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7回の「永遠」──人類はなぜ陸へ上がったのか

    先日、車にはねられた。

    股間を強打し、立派な玉をこさえた。

    そして私は後に、人類はなぜ陸へ上がったのか、その答えを知ることになる。

    青信号を自転車で直進していた、その時だった。

    止まっていたはずの車が、まるで最初からそう決めていたみたいに、こちらへ右折してきた。

    ドンッ。

    自転車ごとなぎ倒された私は、あろうことかサドルへ盛大に打ちつけてしまった。

    ……神様、よりによってそこですか。

    救急隊員に聞かれる。

    「どこか痛いところはありますか?」

    股間だ。
    股間が痛いのだ。

    しかし、白昼堂々、狭い救急車のなか、男性隊員たちに囲まれながら「ここです」と示す度胸はなかった。

    「……まあ、全体的に……」

    アラフォー女が身をよじりながら発したその言葉に、車内にはなんとも言えない空気が流れた。

    私は早々に救急車を降り、タクシーで総合病院へ向かった。

    運転手がバックミラー越しに言う。

    「お姉さん、事故の痛みは後から来るからな!」

    その優しさが、股間に……いや、胸にじわりと染みた。

    診断結果は、骨折なし。

    ただし、そこには立派な「玉」ができていた。
    内出血でぷっくりと膨れ上がり、確かな存在感をもって鎮座していたのである。

    医師は言った。

    「現代医学をもってしても、自然に吸収されるのを待つしかないですね」

    そんな悠長な。

    貧乏暇なし。翌日には普通に出社した。

    会社ではすでに事故の噂が広まっており、普段はほとんど話したことのないお偉いさんまでもが駆け寄ってくる。

    「大丈夫ですか!?」

    私は背筋を伸ばし、毅然と答えた。

    「股間に玉ができましたが、無事です!」

    ……いらんDetailディテールを伝えてしまった。

    気丈に振る舞ってみたものの、最初の1週間は絶望の淵にいた。

    女として終わったのではないか。
    このまま二度と元に戻らなかったらどうしようと。

    だが、人間とは恐ろしい。

    一週間も経つと、この玉に妙な愛着が湧いてきた。

    鏡で見る。

    立派だ。
    威風堂々としている。

    私はこの戦利品を誰かに見せたくなり、行きつけのバーへ向かった。

    「マスター! 私、車にはねられて股間に立派な玉ができたの!」

    そこに居合わせた客たちは「おおー!」とどよめき、「俺も打ちつけようかな」と笑った。

    あの夜、私の玉は間違いなく酒場のヒーローだった。

    しかし、二週間経っても玉に変化はなく、むしろ存在感を増していた。

    ……まずい。

    ただでさえ精神性がおじさん寄りの私が、このままでは物理的にも「巨玉きょたまを持つおじさん」へと進化してしまう。

    恐怖を覚え、再び病院へ向かった。

    女性医師に泣きつく。

    「女だてらに、こんな立派な玉をこさえてしまいまして……」

    医師はカルテを見ながら静かに言った。

    「注射で抜くこともできるけど、おすすめはしないよ。地獄を見るから」

    地獄。

    その言葉に、なぜか少し興奮した。

    ぜひ見てみたい、その地獄とやらを。

    なぜならいつだってイノベーションは自らの意思で起こすものだから。

    私は覚悟を決めた。

    「構いません! 前に進みたいんです!」

    決死の覚悟で下半身を晒し、ベッドに横たわる。

    医師が何かを探している間、願った。
    せめてタオルくらい掛けてくれと。

    「えーっと、この辺だったかなぁ」

    麻酔の準備だろうか。
    そう期待した私の前に、「あ、あった!」と医師が差し出したのは、カチカチに凍った保冷剤だった。

    「これで感覚を麻痺させてね」

    ……ほっほっほっ、保冷剤ですかいっ!?


    ここ総合病院ですよね?

    そんな高校生がピアスの穴を開けるノリで、本当に痛みがなくなるんですかいっ!?

