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恩師・小山薫堂さんから届いた、一通のお守り。

    この文章は、Money for Goodとnoteで開催する「#推したい会社」の参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

    SURPRISE AND HAPPINESS

    社員ひとりひとりの誕生日をサプライズでお祝いする企業が、東京タワーから徒歩3分の距離にある。

    それは、突然のサプライズケーキとともに社員が登場する・・・ようなシンプルなものではない。

    内緒で家族を巻き込んでいたり、理不尽に突如として怒られることもある。役者が登場することも・・・もちろんそのための台本もある。ネタバレの瞬間も、サプライズ映像も一緒、実に盛大だ。数ヶ月に及んでテレビやメディアを巻き込むこともあるので、ドッキリ専門の番組制作会社かと勘違いするほどのクオリティである。

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    全社員の誕生日を信じられないくらい全力でお祝いする

    「企画とは、バースデーサプライズなんだよ」

    そんな社長の声が、今日も聞こえてくる気がする。なんだか不思議と、昔お付き合いしていたガールフレンドを思い返すような、甘酸っぱいきもちになる。

    今回「#推したい会社」として、熊本県のゆるキャラ「くまモン」の生みの親、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」の脚本、2025年開催「大阪・関西万博」テーマ事業プロデューサーも務める、放送作家・小山薫堂氏が代表を務める企画会社「オレンジ・アンド・パートナーズ」について、僭越ながら記したいと思います。

    私自身が人生のファーストキャリアを過ごした愛すべきオレンジ(通称)の社是は「SURPRISE AND HAPPINESS」である。

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    小山 薫堂|Kundo Koyama
    1964年6月23日 熊本県天草市生まれ。放送作家、脚本家。
    日本大学芸術学部放送学科在籍中に放送作家としての活動を開始。「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」など斬新なテレビ番組を数多く企画。 2008年、初の映画脚本「おくりびと」で第32回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第81回米アカデミー賞外国語部門賞を獲得した。 テレビ、ラジオ、映画、エッセイ連載、作詞など幅広く活動する他、京都館館長(京都市)、京都芸術大学副学長、経済産業省、農林水産省、文化庁など多くの政府・地域・企業のアドバイザー等を務める。故郷である熊本県では地域プロジェクトアドバイザーを務め、人気キャラクターくまモンの生みの親でもある。2025年開催の「大阪・関西万博」のテーマ事業プロデューサーを務める。

    カッコイイオトナとは、こういうことか!

    『企画は「この指止まれ」なんです、デザイナー、イラストレーター、イベンター、カメラマン、ワクワクする企画を生み出すと、たくさんの人が集まってきます』

    大学に入学すると、物腰やわらかく、とってもたのしそうに話すオトナがいた。これから自分自身のゼミ教授となり、卒業後に新卒で入社する会社の社長となる、小山薫堂さんとの出会いである。

    雷が落ちた気分だった。

    こんなにおもしろいオトナっているのか・・・企画を立案できる人はリーダーになれるのか・・・心が高揚したことを覚えている。

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    19歳当時の生意気な私(中央)と、学科長・小山薫堂(右)さん

    仕事とは総じて辛いもの。歯車になることで有り、どうやらビールがとても美味しくなるらしい。高校時代までに岩手の田舎で凝り固められた社会人像が、ガラガラ崩れ落ちた瞬間だった。

    大学は、まるで「天国」であった。

    なぜならば、記憶することは評価の対象にならず、自発性やアイディアが、評価の対象になるからだ。生まれて初めて学ぶことが楽しいと心から思えた。

    「自分はできるかもしれない」なんて、変な自信をうっすらと抱いてしまうくらいには、人前でお話しする機会もあった。最終的に就職先は当時学科長であった薫堂さんが代表を務める「オレンジ・アンド・パートナーズ」に入社することも確定した。我ながら完璧な流れだった。

    「若い頃は、とにかく都会に住んだ方がいいと思うんだよね」

    薫堂さんが発した何気ない一言を信じ込み、東京ミッドタウン(六本木)の真裏にある、キッチンなし、洗濯機なしの6畳一間を、保育園時代からの幼馴染とルームシェアをすることにし、意気揚々と田舎町から上京、社会人生活をスタートした。

