メインコンテンツへスキップ
見出し画像

ならまち元興寺~東大寺とその近傍をめぐる⑨

    前回の「十輪院」での興奮が冷めないまま、ナビだけを頼りにランチ予約したお店へと一目散に向かいました。
    なにせ「ならまちラビリンス」、クネクネと細い路地を何度も曲がり先が見えない状態なので、これで辿り着けるのだろうかと不安になった頃、これまた細い路地の住宅街の真っただ中に目的地は突然現れたのです。

    画像

    時間は確認し忘れましたが、おそらく10分ほど過ぎた11時40分頃だったのではないでしょうか。
    それでも快く迎えて下さり、天国のようにエアコンが効いた店内に座り、火照った身体を休めました。

    画像

    なるべく無駄に労力を使わないよう、次の目的地までの道沿いで見つけたお店ですが、調理は奥のカウンター席でされ、全体に落ち着いた雰囲気でお料理にもこだわっている事がわかりました。

    私は”本日のランチ”のハンバーグセットより、おすすめ料理の「合鴨ロースストのカレーソース」にそそられてしまい、そちらを選びました。

    スープはありがたい冷製でしっかりニンジンの甘味があって、めちゃくちゃ美味しい!
    サラダは色彩豊かで味覚も豊か。見た事もない野菜も添えられていましたが、おばちゃん2人組は聞くことも忘れて平らげてしまいました。
    お互いに一切れずつトレードしましたが、両方とも味は確かでした。


    蘇我馬子そがのうまこが創建!
    1300年の古刹「元興寺がんごうじ」

    画像

    お腹を満たし、身体もしっかりクールダウンして、次の目的地「元興寺がんごうじ」に向かうため、”ならまちラビリンス”に果敢に再挑戦しました。

    当然ながらナビだけを頼りに到着したと思ったら、使われていない門のようで固く閉ざされていました。

    画像

    ナビよ、使っていない門に誘導してどうする??
    仕方がない。近いのは確かなので、こうなったら自力解決しかありません。
    先ほども通った御霊神社の前を通り過ぎたあたりで、このままやみくもに歩くと、またラビリンスのトラップにハマりそうなので、地元の方に聞いて、なんとか到着しました。

    画像
    正門(東門)
    あじさいがなんとか咲いてはいますが、
    暑すぎて苦しそう💦

    かつては南都七寺のひとつ

    710年の元明天皇による、藤原京から平城京への遷都により明日香の「飛鳥寺」を移転させたのが「元興寺」の始まりです。
    ですから、創建は飛鳥寺と同じく曾我馬子そがのうまこなのです。

    奈良時代の始まりとともに元興寺の歴史も始まったので、1300年以上の歴史を誇り、近隣の東大寺や興福寺とも肩を並べ、最盛期当時は南都七大寺にも数えられる大寺院でした。

    画像

    元興寺の塔跡には行っておらず、ここだけを見学した感じでは真言宗だとは思っていましたが、今も一部法相宗が残っているのですね。
    元々は法相宗の大本山でしたが、今は規模もかなり縮小された「真言律宗」です。

    画像
    本堂「極楽坊」

    智光ちこう法師と頼光よりみつ法師

    本堂の須弥壇の両サイドに安置されていた僧侶像は、智光法師と頼光法師でした。
    しかし「智光法師」の事は初耳で、どうやら独特の「智光曼荼羅」というものを考案した方らしい。
    元々は三論宗でしたが浄土信仰に帰依し、夢に現れた光景を曼荼羅とし描いたもので、それが祀られていました、
    高野山で見た空海の金剛・胎蔵の両曼荼羅に比べると、かなり小振りで迫力には欠けますが、礼光という僧が阿弥陀浄土に往生する様子を描き、曼荼羅というより「絵」という感じでした。

    一方、頼光法師の頼光って、もしかしたらあの「酒呑童子」を退治した源頼光みなもとのよりみつの事だろうか??
    後日調べてみるとやはりそうでした。
    なんと彼は元興寺の中興の祖とされる人物のうちの一人で、先に述べた智光さんとここで共に学び修行し、親交を深め合った間柄でした。

    境内は石仏だらけ

    境内を散歩してみると、とにかく小さな石仏や石塔が中央や周りの塀沿いにところ狭しとビッシリ並べられていました。
    その理由を受付の方のお話と後日調べた事をまとめると以下の通りです。

    • 極楽坊が浄土教の念仏道場として栄えた。

    • 元興寺が興福寺大乗院の菩提寺墓所の一つだった。

    • 浄土教の極楽坊は、多くの庶民の信仰を集めた。

    • 法名(戒名)を授かった一般の人々も、石仏を建立して弔った。

    現在は真言律宗ですが、中世は浄土宗であり、一般庶民に至るまで広く信仰されたのがきっかけで、すぐ北にあった大寺・興福寺大乗院の菩提寺墓所だったこともあり、いつしか僧侶や信者が増え、彼らが建立した石仏や石塔がこんなにも増えたようです。

    画像

    僧侶から庶民に至るまで万人による信仰の証あかしなのですね。
    それぞれがその年月を感じさせるほど角が取れて風化している様子に、先人たちの思いが今も続いている事を感じずにはいられません。

    日本最古!1400年前の瓦

    画像
    「極楽坊(本殿)」も「禅室」もともに国宝です。

    ここが一番の見どころかも!
    元興寺では1400年以上も前の瓦が今も現役なのです。
    それは禅室の南面と極楽堂西面の屋根瓦で、HPの境内図にも「ビューポイント」の位置指定があります。
    丸い瓦が重なる「行基葺ぎょうきぶき」という独特な並べ方の軒瓦は、観ておく価値は十分ありですよ。

    写真下方の石仏群よりも手前のちょっと離れて見た方が良く見えました。

    元々の源流である法興寺(飛鳥寺)の創建当初●●●●の瓦とのことで、蘇我馬子や聖徳太子が生きていた飛鳥時代の瓦が、今も破損もせずに現役で使われているなんて信じられますか??

