品川駅
| 品川駅 | |
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高輪口全景(2011年5月) | |
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しながわ Shinagawa | |
![]() | |
| 所在地 | 東京都港区 |
| 所属事業者 | |

品川駅(しながわえき)は、東京都港区高輪三丁目および港南二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・京浜急行電鉄(京急)の駅である。
山手線南部のターミナル駅で乗降人員は港区最多の78万人(2023年)、これは国内8位で北千住駅に次ぐもの[注 1]で、世界有数の利用者数を誇る[1][注 2]。
概要
[編集]駅名は東海道の宿場町である品川宿に由来するが、所在地は品川区ではなく港区である(後述)。
駅東側の港南口はもともと戦前からの埋立地として企業の工場や倉庫などが立ち並んでいたような場所だったが、1998年(平成10年)に旧国鉄品川駅東口貨物ヤード跡地に品川インターシティと呼ばれる大規模な複合商業ビル群が開業。
2003年(平成15年)に東海道新幹線の品川駅が開業して以降は、再開発により大規模なオフィスビルやタワーマンションを中心とした超高層ビル街へと発展し、駅利用者数が大幅に増加した。京急線で羽田空港に乗り換えなしでアクセスできることや、さらに東海道新幹線の駅の開業により中京圏・近畿圏とのアクセスが大幅に向上したこともあって、港南口を中心に企業の本社などの集積が進んでいる。もともとの表玄関であった駅西側の高輪口はプリンスホテル(西武グループ)などの大規模なシティホテルがいくつも集積しているとともに、高級住宅街が広がっている。
2030年代半ばの開業を目指し東京メトロ南北線の当駅への延伸工事が進められている[報道 1][報道 2]。また、建設が進められているJR東海リニア中央新幹線の首都圏側の始発駅となる予定であり、中京圏や近畿圏へのさらなるアクセス向上が期待されている。
乗り入れ路線
[編集]JR東日本の在来線各線(後述)、JR東海の東海道新幹線、京浜急行電鉄(京急電鉄)の本線が乗り入れる。全国でも有数の規模のターミナル駅である。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は東海道本線と山手線の2路線で、そのうち、東海道本線を当駅の所属線とし、山手線は当駅が起点となっている。東海道本線は川崎駅経由の本線と新川崎駅・西大井駅経由の支線(通称:品鶴線)とが当駅で分岐する。この中で東海道本線東京駅方面を除く3方向ではJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っている。旅客列車の運転系統は次の4系統であり、それぞれ専用の線路が割り当てられている。旅客案内でも以下の系統名称が使用される。
東海道線:東海道本線東京駅方面 - 当駅 - 川崎駅方面の列車線を走行する中距離電車・特急列車および近距離快速電車。上り列車は東京駅から東北本線列車線(上野東京ライン)、さらに宇都宮線・高崎線・常磐線への直通運転も実施 - 駅番号はJT 03。
京浜東北線:東海道本線東京駅方面 - 当駅 - 川崎駅方面の電車線を走行する近距離電車、南行は横浜駅から根岸線への直通運転も実施 - 駅番号はJK 20。
山手線:東海道本線東京駅方面の電車線と線路名称上の山手線渋谷駅方面の電車線とを直通運転する環状路線 - 駅番号はJY 25。
横須賀線:東海道本線東京駅方面の地下線と品鶴線新川崎駅方面とを直通運転、上り列車は多くの列車が東京駅を経由し、総武快速線へ直通 - 駅番号はJO 17。- このほか、湘南新宿ラインを含む新宿駅方面を発着する中距離電車・特急列車・ホームライナーは列車運行上は大崎駅から当駅を経由せず大崎支線経由で品鶴線西大井駅方面に直通するが、運賃計算上は大崎駅 - 西大井駅間は当駅を経由するものとして扱う。大崎駅 - 当駅間は山手線、当駅 - 西大井駅間は品鶴線である。
京浜急行電鉄は、当駅を経由し、都営地下鉄浅草線、京成電鉄、北総鉄道北総線、芝山鉄道芝山鉄道線まで最大で5社の相互直通運転を実施している。
JR品川駅の事務管コードは、▲460106である。
歴史
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国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
品川駅の西口側は三田 - 高輪台に跨る台地の裾野に位置する。開業当初、線路は海岸線に沿って建設され、線路よりも東側は海(東京湾)だった。港南側の大部分は明治時代以降に埋め立てにより造成された土地である。