    華やかなる(になる予定の)社会人生活が幕を開けた。

    「一旗あげよう!」六本木で浴びる春風は、不思議と東北のように肌にやさしく感じる。これからはじまる生活に、田舎少年の心は、高揚していた。

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    東京上京直後、人生初となるカウンターレストラン、美味しすぎて悶絶

    「情熱大陸」放送寸前、ダメダメだった新卒時代


    2014年8月17日、小山薫堂さんの「情熱大陸」が全国放送になった。新卒入社して4ヶ月後の出来事であった。

    気になる私自身の出演時間は「3秒」、ほんの一瞬だったが、社内朝礼で突っ立っているデクノボーがいた。岩手の家族や親戚は「崇弥が、情熱大陸に出たぞ!」と大喜び。

    その放送を記念する食事会で、担当ディレクターさんが、私に伝えた。

    「薫堂さんって、とってもいい人じゃないですか、怒っているシーンがなかなか撮れなくて・・・崇弥さん、全国放送寸前だったんですよ!」

    そう、そうなのだ。詳細は割愛するが、薫堂さんが会議中にめずらしくも怒っている瞬間(確かに思い返すと、私の企画書の内容があまりにもよくなかった)を、情熱大陸の撮影クルーに撮られていたのだ。

    実はとても怖いクリエイターという印象を(とても優しいです)、日本全国にお届けしてしまうところだった。自らカミングアウトするのもアレだが、わたしは仕事ができないだけではなく、世間知らずも相まるダブルコンボ。

    とにかく先輩からも怒られてばかり。

    宅配便の存在を知らずに「出しといて」と上司に頼まれたものを、なぜか全てポストに投函してしまったこともある。結果は言わずもがな、数多の取引先から「必要な書類が届いてません」と電話が鳴り止まなくなった。

    ボキボキ、ボキボキ、ボキボキボキボキ。

    六本木の春風に吹かれて気分上々のわたしは何処へ。心の骨が、毎日のように折れている音が聞こえる気がした。夏を過ぎたころ、会議終了後の薫堂さんから顔を覗き込まれて一言。

    「崇弥!オマエさ・・・こんなに静かなヤツなんだっけ?」

    ああ・・・こんなハズではなかった・・・。

    その時期のわたしは荒んでいた。出社前には動悸がするので、布団に顔を埋めて「仕事!行きたくないー!」と叫んだ。当時ルームシェアしていた幼馴染の慰めの言葉で平穏を保っていた。それも毎日、痛いヤツだった。

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    ブルックリンのような活気あふれるオシャレオフィスで、わたしは静かだった(写真中央)

    見つけた、自分の存在できる道。

    そんな私も、唯一存在意義を発揮できる場所があった。
    それは、社員のバースデーサプライズである。

    前述したが、オレンジ・アンド・パートナーズは、全社員の誕⽣⽇サプライズをする狂った(すごく褒め言葉です)制度がある。それもみなさまが想像しているよりも遥かに盛大に。遊びでありながら、仕事の特訓でもあることを明言しているのだ。

    私自身、撮影と編集が、少しばかりできたこともあり、サプライズプロジェクトはひっぱりだこであった。閃いた!

    「ここだ!私の存在を証明するには、ここしかない!」

    入社1年目は、もはや業務の半分近いリソースを、サプライズの映像作成に割いていたのではないだろうか。エナジードリンクに支えられながら、何度も徹夜をしていたけれど、とにもかくにも、すごくたのしかった。

    台本を書いて、演出を決めて、キャスティングをして、ナレーションも自分の声で。その作品を、全社員が笑いながら見てくれる、快感だった。

    思い起こすだけでも、いろいろなサプライズがあった。

    BEAMS・設楽社長とのお茶会中、人間国宝(もちろん人間国宝のものではない)の茶碗を薫堂さんが手に取った瞬間、まっぷたつに割れてしまったり・・・

    奈良から東京まで総距離500kmを社員が襷を繋ぐ「KOYAMA EKIDEN」が決行されたり・・・

    社員旅行のクルージング中、軽部副社長が「サメ」のラジコンに襲われたり・・・

    「萩尾(はぎお)」取締役がやっとの思いで購入したマイホームのお祝いに薫堂さん直筆の表札が設置されるが「荻尾(おぎお)」の表札として納品されてしまったり・・・

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    新宿伊勢丹の屋上に、一夜限りの「オレンジ遊園地」が会園したことも

