
AIに何を任せて、自分には何を残すのか
「AIヴィーガン」とCopilot Codeから考える、これからのAIとの付き合い方


気になる IT ニュース
「 AIヴィーガン 」って、知っていますか?
生成AIを「 あえて使わない 」人たち
「AIヴィーガン」という言葉をご存じでしょうか。私は最近のITニュースを見ていて、この言葉を初めて知りました。 生成AIが急速に広がるなかで、ChatGPTなどの生成AIをあえて使わない、あるいは自分の思考や創作には使わない人たちがいます。 ABEMA Primeでは、こうした動きを「AIヴィーガン」と呼んで取り上げ、AIとの付き合い方について議論していました。記事によれば、高校生・大学生の約9割が生成AIを利用しているとされる一方、海外では生成AIを避ける人たちのコミュニティも生まれています。 もちろん「AIヴィーガン」という言葉は、厳密な技術用語というより、こうした動きを表すために使われている呼び方です。番組に登場した人たち自身も、必ずしもこの名前を自称しているわけではありません。 それでも私は、この言葉が気になりました。 便利なものが登場すれば、それを使う人が増える。これはごく自然な流れです。 だからこそ、「こんなに便利なのに、なぜあえて使わないのだろう」という問いから考えてみたいと思います。


なぜ、あえてAIを使わない?
「自分の言葉で伝えたい」
「作る過程にも価値がある」
便利さの中で、何がなくなるのか
番組の中では、生成AIを使わない理由がいくつか語られていました。 その一つが、「多少うまくなくても、自分の言葉で伝えたい」というものです。文章として整っていなくてもいい、少し分かりにくくてもいい。それでも、自分が考えたことを自分なりの言葉で伝えたいという切実な願いです。 もう一つ、私が特に気になったのが「過程」についての話でした。 以前は生成AIを使って音楽制作をしていた人が、AIによって完成度の高いものを作れる一方で、制作途中の葛藤や立ち止まる時間、人と協力することで生まれる関係、そこから得られる成長などが失われていくことへの違和感を語っています。 ここには、一つ大きな違いがあります。 「良い完成品を得ること」と、「自分が何かを身につけること」は、同じではないということです。 たとえば、答えだけが必要なら、AIに聞いて早く正確にたどり着ける方がいいでしょう。一方で、目的が「自分で考えられるようになること」なら、途中で迷ったり、間違えたり、調べ直したりすることにも意味があります。遠回りに見えていたものが、実は学習そのものだった、という場合もあるのです。 AIによって無駄を減らすことはできます。 ただ、その「無駄」の中に、自分が欲しかったものまで含まれてはいないだろうか。 私は、このニュースを見ながらそんなことを考えました。
ところが面白いことに、ほぼ同じ時期、ITの世界ではまったく逆方向のニュースも出ていました。


もう一つの気になる IT ニュース
Microsoft Copilot「 Code 」
「 こんなものを作りたい 」→ AI → アプリ・ツール
ITは、もっと「任せられる」方向へ進んでいる
2026年9月25日、Microsoftは新しいCopilotを発表しました。
その中の新機能の一つが、
「Code」
です。
Microsoftの説明では、Codeを使うことで、アプリやダッシュボード、自動化、ワークフローなど、欲しいものを自然な言葉で説明しながら構築できるようになります。
また、GitHub Copilotと同じ基盤技術が使われています。
つまり、これまでなら、
「どんなコードを書くか」
から始まっていたものが、
「自分は何を作りたいのか」
と伝えるところから始められる方向へ進んでいるわけです。
これはプログラミングの知識が不要になる、という単純な話ではないと思います。
むしろ、
コードを書くこと。
AIに書かせること。
出来上がったものを確認すること。
目的を伝えること。
それぞれの境界が、少しずつ変わっている。
そんなニュースに見えます。
ここで二つの流れが並びます。
一方では、
「あえてAIへ任せない」
という人たちがいる。
もう一方では、
「もっとAIへ任せられるようにする」
ための技術が進んでいる。
私は、この二つがほぼ同時に起きていること自体が、とても面白いと思いました。
ただし、
「どちらが正しいのだろう?」
とは、あまり思いませんでした。


