皇居
| 皇居 The Imperial Palace | |
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| 分類 | 宮殿、御所、宮内庁、宮中三殿など皇室関連施設の収容地 |
| 所在地 | |
| 面積 |
〈宮内庁管理部分〉 約1.15 km2 〈総面積(皇居外苑含む)〉 約2.30 km2 |
| 前身 | 江戸城、宮城(明治宮殿) |
| 開園 | 1868年(1878年 - 1888年改修) |
| 現況 | 皇居 |
| 事務所 | 宮内庁管理部 |
| 事務所所在地 | 東京都千代田区千代田1番1号 |
| 公式サイト | 皇居(宮内庁) |
皇居(こうきょ)は、日本の天皇の住居[2]、固有名詞として旧江戸城を指す建造物。後者は東京都千代田区千代田1番1号に所在し、宮内庁も所在する[1]。区の中央部に立地しており、総面積は千代田区の約1割に相当する[3]。
明治天皇の東京行幸に合わせて、一度目の1868年11月26日(明治元年10月13日)に旧江戸城が東京城(とうけいじょう)と改称され[4][5]、二度目の1869年5月9日(明治2年3月28日)に皇城(こうじょう)と改称された[4][6]。1873年(明治6年)5月5日の火災により焼失し、旧紀州徳川家江戸中屋敷(現在の赤坂御用地)を仮皇居とした[4]。
1888年(明治21年)10月10日に明治宮殿が完成し、同年10月27日に宮城(きゅうじょう)と改称された[4][9]。1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲により焼失し[4]、1948年(昭和23年)7月1日に宮城の称が廃止され[11]、皇居と称されるようになった[4][12][13][14]。1968年(昭和43年)11月14日に新宮殿(現在の宮殿)が完成した(後述)。
概要
[編集]現在の皇居は特別史跡「江戸城跡」一帯を指す呼称でもあり、公式の英語表記は「The Imperial Palace」である。天皇の平常時の住居である「御所」や各種公的行事や政務の場である「宮殿」、宮内庁庁舎などがある。
平安京への遷都(794年〈延暦13年〉)から東京奠都(1869年〈明治2年〉)までは京都にあり、御所(ごしょ)[注釈 1]や禁中(きんちゅう)、禁裏(きんり)、内裏(だいり)などと呼ばれていた。現在の京都御所(京都市上京区)は、もとは里内裏として用いられ(後述の「#皇居・宮の歴史」参照)、南北朝時代以後は正式な御所となっていたもので、明治維新後の東京行幸に伴い留守となり使われなくなったが、荒廃した御所の様子を嘆いた明治天皇の指示により、隣接する京都仙洞御所や京都大宮御所とともに保存された。なお、行幸後に首都機能が東京に移った際、明確な遷都の法令が発せられなかったので、京都御所を現在も皇居とみなす向きもある(詳細は「東京奠都」を参照)。しかし明治以降、京都御所に近代的居住機能が付加されることはなく、平安時代の様式を伝える最高格式の紫宸殿(正殿)や日常生活の場である常御殿などが保存され、文化財となっている。
皇居の呼び名は、史料や古典文学に登場するものの現在では使われない表現を含めると様々ある。内裏、御所、大内(おおうち)、大内山、九重(ここのえ)、宮中(きゅうちゅう)、禁中(きんちゅう)、禁裏、百敷(ももしき)、紫の庭(むらさきのにわ)、皇宮(こうぐう)、皇城(こうじょう)、宮城、大宮、雲の上、雲居などがある。
現在の皇居
[編集]2019年撮影 国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成 |
明治以降の皇居は、幕末まで徳川将軍家が居城としていた江戸城跡にある。江戸城の内郭(内堀内)には、本丸、二の丸、三の丸、西の丸のほか、西寄りの部分には「吹上」と呼ばれる庭園があった。「吹上」はかつては屋敷地であったが、明暦の大火(1657年(明暦3年))以降、火除け地として、建物が建てられないようになっていた。
皇室関連施設のうち、宮殿や宮内庁庁舎などは旧西の丸に位置するが、天皇の住まいである御所は江戸城の「吹上」、現在の「吹上御苑」に建てられている。旧西の丸と吹上御苑は道灌堀という堀で隔てられている[注釈 2]。皇居と呼ばれる区域は、旧西の丸地区・吹上御苑と皇居東御苑からなる宮内庁の管理用地の区域を指す場合と[15][16]、この区域に環境省管轄の皇居外苑を加えた区域を指す場合がある[17]。
皇居の大きさは、宮内庁管理部分の敷地が約115万平方メートルで[18]、東京ドーム約25個分である[19]。濠の面積も含む東京都千代田区千代田の面積は142万5500平方メートル[20]、皇居外苑も含めた総面積は約230万平方メートルとなる[17]。皇居の宮内庁管理部分の住居表示は、東京都千代田区千代田1番1号(郵便番号100-0001)で[1]、居住していなくても登録できる本籍地として人気が高い住所になっている。また、国有財産としての皇居の価値は、2146億4487万円となっている(財務省資料に基づく、2009年5月時点)[21]。
