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時代の特等垭で。亀錯する䞖界史ず自分史 #02【人物月旊シリヌズスピンオフ】

    こんにちは、Bell noteです。

    前回の第1回では、1990幎前埌のロンドンを芆っおいた「煀すすけた匂い」ず、サッチャヌ政暩末期の「熱気」に぀いお觊れたした。地䞋鉄火灜の教蚓から安党ぞの意識が倉わりゆく䞭、人頭皎ぞの怒りが爆発したトラファルガヌ広堎。それは、珟代のクリヌンで最適化された䞖界ずは察極にある、ザラザラずした「摩擊」に満ちた時代でした。

    囜境の壁ず欧州のパラドックス

    さお、今回はその続きです。物語の舞台は島囜むギリスを飛び出し、激動の欧州倧陞ぞず移りたす。
    私がむギリス滞圚䞭に唯䞀敢行した「旅行らしい旅行」で盎面したのは、䟝然ずしお重々しく存圚する物理的な「囜境の壁」でした。

    1989幎11月9日、ベルリンの壁は厩壊したした。テレビのブラりン管越しに芋た、ハンマヌを振り䞋ろす若者たちの熱気ず、抱き合う東西の人々の涙。䞖界䞭が「分断の終わり」ず「境界線のない未来」の到来を信じ、冷戊の終結に熱狂しおいたした。むギリスに滞圚しおいた私もたた、新聞の䞀面を食るその歎史的な写真を眺めながら、新しい時代の颚が吹き始めたこずを肌で感じおいたした。

    しかし、その翌幎である1990幎。貧乏孊生だった私が盎面したのは、ニュヌス映像のような垌望に満ちた開攟感だけではありたせんでした。
    目の前に立っおいたのは、ただ息をしおいる「囜境」ず、財垃の厚みで枬られる「栌差」でした。

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    目的地はスりェヌデン、ペヌテボリ。

    ロンドンを発っお海を越え、䜎地諞囜を抜け、統䞀前倜のドむツを北䞊し、さらに海を枡る。片道玄30時間。囜境を瞫うように進む長距離バスの旅でした。

    珟代のようにEU欧州連合ずしおの統合が進み、シェンゲン圏でパスポヌトなしに囜境を越えられる——そんな時代ではありたせんでした。通貚も、法埋も、そしお「豊かさ」の基準も違う囜々を、自分の身䜓ひず぀で通過しおいく。それは、統合前倜のペヌロッパに残された「歎史の断局」を、空腹ず疲劎の䞭でなぞるような過酷な移動ずなりたした。

    䞖界史の珟堎にいたのは確かです。
    ただしそこは、硬い座垭で、冷たくお、あず味だけが劙に残る垭でした。

    【本連茉に぀いお】
    この物語は、1989幎から1993幎にかけお私が実際にむギリスで䜓隓した蚘憶をベヌスに描かれおいたす。圓時の私は若く、目の前の生掻に粟䞀杯で、自分を取り巻く瀟䌚情勢を詳现に理解しおいたわけではありたせん。本皿に芋られる歎史的蚘述は、圓時の「肌感芚」を正確に䌝えるため、珟圚の芖点から調査・補匷したものです。未熟だったあの頃の芖点ず、今の芖点が亀差する「再構成された旅の蚘録」ずしおお楜しみください。

    第1章ロンドンの圱 —— 「同情」ずいう通貚


    旅の出発点は、ロンドン・ビクトリアコヌチステヌションでした。

    1990幎のこの堎所は、単なる長距離バスの発着所ずいうよりも、圓時の英囜瀟䌚の「柱おり」が溜たったような、独特の殺䌐ずした空気に包たれおいたした。

    構内にはディヌれル゚ンゞンの重い排気ガスず、圓時ただ芏制が緩かった玫煙が充満し、床には吞い殻ず新聞玙が散乱しおいたした。サッチャヌ政暩末期のロンドンは荒れおいお、駅呚蟺にはセヌフティネットからこがれ萜ちた家出人やホヌムレスがあふれ、旅行者の姿ず奇劙なコントラストを描いおいたした。

    スりェヌデン・ペヌテボリ行きのバスを埅぀長い列に䞊んでいた私の前に、䞀人の小柄な若い女性が珟れたのは、出発の30分ほど前だったず思いたす。圌女は列に䞊ぶ䞀人ひずりに声をかけ、無芖されおは次ぞず移動しおいたした。そしお私の目の前で足を止めるず、堰を切ったように泣き出し、早口の英語でたくしたおたした。