    だが、もう引き返せない。

    地獄の沙汰も保冷剤次第ということか、と無理やり自分を納得させ、自ら股間へ保冷剤を当てがった。

    「そろそろいいかな」

    いや待ってほしい。

    普通に感覚あるけど。
    むしろ冷たさで感覚が研ぎ澄まされている。

    「刺しますね」

    その瞬間、私の尊厳へ太い針が触れた。

    ぶすっ。

    医師がエコーを見ながら、針先をくねくねして血溜まりを探る。

    ふわぁぁ……っと血の気が引いていき、
    横になっているのに、倒れそう。

    「この辺だね」

    ぐぎぎぎぎぎぎ、と、なんの圧なのか分からないが、掃除機で靴下を吸い込んじゃったときのような、吸ってはいけない何かが吸われているこの感覚。

    私は遠のく意識の中で確信した。

    ── そうか

    古代の人たちは、この感覚を「永遠えいえん」と呼んだのだ。

    逃げ場のない時間。
    終わりの見えない痛み。
    ただひたすら続く「永遠えいえん」。

    「永遠とわ」でも「久遠くおん」でもない。

    ただ、最高に「永遠えいえん」だった。

    ⸻

    1回目の永遠。

    私は3億5000万年前、デボン紀の波打ち際にいた。

    今まさに、私たちの遠い遠い祖先になる魚が、海から陸へ這い上がろうとしている。

    怖くないのか?
    息ができなかったらどうする。
    陸が安全だという保証はどこにもない。むしろ地獄かもしれない。

    それでも彼らは、頭上に何かの眩しさを感じたのだ。

    「なんか、いける気がする」

    ただ、それだけで。


    ⸻

    「うーん、取れないなぁ」
    医師の声で現世に引き戻される。血溜まりを崩すように、針先を動かしている。

    2回目の永遠。

    昨日まで魚だった連中が続々と岸辺へ押し寄せている。

    やめろ。流行に乗るな。乗るなら波だろう。
    今の陸地は息苦しいぞ。

    私たちはいつしか考えすぎる生き物になる。
    背中を丸め、目立たないように、その場をやり過ごすことに慣れていく。

    陸に上がらない方が幸せだったんじゃないか…?


    ⸻

    「ここか!?」

    ぐぎ、ぎぎぎ。
    吸われているのに、押されている感覚。
    全身の毛穴という毛穴から、変な汗が噴き出る。

    3回目の永遠。

    巨大隕石が落ちた衝撃が股間を駆け抜ける。

    どうせ隕石ひとつで終わるような理不尽な世界だ。だったら、失敗を恐れて縮こまっている場合か。

    ちょっと考えなしに馬鹿みたいに、一歩踏み出した先にしか、見えない景色があるんじゃないか。

    恐竜は滅んだ。
    それでも、命は終わらなかった。

    ⸻

    ゴリゴリゴリ。

    瞼の裏の光がチカチカと激しく点滅し始めた。

    限界を超えた脳内で、宇宙船が光速まで加速するみたいに、無数の光が一本の線になって脳裏を駆け抜けていく。

    4回目、火の発見。
    5回目、産業革命。
    6回目、世界大戦。

    お願いだ、止まってくれ。

    しかし
    歴史の針は止まらない。
    股間の針も止まらない。

    ⸻そして
    7回目の永遠。

    人類は月まで行った。

    海を越え、空を飛び、ついには地球の外へ出た。

    月から見た地球は、青かったという。

    あの波打ち際の魚が見たら、きっと腰を抜かす。「お前ら、そこまで行ったのか」と。


    カチャッ。


    「この辺で一旦やめましょう」

    瞼から光が差し込んできた。世界が眩しい。

    「先生……どのくらい取れましたか……」

    息も絶え絶え尋ねる。

    すると医師は静かに言った。

    「1ccですね」

    ……1cc!?


    あの7回の永遠を経て!?
    人類史フルコースを味わって!?

    たったの1cc!?


    おっ玉げた。

    何かの間違いかと思ったが、二週間経った血はすでにジェル化しており、一番太い針でも一滴しか吸えなかったらしい。

    なんだったんだよ、あのデボン紀の魚は。

    何のイノベーションも起こせず、股間を無駄に負傷したまま、午後から普通に出社した。

    とはいえ、結果的に玉は消えた。

    「放っておいても治っていたのでは?」という意見については、断固として聞こえないふりをしたい。

    あれは「永遠」の成果なのだ。
    私はそう信じている。

    ちなみに保冷剤は意味がない。
    あんなものは気休めだ。

    でも、地獄へ行くとき、気休めがあるだけマシなのもまた事実である。

    ── あれから一年。

    「この暑さじゃ弁当が傷むな」

    弁当へ保冷剤を乗せる。
    その瞬間、股間がきゅっと疼く。

    背中を丸めていないか。
    目立たないように生きていないか。
    やり過ごすことばかり覚えていないか。

    私は今日も保冷剤を片手に、海を泳ぐ。

    頭上に何かの眩しさを感じながら、陸を目指すのだ。

    そこが天国か地獄かも分からないまま。

    ……ところでさ。
    イノベーションってなによ?

    よく分からないけど。

    なんか、いける気がする。

    完

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