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🫶静かな言葉と、AIがひらく未来──敬意の書棚シリーズ『愛知県立名古屋聾学校』のnoteに寄せて

    こんにちは、Bell noteです。
    今回の「敬意の書棚」は、少し趣向を変えた、いま個人的に関心のあるテーマでお届けしたいと思います。

    ご紹介するのは、「愛知県立名古屋聾学校」のnote。

    ……と書くと、「あ、自分にはちょっと縁遠い話かも」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
    正直なところ、私自身もそうでした。聾学校という言葉は知っていても、日常のなかで意識する機会はほとんどなく、どこか遠い世界のように思っていました。

    そんな私の目を惹きつけたきっかけは──
    NHKの『しずかちゃんとパパ』というドラマでした。

    耳の聞こえないお父さんと、その娘(CODA=聴者の子ども)との日々を描いたこのドラマには、本当に何度も涙をこぼしました。言葉を交わさなくても伝わる温かさや、すれ違いながらも少しずつ分かり合っていく時間の尊さ──そのやりとり一つひとつが、静かに心に灯りをともしてくれるようで。

    気がつけば、「ろう者の暮らし」や「手話」、そして「聾学校」という言葉が、自然と頭の片隅に残るようになっていました。でも、正直にいえば──その時の私の関心なんて、所詮はドラマに影響された“にわか”の好奇心に過ぎなかったと思います。ろう者への理解があったわけではなく、ただ作品の世界に感動して、「いい話だな」と思った──そんな軽すぎる動機でした。

    そんな折、noteを始めて間もないころ、ふと目にとまったアカウントがありました。
    それが「愛知県立名古屋聾学校」の公式noteでした。

    何の気なしにページを開いてみて、私は見入っていました。
    そして、フォローを押していました。(有り難くフォローもいただきました。)
    なぜなら、そこにあったのは──
    とてもあたたかくて、静かで、まっすぐなやさしい世界。

    寄宿舎で過ごす子どもたちの日々。
    木工や裁縫など、ものづくりに真剣に取り組む姿。
    手話を通じて、地域や社会とつながろうとするチャリティーローズの活動。
    行事やイベントを通して芽生える、生徒と教職員、そして地域の人々との絆。

    どの記事も、淡々と日常を描いているだけなのに、不思議と心に残るのです。
    そこには、誰かに届けたいという“想い”が確かにあって──
    「言葉がなくても、ちゃんと伝わる」ということを、教えてくれているようでした。

    私が名古屋聾学校のnoteに感じたのは、ただの情報発信ではない「人の体温」でした。
    何気ない投稿に込められたやさしさ、ひたむきさ、そしてなにより楽しそう。
    それこそが、私がこのnoteを何度も読み返してしまう理由なのかもしれません。
    ただの一視聴者としてドラマの世界を味わっていただけの私でしたが、名古屋聾学校のnoteに出会ってからは、少しずつですが、自分のなかでその関心が現実のものとして少しだけ広がっていくのを感じるようになりました。

    🤘言葉の壁を超える時代と、AIの“ロマン”


    そんな中で、ある日ふと目にしたニュースがありました。
    ソフトバンクが開発した「SureTalk(シュアトーク)」というAIサービス。手話と音声の“通訳”をリアルタイムで行ってくれるというのです。

    どういうことかというと──
    端末のカメラで手話の動きを読み取り、その内容をAIが理解し、文章に変換してくれる。さらに、相手の話した音声も文字にしてくれるので、手話を使う人と音声を使う人が、インターネット越しに自然に会話できるという仕組みです。

    最初は「そんな未来みたいな話、本当にできるの?」と思ったのですが、調べると、それはもう“未来”じゃなくて“今ここ”にある現実なんだということがわかりました。

    SureTalkのなかなかすごいところは、それだけではありません。
    手話って、話す人によって表現が微妙に違ったり、動きのクセがあったりします。でも、このAIはその一人ひとりの“手話の個性”を学習しながら、少しずつ認識の精度を上げていく。まるで人間みたいに、「その人らしさ」を理解していくんです。

    このニュースを見た時、正直、技術の仕組みよりも──
    「えっ、もうこんなところまで来てたの!?」という驚きのほうが強かった気がします。
    オンラインの中では言語の“ちがい”は、もう障壁ではなくなりつつある。
    英語でも、日本語でも、フランス語でも、手話でも。
    ふだん話すように、ふつうに繋がることが、当たり前になろうとしている。

    googleが開発した手話学習のためのゲームなんてのもありました。

    AIって、なんだかロマンがありますよね。
    無機質なものだと思っていたのに、いつの間にか、人の想いや気持ちに、寄り添うことができるようになっていました。


    🤘なぜ、今回の『敬意の書棚』は動画にできなかったのか?