皇居は東京の代表的な観光名所であり、人工衛星パノラマ画像プログラムのGoogle Earthでは、世界のランドマークの一つとして登録されている。旧江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部分は皇居東御苑として、1968年(昭和43年)10月1日以降、宮中行事に支障のない限り一般に公開されている[22]。皇居の制限エリアを一般人が訪問できる機会としては、「皇居一般参観」のほか、毎年1月2日と天皇誕生日に行われる「一般参賀」や桜が見ごろの4月初旬と紅葉が見頃の12月初旬に行われる「乾通りの通り抜け」などがある[23]。外国人観光客の東御苑などへの来訪が増えているため、宮内庁は2017年5月16日、スマートフォン向けに皇居や京都御所について日英中韓仏西6か国語の音声で案内するアプリの提供を始めた[24]。

また、皇居の周囲を取り囲む12の濠(堀)から成る皇居外周地区の歩道は、都心にありながら緑豊かな場所である[25]。皇居周辺は1周が約5キロメートルで歩道に信号機がなく、森・街路樹や濠の景観も楽しめることから、手軽なランニングコースになっている(皇居ランニング)[26]。高低差は約26メートル。初心者から上級者まで、幅広く走れる[27]。
皇居近くには、勤皇の忠臣とされる2人(文武二忠臣)の銅像が立っている[28]。皇居外苑の楠木正成像と大手濠の和気清麻呂像である。
皇居の上空及び周囲おおむね300メートルの地域は、重要施設の周辺地域の上空における小型無人機等の飛行の禁止に関する法律の規定に基づき、小型無人機等の飛行が禁止されている[29]。また、他の航空機であってもテロ対策の一環で飛行が制限されることがある[30]。
宮殿
[編集]| 宮殿(新宮殿) | |
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宮殿東庭から見た長和殿 | |
| 情報 | |
| 用途 | 国事行為、皇室行事、外国元首歓迎行事 等 |
| 設計者 | 吉村順三 |
| 施工 | 宮殿造営工事共同企業体 |
| 建築主 | 宮内庁 |
| 事業主体 | 宮内庁臨時皇居造営部 |
| 管理運営 |
宮内庁管理部 (宮殿管理官) |
| 構造形式 |
鉄骨鉄筋コンクリート造 (地下駐車場及び設備管制所は鉄筋コンクリート造) |
| 敷地面積 | 64,640 m² |
| 建築面積 | 15,643 m² |
| 延床面積 | 35,789.89 m² |
| 階数 | 地上2階、地下1階 |
| 高さ | 20.19 m |
| 戸数 | 7(正殿、豊明殿、長和殿、連翠、千鳥・千草の間、表御座所北棟、表御座所南棟) |
| 駐車台数 | 大型乗用車120台(東庭地下駐車場) |
| 着工 | 1964年(昭和39年)6月 |
| 竣工 | 1968年(昭和43年)11月14日 |
| 開館開所 | 1969年(昭和44年)4月 |
| 所在地 |
〒100-0001 東京都千代田区千代田1 |
| 座標 | 北緯35度40分57秒 東経139度45分10秒 / 北緯35.68250度 東経139.75278度座標: 北緯35度40分57秒 東経139度45分10秒 / 北緯35.68250度 東経139.75278度 |
宮殿(きゅうでん)は、天皇が国事行為や皇室行事などの儀式を行う施設。明治宮殿跡地の皇居西の丸地区に建設され、1964年(昭和39年)6月29日起工、1966年(昭和41年)9月13日上棟。1968年(昭和43年)11月14日落成。1969年(昭和44年)4月から使用されている。焼失した明治宮殿に対して新宮殿(しんきゅうでん)とも称する。
1959年(昭和34年)4月、政府は皇居造営審議会を設け、1960年(昭和35)年1月、皇居新宮殿造営を閣議決定。この際、天皇、皇后の生活を公私に分離する方針が採用され、日常の住居として吹上御所が1961年(昭和36年)11月に落成した。1962年(昭和37年)、東京芸術大学の吉村順三教授が基本設計に着手した。
基本設計完成後の1963年6月に建設地に実物大の屋根模型を実際に建て、高さや勾配、棟木飾りの大きさ・形など実際の寸法で制作設置して検討し、実施設計が始ったが、宮内庁と吉村の間に齟齬が生まれ、吉村は1965年に辞退し、その後の実施設計は宮内庁造営部が行い[31][32]、施工は大林組、鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店の5社共同体が担った。
設計は日本古来の宮殿の伝統を尊重し、素朴簡素であるとともに、国民に親しまれるものであることを主眼とした。屋根は緩やかな勾配と深い軒の出をもつ銅瓦葺きとし、外観は、中世の木造漆喰塗り壁の美を、メタルカーテンウォール工法によって再現した高床(ピロティ)型式となっている。室内は日本特産の銘木と裂地(きれじ)を用い、調度品も国産で、全てが清楚な意匠と第一級の工芸技術によって完成された。
鉄骨鉄筋コンクリート造で、地上2階、地下1階、宮殿全施設の延床面積は、3万5,789.89平方メートル。


