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【心震える本】塩田武士『存在のすべてを』は2024年に読んだ最高の社会派ミステリー…ここに「人間」がいると確かに感じられる希望と感動のラスト


    前代未聞の誘拐事件から始まる「愛の物語」

     
    ※核心的なネタバレは避けますが、かなり内容に触れるので、未読の方はご注意ください

    ※作家名は敬称略とさせていただきます

     
     ーーまたすごいものを読んでしまった、と読書の幸福感を噛みしめる。

     ミステリーは、衝撃のトリックとか探偵vs犯人の対決も魅力だけれど、どこかで本当に起こっていそうな社会派も大好きだ。
     とりわけ人間が「何を考え、どう行動したか」が事件の背景に大きく関わっていて、その心情的なものが腑に落ちると、いいものを読んだなぁと心が痺れる。
     
     そういう意味でこの塩田武士『存在のすべてを』は、満足度が最上級だった。

     社会を揺るがせた誘拐事件の謎が、とても人間的な心の動きで解明される。

     骨太な社会派って読書慣れしてない人にはハードルが高いかもしれない。でも映像化されたら日頃忙しくしてる人--特に子育てしている人にもぜひ観てほしい。これは愛の物語だから。特に、小さき者への。

    ***************

     塩田武士『存在のすべてを』のあらすじは次の通りだ。

     平成3(1991)年に神奈川県下で発生した「二児同時誘拐事件」。小6と4歳の男児が別々に誘拐されるという前代未聞の事態に捜査本部は混乱。小6男児は無事保護されたものの、4歳の内藤亮は行方不明のまま生存は絶望視される。ところが3年後、亮は元気な姿で祖父母のもとに帰って来たのだった。大人になった彼は気鋭の画家として脚光を浴びるが、空白の3年については口を閉ざし続ける。一体何があったのか・・・30年前の謎を解き明かそうとする新聞記者・門田(もんでん)が丹念な取材の末にたどりついた真実とは? そして孤高の写実画家が描く「実」への想いとは――。

    塩田武士『存在のすべてを』あらすじ

    「話すべきは今」と思わせる記者の人間性


     記者・門田はどうやって真相にたどりつくのだろう。

     帰って来た時7歳になっていた亮も、そこから彼を育てた祖父母も事情を知るはずなのに、警察にも当然マスコミにも何も話さない。

     ある人間が覚悟を持って隠し通そうとする謎を紐解くのは、一筋縄ではいかない仕事だ。なぜ教えてくれない、と上から問うても出てくるはずがない。

     ここで門田の人間性がものを言う。細い糸のような手がかりから出会った相手一人ひとりを、良い意味でしっかり観察し、礼儀を尽くしながら、今すべき質問を吟味して投げかける。

     信頼を得て、話すべきは今なのではと相手に思わせるのだ。いやぁ、プロの仕事。ここに元新聞記者である作者・塩田武士の力量を強く感じた。この駆け引き、到底真似できない・・・。

     ただ、門田は門田で記者としての葛藤を抱えていて、取材を進めながらも「なぜ書くのか」「何を書くのか」という本質的な問いを拭いきれない。

     けれど途中で、ある事実を知ったことで心が固まる。――それは「乳歯」の話。

     えっ乳歯? そう、子どもがある年齢になると順番に抜けていく、その乳歯。誰にでも自分の経験として覚えがあるだろう。

    「私は人間を書きます」

     
     詳しくは書かないが、このエピソードは幼児が身近にいる人ならよりうなずけるかもしれない。

     数年かけて抜けていく乳歯は、愛情なき者にはゴミ同然でも、ある者には一緒に過ごしたかけがえのない証に思える。事情があれば、なおさらだ。

     謎解きは社会派の王道らしく、探偵役の門田が丹念に積み上げた手がかりの「点」が、徐々につながり「線」になっていく。
     30年前の事情を知るある人物から「なぜ書くんですか?」と問われ、答えた門田の言葉に私は胸が熱くなった。

     この言葉が心にすっと染み込んだことが、個人的には2024年の読書最大の収穫だ。

     「(前略)『空白の三年』を経て帰ってきた少年は、読み書きができ、きちんと挨拶ができる子どもになっていました。彼の祖母の木島塔子は仲良くなった刑事に『情けないけど、生みの親より育ての親っていうのは本当ね』と漏らしています」
     (中略)「私はきちんと人間を書きたい。仮に誘拐に加担したとしても、大切に乳歯を取っておくような人たちがいたのなら、彼らを『犯罪者』という先入観で塗り潰したくありません。釈迦に説法ですが、私はこう思うんです。人には事情がある、と」
    (中略)
     「私は人間を書きます」

    塩田武士『存在のすべてを』p304より

     

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    ただ存在してくれるだけでいい(イメージ)

