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今期初!東大寺散策「南大門と大仏殿」~東大寺とその近傍をめぐる③

    4月も中旬になってやっと今年の本命「東大寺」へ行ってきました!
    昨年は1年間「法隆寺」をとことん攻めましたが、今年は「東大寺」とその周辺を攻略する予定です。

    トップ画像の「南大門」の大きさと荘厳さに圧倒され、その歴史の深さに胸が熱くなりました。
    もちろん何度も観ているのに、やっぱりこの前で立ち止まらずにはいられません。

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    特に南大門の向こうに大仏殿の大きな屋根が垣間見え、その両端に黄金に輝く鴟尾しびを見ると、わくわくするような胸の高鳴りを感じてしまいます。
    鴟尾しびとは鳳凰ほうおうの翼をかたどったものが原型で、時代が下ると「鯱しゃちほこ」へと変化したものです。
    屋根の両端に設置された装飾瓦で、主に 飛鳥・奈良時代の寺院に使用されました。
    いかにも奈良時代728年に創建された東大寺の華やかな天平文化の様相を感じさせる象徴の一つでもあります。

    それも含めてこの一年、東大寺の魅力を余すことなく堪能したいと思います。

    東大寺友の会

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    友の会の入会で犯した私のミス

    前回の法隆寺でも友の会をフル活用できたので、今年の東大寺もやっぱり入会すべきだと決めていました。

    今年、多くの寺院が年会費を3,000円から5,000円に値上げしていますが、その価格を高いと感じるかどうかは人それぞれの感覚によります。

    基本的に、東大寺の信仰や取り組みに協賛し「文化財保護」のための寄付金だと思えば、少々の値上がりなど些末な事だと私は思いました。
    そして入会したら各お堂や施設はフリー拝観です。
    自分の庭のように世界遺産・東大寺の境内丸ごといつでも何度でも散歩できるのは大きなメリットです。 

    実は今回入会するにあたり、ネットの友の会から申し込んだのですが、2週間経っても会費の振込用紙が届かず、問い合わせてみたら送付済との返答だったのですが、それから1週間以上経っても届かないので、再度問い合わせしました。
    こんなに届かないのは何かある…と思った私は、頭に過った事がありました。
    それは、
    ーネット入力の際、住所を間違えたか?ーという事。
    そこで電話で住所確認をしてみると、番地が一式全て抜けてたらしい。
    それでは届くはずなんてないです💦

    今から振り込んで会員証を待っていては、初回訪問の時に間に合わない可能性もあるので、行ったその時に現地で直接支払う事にしたのです。

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    手帳の色は毎年変わる。
    今年はエンジ。

    この日同行してくれたペコちゃんに、手続きにちょっとお付き合いして欲しいと断り、行きの電車の中で友の会の趣旨を話すと、
    「私も入るわ!」とまさかの発言です。
    今回、レキジョークルから離れて、あくまでも個人的に深掘りしようと思っていたので、これは嬉しい驚きでした。

    まだまだ寺社めぐりは初心者のペコちゃんですが、前向きな向学心が湧いてきた様で、私にとっても気遣いなしの旧友と回れることは、これからの訪問が楽しいものになるのは間違いありません。

    これからの東大寺訪問は、適度●●に厚かましく目ざとい大阪のおばちゃん同志の珍道中となるでしょう。


    日本なのに日本人がいない

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    近鉄奈良駅から東へまっすぐ進むと、途中の奈良公園付近では急に鹿と外国人観光客が道いっぱいに満ちていて、時には行く手を阻まれることもありました。
    ですから、嫌な予感はしていたのですが、やはり門前の参道からすでに外国人だらけでした。

    ペコちゃんとツーショットの写真を誰かに頼みたくても、日本人がいない。
    ほんと、ここはどこ??
    日本の、しかも奈良じゃないの??
    予想はしていましたが、見渡す限り外国人しかいないとは信じられない光景です。

    南大門の仁王像

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    この仁王像は運慶・快慶らによるもので、鎌倉時代の最高傑作だと言われています。
    上記画像の阿形像は運慶、向かい合う吽形像は快慶の作で、運慶の弟・定覚じょうかくと、運慶の子・湛慶たんけいも携わっています。

