
自分が嫌い|拝啓文芸部|未開封の段ボール
『未開封の段ボール』
このお題で、短編小説を書きたかった。
何故、未開封なのか?
開けたくない?
見たくない過去や後悔が詰まっている。
会えなくなった人。
出来なくなったこと。
思い出すと辛くなるから。
開けた。
きっかけは何だった?
そして、開けた後、どうなったのか?
私は、自分の経験から、『昔の楽譜が詰まった段ボール』で書き出すことにした。
この曲、好きだった。
これは、難しかったなぁ…。
楽譜を見ると、まだ少し指が動く。
一曲、一曲に、想いが詰まっている。
10代の頃を思い出す。
両思いだった彼が吹くトランペットの音色が、贔屓ではなく、先輩たちよりもきれいだったこと。
延長練習の日に、先生が音楽室の電気を消して、
夜空を見ながら『ディズニーメドレー』を演奏したこと。
ソロパートで立ち上がって演奏をする時
私の膝が、そこだけ別の生き物かのようにガクガク震えていたこと。
文化祭のステージ時間が押して、自分たちが演奏するはずの曲が削られた時、
悔しくて、控え室になっていた教室で、誰からともなく『ディスコ・キッド』を吹き始めて
先生の制止も聞かずに演奏を続けたこと。
私の『未開封の段ボール』に入っていたものたち。
奥の方にも、まだあった。
同じ高校に進んだ、元『両思いだった彼』が、同じトランペットの子と付き合い始めたこと。
コンクールで金賞を取れなかったこと。
中2の時の課題曲と、高3の時の自由曲は、私が担当する楽器のソロがある曲が選ばれた。
私が通った中学校も高校も、吹奏楽コンクールでは銀賞止まりで、金賞は悲願だった。
それぞれ、別の顧問の先生が「この曲で勝負しよう」と決めたのだから
認めてくれていたということかもしれない。
でも、私は、ずっと自分の『音』が嫌いだった。
「母子家庭の私をかわいそうに思ったのだろう」
「高校を出たら就職する私への餞なのだろう」
などと、先生を疑う気持ちもあった。
楽器を始めた時、声では出せない音域が出せることが魅力だと思った。
私は、自分の『声』も嫌いだった。
小学校のクラスごとの合唱発表会の時
曲の2番がソロで構成されていて、そこを歌う4人のうちの1人に選ばれたこともあったのに。
これを読んでいる人は「自虐と思いきや、自慢話かよ」と思うのかもしれない。
でも、私は自分が書く『字』さえ嫌いだった。
楽譜に書かれた丸文字も、友だちの字を真似したものだ。
こうして振り返ると、「自分が嫌い」という病気は思いの外、重症だった。
そして、今も、
自分が書いた文章に自信が持てない。
他の作者さんのように、面白い、素敵な、奇抜な展開が思い浮かばない自分が悲しい。
自分が書くものは、固くてありきたりでつまらないと思ってしまう。
最近は、ありがたいことに、温かいコメントをいただくことがある。すごくうれしい。
それなのに、だ。
未開封の段ボールの奥には、『自分が嫌い』が、潜んでいた。
いつか、私は、自分を好きになれるのだろうか?