    私はこれまで、noteで出会った素敵な書き手の方を、ささやかながら映像という形で紹介してきました。

    名古屋聾学校のnoteを拝見したときも、自然と「この気持ちを動画にしたい」と思ったんです。
    ──でも、今回は、途中で手が止まりました。

    実は何度か、AIを使って手話を表現する動画を試みたのですが、どうしても微妙な動きや表情がうまく再現できませんでした。
    たとえば、「伝える」ために大切な手の位置や動きのニュアンス、表情の機微──それらが、どうしても“本物”にはならないのです。

    もともと私は、聾者の方々について深く学んできたわけではありません。
    だからこそ、せめて誠実でありたかった。
    知識も技術も中途半端なまま、「雰囲気だけ」で名古屋聾学校のことを扱ってしまうことは、逆に失礼にあたるのではないか──そうおもいました。

    思えば、AIは便利な道具だけれど、感情や文化の積み重ねまで“軽々しく真似ていいもの”ではないと考えています。
    ましてや、それが誰かの大切な言語であるなら、なおさらです。

    そんな想いから、今回は「映像ではなく、文章で伝える」ことに頭を切り替えました。
    せっかく映像の企画まで立てていたので、自分でも少し残念な気持ちはあります。
    けれど、それ以上に、「ちゃんと向き合いたい」という思いに至りました。


    🤘「知らなかった」から始まった関心


    正直に言えば、ずっとどこかで「自分とは縁のない世界」だと思っていました。
    ろう学校という言葉に触れることすら、これまでの人生で数えるほどしかなかったかもしれません。

    でも──あのドラマに出会い、名古屋聾学校のnoteに出会い、ふと抱いた小さな関心が、自分の中で少しずつ膨らんでいくのを感じています。

    名古屋聾学校のnoteは、決して啓発的な文章ではありません。
    あくまでそこにあるのは、生徒たちの日常、学校の営み、地域とのふれあい──淡々とした描写のなかに、かけがえのない「暮らし」が映し出されています。

    そこには、大きな声も、大仰なメッセージもありません。
    でも、その“静けさ”の奥にあるものに、私は確かに心を動かされていました。
    言葉でなくても伝わる、伝えようとする姿勢そのものに、胸を打たれる瞬間が何度もありました。

    こうして私のような「何も知らなかった人間」が、関心を持つようになったのは、noteの発信を日々続けてくださっている名古屋聾学校の方々のおかげです。
    押しつけることなく、けれども温かく差し出してくれる──そんな表現のあり方に、私は何度も元気をもらいました。


    🤘 聾学校制度のいま、そして課題


    名古屋聾学校のnoteを読み進める中で、ふと疑問が浮かびました。
    「そもそも、日本の聾学校って、今どんな状況にあるんだろう?」──

    正直に言えば、私はこれまで“特別支援学校”という言葉もしりませんでしたし、その内実については当然まったく知識がありませんでした。
    それなら、まずは自分で調べてみよう。そう思い、文部科学省の資料や各地の聾学校に関する情報を少しずつ読み進めてみることにしました。

    現在、日本には全国でおよそ100の聾学校が存在しています。多くは公立で設置され、幼稚部から高等部までの一貫教育を行う体制が整えられていますが、そのすべてが十分な支援環境にあるかといえば、そうではないようです。

    たとえば、聾学校の統廃合が進む一方で、手話通訳者や専門教員の人材確保には課題が残っていること。地域によって支援体制にばらつきがあり、子どもたちが通学のために遠方まで通わなければならないケースもあること。
    また、“手話=第一言語”としての理解や保障が、まだまだ制度としては不十分な現状もあるようでした。

    気になったのは、一部の学校や行政で、今もなお“音声中心”の教育方針が重視されているという事実です。
    もちろん、補聴器や人工内耳といった技術が進化したことで、音声を通じた学びが可能になった子どもたちもいますが、それがすべての子に適しているとは限りません。
    手話を使いたいと願う子どもたちが、手話を学ぶ機会や環境を十分に与えられていないとしたら──それは大きな問題ではないか、と感じました。