    実はこれは寄木造よせぎづくりという技法で、平安時代後期の仏師・定朝じょうちょうが考案した画期的なもので、いくつかの木材でパーツを制作し、それらをはぎ合せて仕上げたものなのです。

    この寄木造を考案した定朝は仏像彫刻に革命をもたらし、「定朝様じょうちょうよう」と言われ、あまりにも完璧な技法だったため、これ以後、進化することもなく現代に至るまでこの製法が伝承されているのです。

    自署 奥の枝道 其の六 京都・神社仏閣編(下)

    ずっと過去にこの仁王像の解体修繕の様子をテレビで見たことがありますが、そのあまりにも細かい多数の小さな木片を、知恵の輪や知育パズルのように再度組み立てるのも至難の業と驚嘆したことがあります。
    この時も注意して近くでガン見しても継ぎ目などは一切わかりませんでした。

    一本作りだと、かなり大きな木材が必要になりますが、この寄木作りだと小さな切れ端がたくさんあればできるので画期的な利点なのです。

    この仁王像は直接には「定朝様じょうちょうよう」とは関係ありませんが、約150年後の運慶らもこの技法を継承したからこそ、約8.4mもある迫力ある2体を作ることができた事を思うと、定朝の功績はあまりにも大きかったと言えます。

    石造獅子像

    素通りしてしまいがちですが、南大門の北側に一対の獅子像が安置されています。
    こういう私も今まで全く気付くいた事はなく、注視したのは今回初めてです。

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    どうしても金網にピントが合ってしまい、
    肝心の狛犬はボケています💦

    鎌倉時代、宋の工人4人による作で、どちらも阿形の上、像高は約160㎝ですが、2体の像高も作風的な雰囲気もなんとなく異なり、元は一対ではなかった可能性もあるそうです。
    スマホのカメラ機能のひとつ「ポートレート」を使ったりしましたが、どうしても奥の対象物にピントが合いません。
    私の写真は拙いので、私の狛犬師匠であるkomajinさんの記事や著書で確認いただけたらわかりやすいです。

    私たちは左右一対の像を、どちらも「狛犬」と呼んでいますが、正確には、向かって右の口を開けた阿形が「獅子」、向かって左の口を閉じて角があるのが「狛犬」です。だから、写真のように口を開けて角がないものは「獅子」なのです。

    上記記事より

    だから東大寺のものは狛犬ではなくどちらも獅子だということになります。
    さらに記事内では、大阪の住吉大社・北側の参道入口の狛犬はこの「東大寺南大門型」を模していているとの事ですが、こちらは私もまだ未確認です。

    皆さんも東大寺に行かれた際には、南大門くぐって裏側にも着目してみて下さいね。

    外国人観光客は
    大仏殿にしか興味なし

    大仏殿に入るために並ぶ長蛇の列と、並ぶのを諦めて「中門」の隙間から写真を撮る人たちも含めて、ほぼ全員が外国人です。
    とにかく視界に入る全てが外国人。

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    わざと東大寺の行事のない日を狙って、ゆっくり拝観しよう目論んでいたのですが、たまたま旅行ツアーが重なったのでしょうか?
    確かに一番良い気候だから、旅行会社も見逃さないかと思い、これはとんだ見込み違いだったと後悔しました。

    今日は仕方がないと諦めたのですが、実際には大混雑は南大門から大仏殿にかけてがピークで、土産物屋や飲食店など境内を歩く姿は見かけたものの、その他のお堂はひっそりと静かでした。

    彼らの目的は何??
    仏像には興味ないの?
    「鹿」と「全体の雰囲気」だけ??
    各お堂は有料なので大仏殿以外は入らないという単なるケチ●●なのか?
    それとも本来の値打ちをわかっていないのか?