    自分自身も、突然に「1名足りなくなってしまったので、どうしても婚活パーティーに来てもらえないか?」と呼びだされ、薫堂さんと仲が良いと豪語するマダムにえらく気に入られてしまい、職場に手づくり弁当が届いたり、鬼電が昼夜問わず届くトラップを仕掛けられたこともあった。

    一方の本業の仕事といえば・・・

    大手化粧品メーカーのドラマ撮影でクライアントの送迎をし続けたり、ロケのときには飲料をサッと渡すのが若手の仕事だと思い(ある種の勘違いだった)、袋いっぱいの水とお茶を常備している時期もあった。

    正しいかはわからない。けど、とにかく一生懸命だった。

    もっとできるのに。もっとできるはずなのに。もっと見てほしい。もっと見習いではなく何者かになりたい。もっと企画の仕事をお願いされるようになるといいなあ。

    とにかく、自分の存在感を社内外に示すことに必死だった。何よりも、薫堂さんのゼミ生出身のコネ入社なのに、アイツはなんにもできないというレッテルを貼られてしまうことに怯えていた。

    誰よりも謙虚な人になりなさい

    2013年12月31日、なにもできなかったという不甲斐なさと、心の奥底につっかえた気持ちを胸に秘めて、年始の挨拶メールを薫堂さんに送付していた。

    2014年1月1日。

    目が覚めると、メールボックスに通知があった。

    崇弥へ、

    就職してみて、どうでしょう?
    社会に出てみて、どうでしょう?
    企画構想学科で学んだことは
    何かの役に立っているでしょうか?

    若い頃は、うまくできる、できない・・・
    という以前に
    それをどれだけ命がけでやっているか・・・
    が、評価の対象になります。
    その点、今の君はとても頑張っていると思います。

    あらゆる人に気を配り、
    誰よりも謙虚な人になりなさい。
    謙虚である限り、
    周囲の人たちが、
    たくさんの知恵やヒントを与えてくれます。
    手助けをしてくれます。
    今の君は十分に謙虚です。
    その姿勢を忘れることなく、
    もっともっと熱量のある仕事をしてください。

    我がゼミ生、一番の出世頭になってください。
    期待しています。

    小山薫堂

    届いた瞬間、家族にも、双子の文登にも
    「薫堂さんから、素敵なメールが届いたんだ!」
    と見せて回っていたことを思い出す。

    ・・・泣いた。とても泣いた。

    うまくできる以前に、死にものぐるいで取り組むこと。
    あらゆる人に気を配り、誰よりも謙虚な人であること。

    ものすごく遠くまで見渡すことのできる、人生の大きな指針が心に刻まれた瞬間だった。一通のメールを超えた、わたしにとっての生涯のお守りだ。

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    自身の送別会、軽部副社長(左)と、小山薫堂社長(右)

    『ヘラルボニーの新バリューですが、「誠実謙虚」を全てのバリューを司る言葉として、据えたいと思います!』

    あれから約十年の歳月が流れて、わたしは今現在「異彩を、放て」をミッションに掲げ、福祉領域の拡張を目指す「ヘラルボニー」というスタートアップの経営者になっている。

    毎週開催される全社会議で発表した新バリューには「私たちのありたい姿」に「誠実謙虚」という言葉が刻まれている。

    これは、新卒時代から目指し続けた自分自身の目指したい人物像が、ヘラルボニーメンバーにも求める人物像にも進化していることを意味している。

    今日この瞬間も、もっともっと熱量のある仕事を、誰よりも謙虚に取り組むことを、心がけていきたいと思う。

    一通のメール(お守り)を、人生の指針として。

    ヘラルボニー|NEW VALUE

    【私たちのありたい姿】
    誠実謙虚

    【行動指針】
    1.挑んでいるか?
    ・向上心をもって果敢に挑戦しよう。
    ・改善を重ねて最後までやり抜こう。
    ・仲間の積極的な挑戦を歓迎しよう。

    2.未来をつくっているか?
    ・理想から逆算し戦略的に行動しよう。
    ・歴史や他者から学び本質をつかもう。
    ・現場主義で福祉の課題をみつめよう。

    3.共に熱狂しているか?
    ・成功も失敗もオープンに共有しよう。
    ・作家や多様な仲間と想いを共にしよう。
    ・違いを面白がり個々の得意を活かそう。

    株式会社ヘラルボニー|新バリュー(作成:田村大輔 Park inc.)

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