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仕事と人生に疲れ切って途方に暮れていた、20代の私へ。「やりたいこと」をカタチにしたら、憧れの地へ連れて行ってもらえることになったよ。

    用紙見本、というものがある。
    言葉の通り、「用紙」の見本だ。

    印刷に使う紙の見本、みたいなものである(雑)。
    ペーパーカタログとか、用紙サンプル、とも言う気がする。

    同人誌やZINEを制作したことがある方なら、割とご存知の方が多いのでは、と思っている。


    私は、この用紙見本を眺めてさわっていることが、わりと好きだ。
    全然詳しくはないけれど、それでもずっと眺めていられる。

    この世には、まだ使ったことがない紙が、山のようにある。

    いつか、自分の好きな用紙を、使ってみたい。
    そして、作ってみたい。


    それが何かはわからないけれど、漠然とそう思っていた。


    ***


    唐突に話は変わる。
    ある時期、広報の仕事をしていたことがある。

    あくまで私の経験だが、広報は、多様で、そして地道な仕事だ、と思う。


    ひたすら種を蒔き、育つのを見守り、同時進行でまた次の種を蒔いていく。

    表に立つより、圧倒的に裏の地道な仕事をしている時間のほうが長い。
    いろんなやり方があるし、あらゆる業務がある。
    上げはじめたらキリがないので、ここでは割愛するけれど。


    その中で、チラシ、ポスター、パンフレットなどの紙媒体の広報物に加え、ノベルティなどを制作することもあれば、パネルを作ることもあった。
    デザインは他の方に頼むことも多かったけれど、その手配は仕事の範疇だし、内容チェック、赤入れも仕事のうちだ。

    最終的にGOを出すのは上司でも、間違った情報を世に出すわけにはいかないから、広報はある意味でひとつの砦のような側面もあった。

    そして、だいたい予算がなかった。


    大企業なら別かもしれないが、私の経験してきた範囲で、広報の予算が潤沢にあった試しはない(振り返ればまだ予算があるほうだった、ということはある)。

    ないから、必然的にいろいろなものを自作することになる。


    特に新しいものを作る場合、何を作るにしても、どうやったら負担をかけずにすむのか、人件費と労力、現場で回せるマンパワーも考えつつ、一から調べて提案し、発注し、納品され、リリースし、現場に出していく。
    自分で作れるものは、作っていく。
    もしも私がそれらをできるとするなら、明らかにそれは仕事で磨かれた能力だろう。


    閑話休題。

    だから、現実的にお金がかかることはだいたい難しい。
    チラシに、パンフレットに、冊子に、使ってみたい用紙があったとしても、使うことはまず叶わない。予算がないから。


    それは、贅沢として、無駄として切り捨てられる。
    私もおそらく、切り捨てるだろう。

    そこにかけられる予算があるなら、先にどうにかしないといけない課題が、現場には山のように積まれている。
    そちらを解決するほうが、先だからだ。


    だから、ずっと、仕方がない、と思っていた。
    お金がないのは、現実問題として少なくとも今すぐはどうにもならない。

    マンパワーでどうにかするにも、限度がある。

    広報が先走って行き過ぎれば、その皺寄せが現場に行く。
    結果、そんなつもりは全くなくても、現場が疲弊してしまう、ことはある。

    そのバランスを考えて、ゆるく手綱を握ることさえも、仕事のうちかもしれないが、それだって加減を間違えれば、ただの口うるさい人になってしまう。
    人のやる気を、想いを、熱意を、削いでしまう。


    「やりたい」という想いに水を差すことほど無粋なこともない、と思いながら、仕事である以上、それでも差さなければいけないことは、あった。
    仮にも会社の看板を背負っている以上、いい加減な仕事をするわけにはいかない、と当時は思い込んでいた。

    間違えば、失敗すれば、糾弾される。
    そして何よりも、信頼している人に失望されることが、私は怖くて仕方がなかった。


    「真面目」だと言われば、そうなのかもしれない。
    けれど、私にとってそれは、当たり前にこなさなければいけない水準だった。
    「間違いのないこと」が、当然だったのだ。