    大賑わいの大仏殿

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    中はまたまたチケット売り場で大行列でした。
    私たちは友の会の御威光●●●を借りて行列を横切って、すんなり入場しましたが、やはり大混雑には変わりありません。

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    しかし、何度も見ているのにこの大仏殿の堂々たる大きさは段違いで、その威容に圧倒されて、ここでも思わず立ち止まらずにはいられません。

    現在の大仏殿は江戸時代に修復再建されたもので、幅約57m×奥行き約50m×高さ約48mもありますが、創建当時はさらに大きく幅約88m×奥行き約52m×高さ約47m もあって、幅だけでも30mも大きかったのです。
    当時の人々には度肝を抜くほどの存在感があったでしょうね。

    1180年の平家による南都焼き討ちの「治承の兵火」、1567年の三好3人衆と松永久秀らによる「永禄の兵火」という2度の焼失に遭いましたが、そのたびに鎌倉時代に重源じゅうげん、江戸時代には公慶こうけいの尽力で蘇ってきました。

    意外に大きい八角灯籠はっかくどうろう

    これもまた大仏殿に気を取られてスルーしがちなのですが、手前に手の込んだ作りの「八角灯籠」があります。

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    大仏殿の正面にあるため大きさを実感しにくいですが、実は約4.6mもあるのです。
    その姿を目に焼き付けようと思えば見上げなければならないほどです。
    大仏開眼と同じ天平勝宝しょうほう4年(752)の制作とされている日本最古で最大の銅製灯籠なのです。
    銅製とはいえ、長年の錆で覆われて緑青化ろくしょうかし、シブい青緑色に変色しています。

    注目したいのは、火を灯す部位にあたる8面の「火袋」の精緻な透かし模様の羽目板です。
    写真が下手で上手く伝わらないのが残念ですが、そのうち4面にには「音声おんじょう菩薩」たちが横笛・縦笛・笙しょう・鈸子ばっし(シンバル)をそれぞれが奏でる優雅で愛らしい姿は必見です。

    もちろん、盗難、破損や劣化もあり、現在のものは平成に作られたものであり、それ以前のものは東大寺ミュージアムに展示されているそうです。

    大きいのはご本尊だけじゃない

    東大寺のご本尊、通称・奈良の大仏「廬舎那仏るしゃなぶつ」は坐像でありながら、台座を含めた高さは約18mもあります。

    しかし、それだけではなく殿内の全ての仏像が大きい。
    「廬舎那仏るしゃなぶつ」の脇侍わきじ/きょうじである、「虚空蔵こくうぞう菩薩坐像」と「如意輪にょいりん観音菩薩坐像」も高さ7mを超え、その四方の「四天王」はそれぞれ約3mを超えるという、いずれも見上げるほどの圧倒的な存在感を示しています。

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    特に四天王の彫刻の細かさには目を瞠ります。
    異国的な鎧も細やかですが、何より風にたなびくマントや羽衣がリアルで動きが感じられます。

    ※撮影できるのはこの大仏殿のみで、その他のお堂は全て撮影NGです。

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    「華厳」のはずだが?
    そう見えない💦


    四聖ししょうの祈りは永遠に

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    東大寺が「四聖ししょう建立の寺」とも呼ばれる所以は、次の4名によって建立されたからです。

    聖武しょうむ天皇ー大仏建立を発願
    行基ぎょうき菩薩ー大仏建立を歓進
    良弁僧正ろうべんそうじょうー東大寺の初代別当
    菩提僊那ぼだいせんなーインド出身の渡来僧で大仏開眼の導師

    彼らがいなければ東大寺はなかったとされ、東大寺では今も大切に崇めています。
    彼らは世の安寧を願い東大寺を建立し、その願いは今現在もずっと継承されているのです。

    それにしても行基はどの場所、どの寺にも名前がありますが、全てが行基の業績だとしたら、あまりにも人間離れしているように思えます。
    もしかしたら宇宙人かも??

    彼らの初心の願いが込められた東大寺。
    その願いの跡もこの1年で確認してまいりたいと思います。


    東大寺初回訪問はまだまだ続きます。


    お出かけが続いていて、記事投稿が追いつかないぐらいで、皆さんの記事も読みたいのになかなかじっくり訪問できていません。
    しばし不義理をいたしますが、お許しくださいね。


    【引用・参考】
    ・観光リーフレット「東大寺大仏殿」
    ・「古寺行こう東大寺」
    ・「大阪狛犬物語」塩見一仁 著


    【東大寺とその近傍をめぐる】
    ①冬の「浄瑠璃寺」
    ②下見の春日大社

     
     
    エッセイスト (主に読書、歴史に関して書いています。 1961年生まれ大阪府出身。読書好き。歴史好き。ハンドメイド好き。妄想好き。 著書「レキジョークル奥の枝道」シリーズ7冊目をただいま執筆中。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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