「佐々木建仁のゲェム放浪記」 Vol.04 ─開発を揺るがした出来事─
2025年に30周年を迎えた「セガラリー・チャンピオンシップ」。ナムコで「リッジレーサー(1993年)」を手がけた後、セガに移籍した佐々木建仁氏が「セガラリー」を生み出した経緯とその後については、こちらのインタビュー記事でお届けしていますが、
当時の詳細な裏話については、佐々木建仁氏自らの回顧録コラム「佐々木建仁のゲェム放浪記」で継続的に連載をしています。
▼30年前に「セガラリー」の最初の企画段階に社内プレゼンで使われた本邦初公開の画面も掲載している「第1回」はこちらから!
▼初公開の当時の資料とともに初期企画の変遷を振り返る第2回はこちら!
▼アメリカ現地への取材旅行と素材の数々を当時の写真で振り返る第3回はこちら!
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アメリカ出張から帰国、そして開発チームが揃う
アメリカでのロケハンを終えて帰国すると、開発メンバーも徐々に増え、いよいよソフトウェア開発チームの陣容が整ってきました。
企画スタッフとして当時新入社員で、新人研修が終わったばかりの松本(功)さんが加わり、アシスタントディレクターを担当してもらうことになりました。
松本さんは、後に長年にわたり「頭文字D ARCADE STAGE 」シリーズのディレクターを務めることになる人物です。
セガラリープロジェクトでは私のアシスタントとして、企画をまとめていくうえで大いに力になってもらいました。
プログラマには新人を含む3名が加わり計4名体制に。
デザイナーにも新人や他のプロジェクトからの合流を含む3名が加わり計6名となりました。
企画、プログラマ、デザイナー、それぞれに新人や転職組が多く、今振り返ってみても当時のセガの開発部の中ではかなり異質かつフレッシュなチームだったと思います。
プロジェクトのまとめ役のプロデューサーやディレクターが既存の企画セクションのスタッフやベテランではなかったのも珍しかったでしょうね。
エンジンサウンドをどう作るか
サウンドスタッフには、主にSEを担当する河村(知之)さんが専任で配属されました。そして楽曲は「デイトナUSA」を終えたばかりの光吉(猛修)さんがメインで担当することになりました。
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