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Photo byia19200102

「~が」or「~は」一文字違いの恐ろしさ

    わたしたちは言葉によって
    人生を支配されています。

    日々の生活で
    「どういった言葉を使うか」によって
    良くも悪くも心に変化が起こり、
    その後の行動につながります。


    楽しく愉快な人生を送るか。
    暗くつまらない人生を送るのか。

    「極端では!?」と思うかもしれませんが、
    何気なく使い続ける”言葉”だからこそ
    ボディブローのようにじわじわと
    心の変化を浸食していくもの。

    『言葉の選択』には注意が必要です。

    今回のテーマは
    「~が」or「~は」一文字違いの恐ろしさです。


    「あなたが」「わたしが」
    「彼が」「彼女が」

    と

    「あなたは」「わたしは」
    「彼は」「彼女は」

    の違いです。

    一見すると、
    大きな違いがないように感じます。

    ただ、冒頭でお話ししたとおり
    「~が」と「~は」では大きく異なる点が…

    ”他責たせき”か”自責じせき”の違いです。


    他責たせきとは、物事の結果や原因の責任を
    自分以外の人や状況にあると考えること。

    反対に
    自責じせきとは、物事の結果、原因の責任は
    つねに自分にあると考えること。


    「~が」は他責であり、
    「~は」は自責です。


    たった一文字の使い分けによって
    物事の捉え方は大きく変わります。

    なぜ、「~が」と「~は」の使い方に
    注意しなければいけないのか。

    皆さんと共有して
    理解を深めていただければ幸いです。

    では、いってみましょう(^^♪



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    ✔責任感の
     違い

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    「~が」と「~は」の違いとは
    ”責任感の違い”です。

    「~が」は他責。

    「~は」は自責です。

    「Aさんがこうした」
    「Aさんがあれをやった」
    「Aさんがやってた」

    と言うと、あきらかにすべての責任は
    Aさんにあるように聞こえます。

    ただ、はたして
    本当にすべての責任がAさんにあるのでしょうか。

    意外にも蓋を開けてみれば、Aさん以外にも
    原因となる根拠は複数あがるもの。

    ところが、
    「Aさん”が”」と言葉を使うことで
    あたかも「すべての責任はAさんにある」と
    錯覚を生みます。

    そして、その言葉を使った人は
    当事者から外れ、責任から逃れます。


    「Aさんはこうした」
    「Aさんはあれをやった」
    「Aさんはやってた」

    「~が」を「~は」へ変換しました。

    どうでしょう。
    一気に印象は変わりますよね。

    一番に感じるのは、Aさんに
    責任を丸投げしていない点でしょう。

    あくまで、Aさんの取った行動は
    ひとつの選択肢であって責任を取る必要はないこと。

    また、Aさんの行動そのものを否定せずに
    「そういった考え方もあるよね」と
    受け入れられるように感じます。


    口癖のように「~が」と使う人は、
    知らず知らずのうちに周囲から
    「責任をなすりつける人」とレッテルを貼られているかも…

    要注意です。



    ✔思考の柔軟性

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    「~が」と「~は」の違いには
    ”思考の柔軟性”も大きな特徴です。


    前述したとおり
    「~が」を使うと、一方的に相手へ
    責任をなすりつける言葉へ変貌します。

    同時に、
    「相手が勝手にやったこと」と思考停止し
    その事柄から学びを得られません。

    「相手は相手、自分は自分」と
    線引きするのです。

    たしかに必要以上に
    相手のしなければいけないことに
    首をつっこむのはご法度でしょう。

    だからといって、
    「Aさんがやっていたこと」と言い切ると
    あたかも「Aさんのやったことは悪いこと」
    「自分には必要ない」と勘違いに陥ります。

    これでは、いつまでたっても
    自らの思考に偏りが生まれて
    平等に物事を判断するのは難しくなります。


    反対に
    「Aさんはやっていた」と変えると
    Aさんの行動も考えられるし、
    けして、間違いではないと
    心を軽く柔軟に受け止められるでしょう。


    相手の考え方も受け入れつつ
    自分の考え方も主張する。

    そのためには
    「~が」ではなく「~は」と言葉を変えれば、
    バイアスに惑わされることなく
    正しい価値観で判断できるのではと考えます。








    「~が」とは、文章で使う場合、
    逆接のみで使用します。

    つまり、「が」の前方に付く文章と
    後方に付く文章とは意味合いが異なります。

    もっといえば、
    前方に付く文章にたいして
    「予想外の結果」を結びつける関係性を作るために
    「~が」を使用します。

    そう考えると
    言葉として「○○さんが~」とよく喋る人は、
    つねに誰かに責任転嫁し、つねに誰かの落ち度を探し
    つねに自分は悪くないと主張しているように聞こえます。

    なぜなら、予想外の結果を求めて
    「自分にかまってよ」と言っているようなもの。

    ちょっと、悲しい事実ですよね。

    それこそ、他人に依存して
    自分一人で楽しみを生み出せない
    と言っているようなもの。

    これでは、自分自身をがんじがらめにして
    周囲の言動を気にして自分にとっての
    本当の答えが見つけづらいのではと感じます。


    「~が」

    「~は」


    たった一文字の違いですが…

    その一文字を使い続けるだけで
    人生の岐路を大きく踏み間違えるかも。


    ぜひとも、
    参考にしていただければ幸いです。


    では、また。
    失礼します。

     
     
    ”習慣に興味ある人”を応援する活動家・習慣応援家 shogoです。習慣・note・文章術・思考術・心理学,etc.、読んでくれる方のタメになる良質なコンテンツをお届けします!毎日投稿1,900日目!フォロワー数2,000人突破!コメント交流、大歓迎😆

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