    「お願い、助けお。財垃を盗たれたの。アムステルダムの実家でおばあちゃんが危節なの。今倜のバスに乗らないず、もう二床ず䌚えないかもしれない。チケット代があず少し、どうしおも足りないの  」

    いた思えば、あれは「Sob Story泣き萜ずし」の類だったのだず思いたす。けれど圓時の私はあたりに若く、そしお無防備でした。呚囲の倧人たちが冷ややかな目で圌女を無芖する䞭、私はその涙を疑うこずができたせんでした。「人の善意」すらも通貚ずしお取匕されるロンドンの珟実を知らなかったのです。

    私は震える手で財垃を開け、なけなしの所持金から20ポンド玙幣を抜き出したした。圓時の20ポンドは、貧乏旅行者にずっおは数日分の食費に盞圓する倧金です。
    「これで足りる」そう蚀っお差し出すず、圌女は指先で玙幣の端を぀たみ、私の手からひったくるように匕き抜きたした。
    そしお、涙で濡れた顔を䞀瞬だけ䞊げ、「ありがずう アムステルダムに着いたら䞡芪が迎えに来おるから、そこで絶察にお金を返すね。  バスの䞭で䌚いたしょう」ず蚀い残したした。

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    圌女はチケット売り堎ずは反察の方向ぞ走り去り、そのたた埅機しおいた䞀台の車に飛び乗りたした。
    車はタむダを軋たせお急発進し、排気ガスを残しお倜の闇ぞず消えおいきたした。
    远いかける足が、動かなかった。
    あたりの展開の速さに、私は呆然ず立ち尜くすしかありたせんでした。

    「あれ チケットは バスの䞭で䌚うっお  」

    「やられたな。でも、元気を出せよ」埌ろに䞊んでいた家族連れの父芪が、私の肩を叩きたした。圌は苊笑しながら、「ロンドンじゃよくあるこずさ」ず蚀い、私に䞀袋のスナックを差し出したした。「ほら、これでも食っお萜ち着け」

    手枡されたのは、指先ほどに削られた人参――「ミニキャロット」の小袋でした。
    あの頃の英囜では、スヌパヌで手軜に買える“そのたた食べられるスナック”ずしお芋かけるようになっおいたした。

    鮮やかなオレンゞ色の、どこか䜜り物めいた可愛らしい人参をかじりながら、私は口の䞭に広がる甘みずずもに、ロンドンの苊い珟実を噛み締めたした。このずき、私はただ気づいおいたせんでした。この埌、バスのトランクに食料が入った荷物を預けおしたい、目的地たで䞀切食料にあり぀けなくなるずいう臎呜的なミスを犯すこずを。そしお、芋知らぬ家族から恵んでもらったこの小さな人参だけが、ドヌバヌ海峡を越える長い飢逓の時間を救う、唯䞀の糧になるずいうこずを。

    第2章閉ざされたトランクず空腹のドヌバヌ海峡


    ロンドンの街明かりが車窓の埌ろぞず流れ去り、バスが高速道路に乗った頃、私はある臎呜的なミスに気づきたした。冷や汗が背䞭を䌝うのがわかりたした。

    食料が入ったメむンのバックパックを、バスの車䜓䞋郚にあるトランクルヌムに預けおしたったのです。
    届く距離にあるのに、觊れられない。いちばん残酷なや぀でした。

    日本の高速バスなら、䌑憩のたびに荷物を取り出せるかもしれたせん。しかし、これは囜境を越える囜際長距離バスです。盗難防止や保安䞊の理由からか、䞀床預けた荷物は最終目的地に着くたで、原則ずしお䞀切取り出すこずができたせんでした。 手元にあるのは、パスポヌトず財垃、そしお先ほどの家族から恵んでもらった「ミニキャロット」が䞀袋だけ。財垃にはただ珟金が残っおいたしたが、これから向かう北欧の物䟡の高さを考えるず、おいそれず䜿うわけにはいきたせん。

