
「キングダム」が教えてくれた、史実と創作の面白さ
映画『キングダム』シリーズも、現在公開中の作品を含めた全5作を無事に見終えることができました。
私は日本史はちょっとは詳しいのですが、中国史の方はあまり知らず、三国志のほんの一部を知る程度の知識しかありません。
そんな私でも率直に言えることは、中国も日本も「戦国史」はやはり面白いということ。
世界規模でいえばごく一部の利権争いなのですが、人間臭い感情が最も渦巻いて、単に勝負の結果だけではなく、人々の背景まで垣間見えるところがたまらないのです。
これを機に中国史にも触れ、少しは勉強したいと思ってしまいました。
豪華過ぎるキャストが眩しすぎる
若手、ベテラン、そして中堅に至るまで、主な俳優陣が軒並み出演しています。
これだけの俳優が、一つのスクリーンで一挙に見られる機会は過去になかったのではないでしょうか?
大河で言えば、主役級の俳優が、惜しげもなく脇役として登場するので、もったいないとさえ思ってしまいました。
それだけでも、かなり贅沢な映画だと言い切れるでしょう。
今回は「轟音上映」で観賞したせいもあり、壮大なストーリーを臨場感いっぱいの劇場で観賞して本当に正解でした。
過去作品はAmazonprimeで観ました。
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秦はなぜ統一からわずか15年で滅んだのか

20年かけた統一も、滅亡はあっけなく
中国史に暗い私ですが、この映画のモデルとなった「始皇帝」ぐらいは頭の片隅にちゃんとありました。
私の勝手なイメージとしては、暴君で残虐でありながら、その一方で膨大な仕事量を自ら処理できた、かなり有能な人物というものです。
彼こそ、小さな国々がひしめき合っていた紀元前200年代前半の中国を、初めて統一した「秦」の31代皇帝・嬴政(吉沢亮)です。
20年以上の苦闘を経てやっとまとめあげ、皇帝として絶大な権力を得ましたが、10年後に嬴政は死去。
その後たった4年で秦は滅亡してしまうのです。
まるで中華を一つにするために存在したかのような皇帝でした。
その中華統一の過程で、目標に向って一丸となって戦うという、一番面白いところをクローズアップしているのです。
その頃の日本はと言えば弥生時代。
やっと稲作や金属器が伝わり、農耕中心になったころで、文字は伝わっていたものの、ただの模様としてしか認識されておらず、まだまだ原始的な状態でした。
この文明の差はやはり大きいですね。
矛も楯も失くした秦
今回の最新作「魂の決戦」では、楚・趙・魏・韓・燕・斉の6カ国(史実では斉をのぞく5カ国)による合従軍を相手に、秦が難攻不落の要塞・函谷関での攻防戦を描いたもの。
絶体絶命の四面楚歌の状態で、秦はどう戦うのかという大きな見せ場でした。
「函谷関の戦い」と言われるこの戦いは、秦の中国統一へ向けての大きなステップとなり、秦国の歴史上において見逃せない大きなヤマ場なのです。
この若き始皇帝・嬴政(吉沢亮)が、統一に向けて配下の将軍たちと共に邁進し、やがて中華統一を成し遂げるのですが、彼の死後、見渡してみると当時の者はほぼ世を去り、その取り巻きメンバーは激変していました。
映画シリーズにおいてもすでに死亡した者もいますが、ざっと史実を確かめても、今後はさらに死亡者が増えそうです。
そしていざ、始皇帝という最高指導者がいなくなると、秦は完全に機能しなくなっていました。
原因は「傲慢」と「油断」か
たとえば、日本史での織田信長。
彼もまた苛烈な性質でありながら、人に対しての見方に甘さがあり、ましてや自分が突然この世からいなくなることを現実的に受け止めていなかったように思えます。
だから、次世代への引き継ぎが不完全で、嫡男ともども滅んでしまい、アッという間に織田家も立場を失ってしまいました。
それと同じように、この始皇帝も、絶対的権力を持ったがために油断があったのかもしれません。
自分の死後の配慮がまるでなかったかのようなのです。
あたかも自身の命が永遠にあると思い込んでいたのか、秦は内部から腐ってゆくのです。
映画には登場していませんが、その後宦官の趙高が絶大な権力を握り、謀略の限りを尽くします。
その結果、真に国を思う家臣たちは誅殺され、気付けば秦国は守ることも攻めることもできない弱小国と化していたのです。
やはり人間50年?