    色、形、大きさ、厚みの全てが不揃いなところが、かえってオシャレなレトロ感●●●●があり、何より、その年月の重みを思うと圧倒的な存在感があります。

    先ほどの石仏群とともに、これらは元興寺がかつて万民にこよなく愛され続けて、隆盛を誇った長い長い歴史を物語っている証拠ではありませんか。

    元興寺とならまち

    現在は境内に最低限度の伽藍が残るのみですが、かつては33ヘクタール、なんと99,825坪もあったといいます。
    それは東京ドームに例えると、7個以上もの大きさに該当し、その広大な敷地に、多くの建造物が経ち並んでいたと思うと、その盛況ぶりがしのばれます。

    しかし700年代後半から何世紀もの長い年月をかけてしだいに失われ、さらに奈良から京都に都が移されてしまうと、朝廷は元興寺を含む奈良の寺院への援助を段階的に減らしていきました。
    その結果、奈良の寺院は徐々に縮小され、この元興寺も荒廃の一途をたどる事になりました。
    あの東大寺や興福寺だって元は今より広大だったのが縮小され、トドメが明治の廃仏毀釈などが追い打ちをかけ、現在に至っています。

    ですから、ならまち自体は16世紀後半までは元興寺の一部でした。
    それまで焼失などや財政難などもありましたが、織田信長の時代に、ならまちの区画整備が急加速した事が決定的となりました。

    1451年の大火で焼失した建物の礎石を埋め、その上に新しい住居や店舗を建てるという、元興寺の建物がどのように埋もれていったかを示す証拠も発見された。この礎石の埋没は、7世紀以来の元興寺の真の終焉を意味するものであった。

    官公庁 元興寺の歴史(元興寺とならまち)

    ならまちに今も残る町名には、当時の元興寺由来のものが多く残っています。
    ・今御門町-北門
    ・下御門町-西南門
    ・脇戸町ー小門・南室の脇戸
    ・門前町ーそのまま門前
    ・辻之内町ー塀の中の町


    巳みぃさんの祟り

    狭い境内ですが、この日は暑くてちょっとウロウロするだけでもおばちゃんたちはバテバテです。
    なぜか二人で出かける時は、決まって晴天どころかカンカン照りになります。

    お寺の方が勧めてくれた境内南側の休憩室で一休みすることにしました。
    南側だと今になって気付いたのですが、エアコンはなかったようなのに陰になっていてとても涼しかったのが不思議です。

    そこで水分を摂りながら、向かい合わせで座って雑談していると、どういう話の流れだったかは忘れましたが、その時のペコちゃんの不思議話が心に残りました。

    小さい時の話やけど、ある日お兄ちゃんが蛇を捕まえてきたから、お母ちゃんが瓶に入れて、網で蓋して、床下で飼こうててん。
    それがいつの間にか、蓋の網を食い破って瓶から逃げてしもて、どこ行ったんかおらんようになってしもたんよ。

    何年も経って家の改築をする前に、お寺さん呼んで祈祷してもろてたら、床下から見違えるほど大きなったあの蛇がニョロニョロと出てきて、またどっか行ってしもてん。
    おかあちゃんは、それまであの蛇は「どっかで死んでるんちゃうやろか」とあきらめてただけに、自力でネズミでも捕って食べてたんやなと、安心したらしいわ。

    それからまたどこかへ行ってしもたと思ってたら、近所の大きなお屋敷で大きな蛇が見つかったという噂を聞いて詳しく話を聞いてみたら、どうやらその蛇や。
    しゃーけど、そこの奥さんが気味悪がって大きなカンカンに入れて、今度は完全に密封して川に流してしもてんてー!

    それからしばらく経って、その奥さん急に体調が悪なって亡くなってしまいはったんよ。

    あれは絶対に「巳みぃさんの祟り」やで、ってお母ちゃんは言うねん。

    私も蛇は苦手で触る事もできません。
    しかしいくら何でも密閉容器に入れて川へ捨てるなんていう残酷な殺生はできない。
    なにせ生物なのですから💦
    それを平気でしてしまった、その奥さんの感覚を疑ってしまいます。

    そしてバチが当たるという事は現実にあるのだと、しみじみ感じた話でした。

    薄暗い小さなお堂の中で聞くペコちゃんの話は、身近な出来事だっただけに妙にリアルで、私の記憶に残るものとなりました。


    この日の元興寺がんごうじの思い出は、推しの”智光曼荼羅”よりも「屋根瓦」と「石仏」と、そして「巳みぃさんの祟り」が印象に残るものとなりました。


    画像
    「智光曼荼羅」


    画像
    先ほどの「十輪院」もそうでしたが、
    こちらでも鉢植えの蓮がキレイでした。


    画像
    やっぱり最後はかき氷で締める!
    有名店はたくさんあれど、
    通りすがりの待たずに入れる店を選ぶのが、
    私たちの流儀。


    今回、立ち寄ったところ。

    画像
    画像クリックでGooglemapへ



    この記事が参加している募集

     
     
    エッセイスト (主に読書、歴史に関して書いています。 1961年生まれ大阪府出身。読書好き。歴史好き。ハンドメイド好き。妄想好き。 著書「レキジョークル奥の枝道」シリーズ7冊目をただいま執筆中。<https://amzn.to/3vgIGz9>

    あなたへのおすすめ