    「目的地たで、この人参だけで凌ぐしかないのか  」

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    バスは挆黒のケント州を走り抜け、ドヌバヌ海峡を目指したす。 1990幎圓時、英囜ず倧陞の間には、珟圚よりもはるかに心理的・物理的に明確な「囜境」が存圚しおいたした。ナヌロトンネルが開通するのはただ4幎も先の話1994幎です。バスはドヌバヌ枯でフェリヌに乗り蟌みたす。

    フェリヌのデッキに出るず、朮の銙りず共に、重油の匂いが錻を突きたした。私は船内ぞ戻り、明るい売店の列を、ただ歩いお通り過ぎたした。けれど、私の財垃は軜いたたでした。免皎店Duty Freeに矀がる人々や、カフェテリアでフィッシュ・アンド・チップスを頬匵る旅行者たちが、やけに眩しく芋えたした。
    圓時のフェリヌは移動手段であるず同時に、高い酒皎やタバコ皎から逃れるための「消費の解攟区」でもありたした。売店の熱だけが、私には遠かった。――空腹だけが、近かった。

    しかし、予算の限られた私にずっお、そこはただの空腹を刺激する拷問郚屋のような堎所でした。私はデッキのベンチに座り、冷たい海颚に圓たりながら、ポケットの底で薄いビニヌルがくしゃりず鳎るのを感じたした。ミニキャロットを取り出し、「ポリッ、ポリッ」ず硬い音を立おおかじりたした。
    ほのかな甘みが口の䞭に広がりたしたが、それは空腹を満たすにはあたりに頌りないものでした。察岞に芋えるフランスの灯りを芋぀めながら、私は先ほどのビクトリア駅での出来事を反芻しおいたした。

    「あの子は本圓に困っおいたんだろうか」 「もしかしたら、本圓にアムステルダムで䞡芪が埅っおいるんじゃないだろうか」

    人間䞍信になりたくないずいう若者特有の脆い心が、ただ私の䞭に残っおいたした。20ポンドずいう倧金を倱った痛みを、「人助けをした」ずいう矎談にすり替えるこずで癒そうずしおいたのです。

    フェリヌが倧陞偎に着き、再びバスは走り出したす。フランス、ベルギヌず囜境を越えるたびに、パスポヌトコントロヌルの簡易的なチェックがありたした。シェンゲン協定が本栌運甚され、囜境が「ただの通過点」になる前の時代です。制服を着た係官がバスの䞭を芗き蟌むたび、ピリッずした緊匵感が走りたす。

    第3章アムステルダムの幻圱ず「壁」の残像


    ドヌバヌ海峡を越え、倜明け前の平原をいく぀も通過したバスは、最初の䞻芁な経由地であるオランダ・アムステルダムのバスタヌミナルに到着したした。ただ薄暗い早朝、癜い息を吐きながらバスを降りた私は、䌑憩時間が告げられるやいなや、ある行動に出たした。

    私は血県になっおタヌミナルの雑螏の䞭を歩き回り、「誰か」を探し始めたのです。 誰を ロンドンのビクトリア駅で泣いおいた圌女が蚀っおいた、「迎えに来おいるはずの䞡芪」を、です。

    もし、圌女の話が本圓だったら。 もし圌女が䜕らかの事情で別のバスに乗っおいお、あるいは飛行機で先回りしおいお、ここにご䞡芪が埅っおいたら。「やっぱり嘘じゃなかったんだ」ず信じたい。倱った20ポンドを取り戻したいずいう欲求以䞊に、自分が「人の善意を利甚された間抜けなカモ」ではないこずを蚌明したい䞀心でした。私は、いるはずもない「芪切な誰かの䞡芪」の姿を求めお、冷たいコンクリヌトのプラットホヌムを端から端たで歩き回りたした。

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    しかし、そこにいたのは、長旅に疲れた顔をしたバックパッカヌたちず、早朝から獲物を品定めするような目をした怪しげな男たちだけでした。 1990幎のアムステルダムは、自由な空気ず同時に、欧州の麻薬流通のハブずしおの危うい偎面も持っおいたした。ビクトリア駅で感じたのず同じ、瀟䌚の呚瞁にいる人々の芖線を感じたした。

    誰もいない。誰も私を探しおいないし、誰も私にお金を返しになど来ない。

    私は冷たい柱に寄りかかり、ポケットに残っおいたミニキャロットを䞀本、口に攟り蟌みたした。 「ポリッ」 也いた音が頭蓋骚に響いたずき、自分の䞭で䜕かが確定したした。あれは詐欺だったのだ、ず。囜境を越え、海を越え、ここたで来おようやく、私は自分がただの「隙された旅行者」だずいう事実を飲み蟌みたした。

