メインコンテンツへスキップ
見出し画像

鬱病という深い闇を生きる──「治す」ことより、「共に生きること」を選んだ記録。



    朝が、こわい。
    今日という一日を、また生きなくちゃいけないのか……そう思うと、体が動かない。
    目は開いているのに、世界が遠い。
    音も、光も、誰かの声も──全部が、私から数メートル先にあるような感覚。
    それでも私は、笑う。
    「元気そうだね」と言われるのが、怖いから。
    心が壊れていることを、誰にも気づかれたくない。
    でも、本当は──気づいてほしかった。
    救ってほしかった。
    「大丈夫?」じゃなくて、「隣にいるよ」って、言ってほしかった。


    私は、“薬を飲まない選択”をした


    処方されたのは、睡眠導入剤だけだった。
    抗うつ薬は断った。怖かったからだ。

    体育大学を出て、解剖学も薬理も学んだ私には、薬の働きが“知識”として頭にこびりついていた。
    「効き方」「副作用」「依存性」「離脱症状」──全部知っていた。
    それが逆に、私を縛った。

    だから私は、
    砕いて、少しだけ、ほんの少しだけ導入剤を飲んだ。
    まるで“薬を飲む”という行為の意味を自分で調整しないと、心が壊れてしまいそうだった。


    鬱は、薬で治るものじゃなかった


    私の中で本当に壊れていたのは、
    脳じゃなくて──「自分を信じる力」だった。

    眠れない夜、目を閉じていても、思考は止まらなかった。
    罪悪感、不安、自責。
    それが繰り返されるたびに、自分という存在が崩れていくのが分かった。

    でも──
    そんな夜を越えて、気づいたことがある。

    私は「治す」のではなく、「共に生きる」ことを選んだのだ。



    「薬を飲まなかった私」が、正しいわけじゃない。
    「薬に頼らなかったから偉い」なんてことも言いたくない。
    ただ、これが私の“回復のかたち”だったということを、
    あなたに知ってほしい。


    🔻ここから有料パートへ──



    この記事が参加している募集

     
     
    鬱も癌も、ダイエットも育児も……ぜんぶネタに変えて書いてます🤣 「笑ったらちょっと楽になる」を信条に、怪談から子育て、発信術まで幅広く発信中✍️ 日常のトラブルもユーモアに変換して、読んだ人がクスッと肩の力を抜けるような記事を目指しています。あなたのスキが、次のボケの燃料に⁉️

    あなたへのおすすめ