    そんな中で、名古屋聾学校のnoteに綴られている日々は、とても象徴的でした。
    そこでは、生徒たちが手話で自然に会話を交わし、ときに表情豊かに、いきいきと自分の思いを伝えています。
    彼らの姿には、「手話を使うこと」そのものに誇りがあり、それが決して“特別”ではなく、ごく当たり前の“ことばの選択”として存在していると感じました。(もし、違っていたらごめんなさい)

    私は、名古屋聾学校のnoteがそうした「手話=ことば」という認識を、多くの人に届ける貴重な役割を果たしているのではないかと感じました。
    そして、私のように何も知らなかった一人が、関心を持って調べ、こうして文章にすることで、少しでも輪が広がっていけばいい──そう思いました。


    🤘未来の約束──いつか、「きちんと」映像にするために


    いつか、この名古屋聾学校のnoteを舞台にした映像作品をつくってみたい、と思っています。
    それはただの“紹介”ではなく、ろう者のことばや文化に、できるかぎりの敬意をもって寄り添った、丁寧な表現として。

    でも──今の私には、まだその「準備」が整っていません。
    AIを使って映像をつくる技術も、手話をきちんと扱う知識も、そして何より、人と人とをつなぐ“まなざし”の深さも、まだまだ足りないのだと思います。

    AI動画生成のツールは日々進化していて、いつかきっと、手話の繊細な動きや、指先に宿るニュアンスまで自然に表現できるようになるでしょう。
    けれど、それはただ技術の問題ではありません。
    その手話が持つ意味を、ちゃんと受けとめたうえで、「ことば」として扱えるだけの理解と誠実さを、自分が持てているかどうか──そこが何より大切なのだと思うのです。

    だから今は、「映像」ではなく「ことば」で届けさせてもらいました。
    この記事が、名古屋聾学校のnoteに込められた優しさや、そこで生きる人たちの輝きを、少しでも多くの人に伝えられたなら──それが、今の私なりの精一杯の敬意の表し方だと思っています。

    そしていつかきっと。
    AIの技術がもっと成熟し、私自身ももう少しだけ成長できたら──あらためて、映像というかたちで、聾学校の方たちの姿をまっすぐに映し出したいと思います。
    それは、いま胸の中にある「未来への約束」です。


    🤘結びにかえて:noteという、“つながり”の場へ


    思えば──
    もしあのとき、NHKのドラマ『しずかちゃんとパパ』を観ていなかったら。
    もし、あの物語に心を動かされなかったら。
    私は、名古屋聾学校のnoteにたどり着くこともなかったかもしれません。

    その出会いがきっかけで、自分の中に「知らなかったことを知ろうとする視点」が、少しだけですが育ったように思います。

    AIが発展し、手話と音声がリアルタイムでつながる未来が近づいています。
    でも──どんなに技術が進んでも、最終的に人と人をつなぐのは、“誰かに関心を持つ気持ち”ではないでしょうか。

    名古屋聾学校のnoteは、そんな気づきをそっと手渡してくれる、あたたかな場です。

    このnoteに出会えて、本当によかった──
    そう思う人が、きっと私だけではないと信じています。

    誰かのまなざしが、少しだけ広がる。
    その連鎖こそが、未来をつなぐことになっていく。
    そんな“つながり”の場所として、名古屋聾学校のnoteがこれからも続いていくことを、ひとりの読者として、心から願っています。


    🏫 名古屋聾学校について、少しだけ
    この記事で登場した「愛知県立名古屋聾学校」について、簡単に補足

    名古屋市千種区にあるこの学校は、1901年創立という長い歴史をもち、現在は中学部と高等部(本科・専攻科)を設置。高等部では、生活デザイン・インテリア・機械制御といった専門分野に取り組みながら、社会自立に向けた教育が行われています。
    寄宿舎での共同生活、地域とのつながりを大切にした活動、そして手話を自然に取り入れた日常──
    そうした丁寧な営みの数々が、noteで綴られています。
    私自身は、あくまで一人の読者にすぎませんが、少しでも「ろう学校」という存在を身近に感じてもらえたなら嬉しいです。
    興味を持たれた方は、ぜひご自身のペースで覗いてみてくださいね。
    🔗 名古屋聾学校 公式ウェブサイトはこちら


    🔔Bell


     
     
    サッチャー政権末期のロンドン、冷戦終結直後の欧州に居ました。特別な立場でなく、ただその現場周辺にいた一人として。そこで出会った人々から教わったことは、今も自分の中に根付いています。忘れないつもりで記録を始めたはずが、気づけばエッセイになり、小説になり、映像になっていました。

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