    粟神的な敗北感に加え、物理的な空腹も限界に達しおいたした。䌑憩時間䞭、私はバスの運転手に「トランクの荷物を取り出したい」ず懇願したした。私のメむンのバックパックには、この貧乏旅行を乗り切るためのパンや猶詰ずいった食料が詰め蟌たれおいたからです。 しかし、運転手は無情にも銖を暪に振りたした。 「ダメだ。最終目的地たで開けない。ルヌルだ」

    目の前のトランクルヌムには私の食料があるのに、鉄の扉に阻たれお手が出せない。手元にあるのは、残り少なくなったミニキャロットだけ。私は空腹ず絶望を抱えたたた、再びバスの座垭に戻るしかありたせんでした。

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    バスはアムステルダムを出お、ドむツを北䞊し、ハンブルクを抜けおいきたした。車窓の景色には、統䞀ぞ向かう熱ず、ただ片づかない混乱が、同じ枩床で混ざっお芋えたした。

    アりトバヌンを走る車窓からは、西偎の最新鋭の車に混じっお、旧東ドむツ補のトラバントが頌りなげに走る姿が芋えたした。ハンブルク呚蟺の道路は、東から西ぞ、あるいは北ぞず流れる人々の移動で混雑し、至る所で工事が行われおいたした。「壁」は物理的には厩れたしたが、経枈栌差やむンフラの断絶ずいう「芋えない壁」は、車窓の颚景からもはっきりず感じ取るこずができたした。

    私たちの『アムステルダム発』は、単なる移動ではありたせんでした。
    「ロッテルダム・ルヌト」ず呌ばれる麻薬流通経路の圱が重なるだけで、このバスは“疑われやすい箱”になっおしたう——そんな時代の空気を、私は埌から理解したした。

    私の空腹ず疲劎などお構いなしに、バスは、壁厩壊の混乱ず譊戒心が入り混じる北ドむツの平原を、スカンゞナビアに向けお疟走しおいきたした。

    第4章囜境の倉庫ず裞の怜問


    アムステルダムを出おしばらくしお、バスは北ぞ向かう流れに飲み蟌たれおいきたした。

    ハンブルクを過ぎたあたりから、胃の䞭は完党に空っぜでした。床䞋のトランクにはパンも猶詰も眠っおいるのに、私はその扉に觊れるこずすらできない。「届く距離」がいちばん残酷でした。

    深倜、バスはデンマヌク囜境、あるいはその手前のプットガルテンあたりだったはずです。眠気ず寒さで、地名だけが曖昧でした。突然、正芏のルヌトを倖れ、照明に照らされた巚倧な倉庫のような堎所ぞず誘導されたした。 「党員、荷物を持っお降りろ」 ドむツ語ず英語の荒々しい指瀺が飛び亀い、私たちは眠い目をこすりながらバスを降ろされたした。そこは、シェンゲン協定1995幎本栌運甚がただ未来の話であった時代の、囜家暩嚁がむき出しになった囜境怜問所でした。

    私たちのバスは「アムステルダム発」。そのラベルだけで、こちらに向けられる芖線の枩床が倉わるのがわかりたした。

    倉庫の䞭はコンクリヌト打ちっ攟しで、冷え切っおいたした。皎関職員たちは無衚情で、私たちを䞀列に䞊ばせたした。 「荷物を党郚開けろ」 指瀺に埓い、私はバックパックの䞭身をすべお床の長机の䞊にぶちたけたした。食料、着替え、本、掗面甚具。私の貧しい生掻のすべおが、冷たい蛍光灯の䞋に晒されたした。 その時、ようやく目の前に珟れた自分の食料——朰れたパンや猶詰——を目にしたずきの感情は、喜びではなく、ただの虚しさでした。今ここでパンにかじり぀くわけにはいきたせん。

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    怜査はそれだけでは終わりたせんでした。 「お前、こっちに来い」 私は別宀に連れお行かれたした。そこで行われたのは、屈蟱的な身䜓怜査でした。服を脱ぐこずを匷芁され、䞋着の䞭たでチェックを受ける。私は麻薬など持っおいたせん。けれど圌らの目には、アゞアから来た怪しげな貧乏旅行者にしか映らなかったのでしょう。

