鎬京
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概要
[編集]鎬京は灃河の東岸に位置する。周の武王が灃河西岸の豊京から遷都した。紀元前770年に周の平王が洛邑に遷都するまで西周の政治・経済・文化の中心であった[1]。北魏の酈道元『水経注』によると、漢の武帝が昆明池を造営するために鎬京の遺跡を破壊したとされ、遺跡の残りはきわめて悪い[2]。城壁跡はいまのところ未発見である[3]
洛北村では大型建築跡が発見され、西周時代の瓦の破片が相当量出土している[1]。
花園村・普度村一帯では、十数基の西周墓が発掘されている。とくに1981年発掘の15号墓と17号墓では、青銅器と土器が大量に出土した。15号墓からは円鼎・方鼎・簋・尊・卣・爵・觶といった青銅礼器が出土し、17号墓からは円鼎・方鼎・簋・爵・甗・尊・卣・円壺・方壺・觚・觶・盤・盉が出土した[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 黄石林、朱乃誠『中国文化史ライブラリー 中国考古の重要発見』高木智見訳、日本エディタースクール出版部、2003年。ISBN 4-88888-330-0。
- 愛宕元『中国の城郭都市 殷周から明清まで』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、2023年。ISBN 978-4-480-51208-6。
- 飯島武次『中国考古学のてびき』同成社、2015年。ISBN 978-4-88621-706-6。