日本初の鉄道として知られる新橋 - 横浜間の正式開業は1872年10月14日(明治5年9月12日)、一般運輸開始は翌10月15日(旧暦9月13日)からであるが、これに先行して同年6月12日(旧暦5月7日)に品川 - 横浜間で仮開業しており、乗務員の訓練が行われた。
- 開業初期の品川駅。跨線橋は木製で屋根が無い。
- 1889年ごろ、八ツ山橋から見る品川駅と海。跨線橋は1882年設置[2]の物か。
- 1897年ごろの品川駅。構内が大きく変わっている。
- 品川駅創業記念碑(高輪口)
国鉄・JR
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- 1871年(明治4年)9月10日:品川駅舎の工事が着工[3]。
- 1872年(明治5年)
- 1885年(明治18年)3月1日:日本鉄道品川線(現在の山手線)が当駅に乗り入れる[4]。
- 1898年(明治31年)4月1日:貨物の取り扱いを開始[5]。
- 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道が鉄道国有法により、国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称の制定により、東海道本線の所属となる。
- 1914年(大正3年)12月20日:京浜線(現在の京浜東北線)の運転を開始。
- 1925年(大正14年)7月17日:駅構内で車両の連結器を自動連結器に換装する工事が行われる。品川駅では日本一となる1,284両に対して実施[6]。
- 1945年(昭和20年)5月24日:太平洋戦争による空襲で駅構内が被災(駅舎は被害なし)。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道(国鉄)が発足。
- 1953年(昭和28年)
- 1964年(昭和39年)10月1日:コンテナ貨物の取り扱いを開始。東海道新幹線が開業し、品川信号場が設置される[8]。
- 1965年(昭和40年)7月31日:駅構内で山手線内回り電車がポイントを通過中の回送電車に側面から衝突。15人負傷[新聞 1](詳細は山手線品川駅列車衝突事故を参照)。
- 1973年(昭和48年)10月1日:尻手短絡線の建設に伴い、南武線尻手 - 新鶴見操車場 - 品川に営業キロが設定される。
- 1976年(昭和51年)10月1日:総武快速線が当駅まで乗り入れ[9]。
- 1980年(昭和55年)10月1日:総武快速線と横須賀線の運転系統が統一され、直通運転を開始(SM分離)[9]。一般向けコンテナ・車扱貨物の取り扱いを全廃。駅南東に広がっていた貨物ホーム撤去。これに伴い、横須賀線は東海道線ホーム発着ではなくなった。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取り扱いを廃止[5]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本・JR貨物の駅となる[5]。東海道貨物線品川 - 浜川崎 - 鶴見間が品川 - 浜松町 - 浜川崎と鶴見 - 八丁畷に整理、南武線尻手 - 新鶴見操車場 - 品川の営業キロが廃止された。
- 1990年(平成2年)
- 1994年(平成6年)12月3日:貨物列車の設定がなくなる[5]。
- 1995年(平成7年)3月28日:東西連絡通路の起工式[新聞 2]
- 1996年(平成8年)10月1日:東海道貨物線 品川 - 浜松町が廃止。
- 1997年(平成9年)5月26日:東海道新幹線の品川新駅の起工式を挙行[11]。
- 1998年(平成10年)
- 3月26日:構内のJR貨物品川機関区が川崎貨物駅構内に移転し、川崎機関区(現・新鶴見機関区川崎派出)に改称[12]。
- 11月1日:東西連絡通路(レインボーロード)が完成し、橋上駅舎化[新聞 3]。
- これ以前には、当駅には線路を越えて東西を結ぶ自由通路が設置されておらず、東口方面と西口方面を歩いて行き来するには入場券を購入して駅の改札内を経由する必要があった[新聞 3]。その関係で当駅には定期入場券を購入する利用者が多く存在していたが、東西連絡通路の完成で解消された。
- かつての品川駅には、西口改札を入って左にある階段を降りたところにJR線の各ホームへ向かう連絡通路が設置されていた。この連絡通路は地下にあったため豪雨で冠水することがあり、これが原因で列車の運行に支障をきたしたこともあったが、駅の橋上化により解消された。
- 2001年(平成13年)
- 2002年(平成14年)6月12日:東海道線ホームの発車メロディを『鉄道唱歌』に変更[13]。