    「壁」が厩壊し、政治的には「雪解け」ムヌドにあった1990幎の欧州。

    しかし、珟堎レベルでの「監芖の目」はむしろ鋭さを増しおいたした。冷戊は終わっおも、囜家が個人を管理し、遞別するシステムは、ただ埮塵も解かれおいなかったのです。
    寒かったのは、倉庫の空気より、こちらの扱われ方でした。

    すべおが終わり、再びバスに戻るこずを蚱された時、私は心身ずもに消耗しきっおいたした。結局、怜査の混乱で食料を口にするタむミングすら逃しおしたいたした。 バスは再び闇の䞭を走り出したす。フェリヌに乗り蟌み、バルト海を枡れば、そこはスりェヌデン。 「あそこたで行けば、きっず友人が埅っおいる。枩かい食事が埅っおいる」 そう自分に蚀い聞かせるこずだけが、私を支えおいたした。しかし、その先に埅っおいたのは、安息ではなく、たた別の皮類の、あたりにも高い「壁」だったのです。

    第5章北欧のパラドックス —— 2000円のビッグマック


    心身ずもに摩耗しきった状態で、バスはドむツのキヌル枯からフェリヌに乗り蟌み、バルト海を枡りたした。 船内で泥のように眠り、目が芚めるず、窓の倖にはスカンゞナビア半島の冷たく柄んだ空気が広がっおいたした。ペヌテボリ。぀いに目的地に到着したのです。

    フェリヌタヌミナルに降り立぀ず、そこには懐かしい顔がありたした。オヌストラリアで苊楜を共にした友人、トビヌです。圌ず、圌のパヌトナヌであるスりェヌデン人の圌女が、笑顔で手を振っお迎えおくれたした。 「よく来たな」 トビヌず抱き合った瞬間、匵り詰めおいた緊匵の糞がプツリず切れたした。ビクトリア駅での詐欺、閉ざされたトランクの飢逓、深倜の屈蟱的な身䜓怜査——それらすべおの「壁」を乗り越え、ようやく私は「味方」のいる堎所にたどり着いたのです。

    再䌚の喜びも束の間、私の䜓は限界を超えた空腹を蚎えおいたした。 「ずにかく䜕か食べたい」 そう蚎える私を、圌らは街の䞭心郚ぞず連れ出しおくれたした。ずころが、そこで私を埅ち受けおいたのは、安息ではなく、たた別の皮類の、あたりにも高く冷酷な「壁」でした。

    手っ取り早く腹を満たそうず入ったマクドナルドで、私はメニュヌボヌドを芋䞊げお凍り぀きたした。 「ビッグマックのセットが  日本円で玄2000円」

    日本の感芚で芋れば、冗談みたいな倀札でした。蚈算を䜕床やり盎しおも、倀札は倉わりたせんでした。ここでは、ハンバヌガヌが“軜食”ではなく、ひず぀の決断になりたした。

    財垃の䞭には、詐欺の被害を免れたわずかなポンドず、䞡替したばかりのなけなしのクロヌナしかありたせん。ハンバヌガヌひず぀にこの金額を払えば、垰りの旅費が消えおしたう。空腹ず金欠の狭間で青ざめる私を芋お、トビヌは平然ず蚀いたした。 「ああ、心配しなくおいいよ。僕たちはこれで払うから」

    圌がポケットから取り出したのは、小切手垳のような冊子でした。そこからミシン目に沿っお数枚の玙片を切り離し、カりンタヌの店員に枡したした。店員は䜕の疑問も持たず、それを珟金の代わりに受け取りたした。 「それは䜕」ず私が尋ねるず、圌は事もなげに答えたした。 「リクスクヌポンRikskupongerだよ。

    䌚瀟から支絊される食事刞さ。これを䜿えば、皎金もかからないし、実質半額以䞋で食べられるんだ」

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    それは、1970幎代からスりェヌデンに導入されおいた、䌁業が埓業員に提䟛する非課皎の食事補助システムでした。高犏祉・高負担のこの囜においお、正芏の雇甚システムに組み蟌たれおいる「内郚むンサむダヌ」の人間は、こうした「第二の通貚」によっお高い物䟡から守られおいたのです。

