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Photo byotatakahiko

【創作】ヘリオス 第2部 第5話


    3月1日。

    晃輝さん、春が近づいて来たよ。今どこにいるの。私ね、あれから更新しない貴方のYouTubeを、今でも毎日見てる。私、知らなかった。涙って枯れないんだね。


    「今日もお疲れ様でした」

    ようやく仕事に復帰した私は、一番レベルの高いクラスをその日も教え終わり、片付けをしていた。

    「山田君、今日これから少しいい?」

    イチゴのソフトクリームみたいな佳奈ちゃんの声が聞こえる。

    「ごめん石原さん。俺、凪先生に用事があるから」

    「佳奈ちゃん、優成のことは放っておいて、俺たちと一緒に帰ろうぜ!」

    ザワザワとする中、片づけをしながらこんな会話だけを耳が拾う。

    「優成くん、どうしたの」

    まだ優成くんに言いたいことがありそうな佳奈ちゃんを、無理やり連れ出す昴くん。それを見ながら、優成くんに声をかけた。

    「凪先生、週末にでも気晴らしにどこか行きませんか。映画でも、食事だけでも良いです」

    「え、でも優成くん忙しいでしょう。私のお守りなんて大変だよ」

    この人に甘えてばかりで、これ以上は胸が痛む。

    「俺は凪先生と一緒にいたいからいいんです。先生、錦糸町にオーガニックの美味しいタルト屋が出来たの知っていますか」

    「......タルト?」

    思わず物欲しそうな顔をしてしまったようだ。

    「決まりですね。俺、予約しておきますよ」

    そうやって優成くんとデートすることになった。




    「本当は、電車で行くのも好きなんですけど」

    マツダのブルーのアクセラを我が家に寄せて、優成くんははにかんだ。

    「もう顔が割れているものね、優成くん」

    今日、優成くんは黒縁の眼鏡にキャップを被り、マスクをしている。

    「これなら目立たないでしょう?」

    ところがコーディネートが上手すぎて、あまり周囲に溶け込んで見えない。きっとこの人の美しさは、隠せるものじゃないんだ。

    待ち合わせは11時。ショッピングモールの可愛いサンドイッチ屋さんでお昼ご飯を軽く食べて、いろいろお店を見てからタルト屋さんへ行くことにした。

    「優成くん、見てこれ。鈴が着そう」

    毒々しい花がボクシンググローブを嵌めて、喧嘩しているTシャツを見せて言う。

    「本当だ、鈴ちゃん好きそうですね。鈴ちゃんに似合う色は、これかな」

    優成くんはターコイズを選んで微笑んだ。

    「そうだよね。ちょっと買ってくる」

    「あ、俺が買いますよ」

    「そんな、いいよ、鈴のだし」

    「たまには格好つけさせて下さい」

    そう言って颯爽とレジへ行ってしまった。

    優成くんはずっと優しくしてくれている。この人といると、少しは痛みが和らぐ気がする。

    「この階に楽器店があるので、寄ってもいいですか」

    「うん、いいよ」

    一緒に楽器店名が見えるところまで来ると、心臓が急に縮まった。ここは、晃輝さんが勤める会社の楽器店だ。

    「凪先生、どうかしましたか」

    落ち着け。晃輝さんがいる訳じゃない。いてくれたら嬉しいけど、ここにはいない。

    「ううん、何でもない。行こう」

    来店すると、ピアノのクラシックがBGMでかかっている。奥にバイオリンが売っているのが見えた。品よく並べられているその姿に心臓が鷲掴みにされ、潰されるようにぎゅっと小さくなった感じがする。

    「本当に大丈夫ですか?顔色が悪いです」

    「あの、あのね」

    するとBGMの曲が変わったのが耳に入ってきた。何度も聴いた前奏。途端に涙がこぼれ落ちる。

    「凪先生」

    震えを抑えながら何とか伝えた。

    「優成くん......ごめんなさい......。曲が......」

    耳を澄ましてBGMを聴いた優成くんが呟く。

    「愛の挨拶......」


    題名を聞いて、声が聞こえた気がした。

    「この演奏は凪に」

    甘く、ハスキーな低い声。

    こんな人の多いところで大人が泣いたらダメなのに、涙が止まらない。

    「凪先生、行きましょう。すみません。俺が浅はかでした」



    駐車場まで行き、車に乗ってまた優成くんに抱きしめられる。

    「優成くん、ごめんね」

    「いいから。泣きたい時は泣いた方がいいです」

    もう何日も泣いてばかりなのに、どうしてまだ涙が出るんだろう。白銀の世界の中で、ウサギを抱いている晃輝さんが脳裏に見える。いけないと思いつつも、また優成くんの胸を借りて泣いてしまった。

