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作者胎内十月図①~作家のアイデアはこうして生まれるという江戸のマンガ絵本

     江戸の流行作家、山東京伝さんとうきょうでんは、どのように作品を作っていたのだろう。本当かウソかはわからないけれど、作者自身が自分の創作そうさく秘話ひわを語かたるという趣向しゅこうの作品。
     
     「作者さくしゃ胎内たいない十月図とつきのず」は、山東京伝さんとうきょうでん(1761~1816)作画、文化元年1804年、鶴屋つるや喜右衛門きえもん刊の黄表紙きびょうし。
     上中下三巻の現代語訳を三回に分けて紹介する。文学論的な訳ではなく、かなりの意訳であるので、黄表紙の入門として、楽しんでもらえたらうれしいかぎりだ。

     


    上巻
    序じょ

     戯作者げさくしゃほどうらやましがられぬものはなし。人にはヘチマの皮のようにしょうもないものと思われている。詩歌しいか、連歌れんが誹諧はいかい、故事来歴こじらいれき、なんでもよりどり百円均一きんいつと並べ立ててみれども、あんまり元気はなく、実学者じつがくしゃの偉い人に会えば、一言もなしの、流しに出るドブネズミのごとく、シッポをまいて逃げるのみ。予よは、このことを悟さとらざるにはあらず、越国屋えちこくやの番頭ばんとう、范兵衛はんべえのあとを慕したい、流行の羽織はおりをはおり引退し、上田紬つむぎの女をともない、出店でみせを開いて隠居いんきょしようと思えども、版元はんもとの越王えつおう、鶴屋つるや喜右衛門きえもん、許してくれず、よんどころなく、作者の腹の中にある秘密を明るみに出し、この草紙そうしをつくる。かくして、ヘチマの皮となりて、ヘチマタワシとなって、生涯、人の足のアカをこするべし。ああ、ぜひもなきかな。
      享和きょうわ四年甲きのえ子ね初春  醒世せいせい老人 山東京伝さんとうきょうでん戯誌

     


    一

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     草双紙くさぞうしというものは、子どもだましのたわいもないものなれど、これにも当あたり外はずれありて、当たれば版元はんもとのしあわせ、失敗すれば、作者はヘチマのように安くされる。世につらいものは草双紙くさぞうしの作者なり。
     今年もまた、本屋から、草双紙の作品をたのまれたところ、浜の真砂まさごは尽つきぬとはいいながら、毎年のことなので、とんとアイデアつきはてて、机に向かえど、いくら考えても、尾籠びろうながら、尻しりからおならが出るばかり、アイデアはいっこう出てこない。本屋からは、どうだどうだとせっつかれる。せつないときの神頼かみだのみ、作者と生まれたのが因果いんがなれば、浅草の因果いんが地蔵じぞうに願がんかけしようと思いつき、七日間の日参にっさんで、
    「なにとぞ草双紙くさぞうしの種たねを孕はらみますように」
    と、子宝こだからを願うがごとく一心不乱いっしんふらんに祈いのれば、ばかばかしくも、また、たわけなり。
     
    京伝「もうし、地蔵さん。作者と生まれたのが、わたしが因果いんがでござります。どうぞ、よい趣向しゅこうをおさずけくだされ。たった一冊でようござります。半分のアイデアでもかまいません」
    と願がんをかける。
    子ども「かかさん、鳩はとの豆を買ってくんな」

     


    二

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    かくて、七日の願いが満みちる日に、とろとろ眠ねむる夢の中に、因果いんが地蔵じぞうあらわれたまい、
    「善哉ぜんざい善哉ぜんざい、われはいうまでもない、この姿で正体をさとるべし。
    そもそも多くの願いの中に『作品の種たねをさずけてくれろ』という願いは、長年仏ほとけを商売にしているおれも、これがはじめてだ。さすがのおれも、この願いには、とんと困こまりはてた。作者と生まれた因果いんがよりも、こんな願いをかけられるおれが因果だ。しかし、まんざらことわったら、とんだ卑怯ひきょう菩薩ぼさつなどと言われるだろう。それもまた残念だから、大切なこの玉をさずけるので、これを飲め。そうすると、じきに趣向しゅこうを孕はらむ。
    ゆめゆめ疑うたがうことなかれ」
    と、そのまま夢からさめにけり。
     
    地蔵「この玉は、屁へくさいから、屁のような作品が生まれる。それは承知しょうちしたうえで、この玉を飲むがいい」
    京伝「息災そくさい地蔵尊じぞうそんだけに屁へくさい地蔵尊じぞうそんのくさい玉でござりましょう。恋は女のしゃくの種たね。これは作者の作の種たね。ありがたやありがたや」
     
    京伝の女房百合ゆり「おらが家では、昼間っから寝言ねごとを言わっしゃる。けしからんねえ」
     
     地蔵尊じぞうそんがさずけた玉は、黄色をしていて、くさい玉なり。これを飲んだと夢に見ると、この作者、おなかになにかができ、ただならぬ身となりしは、不思議なりけるしだいなり。

     


