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Photo bymomonotane

祖父の老いを見つめた日々がわたしを導く

    アラフォ―になって、自分の老いと向き合わなければならないという意識が芽生えた。人生80年だとして、私はもう折り返し地点にいる。

    ***

    幼い頃から私をかわいがってくれた祖父は、明治の生まれだった。友人たちのおじいちゃんよりもうんと年上だったけれど、孫たちを大切に慈しんでくれた。私もよく懐いていた。

    祖父はかっこよかった。体格が良く、同年輩の人と並ぶと頭一つぶんくらい抜きん出る。司馬遼太郎のように真っ白で豊かな髪をいつもきれいに整え、背筋はしゃきんと伸びていた。どんなに近い場所であっても、外へ出かけるときは絶対にテーラードの上着をはおるのが祖父スタイルだった。

    大好きな祖父の好物はなんでも食べたがった私。けれど、一つだけ食べられなかったものがある。

    どら焼きだ。

    小さかった私は、あんこが苦手だった。暗い色も、むにゅうっとした食感も、口の中であばれる甘さも、不気味に感じられて仕方なかった。

    「おじいちゃん、おいしそうに食べるなあ。でもそれ、あんこやん? おいしいん?」

    そう尋ねると、いつも祖父は「うまいがな。あんこは大人の味かな」なんて答えてくれた。祖父のかくしゃくとした佇まいと、ふっくらしたフォルムのどら焼きは、とてもチャーミングな組み合わせに映った。

    私が小学校を卒業する頃、認知症を発症していた祖父が、実家に同居することになった。祖父の家は遠く、なにかあっても両親がすぐに駆けつけられないからだ。

    当時の祖父は80代なかば。ずいぶん痩せたうえに背中が曲がりはじめ、テーラードの上着越しでも肩甲骨の形がわかるほどになってしまっていた。物腰は弱々しく、ときおり困ったような顔をして立ち尽くすこともあった。

    私は、その様子にいらいらした。あんなにかっこよかったおじいちゃんが、どうしてこんな姿になってるの。老いの姿を受け入れられないまま、祖父を避ける日々が続いた。

    ある晩、祖父がこっそりどら焼きを食べているのを見かけて、私の感情は爆発した。自分自身に対して厳しかったかつての祖父は、だらしなく飲食する人ではなかった。

    「こんな夜中にお菓子食べたらあかんやんか!」

    私は怒鳴り、祖父の手からどら焼きを奪い取った。食べかけていたところから、きらきら光るつぶあんが覗いていた。あんこなんか、嫌いや。

    大好物を奪われた祖父は困惑した様子で、悲しげな表情を浮かべていた。そんな祖父と目が合ったとたん、私は泣き出していた。抑えていたものが決壊した。

    祖父が老い、少しずつ思い出を忘れ、弱っていくのがたまらなく苦しかった。あんなに仲良しだった祖父と私が、もう同じ世界を見られていない。その思いを、どら焼きにぶつけてしまった。

    どら焼きを返し、泣きながら「ごめんね」と謝る私に、祖父は「ええよ、ええよ」と言ってくれた。そして、どら焼きを半分に割り、私にくれた。

    私がどら焼きを嫌いなことさえ忘れてしまったのだろうか、と考えながら頬張ったそれは、思っていたよりもずっとおいしかった。

    ふかふかの生地と、ほんのりざらついたつぶあんの食感。舌の上に広がる甘さが心にもしみて、また泣けてきた。

    「素直な気持ちで祖父と暮らそう。同じ世界なんて見られていなくてもいい」と思った。

    その日から、私は祖父と母といっしょに散歩をした。実家の近くにあった池のまわりが祖父のお気に入りだった。

    池の外周を歩いてなぞるあいだ、私と母はとりとめのない祖父の話をよく聞いた。あたりを飛ぶこうもりに、みんなで怯えた日もある。夕方のゆるんだ空気のなかに微笑みがひそむ時間は、心地好かった。

    人が老いる事実を嘆きすぎず、美化もせずにいること。フラットな視線が暮らしと心を楽にする。

    ***

    祖父が亡くなって27年。どら焼きを食べられるようになった私は、少しずつ老いながら進んでいる。これからの人生には、老い方の工夫が必要だ。邪魔者になりたくないし、邪魔にもしたくない。

    悩むことも多いけれど、祖父と過ごした日々が導いてくれるんじゃないかなあ、と思う。

     
     
    ライター、9歳双子の母。小さな幸せを大切にする、40代関西人。連続更新1300日超。|育児日記|思い出話|読書記録|ひとり井戸端会議|モノとわたし|自省のひと言| ご連絡は「クリエイターへのお問い合わせ」、またはDMにお願いいたします。

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