AIを使う? 使わない?
本当に問題はそこ?
便利になる → 任せられる → もっと任せる → ……何のためだった?
落とし穴は、AIそのものではない
AIを使う。
AIを使わない。
この二択だけでは、少し足りない気がします。
私はAIを使うことが悪いとは思いません。
反対に、使わないことが正しいとも思いません。
気になるのは、
「自分は何のために、それをやっているのか」
という部分です。
AIは便利です。
任せれば楽になる。
楽になれば、もっと任せたくなる。
そしてAIが進化すれば、今まで自分でやらなければならなかったことも、さらに任せられるようになるでしょう。
これは、とてもありがたいことです。
ただし、その先には一つだけ、落とし穴があるように思います。
便利だから任せる。
任せられるから、もっと任せる。
そしていつの間にか、
「何のためにやっていたのか」まで任せてしまう。
私は、AIそのものよりも、こちらの方が気になります。
しかもこの落とし穴は、かなり居心地がいい。
早い。楽。疲れにくい。
それなりに完成度の高いものも出来上がる。
だったら、そこにいたくなるのは当然です。
だから、落ちることそのものを否定しても意味はありません。
そして一度落ちたからといって、そこから出られなくなるわけでもありません。
目的がそこにはないと気づいたら、また出ればいい。
その中で覚えた便利な使い方まで捨てる必要もない。
便利さを知ったうえで、自分の目的に合わせて使い直せばいい。
私はそう考えています。
そして、もう一つ。
AIへすべてを丸投げして、誰でも同じようなものを作れるようになったとします。
すると極端に言えば、
その瞬間、自分のライバルは全人類になります。
なぜなら、同じAIを世界中の人が使えるからです。
だからこそ私は、
AIが普及するほど「個性」の価値が小さくなるのではなく、
むしろ逆に、大きくなる可能性があると思っています。
自分が何を経験してきたのか。
何に疑問を持ったのか。
何を面白いと思ったのか。
どんな失敗をしたのか。
何を伝えたいのか。
そうしたものは、同じAIを使っていても人によって違います。
そこをAIに渡す。
そして答えをもらって終わるのではなく、対話しながら、
自分一人ではまだ届かなかった、その先を探していく。
AIには、そんな使い方もできるのではないでしょうか。


何を使うかより、どこへ行きたいか。
AIに、何を任せますか?
自分には、何を残しますか?
何を使うかより、どこへ行きたいか
私はAIについて考えているうちに、少し車に似ていると思いました。
今では、車そのものは珍しいものではありません。
だからといって、
「車があるのだから、もう歩く必要はない」
とはなりません。
歩くのが好きな人もいる。
自転車がちょうどいい人もいる。
電車の方が便利な場所もある。
タクシーを使えばいい場面もあります。
そして同じ「車」でも、
買い物へ行くために乗るのか。
仕事でトラックを運転するのか。
特殊車両を扱うのか。
レースで限界を競うのか。
目的によって、必要になる技術も使い方も大きく変わります。
誰でも車に乗れることと、誰でも同じように使いこなせることは、同じではありません。
AIも、これに少し似ているのではないでしょうか。
使わない。
少しだけ使う。
仕事だけに使う。
全部任せる。
学習ではあえて使わない。
考えを整理するために対話する。
自分の思考のその先を探索するために使う。
でも、考えてみれば、AIを何に例えるかによっても、その使い方はずいぶん変わります。
ある人にとっては、
電卓や辞書の上位互換のようなもの
なのかもしれません。
分からないことを調べる。
計算する。
文章を整える。
必要な情報を探す。
それだけでも、とても便利です。
でも別の人にとっては、少し違うかもしれません。
考えを投げかける相手。
自分でもまだ言葉になっていないものを、一緒に整理する相手。
そして、ふと思いました。
もしかしたらAIは、「応答してくれる日記」なのかもしれない。
普通の日記なら、自分が書いた言葉は、そのままそこに残ります。
でもAIなら、
「へぇ、そうなんだ」
「なぜそう思ったのか」
「別の見方はないか」
「前に考えていたことと、どうつながるのか」
と、自分が書いたものに対して返事が返ってくる。
もちろん、AIは電卓でも、辞書でも、日記でもありません。
でも、そのどれかとして使うこともできる。
いや、もしかすると、それら全部なのかもしれません。
だからこそ、「AIとはこう使うものだ」と一つに決める必要もないのでしょう。
どれか一つが正解なのではなく、
自分がどこへ行きたいのかによって、使い方を決めればいい。
AIがこれからどこまで進化するのかは分かりません。
ただ、今よりも多くのことを任せられるようになる可能性は高いでしょう。
だからこそ、
「AIを使うべきか」
「使わないべきか」
だけではなく、
もう少し細かく考えてもいいと思います。
これはAIに任せたい。
ここは自分でやりたい。
ここはAIと一緒に考えたい。
ここだけは、自分で悩んでみたい。
その境界は、人によって違っていていい。
便利さと人間らしさも、必ずしも敵同士ではありません。
むしろ、誰でも同じように強力な道具を持てるようになるほど、
「その道具で、自分は何をする人なのか」
の方が、今まで以上に重要になっていくのかもしれません。
AIに何ができるのか。
それももちろん気になります。
でも私は、それ以上に、
そのAIを使って、自分は何をしたいのか。
こちらの方が気になります。
最後に、二つだけ問いを残します。
あなたは、AIに何を任せますか?
そして、
自分には、何を残しますか?

参考にしたニュース
ABEMA TIMES「『気がついてみたら人間が何もできない状態に』東大研究員も危惧する“AI脅威論” あえて生成AIを使わない若者も…進化を止める術はあるのか」(2026年9月26日)ABEMA TIMESの記事
Microsoft日本語版
「Home、Code、Autopilotを備えた新しいCopilotを発表」
2026年9月28日。