- 2003年(平成15年)10月1日:JR東海の東海道新幹線品川駅が開業[14]。開業記念セレモニーの一環で、ソニーの「QRIO」が当駅から静岡駅までロボットとして初めて新幹線に乗車した[15]。
- 2004年(平成16年)3月3日:港南口駅ビル(JR品川イーストビル・アトレ品川)が開業[報道 4][16]。
- 2005年(平成17年)10月1日:エキナカ商業施設「エキュート品川」が開業[報道 5][17]。
- 2008年(平成20年)3月15日:JRグループのダイヤ改正により、東海道新幹線は全列車停車となる[18]。また、横須賀線新ホームの使用を開始し、当駅始発・終着列車が新設される。
- 2010年(平成22年)12月28日:エキナカ商業施設「エキュート品川 サウス」が開業[新聞 5]。
- 2013年(平成25年)10月16日・11月:商業施設「アトレ品川」の2階(ノースエリア)がリニューアル[報道 6]。
- 2014年(平成26年)7月11日:商業施設「アトレ品川」の4階(レストランフロア)がリニューアル[報道 7]。
- 2016年(平成28年)8月11日:山手線の1・2番線ホームでホームドアの使用を開始。
- 2018年(平成30年)12月15日:京浜東北線5番線ホーム(大船方面)でホームドアの使用を開始[報道 8]。
- 2019年(平成31年・令和元年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2025年(令和7年)
京急
[編集]- 1904年(明治37年)5月8日:品川駅(現・北品川駅) - 八幡駅(現・大森海岸駅)が開業。
- 1905年(明治38年)12月24日:品川駅 - 神奈川駅が開業。
- 1925年(大正14年)3月11日:京浜電気鉄道の高輪駅が開業[23]。品川駅を移転、北品川駅へ改称[24]。高輪駅 - 北品川駅の一部は東京市電と共用とした。
- 1933年(昭和8年)4月1日:高輪駅 - 北品川駅の市電共用を廃止し、自前で品川駅乗り入れを実施すべく品川駅 - 北品川駅に線路敷設、当駅開業。横浜駅以北を改軌 (1372 mm → 1435 mm) 、当駅 - 浦賀駅直通運転開始。高輪駅廃止。
- 1942年(昭和17年)5月1日:東京急行電鉄の駅となる。
- 1944年(昭和19年)5月1日:当駅 - 黄金町駅および横浜駅 - 浦賀駅に運転系統を分離。
- 1948年(昭和23年)
- 1952年(昭和27年)7月6日:当駅 - 逗子海岸駅(現・逗子・葉山駅)間で「海水浴特急」の運行を開始。
- 1968年(昭和43年)6月21日:当駅 - 泉岳寺駅が開業。都営地下鉄1号線(現都営地下鉄浅草線)と相互乗り入れを開始。主に特急、急行が乗り入れ。
- 1992年(平成4年)4月16日:「京急ウィング号」(現:「イブニング・ウィング号」)運行開始。
- 1993年(平成5年)4月1日:空港線の羽田駅(現:天空橋駅)開業に伴い、空港線直通列車を運行開始。
- 1995年(平成7年)4月1日:快速特急の最高速度を当駅 - 横浜駅が120 km/h、横浜駅以南が110 km/hへ引き上げ。
- 1997年(平成9年)10月4日:都営浅草線直通特急の12両運転区間が当駅まで延長される。空港線へ直通する特急が登場し、都営浅草線直通列車を大幅に増発。
- 1998年(平成10年)11月18日:空港線羽田空港駅(現・羽田空港第1・第2ターミナル駅)開業に伴い「エアポート快特」「エアポート特急」の運行を開始[新聞 7]。
- 1999年(平成11年)7月31日:京急線の白紙ダイヤ改正が実施され、京成電鉄線および都営浅草線からの直通急行がすべて羽田空港駅発着になり、通常時のダイヤから当駅発着が消滅。また、金沢文庫駅で快特と増・解結を行い、当駅 - 新逗子駅、浦賀駅を結ぶ列車を設定(当初は休日のみであったが、後に平日にも拡大)。
- 2002年(平成14年)10月12日:日中の当駅発着快特を泉岳寺駅発着に延長、浅草線に連絡する。
- 2007年(平成19年)3月18日:ICカード「PASMO」の利用が可能となる[報道 16]。
- 2009年(平成21年)2月25日:接近メロディを導入[報道 17]。
- 2010年(平成22年)5月16日:ダイヤ改正により新設された「エアポート急行」の停車駅となる[報道 18]。同時にエアポート快特は当駅 - 羽田空港駅間のノンストップ運転(後に、同年10月21日に羽田空港国際線ターミナル駅が開業したことに伴い、同駅が停車駅に追加)となる[報道 18]。
- 2017年(平成29年)4月29日:1番線の乗車目標を2種類から4種類に変更[報道 19]。
- 2020年(令和2年)4月1日:当駅 - 新馬場駅間の連続立体交差事業に着手[報道 20]。