奇しくも始皇帝が亡くなったのも信長と同じく49歳。
信長か好んだ幸若舞の『敦盛』の中華バージョンをググってみたのですが、該当するものはなく、紀元前の当時はまだ「漢詩」も存在していません。
敢えて挙げるなら、後世の後漢時代に詠まれた無名の連作詩の中にありました。
人生天地間、忽如遠行客。
~人間がこの大いなる天地の間に生まれて生きているのは、ほんの短い間だ。まるで遠くへ急ぐ旅人が、ひととき宿に身を寄せるようなものだ~
始皇帝が、もし信長のように人生の儚さを少しでも認識していたら、歴史は変わっていたのかもしれません。
私には、秦滅亡の遠因の一つには、始皇帝が中華統一という最大の目標を達成したことで生じた「驕り」や「油断」もあったのではないかと思えてなりません。
原作と映画は別物

これって本当に日本映画?と思うほど、ダイナミックで壮大なシーンの目白押しです。
とにかくシーンの景色が広い!
きっと中国で撮影されたからだと思っていたのですが、それだけではなく、栃木、長野、群馬、山口などの日本の各地での撮影もあったとのこと。
いったい、どのシーンがどのロケ地なのか、もう一度見て確認したくなります。
アクションにも隙がなく、それにも負けない豪華俳優陣たちの演技やメイクにも驚かされます。
衣装や髪型なども凝っていて個性にあふれているのも、コミックが原作だからこそでしょう。
つくづく、コミックの創作自由度の高さには感心します。
創作部分に見える作者のひらめき
史実をベースに創作されたものではありますが、史実と照らし合わせてみると、原作者・原泰久さんの想像力に脱帽します。
実際には取るに足らないような、一瞬に通り過ぎてしまうような人物に、本作では魂を吹き込み、主要人物に仕立て上げ、さも事実であったかのように魅力ある人物へと生まれ変わらせているのです。
基本の土台は、紀元前の中国・春秋戦国時代を舞台としており、秦が他国を次々と滅ぼして中華統一を果たす大筋は史実通りですが、各登場人物の活躍や戦闘シーンはドラマチックに脚色された歴史フィクションです。
そもそも始皇帝が暴君とされているのも、後世の“歴史の勝者”によって誇張されたり、作為的に作り上げられたりした可能性も指摘されています。
山崎賢人さん演じる信や圧倒的カリスマとして描かれた王騎将軍(大沢たかお)などは実在した人物で、その生い立ちや活躍内容は大きく創作されています。
女性剣士として活躍する羌瘣(清野菜名)や、山の民の楊端和(長澤まさみ)も、女性という記述はなく男性である可能性が高い。
このように大胆なアレンジで登場人物の生い立ちや人生にも触れながら、物語に幅を持たせることに成功しています。
当時、活躍した武将や政治家などの複数人のエピソードを織り交ぜて作り上げた可能性が高く、もし古代中国史に詳しい方なら一人の人物に現われる性格や行動が誰のモデルによるのかわかるかもしれません。
私にはそこまでの知識も力量もないのが残念ですが、知らなくても十分楽しめて夢中になれる作品に仕上がっています。
原作は原作として、映画は映画として
私が常々思ってるのは、原作がいくら素晴らしくても映像化してしまうと残念なものになってしまうことが多いという事です。
コミックや小説の映画化はそれだけハードルが高いということ。
原作に忠実になりすぎると、表現しきれず鑑賞者に意味が伝わらない。
逆に大胆にカットしても辻褄が合わず、ガッカリさせる結果を招きます。
見る側も原作と映画のどちらも一長一短の良さはあるという事を十分に理解すべきではないでしょうか。
私は少なくとも原作を知らなくても映画として生まれ変わった作品なら、それだけでちゃんと辻褄が合うように仕上げることは鉄則だと思います。
それがたとえ本来の展開から外れていようが構わないと思うのです。
せいぜい長くても2~3時間になるのですから、同じように仕上げることに無理があります。
私はキングダムの原作もアニメも観ていませんが、映画だけで十分に楽しめました。
そういう意味では本作品の映画化は成功と言えるでしょう。
だいたい原作のコミックはすでに80巻も出ている上、まだ続くらしいので、すでに私は諦めていますが…
そんな私でも映画だけで十分楽しめるほど、完成度が高いことに満足しました。
これからもこの作品は映画版「キングダム」で追っていくつもりです。