    「疲れたでしょう。タルト屋は今度にしましょう」

    「ごめんね優成くん。迷惑ばかりかけて」

    そう言うと、凪先生は謝ってばかりだと笑いながら、ペットボトルのホットミルクティーを渡す。それから私の顔を見て、眉を寄せて告げた。

    「凪先生、少し熱があるんじゃないですか。顔が赤い」

    「そうかな。最近すぐ熱が出るの。いつものことだよ」

    ミルクティーで手を温めながら笑うと、額に手をそっと触れられた。

    「……俺、こんなに凪先生が苦しむ姿は、もう見ていられません」

    泣く直前のような顔をしている。優成くんまでそうなる必要は、全くないのに。額の手をゆっくり離し、息を吸って、優成くんは続けた。

    「凪先生。俺にもう一度チャンスをください」

    「え?」

    「東雲さんなら凪先生を幸せに出来ると思った。だから俺は身を引きました。実際、先生は見ていて辛くなるほど幸せそうだった。だけど東雲さんは貴女から逃げた」

    優成くんはそこで話を切った。無言でじっと私を見つめ、それから真摯な顔で続ける。

    「俺ならそんなことはしない。ずっと貴女の側にいて、凪先生を幸せにします。......俺の恋人になってください」

    「優成くん」

    「東雲さんを愛している凪先生のままでいいんです。そのままの凪先生が好きです」

    それは違う。私が同じ立場だったら、嫉妬に苦しんで耐えられなくなる。

    「そんなに自分を安売りしたらダメだよ。私、晃輝さんとは違う気持ちだけど、優成くんのことも好きなの。幸せでいて欲しいし、幸せにしたいと思ってる」

    2つも年上だけど、一番育ってくれた私の可愛い愛弟子。強くて、必要な人に惜しみなく愛情を与えてあげられる人。

    「凪先生、困った人だな。それは殺し文句です」

    優成くんが、触れたら割れてしまう薄氷のような笑顔になる。

    「でも本当にそう思っているの。優成くんは皆に優しい分、幸せになる権利だってたくさんある。だから好きな人と一緒になって、幸せにならないと」

    「俺は、凪先生の側にいるのが一番幸せです」

    間髪入れずに返ってきた返答に、少し怯む。

    「だけど、私の心は、晃輝さんでいっぱいなの。それじゃあ優成くんは苦しいでしょう」

    「苦しくないと言ったら嘘ですけど、それでも側にいるだけで嬉しいんです。俺の恋人には、なれませんか」

    「......ごめんなさい。私、晃輝さんが忘れられない」

    それに、一緒になったらきっと、優成くんを傷つけ続ける。

    「......分かりました。それなら友人のままで、師弟のままでいいです。俺は、変わらず側にいてもいいですか。何もしないので、貴女に箏を教わったり、今日みたいに遊びに行ったりしたい」

    「優成くんは、それでいいの」

    好きな人と恋人になれず、遠くに行きもしないで、辛くないんだろうか。

    「いいんです。俺は凪先生の近くにいたい。東雲さんが戻って来ない限り、ずっと貴女の側にいて貴女を支えたい」


    それからも優成くんは何度か私を連れ出してくれた。食事や映画など気軽なものばかりだったのは、私が遠慮しないように考慮してくれているんだろう。そんなとき、私は少し楽に息が出来るように感じた。

    優成くんは決して一線を越えようとしなかった。無理に抱きしめることすらせず、まるでそれが当然だと言うように優しく、会話も楽しく、私が幸せに感じることだけを、砂漠に水を注ぎ続けるように与えてくれた。

    時折、私が晃輝さんとの思い出に耐えられなくなって取り乱した時は、繊細な羽毛でできた高級品を抱くように、私に胸を貸してくれた。落ち着いてから見上げると、他の人なら気づかない程度の寂しそうな表情を含んで綺麗に微笑んだ。

    陶器のように粉々になってしまった私の心のかけらを、慎重に集めて根気よく貼り合わせるかのように、私にとって最適な距離を保ちながら、優成くんは近くにいてくれた。



    続きはこちら。


    前回のお話はこちら。

    第1話はこちら。


     
     
    10歳男児の母。自称USCB(ウルトラスーパー超絶美女)。エッセイ&創作&ピアノ弾き語り&読書&スピ。 登録日本語教員&着付講師。advanced marketer。専門学校で、着物で留学生に日本語やマーケティングなどのビジネス科目を教えています。

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