナメんなよ。
雨はますます強くなっているようだ。ベランダのガラス戸を雨粒が殴っている。一クール観終わり、私はやっとノイキャンヘッドホンをはずした。
耳を澄ましたけど、もうドアチャイムは響かない。いつのまにか元彼はあきらめたようだ。
「……マジでクズ男だわ」
思わず遠い目でひとりごちたものの、しょせん私はあいつにとって捨てた感覚さえない落とし物だ。そのあと私を拾ってくれる人が現れたわけではないけど、きっといつかは出逢いはある。あいつの持ち物としてキープされるのはたくさんだ。
なんかすっきりしたな、といまさらながら整理がついたのを感じつつ、私はキッチンで甘いホットココアを作って温まり、おひとり様の時間をじっくり堪能した。
FIN
お題をお借りしました。
ありがとうございます。