
陰翳礼讃:衣食住②
必要なときに必要な本が
やって来るように出来ている、って
つくづく思います。
今日ご紹介する本は、
こちらの記事と繋がりました。
衣食住はすべて繋がっているんだ。
いいえ、衣食住だけじゃない。
あの人と話した内容も、
昨日何気なく聴いた音楽も、
読んだnoteの記事も、
今日食べた朝食も、
あの日見た景色も、
全てお互いに影響を及ぼしている。
人間が苦手な動物を
絶滅に追いやったら
生態系が崩れた。
一種が絶滅したことが
多大な影響を及ぼすなら、
文化が変わることで与える影響も
計り知れない、ですよね。
図書館の方がご用があって
電話をかけて来て、言いました。
「随分と難しそうな本を
借りられましたね」
いえいえ、谷崎潤一郎は
決して難しくないの。
文章が女性のように柔らかで
夏目漱石のような読みにくさは、ない。
この本の題名が
難しく感じるだけですよ。
陰翳礼讃(いんえいらいさん)。
つまり、
「陰」と「翳(かげ)り」をあがめ称える。
建築を学ぶ方のバイブル、だそうです。
堅苦しく思うとは言え
たった55ページ、それだけ読めば
インテリが気取れるんですよ!
ふはははは!
私はね、前述した記事で
「衣食住」の「住」のつながりを
うまく説明できなかったんです。
それをこの本が
ぴったりと説明してくれました。
まさに、本による
セレンディピティです。
美というものは常に
生活の実際から発達するもので、
暗い部屋に住むことを余儀なくされた
われわれの先祖は、
いつしか陰翳のうちに美を発見し、
やがては美の目的に添うように
陰翳を利用するに至った。
電気が急に普及した時代、
ロウソクのほの暗い灯のもとだからこそ、
美しく見えていた東洋の美は
どうなってしまったのでしょうか。
谷崎潤一郎は、漆器を例に挙げています。
漆器の美しさは、そういう(ロウソクの)
ぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、
初めてほんとうに発揮される。
漆器というと、野暮くさい、雅味のない
ものにされてしまっているが、
それは一つには、採光や照明の設備がもたらした
「明るさ」のせいではないであろうか。
事実、「闇」を条件に入れなければ
漆器の美しさは考えられないと言っていい。
照明一つが変わることで、
すべてがちぐはぐになる。
ぜんたいわれわれは、ピカピカ光るものを見ると
心が落ち着かないのである。
銀食器をピカピカに磨く西洋人と、
光が消えて黒く焼けて来るのを喜ぶ東洋人。
(東洋人は)浅く冴えたものよりも、
沈んだ翳(かげ)りのあるものを好む。
西洋人は垢を根こそぎ発(あば)きたてて
取り除こうとするのに対し、
東洋人はそれを大切に保存して、
そのまま美化する。
天井までピカピカの白い壁と、
年月を経てより一層美しく見えるようになった
砂壁や木目の壁。
東洋のものの中に
西洋のものを入れ込むことによる
障害は、どれほどあるのでしょうか。
上の記事でご紹介した
one moreさんの「衣文化ラボ」で、
袂(たもと:腕のところ)が長い着物を着ていた
日本人はかつて
「袂を邪魔だと思わない動作」をしていた、と
お話がありました。
今の日本人は着物を着慣れていないと
袂を邪魔に感じますがね。
服装が動作に繋がっているんですね。
或いは古来の日本人特有の動作が
服装に繋がったのでしょうか。
着物を着ていると
姿勢が良くなって、
女性は小股内股で
歩くようになりますが、
これは、服装が動作に与えた影響ですよね。
じゃあ、どうして
着物の袂は長いのでしょうか。
私は「衣文化ラボ」に出席して
この疑問が湧きました。
それを解決してくれたのが、この本です。
美は物体にあるのではなく、
物体と物体との作り出す
陰翳のあや、明暗にあると考える。
女性も美です。
われわれの祖先は、女というものを(中略)
闇とは切っても切れないものとして、
出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、
長い袂や長い裳裾で手足を隈の中に包み、
ある一箇所、首だけを際立たせるようにした
のである。
谷崎潤一郎は言います。
人形浄瑠璃の人形も、
女性は顔と手しかない(あとは着物)、と。
袖が腕にピッタリと添うように出来ていたら
闇の中でそのシルエットが際立って
しまうのです。
長い袂であれば、骨肉と衣の間に
「曖昧」が生まれる。
「曖昧」によって、女性の腕は自然と
闇に溶け込む。
これはあくまで谷崎潤一郎の仮説ですが、
懐にすとんと、落ちるものがありませんか。
庇(ひさし)の長く
ほの暗い家に住むことを常としていた
日本人だからこそ、
袂も長くなった。
住が衣に与えた影響です。
※女性がただ、太くてすだれのようになった
腕を見せたくないがためだけに
袂をゆったりと作っていたらどうしよう😅
やはりすべてが繋がっているんですね。
この本の一番面白いところを
挙げましょうか。
本文を読んで、
目から鱗が落ちる思いをした後で
巻末の「解説」を読みますと……
「西洋人は……絶えず明るさを求めていき、
わずかな蔭も払い除けようと苦心をする」。
谷崎はそう書く。
しかし、そんなことはない。
ガク―ッ!!
と、来ませんか?
「西洋人」が本気でそんな「苦心」を
しはじめたのは、たいそう新しい現象である。
日本家屋の伝統に光を見たい者は、光を見る。
闇を読みとりたい者は、闇を読む。
谷崎潤一郎は、後者だったのでしょうね。
だけど、
日本文化がたとえ「陰翳礼讃」では
なかったとしても、
1つを変化させることが
別のものに与える影響を考えることは
大切な視点だと思いますね。
私は和洋折衷の衣食住も好きですし、
それよりも今は
「洋を全て排除した生活」など
衣食住の何に於いても考えられませんが、
じゃあ洋を取り入れたことで
どんな影響があったのか、
洋のバランスが多くなりすぎた今
どんな不調が生じて
そこにどれだけ伝統的な和を戻すことで
安定するのか、
こういう見方を持っていることは
私にとっては大切だ、と思うのです。
衣にしても食にしても、
そして多分、住にしても、ね。
