
忘れぬように - 残されたメモ|掌編小説
親父の葬儀が終わった。介護を経てからの急死で、ずっとばたばたしていて疲れきったお袋に、俺は少しでも寝るように言った。
「そうだね……そうさせてもらう」
「寝室まで行ける?」
「ううん、まだ連絡しなきゃいけないところも多いし、ここで仮眠だけ」
喪服のままのお袋は、座布団を半分に折ってまくらにすると、居間で眠ってしまった。同じく喪服の俺は、お袋の寝顔をしばし見つめたあと、火葬前に葬儀屋から渡されたものをポケットから取り出した。
親父がいつも身につけていた白銀の指輪。お袋が少し席をはずしているときだったので、俺が受け取った。眠っているお袋の手元を見ると、同じ指輪がある。
結婚指輪か、と目を細めて指輪を明かりにかざした。すると、指輪の内側に刻印があることに気づく。
『Never forget you』
俺は眉を寄せた。なんか……変だな。結婚指輪の刻印にしては、別れ際の言葉みたいだ。
そのとき、ドアフォンが鳴った。インターホンに出ると、名前だけ聞いたことがある親父の古い友人だった。
俺は指輪をテーブルに置いて、玄関に向かう。ドアを開けると、六十手前だった親父と同世代の男が頭を下げた。
「遅くにすまないね。同級生からすぐ聞いたけど、仕事で海外にいたから葬儀に間に合わなくて」
「いえ。来てくれただけで親父も嬉しいと思います」
「敦弘くんだね。君が赤ん坊のとき、会ったことがあるよ」
「そうなんですか。俺も御室さんの名前は伺ってました」
「そうか。今、美夜子ちゃんは?」
「寝てますけど、起こしましょうか」
「いや、寝てるならそれでいいよ。いろいろ、大変だっただろうからね」
御室さんは俺と少し世間話をして、和室に置いた親父の遺影に一礼すると、すぐ帰っていった。
「ムロさん、来たんだね」
御室さんにもらった名刺を見ながら居間に戻ると、お袋が起きていた。「まだ寝てろよ」と俺が歩み寄ると、お袋は「大丈夫」と伸びをする。
「敦弘」
「ん?」
「台所の茶棚に青い封筒入ってるから、持ってきて」
俺は怪訝そうな顔を浮かべたものの、今のお袋に「自分で取ってこいよ」なんて生意気も言えない。茶棚のところまで行くと、三段ある。「何段目?」と訊くと、「一番下」と返ってきたので開けてみた。
家計簿や通帳の中、お袋が言っているらしい青い封筒は底にあった。親父宛のようで、何となく裏返して、そこにあった差出人の名前に息を飲む。
『御室』
俺は居間に戻った。
「何これ」
お袋は何も言わずに封筒を受け取ると、中身を取り出した。出てきたのは二つ折りになった厚紙、そして、それに挟まっていた白銀の指輪だった。
「昔は、私とおとうさんとムロさん、三人で過ごすことも多かったの。でも、あんたが生まれて、その顔を見た日にムロさんがあきらめたのは分かった」
「あきらめたって……」
「おとうさんは、死ぬまで忘れなかったみたいだけど」
お袋はふたつの白銀の指輪を並べた。俺は封筒に入っていたほうの指輪を手にして、刻印を確かめた。
親父の指輪にあった刻印と同じだった。
「お袋の指輪も、この刻印なのか?」
「まさか。私のは結婚記念日だけ」
お袋は自分の指輪をはずし、みっつの指輪を並べた。こうして見ると、お袋の指輪だけ白銀というより銀色に近い感じがする。
「お袋のだけ、違う?」
「似せたシルバーだと思う。無神経な話だよね」
「前から、気づいてたのか?」
「うん」
「親父から話は」
「あるわけないでしょう」
お袋はため息をつき、「理解される時代ではなかったからね」とつぶやく。
「御室さんから指輪が返ってきたこと、親父は知ってたのか?」
「知ったら、私もあんたも置いてムロさんを問い詰めに行くだろうから隠してた」
「……そうか」
「でも、意地なんか張るんじゃなかったね。最後くらい、この指輪は揃えてムロさんに渡せばよかったかな」
「え」
「私はおとうさんと喧嘩したり、一緒に苦労したり……最期には介護もした。綺麗な青春時代しか過ごさなかった人に、ずっと頑張ってきた時間をかっさらわれてたまるかと思った。けど、あの人たちは好きで一緒にならなかったわけじゃないんだよね」
お袋はわずかに目を滲ませた。お袋だって、誰かの一番として愛されたい人生だっただろう。
「俺、お袋がいつも頑張ってたのは知ってるよ」
「……敦弘」
「お袋が陰で泣いてるのは、子供の頃から何度も見た」
お袋は俺を見つめ、滲んでいた涙を幾筋か頬にこぼした。
「敦弘が認めてくれるなら、頑張ってきた甲斐があったね」
そう言って小さく咲ったお袋は、涙をぬぐう。
指輪の内側に残された言葉。時代に結ばれなかったふたり。忘れないことだけが、つながりになると思ったのだろうか。
いじらしいのかもしれない。哀しいことかもしれない。でも俺は、二十五年育てられた息子として、お袋だけが犠牲になったことを許せないと思ってしまう。
忘れないぞ、と思った。忘れてやるものか。許してやるものか。
物言わぬ親父の遺影と、それに一礼していた御室さん。勝手に幸せになればよかったじゃないか。俺は唇を噛みしめ、やっと荷が降りたお袋の肩をさすった。
FIN
お題をお借りしました。
ありがとうございます。