
アイムタカダノババ
「死のう窪、死のう窪」
電車に揺られていると、そんな声が聞こえてくる。
なんだ揉め事か、関わりたくないぞ、そう思い、目線だけそちらにそっと向ける。するとインド系の顔立ちの男性が、困った顔をしながら端から順に乗客たちへ声をかけている。
「スミマセン、死のう窪」
声をかけられた女性が、怯えた顔で手をパタパタと振り「アノ、チョット、ワカラナイ」と片言の日本語で答える。あなたまで片言になる必要はない。
だいたいなんだ死のう窪って、名前が不吉過ぎるだろう。
男性が徐々にこちらへ近づくとともに緊張感が高まる。何を聞きたいのだ。怖すぎる。早鐘の如く波打つ心臓を感じながら考える。次は私に声がかかる。瞬間、はたと気付く。
「もしかして新大久保ですか?」
私がそういうと男性の顔がぱっと明るくなる。男性が短いセンテンスの片言の英語で、携帯の画面をこちらに向け指差しながら、必死に説明する。
「フレンド、ストア、ワーク」
新大久保の友達のお店に行く必要があるらしい。先程まで勝手に物騒な聞き違いを起こし、警戒心全開の眼差しを向けていた事を深く反省した。
何のことはない、乗り換えがわからず困っていた普通の人だったのだ。
皆も反省すると良い。そう思いながら周りを見渡すと、先程までこちらのやり取りの行くすえをチラチラみていた乗客たちは、既に我関せずと手元の携帯の画面をさすっていた。
なんだかその様子がとても冷たく感じて、途中まで方向が一緒であるし、乗りかかった船だ、行けるところまで案内して差し上げよう。
そう思った。しかし、英語どころか日本語すら怪しい私の絶望的なコミュニケーション能力である、言いたい事をどう表現すべきか。
殆どのページが虫食いになり、ほぼ表紙しか残っていない頭の中の和英辞書をほじくり返す。
なんて言えばいいんだ。高田馬場駅で降りるから一緒に付いてこいって言いたいんだけど、あれ、ほんとにわかんない。
うわ、さっきまで知らんぷりしてたおっさんがこっち凄いチラチラ見てる、困っている私をチラチラ見てるぞ。すごい感じ悪いな。だんだん頭が真っ白になってきた。
自意識過剰が暴走した私が半分パニックに陥りながら放った一言は、
「アイム、高田馬場」
だった。
脳内では高田馬場駅モチーフのダイナマイト四国みたいなレスラーが必殺技を決め、己を親指で指さしながら決め台詞を吐いている。台詞はもちろん「アイム!タカダノババ!」だ。きっとビックボックスや鉄腕アトムモチーフの覆面をしているに違いない。
そして見なくてもわかる、こちらをチラチラ見ていたオジサンは笑っているに違いない。足元を見つめ、顔を耳まで真赤にしながら、身振り手振りで男性に座るよう促す。
すると驚いたことにそこそこ席が空いているにもかかわらず、男性は私の真隣に座り込んだ。きっと不安だったのだろう。
高田馬場の山手線ホームで男性と別れる間際、到着する電車の走行音に紛れないよう、私は渾身の一言を叫ぶ。
「ネクストステーション!」
男性はニコリと顔の両端まで口を広げて笑い、手を振りながら電車の中に吸い込まれていった。
誰とも知らぬ異国の孤独な男性の体温と、クミンの香りを感じながら、無言のまま揃って電車に揺られたあの時間。
あれだけは、なんだか悪くなかった。