    私はその時、透明なガラスのような壁を感じたした。 旅行者ずいう「倖郚アりトサむダヌ」の人間には、2000円ずいう絶望的な「倀札の壁」が立ちはだかる。䞀方で、瀟䌚システムに守られた「内郚」の人間は、魔法の玙切れでその壁を軜々ず無効化しおしたう。 囜境の怜問所で芋せ぀けられたのが「囜家暩嚁による物理的な壁」だったずすれば、ここで盎面したのは「犏祉囜家のパラドックス」ずいう、より掗緎された芋えない壁でした。

    トビヌが奢っおくれたビッグマックを頬匵りながら、私は耇雑な味を噛み締めたした。゜ヌスの味は䞖界䞭どこでも同じはずなのに、そこに至るたでの「コスト」は、立っおいる堎所によっお残酷なたでに異なっおいたのです。

    ゚ピロヌグ摩擊が物語に倉わる時


    ビクトリア駅でなけなしの金を隙し取られ、トランクに食料を閉じ蟌められたたたドヌバヌ海峡を越え、アムステルダムで人の善意の幻圱を远い、囜境の倉庫で服を脱がされ、最埌はハンバヌガヌひず぀買うのに冷や汗をかいたこの旅。 それは決しお、珟代の基準で蚀う「快適な旅」ではありたせんでした。いたなら回避できる䞍䟿が、圓時はそのたた“珟堎”ずしお襲っおきたした。逃げ道はなく、党郚、自分の身䜓で受け止めるしかありたせんでした。

    しかし、ロンドンに戻った私が最初に感じたのは、疲劎感ではなく、奇劙な高揚感でした。 私はこの散々な䜓隓を、映画サヌクルの仲間たちに熱っぜく語っおいたした。そしお、その悔しさず理䞍尜さは、のちに䞀本のショヌトフィルムの脚本ぞず昇華されたのです。それは、ロンドンで倢砎れた青幎ず、圌を隙した女詐欺垫が、数幎埌に再䌚し、互いの眪ず孀独を蚱し合う物語でした。
    それはたたい぀かのnoteで曞いおみたいず思っおいたす。


    スムヌズで摩擊のない移動は快適ですが、蚘憶には残りたせん。 1990幎ずいう、囜境がただ物理的にも心理的にも重く存圚しおいた時代。私がぶ぀かった数々の「壁」や、理䞍尜な目に遭った時のザラザラずした「摩擊」。その抵抗に身を削ったからこそ、その経隓は消費されるだけの芳光ではなく、鮮明な「物語」ずしお自分史に深く刻たれたのだず思いたす。

    䞖界が統合ぞず向かい、壁が消えおいくその盎前のペヌロッパで、私は確かに時代の「断局」をこの肌で感じおいたした。

    1993幎、私はロンドンを去り日本ぞ垰囜したした。 しかし、そもそもなぜ私が、この激動の時代、欧州に身を眮くこずになったのでしょうか。その答えを探すには、時蚈の針を少し巻き戻さなければなりたせん。

    そこは、私がロンドンに枡るきっかけずなった堎所。1997幎の䞭囜返還が幎を切り、むギリスず䞭囜、資本䞻矩ず共産䞻矩の狭間で揺れ動いおいたカオスの街、銙枯です。 あの堎所で手にした䞀枚のチケットがなければ、私のロンドン生掻は始たっおいたせんでした。

    次回、「激動の䞖界史ず亀錯する私の青春蚘 #02カオスず熱気の銙枯」。 混沌ず熱気が枊巻く郜垂、銙枯。そしお、䞖界䞭のパむロットず乗客に「銙枯カヌブカむタック・ハヌトアタック」ずしお恐れられ、愛された䌝説の堎所に぀いおお話ししたす。 高局アパヌトの䜏人が倕食をずるのが芋えるほどの距離で、ビル矀すれすれをゞャンボゞェットが旋回しお降りおいく——。今はもう存圚しない、あの「啓埳カむタック空枯」の蚘憶ぞ、皆さんをお連れしたす。

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    🔔Bell

     
     
    サッチャヌ政暩末期のロンドン、冷戊終結盎埌の欧州に居たした。特別な立堎でなく、ただその珟堎呚蟺にいた䞀人ずしお。そこで出䌚った人々から教わったこずは、今も自分の䞭に根付いおいたす。忘れない぀もりで蚘録を始めたはずが、気づけば゚ッセむになり、小説になり、映像になっおいたした。

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