- 2027年(令和9年)度:地平化予定[25]。
駅名の由来
[編集]古くからの当地の周辺地名、東海道の宿場町品川宿およびその北側の江戸湾沿岸部の呼称品川湊に由来する。江戸時代は江戸湾内での海上旅客交通にも規制があり、品川宿の伝馬制度を保護する目的で、大山参詣や富士山参詣などで江戸湾を船で南下して神奈川方面へ向かう旅客もそのまま海路で直行できず、品川宿入口の北側(八ツ山または谷ツ山)で下船し陸路東海道品川宿を通って神奈川宿方面に向かうよう規制されていた。また、品川宿があった目黒川河口付近(利田神社付近が砂嘴の先端部)より北側の江戸湾は浅瀬で外洋航路の大型船は入船できず、この付近では外洋航路の大型船から小型船に積み荷を載せ替えが行われ、海上交通の結節点として船舶で賑わった(品川湊の項も参照)[26]。
品川駅の所在地は東京都品川区ではなく東京都港区であるが、これは開設当時、目黒川河口付近が「品川湊」と呼ばれていたこと、また、品川駅計画時点ではこの地域が「品川県」であったことによる。
駅構造
[編集]西側から京急、JR東日本、JR東海と大きく分けて3つの部分で構成される。
JR東日本
[編集]| JR東日本 品川駅 | |
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コンコース(2022年4月) | |
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しながわ Shinagawa SGW | |
| 所在地 | 東京都港区高輪三丁目26-27 |
| 所属事業者 | |
| 電報略号 | シナ |
| 駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
| ホーム | 8面14線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
[JR東 1]287,939人/日(降車客含まず) -2024年- |
| 開業年月日 | 1872年6月12日(明治5年5月7日) |
| 乗入路線 5 路線 | |
| 所属路線 |
■東海道線[* 1] (東海道本線列車線) (■■常磐線直通含む) |
| 駅番号 | JT03 |
| キロ程 | 6.8 km(東京起点) |
| 所属路線 |
■京浜東北線[* 1] (東海道本線電車線) |
| 駅番号 | JK20 |
| キロ程 |
6.8 km(東京起点) 大宮から37.1 km |
| 所属路線 |
■山手線[* 1] (山手線電車線・東海道本線電車線) |
| 駅番号 | JY25 |
| キロ程 | 0.0 km(品川起点) |
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◄JY 26 高輪ゲートウェイ (0.9 km) | |
| 所属路線 |
■横須賀線[* 1] (東海道本線地下別線・品鶴線) |
| 駅番号 | JO17 |
| キロ程 |
0.0 km(品川起点)[* 3] 東京から6.8 km |
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◄JO 18 新橋 (4.9 km) | |
| 備考 | |
駅長・助役配置の直営駅で、当駅のほかに大井町駅と高輪ゲートウェイ駅を管理している[27][28]。当駅の駅長が当駅所在の品川営業統括センターのセンター長を兼任し、当センターは山手線の田町駅から当駅まで、横須賀線の西大井駅、京浜東北線の大井町駅を統括している[29]。構内の中央に位置し、西側から山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線のホームがある。島式ホーム6面12線と単式ホーム2面2線で構成され、西から1番線、3番線 - 15番線と並ぶ。東海道線は6・12番線が本線である。京浜急行電鉄と1・2番線ホームの間には山手線の留置線が6本あったが、京急本線の連続立体交差事業に先立ち2019年(平成31年)3月に廃止された[30]。また、東海道下り本線にある電留線(札の辻群線3 - 22番)や洗浄線(白金群線)などは当駅構内の所有である。本線からの到着以外のルート構成は品川駅にある高輪信号所が扱っている。
みどりの窓口、駅たびコンシェルジュ、多機能券売機が設置されている[31]。このほか、指定席券売機が、みどりの窓口内、中央改札、北改札、南乗換口に設置されている[31]。
改札内コンコースは、駅の北側と南側にそれぞれ東西に伸びるものがある。中央にある改札外のコンコースで分断され、直接にはつながっておらず、両コンコース間をホームや改札を通らずに行き来することはできない。