    三

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    一月ひとつきめ
     作者、地蔵尊じぞうそんよりさずかった玉を飲むと夢に見れば、腹に作の種たねを宿やどし、趣向しゅこうを孕はらみけるが、まず、一月目ひとつきめは、腹の中に、墨すみ、硯すずりの形ができる。
     この月は、不動ふどう明王みょうおうならぬ工藤くどう明王みょうおうが守りたまう。草双紙くさぞうしは、初春に新版が出るもので、工藤くどう祐経すけつねは春はる歌舞伎かぶきに出てくるもの。そこで、一月目の守りとする。これが、こじつけの最初でござる。
     工藤くどう明王みょうおうは、赤い柄えの短刀と、狩り場かりばへの入場キップを持ち、後ろには思いが熱くなった火炎かえんとかや。
     
     さて、一月ひとつき目は、筆ふで、墨すみ、硯すずりの形ができて、作者は、ただ机に向かってタバコをぱくぱく吸うばかりで、何を書こうか、何を作ろうかと、趣向しゅこうも案あんじも浮かばず、混沌こんとん未分みぶん、カオスの状態で、まったくわけのわからないままなり。
     
     工藤くどう明王みょうおうは、工藤の家来けらい、近江おうみの小藤太ことうた、八幡やわた三郎さぶろうに言いつけたまい、古い草双紙くさぞうしを集めて、よい種はないかと図はかりたまう。よくよく切せつなきことと見えたり。
     
    京伝「陰陽いんよう一滴いってきの水を宿やどして子となり、硯すずりの一滴いってきで趣向しゅこうの種たねを孕はらむ。しかし、こう父ててなし子を孕はらむのが作者だからよいものを、娘の場合ばあいは大騒おおさわぎになる」
    工藤「親はなけれど子は孕はらむ。はて、おもしろい趣向もないものじゃ」
    本屋「古い趣向はダメでござります」

     


    四

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    二月め
     二月目ふたつきめは、作者の腹に趣向しゅこうがうかばず、目も鼻もない徳利とっくりの形ができる。徳利とっくりもいろいろあるが、これはりっぱな徳利とっくりにはあらず、貧乏びんぼう徳利どっくりのうえに、中身のない空から徳利どっくりなので、よい趣向しゅこうが生まれるわけがない。
     この月を、釈迦牟尼しゃかむにではなく、作無理さくむり如来にょらいが担当して守りたまう。
     だいたい、草双紙くさぞうし作品は、無理なこじつけがもっぱらなので、この如来にょらい、無理なこじつけをさずけようと、足の速い韋駄天いだてんという神と、速疾鬼そくしつきという鬼に言いつけて、いろいろ無理なことを集めたまう。
     その無理なものは、月の出ない新月の月夜に生まれた四角な玉子、ウソをつかぬ女郎、やきもちをやかない女房、足のあるゆうれいなどなり。
     
     作無理さくむり如来にょらいは、また釈迦しゃかならぬ茶香ちゃか如来にょらいとももうしたまうので、頭はお茶の急須きゅうすの形なり。作者、あんまり趣向しゅこうが浮かばないので、茶ばかりがぶがぶ飲むのでできた姿とかや。
     
    作無理如来「これでも茶人ちゃじん好みの頭だ。茶人はうれしがる」
    京伝「とっくり徳利とっくり考えても、よいアイデアが出ない出ない」
     
    韋駄天「足のあるゆうれいを、やっとさがしてまいりました」
    幽霊「わたくしは、やとわれて出るゆうれいでござります」
    速疾鬼「速疾鬼そくしつきという名前は、しっしっと犬をけしかけるような名前だ」

     


    五

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    三月め
     三月目みつきめは、作者の腹のうち、どこといってつかまえどころがないので、ひょうたんでナマズを押さえる形ができる。ひょうたんなまずとは、ひょうたんでヌルヌルしたナマズをつかまえるように、とらえどころがないことをいう。
     この月の担当は、地蔵じぞう菩薩ぼさつではなく、持病じびょう菩薩ぼさつなり。作者は、頭痛をおさえるようにはちまきをして考えるので、ついには本当に頭痛が持病になるべし。いらざることに苦しむのは作者なり。

     


    京伝は、なかなかアイデアもうかばず次回につづく、

     


     大流行作家の京伝も、アイデアにこまったらどうするか、というお話。いくら作品を作っても、当たり外れがあり、それでも本屋からは、早く次回作を書けとせっつかれる。
     今も昔も、作家は作家で苦しんでいた。

     


    黄表紙の始まりといわれる恋川春町こいかわはるまちの「金々先生栄花夢きんきんせんせいえいがのゆめ」(1775年)の現代語訳は、こちら、

    黄表紙の代表作、山東京伝さんとうきょうでんの「江戸生艶気樺焼えどうまれうわきのかばやき」(1785年)の現代語訳は、こちら、

    これらの後半部分に、他の黄表紙の紹介もあるので見てほしい。
     

     
     
    神戸からの風。 歓怒の文字は「歓喜」「怒り」「喜怒哀楽」を示し、「かんど」は漢字では「神戸」とも書ける。「感動」とも書ける。 毎週、日曜日、木曜日更新。

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