    その画家は、ある人間にとって光そのもの

     
     ーー私は人間を書きます。

     すごい。言葉は柔らかいけれど、凄みのある決意表明。

     自分はなぜ記者をやっているのか、新聞のあり方とは・・・という門田の葛藤の、これが答えでもあったのだろう。

     この作品では、取材の果てに門田がこの胸中にたどり着くことが、事件の真相とともに読み応えのあるひとつのドラマとなっている。

     そして、もうひとつのドラマは亮の高校時代の同級生である土屋里穂のパートだ。これはもう、出会いからラストまでを抜き出して1冊の小説にできそうなくらい、珠玉のラブストーリーになっている。
     
     父親の営む画廊で働く34歳の里穂にとって、亮との思い出は青春のすべてで、人生の輝きそのもの。

     疎遠になったけど、忘れられない人・・・誰にでもいると思う。
     
     「記者」と「同級生」という2人が、同じ人間(亮)の過去をたどる物語でありながら、門田の仕事への葛藤と、里穂の恋と憧れという異なる視点が絡み合うところが、「一人の存在」の大きさと多面さを浮き彫りにしていく。

     さぁ、どうなる?

     後半では絵画業界の裏側にある力関係がテーマとなり、純粋に良い絵が描きたい画家の苦しみが描かれる。

     ここで登場する「1人の天才画家」や、彼の才能を見抜いて支える画廊の人達が事件と密接に関係していくのが面白い。

     また、門田は中澤という刑事の死をきっかけに再び事件を追うことになったのだけど、その中澤刑事の無念も含め、登場人物達の存在すべてが、これしかないというクライマックスに繋がっていくのだ。

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    関係者達が最後に見た絵とは・・・(イメージ)


    映像的で音楽的な終章―そして衝撃のラスト!


     終章――クライマックス。

     まるで作者が登場人物達に対して癒しと解放を用意したかのように、終章は、ある地方のある街の、とても爽やかな季節が舞台。

     これ以上は書かないけれど、終章を読んでいる時、私はページの間から絶えず緑の風を感じた。暗い犯罪から始まった物語のその先にこんな着地点が待っているとは・・・想像もしなかった。

     ジョージ・ウィンストンの名曲『Longing/ Love』が印象的に使われていて、読みながら頭のなかでピアノの旋律が聴こえる人もいるだろう。

     犯罪が根底にあるから、どうしても救われない人もいるなかで、今存在する人達にとっての美しいラストが、読み手の心も癒してくれる(映像化、期待してます!)。

     ――と、すっかり満足してこれで終わりと思いきや、まさかまさか、ラスト1ページの衝撃!

     ――なんと、そうきたか! 塩田先生! 

     
     けれどそう、これは人間が「何を考え、どう行動したか」の話。とすれば、そうなるよね・・・と心情的なものが腑に落ちた。あぁ、大きな余韻と余白に、鳥肌が・・・。

     ねえ、その時、どんなだったの? 
     なにを思ったの?

    事件を割り続け最後に残った「人間の情愛」

     
     それにしても。

     思い出すのは同じ塩田武士による2016年の『罪の声』だ。

     主人公が同じ「大日新聞」の記者で、その使命に悩みながら未解決事件の謎を追うという共通点を持った2作。
     
     『罪の声』では事件のふたを開けたら人間の身勝手さと破壊された家族の残像があるのみで、記者の阿久津達によって救われた人はいるものの、取り返しのつかない事態に涙が止まらなかった。

     一方『存在のすべてを』の読後に感じたのは、「作者は今度は子どもを救いたかったのかな・・・」ということ。

     アンサーソングのようにアンサーノベルというものがあるならば、『罪の声』のアンサーが本作なのかと感じた。もちろん個人の感想です。

     「俺らの仕事は素因数分解みたいなもんや」とは、『罪の声』で阿久津の先輩記者が言う言葉。

     「何ぼしんどうても、正面にある不幸や悲しみから目を逸らさんと『なぜ』という想いで割り続けなあかん。素数になるまで割り続けるのは並大抵のことやないけど、諦めたらあかん。その素数こそ事件の本質であり、人間が求める真実や」(『罪の声』p513より)。

     そう、『存在のすべてを』で最後に姿を現した素数は「情愛」だった。
     空白の3年間の謎の、それが本体であり、本質。

     そこに人間がいたんだね。

     こういう形の希望、謎解きを読むと嬉しくなってしまう。やっぱり「この本好き」のなかに自分がいるなぁと感じて、この白くて印象的な表紙の、どっしりとした1冊を抱きしめるのだった。本棚に入れても、背表紙が輝いている。

     今年この作品と出会えたことは本好きとして大きな成果だった。

     ありがとうございます――と、本に関わるすべての人に感謝を込めて。

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    生きていればまた会えることもある


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    終章のピアノの場面も素敵ですよね


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     最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
     素晴らしい読書体験がたくさんの人に訪れますように
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    〈本データ〉
    『存在のすべてを』
    (著者 塩田武士/朝日新聞出版/税別1900円)
    『罪の声』(著者 塩田武士/講談社文庫/税別920円)


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