
【短編小説】運命と石鹸の香り ― 白鷺の宿 #風まかせ文芸部
夕立は、まるで山の雫が一度に落ちてきたかのように激しかった。
川沿いの小道を歩いていた青年は、慌てて宿の軒先へ駆け込んだ。
ちょうどそこには、先に雨を避けて立っていた一人の少女がいた。
濡れた肩をそっと押さえながら、静かに庭の方を見ている。
軒先からは雨のしずくが「ぱた、ぱた」と落ち、石畳を濡らしていた。
そのとき、白鷺が一羽、雨粒を散らしながら庭先に降り立った。
白い羽が雨に濡れてきらめき、その姿はまるで空から舞い降りたしるしのようだった。
青年と少女は、同じ一瞬にその白鷺を見つめた。
互いに言葉はなかったが、まるで運命に導かれたかのように、心の奥で同じ驚きと親しさを感じ取っていた。
――それが、ふたりの始まりだった。
宿の戸口には、なぜだろう、不思議に澄んだ石鹸の香りがただよっていた。
初めての出逢いのはずなのに、胸の奥に懐かしさがひとすじ落ちてくる。
ふたりは言葉少なく廊下を進み、やがて別々に湯殿へ向かった。
白い湯気がのぼり、洗い上げた髪の香りが廊下に流れる。
石鹸の匂いは夜気に溶けあい、心をやわらかに包んでいった。
やがて、狭い食事処の卓にふたりは向かい合うことになった。
麦飯と山菜の膳。
湯気の立つ汁椀。
箸をとる手がふと触れそうになり、ふたりは小さく笑った。
そして、ぽつりぽつりと生い立ちを語りはじめる。
青年は、寒村から奉公に出たことを。
少女は、女学校に通うため町に預けられていることを。
それは短い言葉でありながら、互いの胸の奥をあたためた。
どこかで前にも交わしたことのあるような、そんな響きがそこにはあった。
窓の外では、雨粒がまだ光を抱いて落ちていた。
そして川辺では、白鷺がもう一度ひと声鳴き――ばさり、と夜の空へ羽ばたいていった。
その羽音は、時を刻む針のようでもあり、輪を描く運命の合図のようでもあった。
その夜、ふたりは長く語らうこともなかった。
ただ、石鹸の香りと白鷺の影とが、静かに胸に既視感を残していた。
――きっと、これからも幾度となく出逢い、また別れていくのだろう。
白鷺の羽ばたきだけが、その予感をやさしく証すように、闇を渡っていった。
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あとがき
風まかせ文芸部さんのお題「運命」に
参加させて頂きました。