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Photo bysoranoworld

語らなかったふたり

    お盆が近づくと、やはり太平洋戦争の話が増えてくる。広島と長崎への原爆投下があり、日本が終戦を迎えた季節。

    以前にもちらっと書いたことがあるのだけれど、私の父方の祖父母は明治時代の生まれだ。どうしても男の子が欲しかった祖母が、40を過ぎてから産んだ末っ子が私の父。

    母方の祖父母はそれよりふたまわりほど年下だった。私の両親はおなじ町の出身である。だから、両親のふるさとに帰ると、4人の祖父母にいっぺんに会える。

    祖父母たちはずっと前に亡くなってしまったけれど、私は4人にそれぞれ違った愛情をもらった。そして、4人とも大好きだった。

    夏休み、ふたりの祖母は、よく戦争の話をしてくれた。といっても、空襲がしょっちゅうあった町ではない。都市部からの疎開者を受け入れていた、のどかな土地だ。

    「こんな町でもな、1回だけ、大きな大きな空襲があってな……」

    話しはじめる母方の祖母が、心細そうに瞳をうるませていたのが忘れられない。何十年たっても、その当時の気持ちが蘇ってきていたのだろうと思う。

    父方の祖母は、造船所のある街にかよっていた時期があった。そのとき、激しい空襲を何度も目にしたという。

    ふたりの祖母の話には緊迫感があり、私は子ども心に戦争の恐ろしさを感じた。話の最中、風で窓ガラスが震えたとき、ぎょっとして背中がこわばったのを今でも覚えている。

    対照的だったのは、ふたりの祖父だ。

    父方の祖父も、母方の祖父も、戦地に赴いた経験があった。特に、戦時中まだ若かった母方の祖父は、苛烈な戦闘で知られる地にいたらしい。

    それでも、ふたりの祖父は戦争のことをひと言も語らなかった。祖母たちが空襲について口を開くとき、彼らはじっと黙るか、席を外すのだった。両親も、祖父たちが戦争の話をするのを聞いたことがないそうだ。

    語りたくなかったのか「語れなかった」のか、私には今もわからない。それでも、戦争の記憶が楽しいもののはずはないだろうことはわかる(もちろん、楽しいことを含んだ記憶もあっただろうけれど)。祖母が戦争の思い出を語ってくれるそばで、無言でお茶を飲んでいた祖父。その姿を思い出すと、胸の中がきゅっと縮むような感覚に襲われる。

    戦争のことを語り継ごうとしてくれた祖母たちには祖母たちの思いがあり、祖父たちには祖父たちの思いがあっただろう。共通しているのはきっと「もう二度と経験したくない」という気持ちではないだろうか。

    お盆が近づくと、血脈の向こうに確かに戦争があったことを思い出す。今、祖父たちは安らかに眠れているだろうか。繰り返してはいけない過去があると、無言で教えてくれた人たち。あっちの世界では、たわいのない話で盛り上がって楽しく過ごしていてくれるといいなと思う。

    浅学な私には、戦争についてあれやこれやと語れるほどの知識はない。でも、祖父母の教えてくれたことを忘れずに生きる義務はあるのかもしれないと思っている。

     
     
    ライター、9歳双子の母。小さな幸せを大切にする、40代関西人。連続更新1300日超。|育児日記|思い出話|読書記録|ひとり井戸端会議|モノとわたし|自省のひと言| ご連絡は「クリエイターへのお問い合わせ」、またはDMにお願いいたします。

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