南側の改札内コンコースの西側には京急のきっぷうりばや京急連絡改札口があり、京急の下りホームに直結している。構内には駅ナカ商業施設として「エキュート品川」がある。
1番線の東京寄りに、山手線の0キロポストがある。1番線ホームに設置されている鉄道発祥の地記念プレートは、映画『ゴジラ』で品川駅がゴジラに襲撃されたことにちなみ、ゴジラを模した図案となっている[32]。
9・10番線はかつて7・8番線と共に臨時ホームとして機能していて、戦前は軍用列車が、戦後は団体列車など臨時列車の発着ホームとして使われていた。また東海道線が早朝・深夜に設定している当駅発着の列車も臨時ホームを使用していた。時折行われるジョイフルトレインなどの鉄道車両の展示イベント以外に、東海道線や横須賀線のダイヤ乱れの場合にはこのホームが使用され、湘南新宿ラインが大崎駅ではなくこのホームを使用することもある。2015年(平成27年)3月14日からは上野東京ラインが使用し、主に常磐線が発着するホームとして機能している。
上野東京ラインの開業により、常磐線の始発駅となっていることから、利用客の待ち合わせも多いこともあり、大型ディスプレイと複数のベンチを並べた待合スペース(仕切り等なしの屋外型)が設けられている。同日の上野東京ライン開業日には、開通記念セレモニーが9・10番線ホームで行われ、最初の列車となった「ひたち」1号の先頭車両10号車付近のホーム上に赤絨毯等を敷いてイベントスペースが設けられた。
上野東京ライン開業前の臨時ホームの駅名標は、両隣の駅が川崎駅・新橋駅と東海道線に準拠した表示になっていた。また、下り方は東海道線以外に横須賀線(西大井方面)・山手貨物線(渋谷・新宿方面)の発着が各番線で可能である。
第二次世界大戦前、鉄道省では品川 - 東京間に複線を増設し、京浜線(のちの京浜東北線)の急行(快速に相当)と横須賀線を走らせる「京浜急行線計画」が存在していた。その計画では、1番線が山手線内回り、2番線が山手線外回り、3番線が京浜緩行線北行、4番線が「京浜急行線」北行、5番線が京浜緩行線南行、6番線が「京浜急行線」南行、7・8番線が東海道線上り、9番線が横須賀線上り、10番線が横須賀線下り、11・12番線が東海道線下りとなる予定であった。臨時ホームはこの計画に基づいて建設されたものである。この計画は対米戦により未成に終わったが、その一部は、京浜東北線と山手線の分離運転(「東京縦貫複々線工事」という)に活用された。なお、この「京浜急行線」は現在当駅に乗り入れている京浜急行電鉄本線とは関係なく、あくまで「京浜線の急行」という意味である。現在の京急本線の当時の名称は「京浜電気鉄道」だった。
田町寄りには本来横須賀線が使用するはずだった高架橋の一部が残されていたが、高輪ゲートウェイ駅の建設により取り壊された。
1960年代には新幹線が東海道新幹線しかなく、高速道路網も未整備で鉄道輸送のシェアが大きかった。年末や旧盆の帰省ラッシュ時に東北本線、奥羽本線や磐越西線方面への下り臨時列車が当駅臨時ホーム始発、山手貨物線経由で運行されたことがある[33][34]。(一部は東京駅・上野駅経由、ただし両駅での客扱いなし[35])。当駅始発の最初は1960年(昭和35年)12月28日から31日までの4日間で、15本の列車がその対象となり、1975年(昭和50年)まで続いた[33]。当時の東北方面へのターミナル駅である上野駅の混雑を緩和する目的で設定されたのである。乗客は提灯に導かれて駅の東側に回り、多数張られた白いテントの中で列車を待った[36]。このテント待合所は俗にテント村と呼ばれた。1965年(昭和45年)5月に3,000人収容の団体待合室が完成して、待合場所が変更された[37]。
全ホームに東京圏輸送管理システム(ATOS)が導入されている。
特急「成田エクスプレス」は、大船駅発着の列車と東京 - 成田空港間で大船駅発着連結のない便の新宿駅発着の列車が停車し、その他の列車は通過する。新幹線の全列車が停車する駅で昼行特急列車が通過する設定をしているのは国内では当駅が唯一である。寝台特急のサンライズ瀬戸・出雲も通過するが、上り列車が事故などで遅延した場合、当駅で運転を打ち切る場合がある。
山手線には、深夜に当駅止まりの電車が設定されている(東京総合車両センターに引き上げ)。東海道線には、常磐線直通系統の当駅発着列車以外に早朝の当駅始発下り横浜方面への列車・朝の宇都宮線および高崎線からの当駅止まりの列車・深夜の東海道線横浜方面からの当駅止まり列車の設定もある。横須賀線は、下り始発列車が当駅始発、上り最終列車が当駅止まりとなっている。総武快速線直通は、平日朝夕方に当駅発着列車が設定されている。
のりば
[編集]| 番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 内回り | 東京・上野・駒込方面 |