    「間違わない」ことは、できて当たり前。普通のこと。
    その上で、さらに新しいことを、生産的なことを、効率を上げることを求められ続ける。

    それでも、そうやって仕事をすればするほど。
    他者の期待に、応えていこうとすればするほど。


    心血を注いで仕事をすればするほど、「余裕」は失われていく。
    「遊び」のようなものは、許容できなくなっていく。

    だから。


    ……もう、仕方がない。


    ずっと、そう思ってきた。
    見えないところで、おそらく自分でも気がつかないところで、いろんなものを削り、切り捨て、諦めてきた。


    ***

    それが少しずつひっくり返ったのは、おそらく「なんのはなしですか」に出会って以降のことだろう。

    オセロが、少しずつ黒から白になっていくように。


    それでもあの頃、私に「やりたいこと」なんて、考える気力もなければ、資格すらもないと思っていた。

    20代の時、「やりたいことは?」と聞かれるたび、笑って誤魔化しながら、内心でひっそりと反発していた。


    「それがわかれば、こんなに苦労しないよ」と。

    同時に、やりたいことなんて、何一つ浮かばない自分に嫌気がさして。



    そうして全部、諦めていた、つもりだった。


    ……つもりだったのだが。




    なぜか、気がついたら路地裏の年表を作成し、珈琲のパッケージデザインに採用いただいていた。あれ、おっかしーな。


    正直、自分で書いていても、さっぱり意味がわからない(笑)


    #なんのはなしですか


    そしてなんの偶然か、機会に恵まれ、(私の中では紆余曲折あって)栞を制作して、ZINEフェスに出品していただいた。


    今回制作した栞は、実はずっと使ってみたかった紙を使わせていただいた。
    なにせ、予算を考えるのは自分だし、お財布も自分と相談すればよいだけ。

    限度はあるけれど、仕事で何かをカタチにするより、存分に自由だった。
    だから、のびのびと好きに制作させてもらった。


    その結果、最終的に6種類もできたわけだが(笑)

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    こちらはメインの4種類。
    紙の解説はチラリとこちらの記事で書きました。


    私は、ただただ作りたかったモノを、現実のカタチにしていっただけだった。


    自分の中の、小さな小さな、「やってみたい」「つくってみたい」。
    ようやく、かろうじて聞こえ始めたその小さな声を、拾い上げただけ。



    そうしたら。


    20代の頃から、ひそかに行ってみたいと思い、けれど行けないままだった渋谷の「bar bossa」様に、作った栞を連れて行っていただけることになった。


    ものすごく、びっくりした。


    どんな奇跡が起きたんだろう、と思った。


    目の前で起きていることに、正直なところ、まだ現実味がない。実感が追いついてこない。



    それでも。

    あいにくこの日、私はお店に行けないけれど。
    自分が作った栞が、憧れのお店に連れて行ってもらえる。


    それは、私個人が憧れのお店に行けることよりずっとずっと、凄いことなんじゃないか。


    私一人がどれだけ頑張っても、一人では辿り着けないような世界。


    10年以上の時を経て、まさかこんな風に、自分の憧れが叶うだなんて、思いもしなかった。


    ***


    人生には、不思議なことが起こる瞬間がある。

    何がキッカケで、どこにどう繋がるのか、本当にわからない。


    わからない。


    ……わからないよ。


    だから。

    仕事に心血を注ぎすぎて、「生きている理由なんて、どこにあるんだ」と途方に暮れていた、20代の頃の私へ。


    意味がなくても、理由がなくても、大丈夫だよ。

    今は生き延びることに精一杯でも。


    その経験は、無駄じゃない。
    他の誰にも、盗めない。

    全部、全部、あなたの血肉になっているから。


    ……だから、お願い。


    どうか、みっともなくても、情けなくても。
    どれほど泥臭く、足掻いたとしても。
    乗り越えなくていい。
    どうにか日々を、やり過ごして。

    今日1日を生き延びていくことをひたすら続けたその先に、きっと、思ってもみないような世界があるから。


    一人では、辿り着けないような世界に、行くことができるから。

    これまで、想像すらもしたことがない、奇跡のような瞬間に。


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    いつも、本当にありがとうございます。


    #なんのはなしですか


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